バケモノと輪舞曲
(4.化け物斬り)
山姥切国広は、内心の動揺を抑えることに余念がない。
(なんなんだこれは…!)
重い、重い、あまりにも重い。
髭切から向けられる殺意が、膝丸から飛んでくる敵意が。
山姥切長義と白山吉光に至っては、こちらをただ『居る』という認識しか持っていない。
極めつけは、目の前の閉ざされた門の向こう。
(いったい、『何』が居ると言うんだ…?!)
遡行軍でも検非違使でもない『何か』が、こちらに強い強い害意を放っている。
国広は戦場でさえ、こんな悪意に晒されたことは終ぞなかった。
己の背後をちらりと見遣れば、己の主は紙のように白い顔。
巨大な門扉には、『武蔵国封印壕・参号』と旧字体で彫られている。
審神者番号E-541348、国広の主たるこの審神者は、監査部に対し要求を出した。
曰く、
「うちの山姥切(国広)を侮辱した。うちの山姥切(国広)が本歌だという刀より優れていることを本刃の前で証明させろ」と。
監査部がいち審神者の傲慢な要求を呑む理由はまったくない。
おまけに、監査部に限らず政府のすべての部署は人手不足のため、猫の手も借りたい状態が常だ。
そのため門前払いを喰らうかと思いきや、監査部の応対者は慣れた様子でこう提案してきた。
『山姥切長義様が所属する部署で、同行を許してくれそうなところが1つだけありますよ』と。
この類の要求は、初期から存在しているのだろう。
あまりにすんなりと、やや時間は掛かったが審神者の要求は通り、結果がこの現実だ。
「じゃあ、開門するよ」
懐から取り出した特殊な呪符を門へ投げつけ、抜刀した山姥切長義が札ごと門を『断ち』斬った。
嫌な風が、ぶわりと門から一同の間を吹き抜ける。
「なっ…」
次の瞬間、周囲は明らかに違う景色へ変じていた。
燻る匂いが漂う、焼け野原と思わしきだだっ広い空間。
白い靄で見通しは悪く、先は1町も見えない。
その中に、影がある。
見上げるような巨体の、尋常でない害意の塊が。
あまりの悍ましさに、国広は反射で刀を抜いた。
「白山、前略プロフィール」
「はい。こちら、4年前に当時の開発部から流出し、遡行軍の拠点を3つ、政府軍サーバ1つを壊滅へ追い込んだ、牛鬼(仮)さんです。
当時の怪異対策部は、多忙過ぎて対応出来なかったため、結界部により封印措置を施されました」
ふむ、と膝丸が影を見上げる。
「当時に開発された術兵器としては、まずまずの戦果か」
「流出ということは内部犯かな。鶴さんなら事の顛末を知ってそうだね」
「獣型に見えるけど、牛鬼って四足だったっけ?」
「兄者、名前は牛鬼(仮)だ。草紙の牛鬼は蜘蛛足だぞ」
「便箋上、似てるものの名前を使っただけだと思うよ」
「まあ、化け物に名前を与えるのは危険だよねえ」
国広はのんびりと会話をしている長義たちを、信じられない思いで見つめている。
「…なぜ、あいつらは平気なんだ…?」
国広と審神者は、白山の展開した隠形結界の中に居る。
中に居てなお、これだけの害意と瘴気の圧を覚えるというのに、彼らは平然としていた。
「なぜ? 愚問です。彼らは化け物斬り。
相手が斬るべき化け物であるなら、それから生まれる瘴気も敵意も、斬るべきもの」
あなたは斬れないのですね、と白山は国広へ問う。
いや、問いというより、確認しただけのようだった。
「あなたが、一般的な山姥切国広の個体なのでしょう。わたくしの知る山姥切国広は、違うようです」
白山は事実を口にしているだけだが、審神者はそれを皮肉と受け取った。
「私の、私の山姥切、が、化け物を、斬れない、って、言うの、?」
声が途切れるのは、対峙する白山曰く牛鬼の威圧感ゆえ。
彼女は立ってすらいられない。
白山は不思議そうに首を傾げる。
「『山姥切』とは、長義の刀のことですが。その刀は『写し』です」
言った後で、彼は国広に対して結界の外を指し示した。
「ご自由にどうぞ」
他の誰でも、こんな害意と瘴気に塗れた空間、1秒だって居たくないだろう。
けれど悲しいかな、国広は審神者の要求を跳ね除けることが出来なかった。
ゆえに居続けなければならない、白山の結界からも出なければならない。
「大丈、夫よ、あなたなら、出来る、で、しょう?」
なんと愚かな審神者なのだろう、と白山は胸の内で思う。
お守り・極が懐にあることを再度確認して、国広は意を決し足を踏み出した。
まるで地響きのような咆哮が轟く。
「……っ」
もはや声すら物理的な障害だ。
国広は長義たちからやや離れたところで、改めて刀を構える。
靄の向こうの影の一部が、下から上へと動いた。
ぐぉん。
国広の眼前に振り下ろされたのは、巨大な金棒に見えた。
地獄草紙に出てくる、あの鬼の金棒のような。
「くっ…!」
あんなもの、刀で受け止められるわけがない。
咄嗟に飛び退くも、ずどんと叩き落とされた金棒の次が来る。
ーーずどん!
「おっと」
髭切がその場から飛ぶ。
金棒を避ける国広を追って姿を現した化け物が、巨体に見合わぬスピードで駆けた。
「牛の身体に腕が2本。頭は角が2本で目がひとつ」
「牛鬼というより、牛鬼(うしおに)かな」
「そうかもね」
確かに(仮)がちょうど良い塩梅の化け物だ。
蹄は地面をがりりと抉り、振り下ろす金棒は地面を割る。
「遡行軍には良い特攻兵器だったろうな。為す術もあるまい」
膝丸は呟いてから、手持ち無沙汰に己が太刀をひとつ振った。
巨大な悍ましい化け物に追い回される国広を、審神者は見守るしか術がない。
「な、んで、なんで、どう、して、なぜ、山姥切、だけを狙うの、?!」
気力で倒れ伏すことは免れているが、それだけだ。
審神者とはやや霊力が有るだけの一般人が8割を占め、この審神者も例に漏れない。
そしてこの審神者、どうもおつむが弱いようだと白山は結論付ける。
「山姥切国広が狙われるのは、彼が一番弱いからです」
この空間には本来、封じられた化け物しか存在しない。
そこへ何かが入ってくるなら、封じを解いて入ってくることに他ならない。
つまり入ってくる者は封印を解くことが出来る、己を封印した敵であるということだ。
「弱者から叩き数を減らす。戦場の常套手段です」
審神者の眉が釣り上がったが、気にする理由は特にない。
「あの山姥切国広は、極めています。山姥切国広という刀は、極めるにあたり『山姥を斬ったかどうかは重要ではない』と言い切りました。
この状況は、彼が『写し』であることを重んじない弊害でもありますが…」
白山は無感情で審神者を見下ろした。
「何より、審神者のあなたの采配が最悪です」
長義が本丸配属となる以前…何なら審神者制度が始まった頃から、この類の審神者と要求は存在した。
以前に顕著だったのは、長曽祢虎徹が実装されたときだったか。
彼らは審神者という立場を軽んじ、己の感情論を振り翳し、思い上がった要求を政府へ突きつけるのだ。
結果として己の本丸と刀剣を手放すことになった挙げ句、重罪人として罪を償う羽目に陥った元審神者の話は、そこここに転がっている。
(そもそも、『山姥切長義』に喧嘩を売ること自体が愚行ですが)
政府内すべての課に彼は配属されているのだから、政府内部には長義贔屓しか居ない。
「山姥切…っ!」
審神者の金切り声に目を向けると。
いとも容易く、パキリと刀が折れるところだった。
国広は自身が折れる様を、他人事のように見ていた。
(呆気ない、ものだな…)
状況はまったくよろしくない。
お守りで修復されるにしても、目の前にはまだ化け物が居る。
立ち上がった瞬間、とてつもない腕力で振り回される金棒にまた圧し折られるだけだ。
(なぜ、こんなことに)
審神者に非があるのはもちろん、きっと国広にも非は幾つもある。
本丸を訪れたあの長義にもう一度会いたくて、審神者の説得を疎かにしたから。
(…致し方ない)
己の主の、将にあるまじき心根を見抜けなかったことも。
その主のためにと修行に出た己も。
「身から出た錆、か」
身体の構成が解け、偽りの桜花となって消える。
次の瞬間、折れた刀身は光りに包まれ何事もなかったように原型を取り戻す。
だが、刀剣男士としての形を取り戻すことはなかった。
審神者は限界まで目を見開く。
「う、そ、どうして、お守り、発動した、のに!」
懸命な判断だと、白山は無表情の裏で頷いた。
本丸配属刀では初期刀のみが組み込まれた、自身の判断で顕現を解く術式。
今の状況、お守りで修復されても、目の前の化け物に即座に破壊されるだけだ。
これを生き残るには、再顕現が為された際に自分で顕現を解き、ただの刀に戻るしかない。
案の定、化け物は刀を一瞥してこちらへ…正確には長義たちへ…矛先を戻した。
自分で顕現を解いた場合、新たな誰かに顕現されるまで人型を創れないが、些細なことだ。
「そん、な、うそ…」
もっとも、審神者はその事実を知らないし知らされない。
腰が抜けたままの審神者は己の刀の元へ行きたいようだが、結界から出れば死ぬので運が良い。
だって白山たちは、彼らを守る約定などしていないのだから。
振り下ろされた右の金棒を避ければ、左の金棒が横に薙がれた。
まともに刀を合わせるなど正気ではないので、掻い潜って動きのパターンを探る。
「これ、頭落として止まると思う?」
「頭はすっからかんだと思うなあ」
蹄の地響きに負けぬよう長義が声を張り上げれば、どこかから髭切の声が返る。
「ならば先に四肢を落とすか」
振り下ろされた金棒を足場に、膝丸が牛鬼の左腕を駆け上った。
気づいた牛鬼が左腕を払う前に足を踏み込み、飛び上がる。
「はああっ!」
落下の勢いに乗せて太刀を振り下ろす。
ーーずぱんっ!
見事な切断面を残し、巨大な左腕が金棒と共に落ちた。
「うんうん。さすがは僕の弟」
いつもの笑みで膝丸を見返った髭切は、暴れる四足を掻い潜り太刀を構える。
「すぱっとね」
真一文字に振るわれた太刀は、牛鬼の前足を巻藁のように順序よく斬った。
バランスを失い、牛鬼は轟音と共に前へ倒れる。
それを待っていた、正眼に構えられた打刀は。
「さあ、お前の死が来たぞ」
瘴気の穢れさえ自らで押し退け、涼やかに刃を振り下ろした。
>>
2019.4.4
ー 閉じる ー