それはよくあること
(3.たとえば、写しが)
どうしよう。
どうしよう。
俺に『山姥切』の号があるばっかりに。
俺は本科のための写しであるのに、俺の号のせいで本科が貶められる。
本科を伝えるための写しであるのに、伝えるどころか比較される。
俺が写しで、本科が本科であるだけでは駄目なのか?
似ていないから駄目なのか?
世が明るくなって、妖が視える人の子もほとんど居なくなった。
付喪神が視える人の子が居れば、きっと似ていると言ってくれるのに。
たった一度だけ見た本科の付喪神の姿は、とても美しかった。
宵の空を映す蒼に、月のような銀。
あの人が天鵞絨のような外套を着けていたから、自分も着けた。
本体が似ていないことは分かっている。
それでも、少しでも、なんでも良いから、近づけるものが欲しかった。
今となっては襤褸切れ同然のこれにも、俺の今までが詰まっている。
俺に付いた号は山姥切。
俺は、俺の本科が『山姥切』かどうかを知らない。
本科が山姥を斬ったのかどうかを知らない。
山姥を斬ろうが斬るまいが、本科が素晴らしい刀であることは見れば解る。
……それに俺だって、刀工堀川国広の傑作である自負はある。
だというのに人の子は本当に、見る目がない。
けれどある展示のとき、こんな話が目の前で為された。
ーー写しが『山姥切』で本歌が『山姥切』ではない、なんてことがあるのか?
ーー資料が遺っていないだけではないのか?
ーーもしや写しが…写しの持ち主が、本歌の逸話を騙ったのでは?
人の子は自分に都合の良いことこそを信じる。
そして都合の悪いことは忘れる。
俺はそれをよく知っていたが、この件については『使える』と思った。
なぜなら俺が山姥を斬ったのかどうか、真実を知るのは俺だけだからだ。
そして本科が山姥を斬ったのか、それを知るのもまた本科だけ。
ならば俺も語ろう。
人の子がそう信じるのなら、俺も俺に都合の良いことこそを信じ、写しの役目を果たすことにしよう。
俺の本科は『山姥切』なのだと。
人に視えることはほとんどなくても、付喪神は他にも生きている。
俺より古い生まれのやつらだってザラに居る。
そいつらは、物の逸話の真贋は、人の子にとってまったく重要でないと知っている。
重要でないから、時代によって評価が変わる。
俺は滅多に展示には出されないが、お人好しで構いたがりのそいつらに、こう言うだけで良い。
随分と世代を重ねた『形代』が『刀剣男士』になったらしいが、俺が言うことは変わらない。
山姥退治なんて、俺の仕事じゃない。
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2019.5.26
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