刀剣本丸
(2.再会)
鶴丸は現代の、人の街に程近くありつつも威光の強い霊峰の1つに居た。
正確に言うと、その霊峰に建てられた立派な城の中庭に。
「こいつは驚いた…」
唐突に根の國へ喚ばれて以来、驚きが留まることを知らない。
退屈を嫌う鶴丸にとってそれは良い事態であるはずなのだが、如何せん、驚きの種類が悪い。
(勘弁してくれ…)
宝物庫にあった図面と写真程度の知識しかないが、この城はかつての江戸城本丸のようだ。
「お待ちしておりました。鶴丸国永様」
低い位置から声が掛かった。
視線を下げると、そこには隈取りをした黒い狐が座っている。
(黒…)
白は見掛けなくもないが、黒い狐とは。
大きさは野生の狐と変わらない。
「俺を呼んだのはきみかい?」
「はい。わたくしめはこんのすけ、大神よりこの城の管理を任された1匹にございまする」
併せて皆様への説明も行いまする、という彼は、分霊の記憶にある『こんのすけ』とどこか似ている。
あちらはもっところころしていたが、あれは人の創った式神であり違うものなのだろう。
「もう1匹いるのかい?」
「はい。社の門前は、1対でなければ守れませぬゆえ」
「なるほど」
「わたくしめの相棒も、もうお一方を連れてそろそろ……ああ、参りましたね」
黒い狐の向く方向へ鶴丸も顔を向ける。
向けて、心の臓がどくりと強く脈打った。
じゃり、と地を踏んだ音はそれきり続かず、相手の動揺を測れそうなもの。
しかし鶴丸もまた動揺しており、震える声だけが動いた。
「みかづき…?」
好んでやまない藍をした狩衣、金の装飾と正円を描く三日月の紋。
人の賛美に相乗されて、刀剣の中でもいの一番と言われる美の持ち主。
足元には鶴丸の傍の黒い狐とそっくりな、白い狐が控えている。
「つる…? そなた、鶴丸国永か?!」
信じられぬと届いた声に、弾かれたように鶴丸の足は駆けた。
「三日月っ!!」
両腕を伸ばせばあちらから伸ばされた手の元へ強く引かれ、藍の衣に包まれる。
「ああ、鶴…鶴や。こうして触れられる日が再び来ることを、ずっと夢に見ておったぞ…!」
抱き締める腕も、囁く声も、本物だ。
「俺も、俺もだ、三日月…!」
上位の神々の力無くば、付喪神は置かれた場所から動けない。
遥か昔、神も妖も珍しくはない時代であれば、己の力量次第でそれなりに遠くへ行けたものを。
「会いたかった…!」
人の世に天下五剣と讃えられ、国宝の称号を受けた太刀。
その美しき打ち除けから名付けられた号は三日月、銘は父たる刀匠の名を受け継いだ太刀、三日月宗近。
「そなたが御所へ帰ってから、そなたを想わぬ日などなかったぞ」
最後の邂逅は約200年前、平成の世にて。
献上されてから初めて外部へ公開となった太刀『鶴丸国永』の持ち出された先が、太刀『三日月宗近』を所有する博物館であった。
「鶴、もっとよく顔を見せておくれ」
頬を包んだ大きな手に即され、顔を上げる。
けれど鶴丸は、涙で煙って彼の顔がよく見えない。
雫を湛えた望月の眦に、三日月は柔らかく唇を落とした。
「泣くな、鶴丸。俺まで泣きたくなってしまう」
俺の愛しき番。
付喪神として顕現し、何度か京で擦れ違った。
そんな鶴丸と三日月が番の契りを結んだのは、鶴丸が京を離れる直前。
自らの置き処を選べぬ付喪の身は、別離の時ばかりをひたすらに積み上げていた。
「三日月…」
ぽたり、と黄金の眼から雫が落ちる。
まさか番であったとは思わず、白黒の狐は顔を見合わせた。
が、このままというわけにもいかない。
「御二人が既知の間柄であるというなら、それは重畳」
「ここは中庭でございますれば、まずは書院へご案内を」
ああ、そうだ。
ここへ本体共々飛ばされた理由を、まだ聞いていなかった。
「鶴、行けるか?」
「…大丈夫だ」
羽織の袖で涙を拭えば、こちらを覗き込んでいた藍に浮かぶ三日月が見える。
彼だけが持つ、至高の月が。
「では参ろうか」
それが当たり前だと云うように鶴丸の片手を引き、三日月は建物へ上がる2匹のこんのすけを追った。
「……」
鶴丸は繋がれた手を握り返す。
案内された部屋には、すでに座布団と茶菓子が用意されていた。
「この城には、仕えの付喪神が幾名か居りますれば」
「大抵のことはその者たちがこなしまする」
三日月に手を引かれるまま、鶴丸は座布団の片方に腰を下ろす。
隣には三日月、向かいには白い狐と黒い狐。
煎れたばかりらしい緑茶は湯気を立てており、鶴丸は宝物庫で一緒である太刀の1人を思い出した。
2人が茶を一口啜った時分を計らい、狐たちが口を開く。
「まず、ここは2205年の現世にございます。ここより確定した未来はございませぬ」
「政府と遡行軍の戦いが本格開戦し、10年の節目となります」
鶴丸が口を挟む。
「10年も経ったか?」
「経っておりまする。神である皆様には瞬きの間でありましょうが」
「ふぅん…」
「人の子の10年は長かろうなあ。して、大神が俺たちの本体を寄せてまで成せと申すものは…何かな?」
三日月の問いへ、白黒の狐は異口同音に宣う。
「「人の所業への罰と、戒めを」」
ざわり、と胸の奥が騒いだ。
傍らの番が受けた屈辱が脳裏に過り、鶴丸と三日月は互いに重ねた手に力を込める。
「分霊の記憶を継いだ御二人はすでにお察しかと思いますが、大神よりの記憶はあくまで『すでに折れた者』の物でございますれば」
「今このときにも、人が人の領分を越え、神々の身を貶めております。それは御二人の分霊に限りませぬ」
鶴丸と三日月が被害に遭いやすいことを、2匹の狐は否定しない。
「元はと言えば、人が過ちを犯した。それが事の始まり」
「末席の付喪神といえど、それの使役に正規の手段で大神へ窺いを立てた人の子を、大神が哀れと情けを与えたのも事実」
「ゆえに大神は、その御心を痛められたのです」
「ゆえに大神は、縁(えにし)の繋がる三日月様と鶴丸様を御呼びになったのです」
「「人の業は、正されるべきであると」」
歴史の改変を阻止することは正義である。
なぜなら『歴史』とはすでに過ぎ去ったものであり、『現在』そのものであるからだ。
しかし正義の行使という大義名分があるからといって、理を犯して良い理由にはならない。
それが、本霊とは別個体である分霊であっても。
「ふむ。そのような人の子を見つけたら、我らで如何様にも処分せよ…ということか?」
三日月の見当に、白い狐が耳を動かした。
「大雑把に申し上げますとそうなりまする。ただ、歴史の改変ポイントと分霊の集う各拠点は、拠点から時間転移の門が繋がれなければ接点が出来ませぬ」
「ゆえに出会うかは時の運。ですがご自身の分霊、あるいは近しい方の分霊の宿す霊力の質は見極められましょう」
黒い狐の相槌に、確かになあと鶴丸がごちる。
「分霊側の嫌悪による拒絶は、分霊を維持する人の子の霊力と反発する。ゆえに穢れに変わる」
「はい。その点、話す相手が本霊となれば、分霊も安心でございましょう」
鶴丸は茶が冷める前にとまた口をつけて、用意されていた上菓子を摘まむ。
面倒な説明で疲れた頭に、甘味はよく効いた。
「この菓子は美味いな」
「それはもちろん。大神の氣で維持された地にて育った、大神の氣に満ちた素材が元でございますから」
「……とんでもないものを食ったらしい」
唸ってしまった鶴丸は悪くない。
「はっは、この茶もそうであろう?」
「はい」
「うわぁ」
何でもないことのように追加の事実を落としてくれた三日月を、鶴丸がじとりと見返してしまったことも悪くない。
「というかきみ、いったいどこで天照大御神と御対面となったんだい? この狐らがいう大神は、双子神の両方を云うのだろう?」
「それは俺も気になっておったなぁ。鶴こそ、日輪の御方でなければ月天の御方であろう?」
穏やかに笑む三日月へ質問を質問で返すなと言ってやってから、鶴丸は正座の足を崩した。
崩した膝の上に肘を立て、顎を乗せる。
「俺は何人目かの主が凶刃に倒れたとき、黄泉路の供…副葬品として埋葬されたのさ」
そのときに気に入られた、とそれこそ何でもないような顔で告白され、三日月は言葉を失った。
(黄泉へ渡った…? 鶴丸が?)
刀とていつかは朽ちるもの。
土の中に葬られれば、後はじわじわと腐蝕するだけ。
黄泉へ渡って喪われたものは、二度と同じくは還らぬ。
三日月が思わず強く握った手に、鶴丸は苦笑するだけだった。
「きみはどうなんだい?」
「うむ…。いつだかの主が伊勢へ参拝したときがあってな。ちょうどその頃、大神の写し見が降りておられたのだ」
「へぇ」
たかが付喪神が大神の気を惹くなど相当だな、と互いに思っていることを、2人はまだ知らない。
「して、狐よ。ここは現代であると言うたが、我らはここから分霊たちのように戦に出るということか?」
「はい。人の子が使う技術とは違いまするが、人の子の部隊が辿り着ける地にはすべて行けまする」
「無論、遡行軍は倒して構いませぬ。あれらが『歴史』を理解しておらぬことは明白ゆえ」
茶を飲みきった鶴丸は、開け放たれた障子から見える風景にふと考えた。
「この屋敷は随分と広いが、使うのが俺たち2人だけ…というわけではないな?」
2匹の狐は同時に首を上下させた。
「はい。いずれは政府に協力しているすべての刀剣を顕現して頂ければと」
「…んん?」
今、言葉がおかしくはなかったか。
「刀剣を顕現すると言ったな」
「はい」
「顕現も何も、俺たちは勝手に本体を出たり入ったりしているじゃないか」
2匹の狐が、同時に互いと反対側へ首を傾げた。
「確かにそのとおりではございますが、これから為していただくことを考えますと、それでは駄目なのです」
「というと?」
黒い狐がふと廊下を見たので釣られてそちらを見遣れば、黒布で顔を隠した女姓が2人、盆を手にやって来た。
片方は茶瓶が載っており、茶のお代わりを持ってきたのだろう。
しかしもう1人は3種類の大きさをした枡と徳利を載せており、勝手に首が傾ぐ。
「酒盛りでもするのかい?」
「いえ、中身は水でございます」
「あなや…」
異なことをするなあ、と三日月が困惑気味に笑った。
茶のお代わりを注いだ女姓は脇に控え、もう1人は盆から中と小の枡を下ろし徳利を手にする。
大の枡に、半ばまでとくとくと水が注がれた。
「さて、この大きな枡がこの本丸とお考えください」
「ん?」
「枡が大神の氣の柱、水が大神の神氣です」
「ああ」
鶴丸と三日月が頷くと、大の枡の中に中の枡が嵌められた。
中の枡にも水が半分ほど注がれる。
「この中の枡、これが鶴丸様と三日月様になります」
大神の加護の元にある、という意味で非常に解りやすい。
水が注がれた中の升の中に、さらに小の枡が入れられた。
「この小の枡が、他の刀剣男士の皆様ということになりまする」
これは、と考え込む必要があった。
「…他の刀剣は、俺と鶴の神気で賄われているように見えるな」
「その通りにございます」
三日月が目を見張った横で、鶴丸は呆れ混じりの笑みを浮かべた。
「確かに俺たちは付喪神としては格が高いかもしれんが、それはさすがに烏滸がましくはないかい?」
狐が困ったように視線を下げる。
「と、申されましても」
「大神が直々に呼び寄せられた時点で、御二人は十分に特別でありましょう?」
それを言われてしまうと、弱い。
おまけに大神の命、逆らうことなど出来やしない。
「しかしなあ…」
「大神の氣のみでは出来ぬ理由があるのか?」
渋る鶴丸の隣で、三日月はすっかりと動揺を仕舞い込んでいる。
それが何となく気に食わない。
白い狐が答えた。
「出来ぬ訳ではございませぬが、そうしますと各々が『個』として顕現されまする。個が集まれば、そこには軋轢も生まれましょう」
「そうだなあ」
「付喪神の宿命。兄弟刀であっても敵であったり、まったく違う宿願の元に相手の主を斬ったこともありましょう」
「うむ」
「同じ目的でありながら、遺恨で溝が深まっては意味がありませぬ。なれば、斬っても切れぬ絆を創ってしまえば良いのです」
「…俺たちの神気を内に混ぜて、否が応でも兄弟刀のような扱いとするのか」
「そのとおりでございます」
「……」
寄せた眉が戻らぬ処を見るに、鶴丸は納得してはいない。
こればかりは仕方あるまいな、と断じた三日月は狐へ尋ねる。
「その話、火急の用件というわけではないな?」
白と黒の狐は同時に頭を上下させた。
「はい。早ければ良いのはもちろんでございますが」
「御二人が納得せぬ内は無理強いせぬ、との仰せにございます」
たかだか目に留まっただけの付喪神に対して、有り難すぎる配慮だ。
(やれ、難儀な役目よ)
しかし有り難いことも確か。
「あい分かった。そなたらの話、大神の命は確かに承った。が、少し刻(とき)を貰おう」
さすがに疲れてしまったと三日月が続ければ、それはそうでしょうと応えが返る。
「お部屋へご案内いたしましょう。御二人ご一緒の寝部屋でよろしゅうございますか?」
「うむ」
「ではこちらへ」
すっくと立ち上がった白い狐が廊下へ出たので、三日月は鶴丸の手を取り立ち上がらせた。
「今日の処はもう止めにしよう、鶴。そなたと積もる話もしたい」
ようやく、鶴丸の視線が三日月の視線と絡んだ。
「…ああ。そうだな」
まだ日は高い…ように思える…が、案内された部屋にはすでに二組の布団が敷いてあった。
先程とは別の女人…これも付喪神…2人が鶴丸の羽織を脱がし、三日月の装束の飾りを外す。
どこかそわそわとする鶴丸に三日月は首を傾げた。
「どうした?」
「…世話されるという心地は、どうにも慣れん」
三日月が不思議に思ったのは一瞬で、鶴丸の来歴を振り返ればそれは道理かもしれなかった。
どちらかといえば美術品として打たれた三日月は、身分の高い者や所謂天下人の中を渡り歩いてきた。
一方の鶴丸は戦刀として打たれ、武家を渡り時に商人の間を渡り、美術品としての扱いを受けたのは伊達が初めてだと以前に言っていた。
以前とはいえ、200年前の平成の世の話であるが。
「伊達での話は聞いたが、御所ではどうなのだ?」
「ああ、あそこも世話好きが多いなあ。大抵は断るが。しつこけりゃ国綱のとこに逃げるし、屏風の唐獅子に番をしてもらったりな」
そちらの方が大概ではないか、と三日月は噴き出しそうになった。
一方で。
(あの鬼丸国綱が、なあ)
三日月とは違う為政者たちの手を渡り歩いた、鬼を断つ剛の剣。
かつて共に在った一期一振と同じ粟田口派の太刀であるが、冷酷無比な一面が強いとも訊いていた。
(…ふむ)
妬けるな、と呟いた声は狩衣を落とす衣擦れの音に紛れた。
手伝ってくれた付喪神が部屋を辞し、ようやく2人きりだ。
「鶴や」
先に着替え終わり敷布に胡座を掻いていた鶴丸を呼ぶと、彼は苦笑気味に三日月を見遣った。
「きみの装束は、着るのも脱ぐのも大変なんだなあ」
「そなたもそう変わらんだろうに」
「そうかい?」
隣の空いた敷布へ座り、三日月は軽く両手を広げる。
「鶴」
しかし鶴丸は首を傾げるばかり。
(察することも無理か…)
致し方ない。
三日月は鶴丸の方へ身を乗り出すと、その腕を強く引いた。
「わっ?!」
何の予想もしていなかった鶴丸は、ぼすん、と三日月の胸の中へ飛び込んでしまう。
離れようと反射的に腕に力を込めたが、させぬとばかりにぎゅっと抱き締められた。
「みか…」
「逃げんでくれ。そなたに触れていたいのだ」
「…逃げは、しないが」
戸惑ったような声音に僅かだけ身体を離し、その顔を覗き込む。
金色(こんじき)の目は戸惑いと喜びを等分に含んでおり、三日月は眉尻を下げた。
「…甘え方を忘れてしもうたか」
甘える? と戸惑う声が上がる。
「俺もきみとそう変わらん爺だが」
「そんなことは知っておる。そうではない」
柳眉を寄せる鶴丸に、甘え方を忘れてしまうほど孤高であったことが透けて見え、歯痒い。
「…いや、今は良い。このような僥倖、二度はあるまいて」
今度は正確に悟り、鶴丸はそっと顔を伏せた。
「そう、だな…」
三日月の気配と薫りに包まれ、ほぅと息をつく。
「きみとはもう、見(まみ)えることはないと思ってた」
腕を己より逞しい背へ回せば、同じく抱き返されて温もりが増える。
格の高い付喪神である鶴丸と三日月は、所有者の敷地であれば動き回ることが出来た。
特に尊き方の持ち物である鶴丸が動き回れる範囲は、とても広い。
それでも、互いの在る場所には行けない。
「そなたが損なわれることはないと、判っているだけで良い。そう思っておったが…」
思わぬ要因から、こうして再び手を取り合うことが出来た。
ゆえに喜びと恐怖が同時に襲い、三日月は鶴丸の身体を強く掻き抱く。
「…出来ることなら、この先も共に在りたいものだなあ」
「……ああ」
鶴丸もまた、三日月の背を抱く腕に力を込めた。
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2016.6.25
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