あるいは鳥太刀

(1.顕現)




鍛刀されたと思ったら、目映く輝き人型を顕現させた刀。
審神者も近侍であったへし切り長谷部も、そのことに唖然と場を見守るしかなかった。
本来、鍛刀された刀も拾得された刀も、審神者が顕現のための霊力を別途込めなければ顕現しないはずである。
「一体、誰だ…?」
ピリピリと光の中に感じる神気は、強い。
一際輝いた光が弾け、桜吹雪が舞う。
そこに立っていたのは。

「鶴丸国永…?」

白一色に白銀の髪、内に秘める神気が花びらとして舞う。
閉じられていた瞼がゆっくりと開き、黄金色(こがねいろ)の双眼が長谷部と審神者を捉える。
と。
白い顔(かんばせ)がさあっと青褪めた。
「おい…?」
長谷部が訝しく眉を寄せる。
「あの、どうかされ…」
そして審神者が1歩近づき、問い掛けたとき。
「ヒッ…!」
鶴丸は怯えたように後退り、そして。

「ピィイイイーーーッ!」

甲高い声で泣き出した。
「なっ、」
それは鳶の声の初めの音を、何羽分も重ねたような凄まじい鳴き声だった。
あまりの声に咄嗟に耳を塞ぐ。
「おい、鶴丸!」
止めろと長谷部が怒鳴ればそれにまた怯えて、鶴丸は泣きながらしゃがみ込んでしまった。
両の袖で顔を隠し、こちらを完全にシャットアウトだ。
ダンダン! と鍛刀部屋の扉が叩かれる。
「長谷部、何しとると?!」
「何の声だよ、大将?!」
泣き声に掻き消されそうな向こうからの声は、博多藤四郎と厚藤四郎か。
「貴様ら、鶴丸国永を呼んでこい! 見つからなければ三条でも伊達でも構わん!」
「わ、分かったばい!」
そう、鍛刀されたのは2振り目の鶴丸国永だった。
彼は鍛刀部屋の隅で、丸くなりながら鳥のように泣き喚いている。

狭くはない本丸中に響く、甲高い泣き声。
何事かと本丸内にいた者たちが集まってきた。
「大将、駄目だ! 鶴丸さん、今日は朝から短期遠征だ!」
「夕方まで帰ってこんばい!」
刀たちの間を掻き分けるように戸口へ駆け込んだ2振りに、審神者がハッと顔を上げる。
「遠征鳩を使います!」
執務用の部屋へ駆けていった審神者を見送り、各々耳を塞いでいる刀たちが鍛刀部屋を覗く。
「ねえ、あれ鶴丸さんなの?」
「まるで鳥の声だな…!」
あまりの声量に誰も部屋に入ろうとしない中、動いたのは藍の衣。
「鶴」
耳を塞ぎながら、三日月宗近が泣き喚く鶴丸へ近づく。
彼の泣き声に負けぬよう、三日月は腹から声を出した。
「鶴や。俺が判るか?」
ぴた、と泣き声が止む。
袖から覗いた涙に潤む目が、数歩離れた位置で屈む三日月を捉えた。
(さすが三日月さん)
(しっ! 聴こえるよ!)
こそこそと話す外野を他所に、三日月は鶴丸へ話し掛ける。
「鶴、何があったのだ? 泣いてばかりでは、そなたを助けたくとも判らぬ」
幾らか逡巡して黄金が揺れ、ピイ、と小さな声が落ちた。
「ピイピイ」
「うむ、何だ?」
「ピイ、ピイピイ」
三日月はそのままの表情で首を傾げた。
「…はて?」
後ろを振り返り、長谷部を見る。
彼は首を横に振った。
入り口に固まる加州清光たちを見る。
彼らも首を傾げた。
「あれ?」
「鳥の声しか聴こえないけど…」
どうやら己だけではないようだ。
「すまぬ、鶴。もう一度言ってくれぬか?」
鶴丸が三日月を見上げ、口を開く。
「ピイピイ、ピイ、ピイピイ」
「……」
これは一体どういうことであろうか。
「鶴や。そなたの言葉が鳥の声にしか聴こえぬのだが…」
三日月の言っていることは分かるらしい。
彼が言い終わるや否や、黄金にうるうると水が溢れ始める。
「鶴! すまぬ、俺が悪かっ…」
「ピィイイイーーーッ!!!」
三日月が気づくも遅く、鶴丸はまた派手に泣き始めてしまった。
耳を塞ぎながらおろおろとする天下五剣は中々見れぬものではないが、皆が耳を塞ぐのに忙しく指摘する者は居ない。



遠征先から慌ただしく戻ってきた部隊の面々は、本丸から響き渡る声に何事かと目を丸くした。
「何があったんじゃ?」
「迷子の鳥でも居るのでしょうか?」
今回の部隊長は鶯丸、隊員に平野藤四郎、鶴丸国永、一期一振、岩融、陸奥守吉行だ。
門を潜るなり、博多と審神者が転がるように駆けてきた。
「つ、鶴丸さん! 鍛刀部屋へお願いします!」
「早う早う!」
「わ、分かった、分かったから!」
引っ張るな! と騒ぎながら、鶴丸は博多に連れられ駆けていく。
その後ろを小走りに行く審神者に、他の面々も首を捻りながら着いていった。

甲高い鳥の鳴き声は、鍛刀部屋から。
「すまん、通してくれ!」
それはまさに鶴の一声。
部屋の前の廊下に集まっていた刀たちが、鶴丸の声で一斉に壁際に避けた。
博多に引っ張られたまま部屋に入るが、そろそろ聴覚が麻痺しそうだ。
部屋の入り口付近には長谷部、そして中程には三日月がいる。
声の発生源は彼の奥か。
「おい、三日月! 一体何が…」
「おお、鶴!」
戻ってきたのだなあ、と困ったように彼は笑う。
その彼の向こう。
部屋の隅に蹲っている白は…
「俺、か…?」
袖で顔を隠してしまっているが、装束は鶴丸のものとまったく同じだ。
耳を塞ぎながら、訳が分からずも鶴丸は三日月の脇を過ぎて近づく。
「おい、きみ!」
大声を出したつもりが、泣き声…鳴き声か?…に掻き消されて気づかれた様子はない。
遠征を途中で切り上げさせられた上にこれだ、少々気が立っていた鶴丸は丸くなっている白い塊に腕を伸ばし、むんずと掴む。

「おい、話を聞け!」

力任せに両腕を引っ張り上げると、顔を隠すものを外され驚いた顔が鶴丸を見た。
瓜二つの顔は、黄金の目を赤く泣き腫らして頼りなく揺れる。
ぱちぱちと瞬きをした黄金は、こちらを捉えた途端に。
「ピイ!」
「おわっ?!」
唐突にがばりと抱き着かれ、鶴丸は体勢を崩した。
「おっと」
その彼の背を、三日月が壁となって支える。
「すまん、三日月」
「良い良い」
礼を言ってから、鶴丸は自分の視界を覆う白を改めて見た。
(俺…だよな?)
ぎゅうぎゅうと抱き着いてくる身体に腕を回せば、その身体は小刻みに震えている。
どう見ても同一の『鶴丸国永』であるはずで、しかし何かがおかしかった。
今度は出来るだけ穏やかに話し掛ける。
「なあ、きみ。一体どうしたんだい?」
宥めるように背を撫でてやれば、ピイ、と小さな声が上がる。
「うん?」
「ピイピイ」
「…ああ」
「ピイ、ピイピイ」
「…そうか。分かった」
それにえっ、と声を出したのは博多で、鶴丸は鍛刀部屋の入り口を見遣った。
「主、そこに居るかい?」
「はい」
審神者の声が返った刹那にピクリと『鶴丸』が反応したことを、見逃す鶴丸ではない。
それを口には出さず、別のことを問う。
「すまんが、俺の部屋まで人払いをしてくれないか」
しばらく二人きりで話を聞きたい、という彼の望みを、断る理由などない。
審神者は是を返し、他の刀たちに一度広間へ集まるよう告げた。
ざわざわ、と喧騒が移動する。
「鶯丸、ちょいと部屋を占領するぞ」
「ああ。構わんさ」
見えないながらも名指しで詫びを入れると、同室者は快諾してくれた。
三日月は最後まで渋っていたが、後で話を聴かせてくれと言い置いてようやく出て行く。
鶴丸は背を撫でていた腕で、『鶴丸』の頭をぽんと撫でた。
「ほら、もう誰も居ないぞ」
鶴丸の胸にずっと顔を伏せていた頭がもぞりと動き、恐る恐る見上げてくる。
「この部屋は何も無いからな。まずは俺の部屋へ行こう」
笑みを浮かべ告げてやれば、不安げな表情は消えぬまでも『鶴丸』はこくりと頷いた。



ひとまず広間に集まった審神者と他の刀剣たちは、落ち着かない。
「ねえ、あれ鶴丸さんなんだよね?」
「刀は確かにそうだし、顕現した姿もその通りだったが」
見目どおり子どものような短刀たちと、同じ視点で遊べる太刀が鶴丸国永だ。
無邪気さを持ちながらも老獪で戦に強く、他の平安生まれの刀たち同様に神格も高い。
「でもさあ、あの声。俺には鳥の『ピイピイ』って鳴き声にしか聴こえなかったぜ」
「そう、それ!」
「みんなもそう聴こえてたんだね」
獅子王がお手上げとばかりに言葉を落とせば、続々と食いついた。
が、ひと振りだけが違う。

「何だ。お前たちにはそう聴こえていたのか」

鶯丸だった。
「えっ!」
「鶯丸さんはなんて聴こえてたの?」
全員の視線が彼に集まり、鶯丸は勿体ぶるように軽く視線を伏せた。

「『こわい』『こわい』『いやだ』『きらい』『こわい』…と言っていたな」

しん、と広間が静まる。
「……それ、ほんと?」
恐る恐る尋ねた乱藤四郎に、鶯丸は苦笑した。
「嘘をつく理由がないぞ」
「でも…鶴丸さん、だよね?」
鶯丸は軽く首を傾げた。
「確かに鶴丸国永のようだが。しかし、中身が『それ』であるとは限らんだろう」
「えっ?」
ちょうど鶯丸の真向かいに座る審神者が、眉を寄せる。
「それは…他の『何か』が入っている可能性があるということですか?」
太郎太刀がまず否定した。
「それはないでしょう。あの鶴丸殿には、穢れの気配はありません」
「妖の類いもなさそうだよ」
続けた石切丸の向かいで、髭切も頷く。
「どちらかと言うと…北条に居た頃の彼を思い出すね」
懐かしいなあ、と髭切はどこか遠くを見るように目を細めた。
「あの頃の彼は、いつか鬼になっしまうんじゃないかって気が気じゃなかったよ。僕が珍しく構いに行くくらいには」
彼は僕のことを覚えていなかったけど、とほんの少し寂しげに告げた髭切に、当然のことながら疑問が湧く。
「兄者、鶴丸と知り合いだったのか?」
ここで会ったときには、そのような素振りなどなかった。
膝丸が問えば、言ったでしょう? と髭切は笑う。
「北条に居た頃だって。安達の墓から『鶴丸国永』を掘り出した仇敵が、北条だよ」
あっ、と審神者が思わず口を塞ぐ。
本人はその経歴を茶化すように話題の種にするが、覆い隠したその裏にどんな思いがあるのか測ることは出来ない。
髭切は肩を竦めた。
「まあ、僕らがここであれこれ推測しても仕方ないよね」
彼が見遣った廊下の先を、誰もがつと眺めた。



ピィピィとぐずるもうひと振りの己を抱えるように連れて、鶴丸はようやく自室へ辿り着いた。
鶯丸も自分も互いにあまり物を持たない性分のため、部屋の中は質素なものだ。
障子を開けてニ振り目を部屋に上げ、文机の前に置かれた座布団を行儀悪くも足で引っ張る。
「ほら、ここに座れ」
引っ張ってきた座布団に座らせようとすると、ふるふると首を振ってこちらの装束を強く掴んでくる。
遠征より帰還したばかりの鶴丸は先の疲れが押し寄せて、上手く頭が回らない。
なので、押し問答は選択肢になかった。
「うん、分かった。離れないからちょいと力を弱めてくれ」
引かれてずれた羽織を着直し、鶴丸がその場に屈めば相手の膝が折れる。
その要領で相手を座布団の上に座らせ、自分は畳の上に胡座を掻いた。
鶴丸の胸元に顔を埋めて身体を縮こまらせているもうひと振りを、落ち着かせるように話し掛ける。
「詳しい話は後で聞くが、ここには俺しか居ないから安心しろ」
「ピィ」
とん、とん、と丸まった背を叩いてやれば、少しずつ呼吸が定まってきた。
「ピイ…」
「うん?」
「ピイピイ、ピィ」
「…ああ。それで?」
「ピイ、ピピッ」
「…そうか」
それきり黙ってしまったもうひと振りに、鶴丸は考え込む。
(こんな処は知らない、人間は嫌い、此処は気持ち悪い、か)
鶴丸は随分昔に仕舞い込んでしまった記憶を引き出す。
懐かしく、温かで、それでいて苦く重い記憶を。
「きみは…昔の俺かい?」
「ピ?」
「いや、何でもない」
この『鶴丸国永』は確かに己と同一の存在だが、何らかの影響で記憶の大部分が欠けている。
そんな気がした。
「気持ち悪いというのは、妖でも人間でもないモノがたくさん居るからかい?」
「…ピィ」
「そうだなぁ。今は俺もきみも似たようなものだから、その内慣れるだろうさ」
「……ピ」
ふるふると力なく振られる頭(こうべ)は、疑っているようにも嫌だと言っているようにも思える。
(しかし、もう顕現しちまったからなあ)
そこではたと気がついた。

「きみ…本体はどうした?」
「ピ?」



おろおろと廊下からこちらを見上げる『それ』を見つけて、鶯丸は目を瞬く。
「おや、どうした?」
鍛冶場の妖精だ。
付喪神よりも小さき存在である彼らは、言葉を解することは出来るが話すことは出来ない。
「妖精さん、どうしたんですか?」
前足を伸ばそうとする仔虎を抑えながら五虎退が尋ねれば、鍛冶場の妖精は焦った様子で廊下の先を示してくる。
何を言っているのかは分からないが…。
「分かった。俺が行こう」
平素を思えば非常に珍しく、鶯丸が腰を上げた。
彼は自分も行こうと腰を上げかけた世話焼きの刀たちを制し、ひとり妖精に着いて鍛刀部屋へ赴く。
「…おやおや」
そうして、彼はこれまた珍しく驚いた。

鍛刀で打ち上がった刀を掛ける、緋毛氈の上に置かれた刀掛け。
そこに太刀がひと振り、掛かったままになっている。
見れば判る、この太刀は『鶴丸国永』だ。

「まさか忘れていったのか?」
あの雛鳥は、と無意識に口に出してしっくりきた。
「…ふむ。雛鳥か、確かに」
周りに怖がって泣き喚いていた様は、人の子で言えば赤子そのもの。
鶯丸は案内してくれた妖精を見下ろす。
「教えてくれて助かった。これは俺が届けよう」
ぺこりとお辞儀をした妖精に見送られ、鶯丸は鍛刀部屋から出ると自室へ向かった。



全員が広間に集まっている本丸の自室棟は、静かだ。
そこに隠されず足音が聴こえ、『鶴丸』がビクリと身体を跳ねさせた。
「あっ、おい!」
正面から鶴丸に抱き締められていた彼はパッとその腕から抜け出し、怯えたように鶴丸の後ろに隠れる。
そのままピタリと背中にくっつかれてしまい、鶴丸は何とも言えない複雑な心境になった。
「鶴丸、居るか?」
足音は部屋の中から見える前に止まり、問い掛けが来る。
鶯丸だ。
「ああ、居るぜ」
返答に応えてひょいと顔を覗かせた鶯丸は、胡座をかく鶴丸の背に引っ付いて丸くなった白に笑う。
「ははっ、本当に雛のようじゃないか」
何の話だと片眉を上げた鶴丸へ、鶯丸は手にしていたものを突き出した。
鶴丸が目を丸くする。
「えっ、これ…」
「その雛の太刀だ。鍛刀部屋に忘れて、そこの妖精が慌てて知らせてくれた」
「おいおい…」
限界まで首を捻っても白銀の髪筋くらいしか見えない。
もうひと振りに、鶴丸の呆れの声は今度こそ吐かれた。
「こら、きみ。命と等しい刀をわざわざ届けてくれたんだ。礼を言わんとバチが当たるぞ」
しかし『鶴丸』は背に頭を付けたまま、ふるふると首を振る。
「ピ、ピ」
吐かれた言葉こそ、鶴丸は信じられなかった。
(そんなことは知らない、だと…?)
見目が、存在が同じであるからこそ、それは到底赦せることではない。
鶴丸は自分の背にある身体を無理やり引き剥がし、その襟ぐりを掴み上げた。
「ピィッ…!」
反射で掴む腕を剥がそうとしてくる相手の両手に構わず、締め上げる。

「なあ、きみ。きみは自分が『鶴丸国永である』と認識しているな?
にも関わらず、きみはこの太刀を知らないと云うのか。ならばきみは『鶴丸国永』ではない」

五条の名刀、国永が逸物。
千という永き年月を身を損ねず永らえた、神の末席に座すひと振り。
「俺の姿を、本体を掠め取った妖か。あるいは敵の先鋒か。何れにしても、ただでは置かん」
チリ、と鶯丸の肌を灼けるような感覚が走る。
鶴丸の怒気が、殺気に変じようとしていた。
(…それはそうか)
埋葬されても、号の由来を失っても、彼は『鶴丸国永』としての誇りを決して忘れなかった。
だからこそ、同位体であるからこそ、名刀としての矜持が二振り目の在り方を赦さない。
二振り目の指先が、首元を締め上げる鶴丸の腕を引っ掻く。
「ピッ…ピイィッ、ピイ、ピイ!」
違う、違うと『鶴丸』は息苦しさに喘ぎながら叫んだ。
自分は『鶴丸国永』だと、そうでなければ何も遺らないと。
「ピイーッ、ピィ!」

それ以外はすべて『置いてきた』と、叫んだ。

(それは…)
聞き覚えのある、言葉だった。
鶯丸は、目を見開き動きを止めた鶴丸を見遣る。
ーーー主の墓から暴かれたとき、代わりにすべてを置いてきたんだ。
だから昔のことはあまり覚えていない、と言ったのは、いつだか御所で話した鶴丸だった。
「…そうかい」
俯き前髪に隠れた鶴丸の表情は伺えない。
だが二振り目の襟ぐりを掴む手は、力を失いはしない。
「だったら、尚のことだ」
ぐっと引っ張られ、二振り目の目前に同じ黄金の鋭い眼がある。

「『鶴丸国永』であると云うなら、己の存在を忘れるな。己の価値を忘れるな。
それでも忘れる鳥頭ならば、初めから宿らぬ太刀の方がマシだ!」

ここまで怒った鶴丸を見たのは、鶯丸とて初めてのことだ。
周りの大部分が彼より歳若いことに加えて、鶴丸が人一倍、人の手を渡り歩いてきたということも一因か。
「ピ……」
ようやく理解したのだろう。
二振り目の『鶴丸』の黄金が、またぽろぽろと涙を零し始めた。
掴んだ襟ぐりを離し、鶴丸は彼の身体を鶯丸の方へ向けさせる。
「ほら」
ここで察せられないほど愚鈍ではない。
鶯丸は部屋へ入り二人の鶴丸の前に座すと、持ってきた白き太刀を差し出した。
『鶴丸』は恐る恐る両手を伸ばし、しっかりと己が太刀を握り締める。
それを確認してから手を離し、鶯丸は戸惑いながらこちらを見上げる(彼の上背を考えると器用なことだ)『鶴丸』へ言った。
「それはお前自身だ。これが折れればお前は消える。お前が消えれば、そちらの鶴丸と…少なくとも俺は、悲しい。だから、」
命は大事にしろ、と白銀の頭をさらりと撫でれば、掠れた鳴き声が返った。
「…ピィ」
自身の太刀を抱え、『鶴丸』はピィピィと嗚咽を漏らした。
放っておくことも出来ず鶴丸が彼を抱き寄せると、太刀から離れた右手がぎゅうと白い着物を掴む。

同位体であるからこそ怒りは増し、同位体であるからこそ何よりも安堵出来るのだろうか。
そんなことを考える鶯丸は、しかし二人の鶴丸に笑みが浮かぶ。
「やはり親鳥と雛だな」
「…きみ、それさっきも言っていたな」
鶴丸の装束が翻る様を見れば、誰もが彼の号を思い出し"鳥のようだ"と称するだろう。
白の羽織は長い袖と合わせ、戦場で翼のように翻る。
それが人ひとりを抱き抱えていれば、翼の下に雛を匿う親鳥を想起するに容易かった。
鶯丸は笑みを収めない。
「お前たちの様子が、だ。お前が親鳥、その二振り目は雛鳥。先の話からすると、その二振り目はほとんど記憶が無いようだしな」
己が太刀の付喪神であるという認識さえも、剥離している。
ならば子どもと言っても過言なかろう。
そして彼は三度思いついた。
「雛と呼ぶには姿が大人か。では『雛丸』とでも呼ぶか」
どちらにせよ、区別は付けねばなるまい。
「きみ、楽しそうだな…」
呆れを交えた鶴丸の返しも、鶯丸はいつものように笑って流す。
「いい加減、喉が渇いたな。茶でも飲むか?」
「……頂こう」
出来れば冷えている方が良いが、と鶴丸は己の二振り目…鶯丸曰く『雛丸』…の頭を撫でてやりながら要望を告げた。



「鶯丸さん、戻ってきませんね…」
「鶴丸も、あの2振り目から話を聞き出せていると良いけれど」
鍛冶場の妖精と共に鶯丸が席を立ってから、もう二十分近く経つ。
待つのに飽いた者やそわそわし出した者が増えてきた頃合いに、話題の太刀はひょっこり戻ってきた。
「呼んだか?」
「鶯丸!」
「鶯丸さん!」
遅かったですねと鯰尾が声を掛ければ、茶で一息ついていたとらしすぎる返答。
「あれ? お茶飲んでたってことは部屋に…?」
「ああ。雛丸…二振り目の鶴丸が、鍛刀部屋に本体の太刀を忘れていてな。届けてきた」
「んん?」
ちょっとまってください、と今剣が手を上げた。
「ほんたいをわすれた? そんなことがありえるんですか?」
ぼくたちはかたなのつくもですよ、と続いた意見は、まったくそのとおりだ。
「残念ながらあり得るらしい。"あれ"には自分が『鶴丸国永である』以外の認識が、ほとんど無いようだ」
イレギュラーすぎる事実に、誰もが押し黙る。
「主」
「は、はい!」
鶯丸に呼ばれ、審神者は慌てて顔を上げた。
「"あれ"は生まれたばかりの人の子と同じだ。戦力にはならん。
おまけに人の子である主は元より、人でも付喪神でも無い俺たちも『得体が知れない』と怖がっている」
そういえばそうであったな、と呟いたのは三日月だ。
「俺たちは『人の子の用意した器に入った分霊』、だからなあ」
本霊ではなく、器も付喪神ではない。
それは得体が知れないだろう。
しかし、『怖がる』とは。
「あの国永が、か…?」
半信半疑であることを隠しもしない大倶利伽羅に、鶯丸は肩を竦めてやる。
「お前の知らない鶴丸ということだ。髭切の予想が当たったな」
「ん? 僕?」
突然飛んできた会話に、髭切が目を瞬く。

「あれは『"己が鶴丸国永である"という事実以外を置いてきた』そうだ」

即座に察することの出来た刀は、多くはなかった。
「…そう」
髭切の口許を彩ったものは、寂寥と表すのが近いだろうか。
「僕が覚えてしまうくらいには、呼んだんだけどねえ」
彼の名前。
そんな兄の言葉に複雑そうな顔をした膝丸だが、事の重大さゆえに口にはしなかった。
代わりに別の話題を出す。
「二振り目の鶴丸国永が、戦力にならないことは分かった。だがひと振り目の鶴丸は?」
広間内の視線が、膝丸と審神者へ等分に向けられた。
膝丸は続ける。
「俺も兄者もここへ来て日が浅いが、あいつはここで相当に重要な戦力ではないのか?」
言葉に詰まった審神者が鶯丸を見ると、彼は平素にしては珍しく眉尻を下げた。

「あの二振りの関係性は、親鳥と雛だ。当分の間、引き離すのは無理だろう」

引き離そうものならまたあの甲高い声で泣かれるぞ、と続く。
「それは勘弁してほしか…」
博多が頭を抱え、長谷部が場を仕切り直すように咳払いをする。
「主、幸いにも鶴丸に匹敵する練度の者は少なくありません。本日中に出陣表を練り直しましょう」
審神者はあーやらうーやら唸っていたが、仕方ないと腹を括った。
「…分かりました。長谷部、一期一振、三日月、長曽根、薬研、陸奥守は、昼食後に私の執務室…は、狭いですね。広間に留まってください」
各々から応と返り、一息ついた審神者は不意に空腹を自覚する。
「……当番の方は、昼食の準備をお願いできますか?」
笑いを堪えられなかったのは獅子王だった。
「くっく…っ、そりゃそうだ! 腹が減っては戦は出来ぬ、だもんな!」
彼も本日の昼当番に当たっている。
「よし。それじゃあ、当番の者は始めようか。今日は全員分が必要だよ」
立ち上がりパン、と手を叩いた歌仙が、鶯丸を見た。
「食事はひと振り分増やした方が良いのかい?」
いや、と彼は首を横に振る。
「鶴丸の分を多めに盛れば良いだろう。雛なら親の分を啄くだろうさ」
「でも多めと言っても、鶴丸さんの場合はボクたちと同じくらいになるだけですよね」
同じく当番で立ち上がった物吉貞宗が首を傾げ、歌仙は溜め息に近いものを吐いた。
「そうなんだよ。彼は太刀だというのに、君よりも食べる量が少ない」
付喪神の見目や体付きは、刀本体を映す。
太刀『鶴丸国永』は、他に比べると細く薄かった。
戦に持ち出された回数と家を移る回数に比例し、研磨に出された回数が他より遥かに多かったせいかもしれない。
「あれだけ短刀の子たちと遊んでいれば、嫌でも空腹になるはずなんだけど…」
思わぬところから鶴丸の食事量に話が及び、鶯丸はくすりと笑った。
「足りなければ追加すれば良い。いつもの分量に足して鶴丸がひと口、ふた口を余分に腹へ入れれば万歳だろう」
「ふむ…。となると、鶴丸と…君は雛丸と言っていたかい? 彼の器は分けた方が良さそうだね」
「その雛丸さん? がもっと食べたがったらどうしましょうか。鶴丸さんのことだから、自分の器から分けてしまいそうです」
物吉は装束の色合いで親近感が湧くのか、鶴丸によく懐いている。
分かってるじゃないか、と鶯丸は感心した。
「なに、俺が見張ろう。当分は俺以外に近づけそうもないしな」
聞き耳を立てていたのか、広間の一角からええっ! と異議が上がった。
「お話し出来ないってことですか?」
「ボク、午後に鶴丸さんとお出かけの約束してるのに!」
「もしかして内番も無理なんじゃ…」
「近付いただけで泣かれるということか…?」
騒がしくなった広間に、パンパンと手を叩く音が響く。
「はい、そこまでです。続きはご飯を食べてから!」
審神者の一声に、はぁいと短刀たちが返事をする。
「はっはっは。鶴丸は人気者だなあ」
「…三日月の兄様(あにさま)も、笑い事ではないでしょう。いつも鶴丸、鶴丸と構いに行かれる」
しれっと返した小狐丸は、三日月が固まったことを見ずして察した。
「私は狐ゆえ、雛鳥には怖がられそうですね」
しばらくは近づけませぬ、という彼の呟きを、骨食藤四郎、大和守安定と机を並べ直していた鳴狐が拾う。
「あいや…ではわたくしと鳴狐も怖がられてしまうのでしょうか?」
「…そうかもね」
お供の狐に本体が相打つ。
邪魔になりそうだと立ち上がった鶯丸は、厨へ向かう歌仙に茶の所在を尋ねた。
「茶は君の領分じゃあないのかい?」
「いや、雛丸の方だ。熱い茶が飲めないらしい」
短刀たちの中にも、猫舌なのか苦味が駄目なのか熱い茶を苦手とする者がいる。
「なるほど。なら、麦茶のボトルを増やそう」
聞こえていたようで、エプロンを付けた獅子王がひょいと厨から顔を覗かせた。
「主ー! 誰も使ってないボトルって、使って良いんだよな?」
「はい、どうぞ」
彼は厨に置いてある水筒に作りおきの麦茶を入れ、鶯丸へ差し出す。
「鶯のじっちゃん、とりあえずこれ持ってってくれ」
「ああ、分かった。手間を掛けさせるが、膳は部屋の近くまで運んできてくれ」
「りょーかい!」

そんなこんなで、今鶴丸の前には昼餉の膳が二つ並んでいる。
片方は鶴丸のものより少なく盛ってあり、言うまでもなく雛丸の分だ。
「ピ…」
その雛丸は、先程から目を真ん丸にして膳を見つめている。
彼はずっと鶴丸の右後ろに張り付いたままだ。
鶴丸は鶴丸で、膳を運ぶ鶯丸という世にも珍しいものを見て大層驚いた。
「世話をするきみを見る日が来るとはなあ…」
「なに、普段はやる前にされるだけだ」
暗に出来ないわけではない、と言われる。

本日の昼餉はさっぱりとした大葉と鮭の茶漬けに、里芋の煮転がしだ。
「はは、膳に穴が空きそうだな」
雛丸があまりに熱心に見続けるので、鶯丸は手を合わせながら笑う。
しかし見るばかりで、雛丸は箸に手を付けるどころか鶴丸から離れる素振りすらない。
仕方なく鶴丸が口を開いた。
「雛、ちょっと離れてくれ。箸が持てん」
「ピ?」
だが彼は首を傾げるばかりで、鶴丸は後ろ手に回した左手で雛丸の装束を引っ張る。
「そら、こっち側に来い」
「ピィ」
素直に移動した雛丸が、鶴丸の左側から顔を出した。
「こら、鶯。笑うな」
「なに、微笑ましいと思っただけだ」
向かいでクスリと笑われ不貞腐れるも、空腹には勝てない。
鶴丸はようやく箸を持った。
茶漬けの椀に口を付け、ひと口。
「美味い。この味付けは歌仙だな」
「ああ。今日の厨纏めだった。俺たちも舌が肥えてきたな」
京を意識した上品さのある味は、彼の好むものだ。
となると、夜は誰になるだろうか。
「ピィピィ」
「きみの分なら、こっちにちゃんと用意されてるぜ」
雛丸の膳には、茶漬けを冷ますための小鉢とレンゲも添えられている。
それでも膳の前へ移る素振りのない雛丸に、どうしたものかと鶴丸は考えた。
「親であるお前に餌をねだっているんじゃないか?」
「俺は親鳥か」
「そうだ」
道具の使い方が分からんのかもな、と鶯丸が言うので、鶴丸は雛丸の膳を引き寄せて彼の茶漬けを小鉢へ移す。
次にレンゲを手に茶漬けを掬うと、雛丸の口へ持っていった。
「ほれ」
「…ピィ」
雛丸はふるふると首を振って、口を付けようとしない。
「なんだい、食いたいんだろう?」
「ピィピイ、ピイ」
「は?」
鶴丸の食べていた方を食べたい、と言う。
「同じものだぞ?」
「ピィイ〜」
なおも鶴丸が首を傾げると、雛丸はムッと眉を寄せて鶯丸を見た。
雛丸の不満そうな視線に、鶯丸は苦笑を隠せない。
「お前が食べているから食べてみたいんだろう。鳥の親子を思い出すと良い」
「…俺は鶴だが、刀だぞ」
「まあ、細かいことは気にするな」
「他人事だな」
「他人だからな」
むぅ、と眉を寄せた鶴丸は溜め息を飲み込み、レンゲで自分の椀から茶漬けを掬う。
それを雛丸の口許へ持っていけば、彼はぱくりと食いついた。
もぐもぐと咀嚼し、目を丸くする。
「…! ピ!」
飲み込むや否や間近の鶴丸を見上げピイピイと騒ぐので、鶴丸はそちらの耳を塞いだ。
「分かった。分かったから耳元で叫ばんでくれ」
また鶯丸が笑っているので、恨めしいやら何やら。
もっとくれと雛丸にせがまれるまま、鶴丸は茶漬けを与えてやる。
(ああ、これは物吉の言うとおりだな)
鶯丸は広間での会話を思い出した。
鶴丸の椀の中身は減っていくが、鶴丸自身は食べていない。
「ピッピピッ」
「ん? こっちかい?」
これは里芋の煮転がしだな、と箸に持ち替え、雛丸の口に入れてやる。
「丸ごと飲み込むなよ」
念のため注意してやれば、彼はこくこくと頷いた。
その間に鶴丸も煮転がしを食べる。
(うん。美味い)
「鶴丸」
「ん?」
次の里芋に箸を付けたところで、向かいの鶯丸に呼ばれた。
「そちらの膳はお前が片付けろよ」
指されたのは雛丸用に誂えられた膳。
「俺がか?」
「そうだ。同じだけの分が、お前の膳から無くなるだろうからな」
それにお前は、無いからと言って食べなくなるからな。
見事な釘を刺され、鶴丸は言葉に詰まる。
「………分かった」
渋々と頷いた彼に、言質は取ったとばかりに鶯丸は己の食事に戻った。

美味いものを食べるのは好きだが、別に無くても困らない。
鶴丸が食事に対して持っている意識など、そんなものだ。
ただ太刀の中の誰よりも細い鶴丸は、誰よりも食に関して心配されているのが事実だった。
「ピィ」
鶴丸から食べさせてもらっていた雛丸が、違う声を上げる。
「ん、腹いっぱいか?」
「ピッ」
「こういうときはな、"ご馳走様でした"と言うんだ」
「ピーピッピッピピ?」
「そうだ。作ってくれた誰かと、作物に対しての感謝だな」
「ピピッ」
両手を合わせる鶴丸を真似て、雛丸も手を合わせてご馳走様でしたと挨拶する。
無論、鶴丸と鶯丸以外の者には鳥の囀りにしか聴こえないだろうが。
(鶴丸と背格好は同じはずなんだがなあ…)
その動作も鶴丸を窺う様子も、彼は酷く幼い。
「…ピィ」
鶴丸の着物の袖を引き、雛丸が何事か告げる。
それを漏れ聞いた鶯丸は、箸を置いて立ち上がった。
「腹がいっぱいになったら眠いとはな」
驚きだ、と言いながら、余分の座布団を押し入れから引っ張り出す。
ほら、と雛丸の傍に置いてやればピィと礼が返り、ついでに鶴丸の呆れ半分の声も返った。
「俺は甲斐甲斐しいきみに驚いてるぜ…」
「甲斐甲斐しくもなるさ。その様子ではな」
「ん?」
雛丸は座布団を鶴丸の座る座布団の後ろにくっつけるように置くと、そこへ頭を乗せくるりと身体を丸めた。
両腕はなぜか鶴丸の腹に回され、ホールドされている。
「おいおい、寝にくくないか?」
「ピ」
若干くぐもった声が否定し、鶴丸は困惑した。
「…どういう状況だい?」
鶯丸は鶴丸の膳を廊下へ出し、代わりに雛丸に用意された膳を彼の前へ置く。
「安心感が欲しいんだろう」
どうせ動けないのだからちゃんと食え、となお釘を刺され、鶴丸は渋々と茶碗を手にする。
「……まさか、とは思うが。ずっとこれか?」
鶯丸は茶の準備を始めた。
「さあな。まあ、細かいことは気にするな」
「…どう見たら細かいんだ」
仕方がないので、膳の上のものを黙々と食べる。
美味いので文句は出ない。
食べ終わる頃には鶯丸手製の茶が置かれ、これも美味いので礼を言う。
「きみの煎れる茶は美味いからな」
「それは重畳。お前の舌に合うなら、大包平の口にも合うだろう」
「…そういや、その御仁はまだ来そうにないのかい?」
「主に聞いてみたが、まだだそうだ」
「そうか…」
彼は刀剣の中でも最高傑作と謳われる刀だ、付喪神としても強い力を持つに違いない。
「きみに散々聞かされているからなあ。早く会ってみたいもんだ」
「ははっ、大包平も喜ぶ」

膳の中身は、何とか空になった。
「せっかくだ、のんびりしておけ」
鶴丸の膳を手に部屋を去った鶯丸にやはり唖然としつつ、鶴丸は上体を捻り腹に回っている腕の主を見る。
(…墓から暴かれた頃の俺、か)
鶴丸のその頃の記憶は酷く曖昧で、これがかつての己と言われても正直ピンと来ない。
ただ。
(ただ……虚ろだった)
後ろ手に、そっと白い頭を撫でる。
(あの頃の俺は、何を思っていたのだろう)
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2016.8.28
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