白鶴演舞
(2)
鶴丸国永という太刀は、とても厄介な性質をしている。
数多くの逸話が示すように、その身は数多の人々の手を渡り歩いた。
『五条国永の傑作』
『平安の名刀がひと振り』
その切れ味を求めた者もいれば、所有出来る財力や権力を自慢にした者もいる。
人の手の数だけ語り継がれ、数々の逸話を持つに至る。
中でも有名な逸話は、墓より暴かれた話と神社より盗まれた話だろう。
「それほどまでに求められる刀とは、どれほどの素晴らしさなのか」と人は興味を持ち、さらに求められる。
刀という物であるがゆえに求められるがままに各地を渡った太刀は、曰く付きゆえに所有欲を煽る宝石と似ている。
実際、彼には『陵丸』という二つ名があった。
墓へ納められ墓より暴かれた太刀が祟るなど、如何にもあり得そうな話だ。
物が百年保てば『神』を宿す。
日ノ國古来の概念が今でも忘れ去られていないがため、『鶴丸国永』にも神が宿った。
真っ白な装束に白銀の髪、黄金(こがね)の眼をした美しい付喪神だ。
白に汚れは塵ひとつなく、戦で血を浴びれば目出度い『鶴』になる。
妖怪に等しい付喪神は宮を持つ神々からすると小さな存在であれど、御神刀であった年月も長く、彼の神性は強いものだ。
数多の家を渡ったがゆえに、『鶴丸国永』を知る付喪神は多い。
平安生まれのために大抵の付喪神より歳上で、神格も高い。
おまけに真白のあの出で立ち、ひと目見たなら強烈な印象を残していく。
審神者に協力する刀たちの中にも、ゆえに『鶴丸国永』を知る者は多く居た。
審神者という職業に就いた者のほとんどが、天下五剣『三日月宗近』に次いで目を惹かれてしまう存在。
審神者の元へ降りてくる数が非常に少ない付喪神ゆえに、やはり『鶴丸国永』は求められた。
あの太刀が欲しい。
あの付喪神が欲しい、と。
人の子の信仰で力を増す付喪神は、人の子の強い思いがどこかに反映される。
美しいと賛美され続けてきた『三日月宗近』が美しさを損なわないように、上人に寄進された『数珠丸恒次』が刀でありながら仏道を貫いているように。
それは理屈ではなく、『そう』であるのだから仕方がない。
『鶴丸国永』は、人が求めてしまう『何か』を元に存在していた。
誰かはそれを刀身の美しさをいい、誰かは切れ味を言う。
誰かは付喪神の形を言い、遍歴ゆえの生き様を言った。
そして『鶴丸国永』を欲するのは、何も人の子だけではなかった。
「鶴や、俺のものにならんか?」
「やだよ。…あのさあ、三日月。顔を合わせるたびに下手な口説き文句言うの止めないか?」
鶴丸の呆れた表情に堪えた様子もなく、三日月宗近は笑う。
「何を云う。止めて他の者に先を越されては堪らん」
「きみなあ…」
「はいはーい、三日月。あなたはきょう、はたけとうばんですよ」
今剣がひょいと現れ、三日月をずるずると引き摺っていく。
「あなや」
「鶴丸、一期一振はむこうで後藤があしどめしています。いまのうちにゆきなさい」
「ありがとよ」
廊下の分かれ道で告げられ、鶴丸は礼を述べると厨へ向かった。
この本丸の刀たちは、やたらと鶴丸に秋波を送ってくる。
別に構わないのだが、毎日毎時間、いつでもどこでも口説かれるのは正直疲れた。
このままでは健康状態にも支障を来たし兼ねない。
「演練にでも出れば、新しい風が吹くかねえ」
1人ごちる。
厨と繋がる広間へ入れば、宗三左文字が4振り分の配膳を終えたところであった。
「おはようございます、鶴丸。今日は早かったですね」
「おはよう、宗三。今剣と後藤が先回りしていてくれたようでな」
鶴丸が席に着くと、厨から大倶利伽羅と堀川国広が出てきた。
「…今日は早かったな」
「おはようございます、鶴丸さん」
4振りが揃ったところで朝餉が始まる。
「おっ、このだし巻き卵は美味いな」
「そりゃあ、大倶利伽羅さんの力作ですから!」
大倶利伽羅が何か言う間もなく堀川が答え、嬉しくなった鶴丸が彼を見ると反射で顔を背けられた。
「ははっ、照れるな照れるな」
少し茶化しただけで食事に戻れば、ホッとしたような空気が伝わってきた。
(我が弟分ながら分かりやすい)
朝から精神的に疲れることの多い鶴丸だが、今日は久々に気分が良い。
大倶利伽羅、宗三、堀川の3振りは、鶴丸にとって大変貴重な全面的味方である。
「…それで? 何か対策は思い付いたのですか?」
やや遠慮を滲ませ、宗三が口を挟む。
基本毒舌な彼ではあるが、何だかんだと鶴丸の世話を焼いてくれているので有難い。
鶴丸は味噌汁を一口飲んでから口を開いた。
「危ない連中が全員出陣してるときが狙い目なんだが、大抵が俺も出陣枠に入ってるんだよなあ」
まあそうでしょうね、と宗三は息を吐く。
「面子によっては、あなた以外では手に負えませんから」
そうなんだよなあ、と鶴丸も肩を落とした。
事の発端は、当然というか審神者の男である。
此処の審神者は、『鶴丸国永』が欲しかった。
入手難度最高と云われる『三日月宗近』と『小狐丸』を手に入れても、鶴丸国永を欲した。
問題はここから。
念願叶って当の太刀を手に入れた後、彼は次に"付喪神の"『鶴丸国永』を欲しがった。
それはつまり、どういうことか。
審神者は『神』を、欲したのである。
鶴丸は物としての性分よりも、神…あるいは妖怪…としての性分の方が強い。
人の子に自身の本体を求められるのは喜ばしいが、付喪神の身を求められるのは赦さない。
ある日近侍を勤めていた鶴丸に、審神者は決定的な言葉を放った。
「鶴丸」
「なんだい? 主」
電子機器を操る手を止めた審神者が、鶴丸へ身体ごと向き直った。
「なあ、鶴丸。俺は鶴丸が好きだ」
「…うん?」
鶴丸も審神者へ向き直り、首を傾げた。
「改めて言われんでも、そんなことは知ってるぜ?」
この本丸で顕現されたばかりの頃、今剣やにっかり青江には散々愚痴を言われたのだ。
「三日月よりおそいとはどういうようけんですか!」とか、「何度も何度もいったからねえ。…厚保樫山のことだよ?」とか。
それから、審神者の喜びようだとかを散々。
「そうじゃない」
通じていないと思ったか、審神者は鶴丸へにじり寄るとその白い手へ己の手を重ねた。
「…っ」
ぞわり、と鶴丸の背筋に悪寒が走る。
「鶴丸が、好きだ。だから…」
だから何だというのか。
鶴丸は審神者の手を乱雑に振り払った。
「『俺』という太刀は、すでにきみのものだろう? これ以上何を望むというんだ?」
す、と鶴丸の目が細められる。
「きみは人の身でありながら、『神』の身を欲するのか? 本職の陰陽師でも、滅多なことではそのようなことは言い出すまい」
審神者は何を言われているのか判らぬ様子であった。
構わず言い募る。
「俺たちがきみを『あるじ』と呼ぶのは、きみが俺たちの『持ち主』だからだ。人の子が一国の城主を『主』と呼ぶのとは訳が違う」
まだ戸惑っている審神者を、鶴丸は初めて『主(持ち主)』ではない人の子として見た。
「ははっ、がっかりだぜ」
どうやらこの人の子は、『審神者』としての自覚も節度も足りないらしい。
鶴丸はからりと笑って書類の仕分けに戻り、近侍の任を終えると審神者の部屋を辞する。
(さて)
あれからずっと物言いたげな審神者の視線が鶴丸に刺さっていたが、応える義理など鶴丸にはない。
そしてあることを閃いた鶴丸の行動は早かった。
本丸の中を足早に歩き、目当ての部屋へ。
「長谷部、居るかい?」
この部屋の主は鶴丸が織田にいた頃の知り合いであり、歌仙兼定や博多藤四郎と共に本丸全体の予定を管理しているへし切り長谷部だ。
「鶴丸か。入れ」
応(いら)えに遠慮なく襖を開ける。
「何か用か?」
座布団を滑らせてきた長谷部に、律儀だなあと思いながらありがたく腰を下ろした。
「おう。明日、演練の予定があるだろう?」
「ああ」
「それに俺を入れて欲しいんだ」
「お前を?」
ちょっと待て、と長谷部は机に置かれていた書付を取った。
出陣と内番等のメンバーは週の初めに7日分が発表されるが、演練のメンバーは他の当番に当たっていない者の中から当日の朝に伝えられる。
つまり、まだ明日のメンバー変更は可能だ。
「現時点の面子は?」
「骨喰藤四郎、太郎太刀、三日月宗近、大和守安定、山姥切国広、俺だ」
「三日月とちぇんじで」
「……そうなるな」
長谷部が机の上の筆を取る。
本当に替えてくれるらしく、鶴丸はにこりと笑った。
「ありがとよ。助かったぜ」
「構わん」
座布団から腰を上げ、こちらに背を向けている長谷部にそっと近づく。
「誰もがきみのように秘めてくれるなら、俺も楽なんだがなあ」
耳許で囁けば物凄い勢いで振り返られ、鶴丸は飛び退くとひらりと手を振った。
「それじゃ、邪魔したな」
ぱたりと閉じられた襖の内側で、苦々しい舌打ちが響く。
「本当に質(タチ)の悪い…」
織田の家で強烈に印象を残した白い太刀は、何百年経っても忘我を許してはくれない。
「鶴」
「ん? ああ、小狐丸か。どうした?」
夜も更ける頃、風呂上がりに一杯やろうかと厨へ歩いていた鶴丸を呼び止める声があった。
鶴丸の返しに、小狐丸は緩く首を振る。
「どうした、とはつれない。あなたを口説く輩が多すぎて、2人きりでこうして会うのも久々だと云うのに」
「その輩にきみも入ること、忘れてもらっちゃ困るぜ?」
口説かれ続けるのは疲れるんだと言いながら、鶴丸は厨へ入る。
目当ては酒だ。
以前に買い求め、鶴丸がキープしていたものが残っている。
下段の棚から鶴の紋を描いた紙の貼られた瓶を取り出し、上の棚から徳利と猪口を取り出す。
全部を流し台に置いたところで、また名を呼ばれた。
「鶴、いつまでかようなことを続けるつもりですか?」
片手を取られ、甲に口づけが落とされた。
「あなたが誰かを選ばねば、私も他も諦めはしないでしょう」
鶴丸の唇が、にぃと吊り上がる。
「俺が誰かひと振りを選んでも、他の誰も諦めんさ。虎視眈々とその座を奪い取ろうと狙うのみ。そして…」
選んだ相手もまた、鶴丸を得たことで新たな欲を覚えるだろう。
「欲は際限無いもんだ。翼を切られ、閉じ込められるなんざ御免被る」
するりと小狐丸の手を抜けた白い指先は、誰にすがることもない。
だから捕らえたくなるのだと、この刀は承知の上だろう。
小狐丸は話題を転じた。
「ところで。夕方からぬし様のご様子がおかしかったのですが、鶴は何かご存知ですか?」
ああ、と鶴丸は笑う。
「"あれ"はこの付喪神の身にご執心のようでなあ。可笑しくて堪らん」
嘲笑う。
「ふむ、なるほど…」
鶴丸が神としての矜持高く在ることは小狐丸も知るところ、理由は皆まで言われずとも察することが出来た。
「鶴は思わず手を伸ばしたくなる逸物ゆえ、人の子が抗うのは難しゅうございましょう」
「ま、これで懲りんなら別の手を考えるさ」
部屋への分かれ道、じゃあなとあっさり別れた鶴丸の後ろ姿を小狐丸はしばし見つめる。
「…今宵も訪うのは無理そうじゃな」
他よりもよく利く耳が、彼以外の足音を聞いた。
鶴丸の部屋限定の夜警は、本日もつつがなく行われるようだ。
「あっ、鶴丸さま」
鶴丸の部屋は北の裏庭、離れとして渡殿で繋がり独立していた。
その渡殿の手前の廊下で、白い髪ともっと小さなものがぴょこんと立ち上がった。
彼の頭を撫でると、待ってましたとばかりに小さなものが鶴丸の身体をよじ登ってくる。
「よお、五虎退。今晩はきみか」
「は、はい! 後で薬研も、来ます」
はにかむ五虎退の足元にも、べつの1匹。
鶴丸の肩へ登ってきた仔虎を撫で、残り3匹もその辺りに隠れているのだろうと予想した。
「なるほど、薬研か」
クスリと笑みをひとつ、鶴丸は五虎退へ手を振り自室へ引いた。
彼の部屋は小さな風呂と水場が備え付けられているので、大抵のことは部屋の中で済ませられる。
大勢が一度に入れる大浴場など、とてもじゃないが入れないと言っていたか。
(主さまは、鶴丸さまを特別に扱います)
それで不満があるわけではない、五虎退も他の刀も。
彼は誰もが認める名刀であり、千の齢を越える格の高い付喪神でもある。
他の刀に口説かれているのをよく見かけるがため、彼ならば仕方ないという思いもあった。
「すまねえ、五虎退。遅れちまった」
鶴丸が来たのとは反対の廊下から、薬研が駆けてきた。
「鶴丸さまは、先ほどお戻りになりましたよ」
「そうか。それじゃ、今日も元気に夜警と行くか」
「はい! 薬研、先に寝ますか?」
夜警は基本2振りひと組、片方が仮眠を取り片方が見張るスタンスだ。
「いや、俺っちは後で良い。虎を1匹借りるぜ」
「分かりました。じゃあボクが先に寝ますね」
時間が来たら起こしてくださいと残し、五虎退は鶴丸の離れの裏手へ回った。
裏の縁側で仮眠を取っていれば、誰かが裏から回ろうとしても気づくことが出来る。
五虎退が引いた後、薬研は仔虎の1匹と渡殿の端に腰掛けた。
(今晩は誰が来るかねえ?)
鶴丸に夜這いを掛ける相手は、太刀が多い。
振り分けは夜警の気配を察して手前で引く刀と、知っていてやって来る刀の半々だ。
(…おっと)
そうこうしている内に、今晩の最初のお客が来たらしい。
「うーん、今日は君かあ」
うしろくんだったら何とかなるかと思ったんだけどねえ、と嘯く相手は源氏の宝刀、髭切。
「後藤も今は随分と強くなったぜ。昼ならともかく、夜はあんたらには負けねえよ」
「そう。白くんの処に行く日は、日が高い内に潰しておけば良いかな?」
この太刀は物騒な本音を隠さないので、本当に物騒だ。
「ところで聞きたかったんだけどさ。通しくんも白くんに夜這い掛けたい方だよね?」
(通しくん…)
先のうしろくんと言い、なぜそんな半端な呼び方をするのかと返したい。
次にはまた別の呼び方をされるに違いないが、問題はそこではなく。
「…さすがに、髭切の旦那は鋭いな」
同じ目をしているからかい? と薬研が切り返せば、髭切はふふ、と愉快げに眼差しを細めた。
「まあそんなところかな。その君が見張りをしているのは、どんな交換条件だったのか興味があるよ」
「俺っちが他と天秤に掛けて、頷いちまう程度の条件だ」
それ以上は言わない、と暗に込めれば、髭切が肩を竦める。
「ふぅん…。通しくん相手だと面倒そうだから、今日のところは退散しようかな」
「今日だけじゃなくて、ずっと退散しといてくれるとありがたいねえ」
それは無理かな、と残された声は、愉しげであった。
髭切が去り、薬研は再び渡殿に腰を下ろす。
こうやって鶴丸の部屋の番をするのも、もう何度目だろうか。
(…俺っちは、鶴の旦那の『特別』になりたかったんだ)
薬研の記憶にも、ほんの2年足らずで織田を去った鶴丸のことはずっと残っていた。
人でいう愛しさや恋しさがそこにあったのだと、失われたはずの自身を取り戻して初めて思い至った。
策を考えることはともかく、戦と何ら関係ないことで悩むのは薬研の苦手とするところだ。
ましてや、引く手数多の鶴丸が頷くとも思えない。
ゆえに薬研は、知る限りでは一番始めに、真正面から堂々と鶴丸へ告白した。
「俺っちはあんたが愛しいよ、鶴丸の旦那。俺っちじゃあ、あんたの止まり木にはなれねえかい?」
鶴丸は呆気に取られた後、クスクスと笑った。
「男前だなあ、薬研。中々にぐっと来るものがあったぞ?」
きみの気持ちには応えられないがなあ、と続いた言葉は、想定していたもの。
「だがきみの男前っぷりに甘えて、頼みたいことがある」
鶴丸がしゃがみ、薬研を間近から見上げ言った。
(…こりゃ、"あざとい"ってやつか)
好いた相手に間近から上目遣いに見つめられ、なおかつ『甘えたい』だなんて言われたら。
(断るなんて出来るわけが…)
「きみも知っての通り、俺は他の刀からも秋波を送られていてな。困ったことに夜這いを掛けられているんだ」
「!」
それは知らなかった。
薬研を含む短刀は夜戦に出ることが多いので、当然といえば当然か。
「夜はぐっすり寝たいんだが、うっかり襲われちゃ堪らん。おかげで最近寝不足でなあ。ちょいと見張りをしてほしいんだ」
由々しき事態だ。
隊長を担うことの多い鶴丸が倒れると、調整が厄介なことになる。
(秋波はともかく、鶴の旦那ならと納得する奴も多い)
隊長の任は誰もが2度は担っており、その中で全4部隊の隊長格が決まっていった。
これは審神者ではなく、実際に戦う刀剣たちの中で自然と決まったものだ。
薬研は問い返す。
「…そんなこと言って、俺っちが夜這いを掛けるとは思わねえのかい?」
きょとんとした鶴丸は小さく吹き出した。
「思わんな。そう聞いて来るほど心配してくれてるんだろう?」
ああ駄目だ、見透かされている。
薬研は諸手を上げた。
「降参だ。俺っちは恋敵の邪魔が堂々と出来る。旦那は安眠を得ることが出来る。中々の取引だな」
鶴丸が立ち上がる。
「さすがに毎日とは言わんし、他にも大丈夫そうな刀に声を掛けているからな。あまり気を張らなくても良いぞ」
抜け目のないことだ。
日々驚きを探す彼が、ここまでしなければならないと考えれば事態の深刻さが窺える。
「しかし、薬研がいるとなると心強いなあ」
白い指先が、さらりと薬研の髪を撫でて離れた。
*
翌日。
鶴丸の求める相手は、演練の第3戦目に現れた。
「おっ、そっちにも俺が居るねえ。こりゃ驚きだ」
違う本丸の『鶴丸国永』である。
惜しくも敗けてしまった試合だが、鶴丸は早々に相手を掴まえに行った。
「おい、きみ。ちょっと訊きたいことがあるんだ」
袖を掴まれ引かれた『鶴丸』は、目を丸くしたかと思えば愉快げに笑った。
「自分に手を引かれるたあ、驚きだねえ。良いぜ、場所を変えようか」
次の仕合いまで30分ある、大丈夫だろう。
演練場には、休憩用と控え用の平屋が何軒かある。
空いている休憩処を見つけ、遠慮なくそこへ足を踏み入れた。
「なあ、きみ」
「うわ!」
先程とは逆に突然腕を引かれた鶴丸は、その勢いを殺せず顔を埋めるようにぼふりとぶつかった。
耳許で、自分のものではない金鎖がシャラリと鳴る。
「驚いた。危ないじゃないか」
顔を上げると、相手の指先が鶴丸の目許をゆるりと撫でた。
「ああ、やはりか。きみ、あまり眠れていないな?」
うっすらとだが隈が出来てる、と指摘される。
逡巡した鶴丸は大きな溜め息を吐き、相手の胸元へ顔を埋めた。
「…安眠出来ないんだ。夜這いに来る刀が多すぎて」
ぽんぽんと鶴丸の背を叩いていた『鶴丸』が、ピタリと手を止めた。
「…夜毎、まぐわいをしているのかい?」
「そんなわけあるか。逆だ」
「ははっ、そりゃそうか」
きみは俺だもんな、の言葉どおりだ。
『鶴丸国永』は、付喪神の身を求められることを好まない。
「…きみと話していたら安心して眠くなってきた……」
「おいおい、重症だな?!」
『鶴丸』はこちらへ体重を掛けてきた鶴丸を抱え、設置してある長椅子へ腰を下ろす。
鶴丸は相手に寄りかかったまま、懐くように額を押し付けた。
「…きみのところはそうでもないのかい?」
「そうだなあ。何かよく分からんが、大倶利伽羅と燭台切が"せこむ"というものらしくてな」
「せこむ」
「主が言うには、身を守る側仕えのようなものを言うらしい」
「へえ…同室なのかい?」
「ああ。きみは?」
「俺か? 一人部屋だな」
『鶴丸』が眉を寄せた。
「俺たちは元が同じだろう? それなら大倶利伽羅が絶対的な味方になるはずじゃないか」
「それはそうなんだが…」
鶴丸はまた溜め息を吐く。
大倶利伽羅と宗三、堀川は大丈夫。
頭では理解しているのだが、同室となって毎晩気を張ることになっては可哀想だ。
「…そう簡単には行かなくてなあ」
慰めろとばかりに頭をぐりぐりと押し付けてくる鶴丸に苦笑し、『鶴丸』は同じ白銀の頭をぽんぽんと撫でてやった。
「きみは苦労しているなあ。三条の刀はどうだい?」
「三日月が一番ヤバい」
『鶴丸』が吹き出す。
「はははっ! 本当に苦労しているな! うちの三日月は俺を孫みたいに甘やかして来るぞ?」
なんだそれ、羨ましい。
「くっそ…うちの三日月と交換してやりたい…」
一頻り笑った『鶴丸』は、鶴丸の頭を包むように抱き込んだ。
「まだ15分ある。寝ちまいな」
人の身体は10分の仮眠で休息を取れるらしいぞ、と続けてやる。
鶴丸はその真偽が気になったようだが、もぞもぞと居心地の良い体勢を探すと目を閉じた。
余程眠かったようだ。
「鶴丸さーん、次の仕合い……あれ」
休憩処の扉が開き、『鶴丸』の処の鯰尾藤四郎が顔を覗かせた。
「おーい、そこに居たか? …お?」
その後ろから、同部隊の日本号も顔を出す。
「こりゃまた…絵姿になりそうな光景じゃねえか」
相手本丸の鶴丸が、『鶴丸』に抱き抱えられるようにして眠っていた。
なまじ彼が美しいことは誰もが認めるところであるので、静画のようにされると皆が対処に戸惑う。
2振りに気づいた『鶴丸』が、鶴丸の背を叩いた。
「ほれ、時間だ。次の仕合いが始まるぞ」
「ん…」
とろりと潤んだ黄金色が顔を出し、鶴丸がもぞりと身を起こす。
その、肩からずり落ちた羽織を直す仕草の色っぽいこと!
思わず凝視してしまった鯰尾と日本号に、『鶴丸』はにやりと笑って告げてやった。
「お触り禁止だぜ?」
*
演練で別の自分に会い、腹は決まった。
鶴丸は自身の計画を実行に移すことにする。
「鶴丸さーん!」
本日の近侍である大和守が向こうから駆けてきた。
「おう、どうした? 大和守」
「うん。主がね、鶴丸さんを呼んでくれって」
「…へえ、なぜだい?」
さあ? と大和守は首を傾げる。
「何でかは言ってなかったなあ。断っておこうか?」
鶴丸は少し考えてから首を振った。
「いや行ってみよう。大和守、『俺の頼みを聞いてくれるなら話を聞いてやっても良い』って伝えてくれ」
「分かりました」
鶴丸さんのお願いなら何でも聞いてくれそうだけどなあ、と呟きながら、大和守は戻っていった。
その背に部屋にいることを伝え、厨で菓子をくすねて一旦自室へ戻る。
「…さて」
今日は鶴丸の中の危険目録上位に入っている刀が、軒並み夕暮れまで出陣だ。
中位の刀も、時間の取られる畑仕事や空き部屋掃除といったものに駆り出されている。
(願ってもない機会だ)
くすねてきた濡れ煎餅をかじり、部屋の中を見回した。
(必要な物、必要な場所、必要な『権利』)
すべて頭の中にある。
足音が近づいてきた。
「鶴丸さん、いる?」
「ああ。今出る」
審神者は鶴丸に会う気のようだ。
駄賃代わりに大和守の口へ濡れ煎餅を挟ませ、2振りは審神者の部屋へ向かう。
しばらく濡れ煎餅をむぐむぐしていた大和守は、お茶が欲しいねともっともな感想を呟いた。
「なあ、鶴丸。何が駄目なんだ」
審神者の正面へ座すなり問われ、面喰らった。
何が、とは何が?
大和守は茶を淹れに行っている。
「俺は鶴丸が好きだ。絶対に大切にする。それでも何が駄目なんだ?」
その台詞は、茶屋の少女にでも言えば良い。
「…なるほど。きみは俺の言ったことが理解できないと」
「っ、そうだ」
「鶴丸さん、何言ったの?」
清々しく会話へ割って入ってきたのは、茶を3人分淹れてきた大和守だ。
こういう遠慮の無さは嫌いではない。
礼を言って茶を受け取ってから、鶴丸は大和守へ答えてやった。
「『物』と『神』と『人』の領分を弁えろと言ったのさ」
「ああ」
鶴丸の隣へ座り、大和守は困ったように首を傾げた。
「そっか。主は他の刀も僕や清光みたいなものだと思ってた?」
刀本体を使い、手入れする。
そして、付喪神の姿を褒め、可愛がる。
短刀たちの大部分、加州清光や大和守はその類いに入る。
言うなれば、感覚が『人』に近い。
「僕や清光は主に可愛いって言われると嬉しいし、頭撫でられるのも好きだよ」
でも、と彼は続ける。
「主は…ええと、婚姻か。婚姻したい、みたいな。そういうことを鶴丸さんに思ってるんだ?」
「…ああ」
「まあ、僕らのこの身体、ほんとに人間みたいだもんね。閨事も同じように出来そうだし」
だからこそ、このような間違いを犯すのだろう。
茶を飲もうと手元に視線を落とした大和守の視界に、ちらりと見覚えのあるものが入る。
「鶴丸さん、それ…」
「ん? ああ、これか?」
見せるように、鶴丸が左手を上げた。
大和守は湯飲みを盆に戻し、その白い手を取ると自らの目の高さへ持ってくる。
「やっぱり。清光の馬鹿、また鶴丸さんの爪で遊んでる…!」
淡い桃色と極細の赤のマニキュアアートが、鶴丸の左手小指と薬指の爪を彩っていた。
「しかもこの指だよ、絶対判っててやってる…。ねえ、除光液持ってくるからこれ落として良い?」
堪えきれず、鶴丸はくつくつと笑った。
「きみたちはほんと面白いな。一緒かと思えば喧嘩する」
「鶴丸さんのことだからね」
そのまま鶴丸の左手で手遊びを始めた大和守を、鶴丸は特に咎めない。
正面へ顔を戻せば、訳が分からないという顔の審神者が鶴丸と大和守を凝視していた。
「どうして大和守は良くて、俺は駄目なんだ…?」
呆れたな、と鶴丸が口に出す前に、大和守が困ったように眉を下げて笑った。
「僕と鶴丸さん、格は違うけど同じ付喪神だよ。でも主は人間だよね」
ちょっと除光液持ってくるから待ってて、と大和守はまた出ていった。
鶴丸は唖然としている審神者へ言う。
「さて、きみの話は聞いたぞ。次は俺の頼みを聞いてもらおうか?」
その日から、鶴丸が審神者を『主』と呼ぶことはなくなった。
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2016.4.10
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