白鶴演舞

(3)




何度目かの宴の日。
この日は天下五剣がひと振り、数珠丸恒次が鍛刀で顕現した祝いだった。
彼には上人の刀であるという経歴を見込んで頼みたいことがあったが、今日するものでもないかと鶴丸は思い直す。
(そろそろ逃げるか)
大倶利伽羅と宗三へ密かに目配せし、そっと席を立った。
こういうとき、気づいて鶴丸を追い掛けてくる刀は声を掛けてこない。
すでに夜も更け、しかも酒が入っているとなれば閨に引き摺り込む理由には事足りる。
下手に名を呼んで、己のチャンスを不意にするような馬鹿はいないのだ、残念ながら。
(ん? そういえば…)
鶴丸より先に、宴の席を離れた刀が居たような。
廊下を1つ曲がり、渡殿へ辿り着いたときには遅かった。

「鶴丸」

前方から歩いてきたのは、よりにもよって和泉守兼定と加州清光。
(…となると、後ろから来るのは)
隠されなくなった足音に振り返れば、長曽根虎徹と大和守だった。
「安定、やるじゃん!」
「追い掛けて正解だったね」
加州と大和守がにぱりと笑って相手を称えている。
(最悪だ…)
前後を新選組の刀に挟まれて、鶴丸としては中々に不味い状況になった。
いつも抑えてくれる堀川は、今晩は三条を抑えてくれていた気がする。
(…最悪だ)
和泉守が鶴丸へずいと近づいた。
その表情は至極真面目だ。
「何度も言っちゃあいるが、俺はあんたに心底惚れてるんだ。そろそろ応えてくれねえか」
「俺は誰にも応えないさ。残念ながらな」
だが、状況は頗る悪い。
このまま強行手段を取られると、鶴丸には逃げ場がなかった。
おまけに最悪の最悪の事態を考えると、絶対に和泉守1人の相手だけでは収まらない。
加州がむぅ、と唇を尖らせた。
「もうさあ、俺たち新選組に囲われちゃいなよ。そしたら三条とか源氏とか、全部追っ払ってあげるし」
「僕たちは打刀だから、短刀相手の夜戦も出来るしね」
(だから質が悪いんだ、この野郎…)
いけしゃあしゃあと言ってのける沖田の2振りに、鶴丸は口が引き攣る。
「おい、局長さんよ。物騒な部下を何とかしないのかい?」
「なに、うちの可愛い部下は一途でな。花街にも行かずずっと鶴丸の旦那を追い掛けてるから、俺としては見守りたいのが本音だ」
(この野郎…)
中々の返しだと褒めてやりたいところだが、助けのたの字にもならない。
痺れを切らし舌打ちした和泉守が、鶴丸の腕を掴もうと手を伸ばす。

ーーヒュッ

「!」
不意に場を貫いた殺気に、飛び退いた。
鶴丸の前と後ろ、和泉守と大和守が先程まで立っていた床板には苦無が突き立っている。
「なっ、」
「え、忍者?!」
馬鹿なこと言ってんな! 短刀か?! と言い合う彼らを横目ににやりと笑い、鶴丸は刺さった2本の苦無を引き抜く。
「ま、俺も悠長にしてるわけじゃあないんだな。これが」
右の指先でくるりと刃を回し、掌に構えた刃を和泉守の側へ突き出す。
「くっ…!」
短刀よりも短く、しかし左に構えられたもう1本がいつ投擲されるか分からない。
(間合いが読めねえ…!)
再び彼らと鶴丸の間で距離が空き、鶴丸はひらりと庭へ飛び降りた。
足袋のままだが、仕方がない。
「じゃあな。お先に失礼するぜ」
上げた彼の右の腕に、何かが巻き付く。
「ほっ!」
上へ引っ張り上げられる反動を使い、柱に足を掛け一気に駆け上がった。
「マジで忍者なんだけどっ?!」
「上に居るの誰だ?!」
そんな声を足元に、鶴丸は手を引かれ屋根の上を走る。
「はははっ! 上手く行ったな!」
ところでその布はどうしたんだい? と前を走る相手に尋ねれば、相手がバサリと顔を隠す布を外した。
そこから覗いたのは、悪戯に笑う鶴丸と同じ顔。

「しこたま酔わされてたからな。堀川に手伝ってもらってかっぱらった」

山姥切国広がいつも被っている白のボロ布だ。
後で返してやらねば泣きそうだな、などと考えながらも、鶴丸は心が踊る。
「やっぱり良いなあ」
驚きはこうでなくっちゃな! と笑う彼に、前を行く鶴丸もまた笑った。

裏庭へ飛び降りれば、もうここは鶴丸専用の離れだ。
苦無を返そうと差し出した鶴丸の手を無視して、相手の手がこちらの頬に伸びる。
「うん。やっと笑ったな」
そう慈しむような顔で見つめられて、鶴丸は頬に熱が集まったことを自覚した。
「…っ」
自分の顔が美しいことは、遥か昔から知る事実だ。
しかし己が意図しない表情をされると、自分自身の顔であるというのに心の臓が派手に音を立てる。
「今夜は珍しく失敗したな、鶴丸」
「あっ、ああ…。助かったぜ」
返す声が上擦ってしまったが、相手は白い布と他の装備を外している最中であった。
思わずホッと胸を撫で下ろす。
「国永、いつから居たんだい?」
もうひと振りの鶴丸…国永と呼んでいる…は腕に巻いていた万力鎖を外し、軽くなった腕をぐるぐると回した。
「最初から屋根の上に居たぜ? 宴のときは騒がしいからなあ、瓦を外して仕込みをしても誰も気づかん」
いやあ、楽しそうだった! とカラカラ笑うもうひと振りの自分に、鶴丸は一気に熱が引く。
「あ……すまない」
国永は、宴どころか他の誰かの前には姿を現せない。
すでに大倶利伽羅たちには伝えているが、話し相手になってもらうにも他に怪しまれるわけにはいかなかった。

秋波を送られ過ぎて疲れてしまった鶴丸だが、他と関わるのは嫌いではない。
退屈に殺されないためには、他の誰かが居た方が断然良かった。
それは当然、同じ存在である国永にだって当て嵌まる。

押し黙ってしまった鶴丸に気づいた国永が、ぽんぽんとその頭を撫でた。
「そんな顔をするな。俺が楽しんでいることは、きみだって知っているだろう?」
それでも、と考えてしまう。
どんどん表情を沈めてしまう鶴丸に、国永はああもう、と呟いたかと思えばその身体を抱き寄せた。
「そこまで気に病むなら、もっと俺に構ってくれれば良い」
朝起きたとき、出陣の前後、空いた時間、非番の日。
いつだって良い、国永はいつだって本丸に居るのだから。
「……ああ、そうしよう」
ようやく、鶴丸の腕が国永の背に回った。



あの日、鶴丸が審神者に頼んだことは2つ。
1つ目は、予備として蔵に仕舞われていた『鶴丸国永』の顕現。
2つ目は、2振り目の顕現の秘匿と存在の維持だった。

別本丸の『鶴丸国永』相手に無防備に昼寝をした鶴丸は、絶対的な味方として己自身を選んだ。
思想も行動も何もかも、自身のことなら頷ける。
自分であるからこそ心苦しいことを頼んでしまうことになったが、鶴丸には他に逃げ道がなかった。
(…寝たか)
国永の腰辺りに腕を回して抱きついて、鶴丸は安心しきったように眠っている。
あまりよくは見えないが、呼吸の深さと感覚で寝入っていることは判るようになった。
彼の眠りを守るようにその頭を抱き寄せ、国永も目を閉じる。

顕現したかと思えば目の前に居たのは同じ顔、早々に連れて来られたのはこの離れの部屋。
訳の分からぬ国永に必死の形相で頼み込んできた鶴丸の状態は、お世辞にも良いとは言えなかった。
(求められるのは慣れちゃあいるが、これはさすがになあ…)
まさか、自分が退屈以外の心情で殺されかけているとは。
人の身体で覚える暖かさは、存外良いものだ。
それを知っているから、鶴丸は何かと国永に触れたがる。
拍子に身体まで繋げてしまったのは互いに予想外であったが、これがまた心地良くて堪らない。
無論、まぐわずともこうして共に在れればそれで良かった。
(それになあ、鶴丸。きみにはまだ内緒にしているが…)
ひと振りだけ、友と呼べる刀が出来た。
いつか教えたときに、どれだけ驚いてくれるだろう。
鶴丸が驚く様を想像すれば、自然と顔は綻ぶ。
(きみが安心して笑ってくれれば、それで良い)
審神者による指示を受けるでもなく、出陣するでもなく、随分と変わった事情のために喚ばれたが。
これはこれで、国永は満足している。
惜しむらくは鶴丸がそれを中々信じてくれないことだが、そのうちなんとかなるだろう。
(明日はどんな驚きが待ち受けているかな?)
離れの西側に、罠を増やそうか。
鍛刀部屋へこっそり入って、違う手裏剣を妖精たちに造ってもらおうか。
>>


2016.4.10
ー 閉じる ー