バケモノと輪舞曲
(5.源氏の寵姫)
特異点観測室の討伐任務は、1日2回までと規則で定められている。
緊急時は室長の鶴丸の判断で出動もあるが、彼の様子だと今日はもう無いだろう。
「午前の方が楽しかったなあ」
「さっきのは、頭で考える敵ではなかったからね」
任務完了の報告をして、すっかり忘れていたオマケについても白山が請け負ってくれた。
長義と髭切、膝丸は、特異点観測室に与えられている本丸へ帰還すべく家路を辿る。
通りすがった者たち皆が皆、恐れ慄き回れ右をしていたが、彼らはその事実に気づかない。
お互いと同じ部署の仲間、それから違う部署の友人だけで世界は回る。
「長義」
「なにかな? …んっ」
部屋に入って早々、膝丸に顎を掬われ口づけられた。
戦闘で残った熱をじわじわと炙るような、そんな触れ方だ。
「っ、ふふ、珍しいね? 君の方が先なのは」
下げていた本体は、気づけば髭切に引き取られている。
話す間にも膝丸からは口づけが降りて、ぞわぞわと背筋がざわめいた。
長義の問いに、膝丸は金茶の眼をゆるりと細める。
「同じばかりだと、慣れるだろう?」
そろりと耳のピアスを撫でる感触、留め紐が解かれ外套が落ちる音。
長義が膝丸の上着に手を掛けると、背後から首元へするりと手が伸びてきた。
「僕が先でも、弟が先でも、君が可愛く乱れてくれるのは変わらないしね」
耳元で囁かれ、息を呑む。
動揺した指先で膝丸の上着を落とすと、後ろの手がリボンタイをゆっくりと引き抜いた。
「んっ、んぅ…は、」
口づけが深くなり、舌を絡め取られる。
後ろからは項を啄まれて、反射で上がった悲鳴がくぐもった。
唇かと思えば次は柔く歯が立てられ、ぴりりと快感の波が押し寄せる。
「…ひっ、ぁ」
まるで図ったように、膝丸が喉に吸い付き歯を立てた。
二振りで一具とも云われる彼らは、捕食の順序も似るらしい。
その間にも彼らの手は長義の身体をするすると撫でて、あちこちに熱を灯していく。
「んん、や、ぁ…」
何度も何度も、飽きることなく彼らに抱かれ愛されてきた長義の身体は、彼らがその意図を以て触れれば簡単に火が付く。
そうなるようにされてきて、長義も自身でそうなりたいと望んだから。
「長義」
「ん…」
膝丸が手袋を嵌めたままの手を差し出してきたので、中指に噛み付いてその布地だけを引っ張る。
口で外させた手袋はすぐに奪われ、代わりに覆いのない指先が2本、差し込まれた。
舌の奥を愛撫され、勝手に喉が鳴る。
「は、ぁ…」
思考が揺れて、体温の上がり具合が嫌でも判る。
もう身体に触れている手がどちらのものか、長義には解らない。
シャツの釦をゆっくりと外していく手は、髭切のものだろうか。
腹筋をなぞられ、ビクリと身体が震えた。
「声は殺しちゃ駄目だよ? 長義の可愛い声を聴くのも好きだからね」
また耳元で囁かれてピアスを舌で嬲られると、言葉は敢え無く吐息と消える。
「我慢も不要だ。君の法悦に浸る顔を見せてくれ」
反対側の耳に膝丸の声が吹き込まれ、肩が揺れる。
どうやら今日の彼らは、とことんまで長義を溶かして愛でたいらしい。
長義が理性を飛ばすまで、飛ばしてからも、延々と愛され続けるだろう。
「…ふふ」
笑みが零れる。
打たれて、使われ、名を貰って、愛され続けてきた証明がすべての刀のその歴史。
けれどこうして人の身を得て、人の身を愛し愛される良さも知ってしまった(無論、相手は選ぶが)。
「快楽に溺れる俺なんて、君たちにしか見せないよ」
でも代わりに、彼らも長義以外を愛さないし、愛欲なんて抱かない。
膝丸の手が長義の頬を撫でた。
「そうだな。君は、俺と兄者だけの山姥切だ」
髭切の指先が長義の指先と絡んだ。
「そして僕たちは、君だけの化け物斬りだよ」
彼らは長義と同じく、『持てるもの』だ。
与えずともすでに持っている彼らは、持っているから与えたい長義が溺れるくらいに与えてくる。
与えられて、与えられて、気づけば息をすることすら忘れていた。
「うん。俺の、髭切と膝丸」
だから長義は、与えられる愛の分だけ彼らに愛を捧げる。
捧げても捧げても、それを超えるくらいに注がれるのだ、もう息をする方法も思い出せない。
*
まだ、『特異点観測室』が存在しなかった昔の話だ。
その頃にはもう髭切と膝丸、現室長の鶴丸、同僚のにっかりは、チームのように揃って行動していた。
基本は政府直轄の遡行軍殲滅部隊に混じっていたが、彼らは総じて他の同位体に比べて苛烈だった。
敵を殲滅出来れば良いとばかりに、池田屋だろうが江戸城だろうがお構いなし。
昼夜も刀種も構わぬ戦いぶりは、政府直轄軍を管理する職員たちに僅かな不安を抱かせた。
けれど戦果は確かなもので、彼らをどうこうする理由もなかった。
そんなある日、本丸の戦場としては開いていない過去線が陥落したと、最悪の報が入る。
ーー聚楽第だ。
過去線を1つでも遡行軍へ明け渡してしまえば、即ち歴史改変ポイントの成立となる。
陥落したならどうするか。
歴史改変ポイントとして可動される前に、正史から隔離するしかない。
正史の過去を隔離するなんて、遥か上位の神々にしか出来ぬ所業だ。
そも歴史改変戦争は、誰もが察しているが一部の人間から始まったこと。
人間の罪を上位の神々が補填する理由は無く、上位の神々には過去も未来も現在も同一に在り、人間の理解の範疇外。
そんな神々に過去を隔離して頂くのに、平身低頭し続けて供物を捧げ続けて、どれだけの時間が掛かったか。
関係者が神々にお願いし続けている間、聚楽第が歴史改変ポイントとして可動されないよう、遡行軍を排除し続ける必要があったのは自明の理。
政府直轄軍は、そのいつ終わるか分からぬ時間稼ぎに投入された。
先の見えぬ戦いほど、疲弊するものはない。
敵の殲滅こそ喜びと言わんばかりの現特異点観測室の古参たちも、その戦いでは珍しく疲弊していた。
疲労も空腹も特製団子で一発回復とはいえ、精神疲労は消えないのだ。
彼らは他の部隊と共にある方が戦い難いため、他の部隊とは接触しないよう配置されている。
たぶんあれは、悪いタイミングがすべて重なった結果だった。
政府司令部から、60分後に過去線の隔離を開始すると連絡が入った。
何日ここで戦っていたか分からないが、ようやくかと思ったのを覚えている。
政府軍のざわつきを感じ取ったか、そこで遡行軍が一斉に襲い掛かってきた。
間の悪いことに、時刻はちょうど丑の刻。
現代とは比べ物にならぬ夜闇に、まだ多くの化け物が跋扈する時代だった。
「っ、にっかり! ゲートまでの距離は?!」
「全力で走って5分かなっ!」
聚楽第敵本陣にもっとも近い場所に陣取っていた現観測室のメンバーは、必然的に殿を務めることになった。
「満月なのも間が悪いね…!」
湧いて出た幽霊だか妖怪だかを斬り捨てて、にっかりは煌々と輝く満月を見上げる。
月は闇夜を照らしはするが、陰陽どちらも増幅させるもの。
「…不味いな」
足元から伸び上がった敵苦無を叩き斬り、鶴丸は背後を振り返った。
髭切と膝丸が、追いついてこない。
首と胸元の金鎖がカチカチと鳴る。
「おいっ、君たち!」
民家の屋根で足を止めていた鶴丸とにっかりを、咎める声がゲートの方向から近づいてきた。
「何をしている? ゲートが閉まるぞ!」
どこの部隊かは分からないが、彼が本丸には顕現されない『山姥切長義』であることは判った。
「君たちが最後か?」
「いや。殿の部隊ではあるが、仲間が2振り追いついてこない」
パキン、と。
羽織の鶴丸紋に下がっていた金鎖が1本、唐突に砕け散った。
「は…?」
目を、見開く。
途端に鶴丸の身体が崩れ落ち、咄嗟の杖として突き立てた彼の刃が屋根瓦を貫いた。
「鶴さん!!」
にっかりが焦燥を隠さず彼の顔を覗き込めば、満月のような黄金色が紅い燐光を纏っている。
「…君は、いや、君たちは」
『山姥切長義』は政府内すべてに配属されており、多くの機密事項を知るだけの信を置かれていた。
ゆえにこの『山姥切長義』も、目の前の鶴丸が噂に聞く個体であると察する。
「はは……きみ、『山姥切長義』だよな? 髭切と膝丸を、頼んでも良いかい?」
戻ってこない彼らはおそらく、遡行軍の相手をして『いない』。
「…斬っても文句はないな?」
「ああ」
判ったと一言、彼は鶴丸たちが来た方向へと駆けていく。
賢い子だなあ、と鶴丸は翻る外套を見送った。
「鶴さん、僕らはひとまずゲートまで行こう」
鶴丸の身体を左腕から担ぎ、にっかりは彼の太刀を納めさせる。
「ああ…手間を掛けるな」
「何を言ってるんだい。いつも掛けてるのは僕らの方だよ」
そんな場合ではないが苦笑して、にっかりは転移ゲートへと足を向けた。
「兄者、無事か?!」
「何とかね」
髭切と膝丸に襲い掛かって来たのは、所謂『化け物』の群れ。
そこに遡行軍が混じろうが居なかろうが、全部斬れば問題ない。
問題があるなら、自分たちに、だ。
わらわらと集まる魑魅魍魎をひたすらに斬り捨て、突破口を作りゲートを目指す。
(不味いなあ…)
走りながら手袋に包まれた左手を見下ろす。
徐々に形を為していく違和感。
「っ、弟! 右!」
「くっ!」
光の反射を目の端に認め咄嗟の声を投げると、鋭い刃音で膝丸が何かを弾いた。
「刀? いや、鎌…?」
細長い身体の生き物が、湾曲した刃の腕を振り回す。
それはどう見ても。
「…嫌だなあ。どうして『ここで』形を取れるのかな」
妖怪とは、概念だ。
それに形を与えるのは、大勢の人間たちの常識に等しいまでの『認識』。
(ここまでの形を持つに至るには、)
即座に弾き出された回答に、髭切が思ったのは長い付き合いの鶴丸のことだった。
「困ったなあ…。また国永に負担を掛けちゃう」
遡行軍の禍々しい気配でも、検非違使の雷槌のような気配とも違う。
髭切と膝丸の姿を発見した長義は、過去によく見た景色だと錯覚した。
ーーこれは妖怪が、妖怪を喰らうための坩堝だ。
(どういうことだ? 刀剣男士は人間でも妖怪でもない。だから基本は忌避されるはずだ)
人間の肉を使っているのに中身は人間には有り得ぬ霊力の塊で、しかも付喪神…妖怪の気配を纏っている。
それが刀剣男士だ。
そんな得体の知れないもの、知恵のある妖怪ほど食べたがらない。
(…いや、まさか)
長義へ頼んできた鶴丸とにっかりを思い返せば、とある仮説が組み上がる。
チッ、と舌打ちをひとつ、長義は渦中へと踊り込んだ。
「くらって倒れろ!」
きぃんと冷えた寒空に鳴く、鶴のように通る声だった。
魑魅魍魎が一角から斬り払われ、髭切も膝丸も視界が開ける。
飛び込んできたのは、月夜に相応しい銀と藍を持った人の形。
あちらこちらの部署で見掛ける刀剣男士だった。
彼は有象無象を斬り尽くした後、源氏の二振りを見据えるなり切っ先を向けた。
「俺は霊剣山姥切。君たちをこのまま帰すわけにはいかないんだが、手立てはあるか?」
斬れ味は抜群、判断も的確。
それだけで髭切と膝丸の彼への評価は、随分と高い位置から始まった。
「なるほど。『山姥切』の名は伊達ではないということか」
「うんうん。君なら任せられそう」
酷く妖(あやかし)地味た二対の眼を見れば、彼らが常の状態でないことが一目瞭然。
何しろ、彼ら自身から妖気が滲み出ているのだから。
刀を下ろした髭切と膝丸は、利き腕ではない左腕を長義へ差し出した。
「今なら片腕で済む」
「すぱっと頼むよ」
夜闇に目を凝らせば、妖気が立ち昇っているのは彼らの左腕からで、すでにその腕は異形と化していた。
手袋はとうに焼け落ちて、鋭く伸びた爪と爬虫類のような鱗がぬらりと光る。
長義に躊躇はなかった。
踏み込んだ先で振り上げた刃は髭切の左腕を飛ばし、身体を反転させ返した刃で膝丸の左腕を斬り落とす。
斬られたという認識もなかったかもしれない、と後に源氏の2振りは揃って語った。
一瞬のうちに片腕は身体を離れ、なんか左側が軽くなったなという感覚だ。
膝丸の腕が地面に落ちるより早く、長義は己の外套を解いた。
それを己の本体で引き裂き、まず髭切の切り口露わな左肩を覆い縛りつける。
「失血で動けなくなる前に行ってくれ」
「…弟を頼むよ」
「もちろん」
長義が太刀ではないことは見て理解したので、髭切は膝丸を一瞥しゲートへと先に走り出した。
続いて長義は膝丸にも同じ処置を施し、彼と共に髭切を追い掛ける。
ーーヒュッ、と耳元を掠めた音が、前方に何かを刺した。
「チッ、遡行軍か!」
相手をしている暇はない。
長義が身につける通信機からは、閉門を開始する旨の音声が聴こえる。
民家の屋根から飛び降りたところで、投石の落ちる嫌な音が響いた。
(まだ間に合うはず…!)
この長義は政府内でも、おそらく唯一、同位体を相棒に働いている個体だ。
ゆえに相棒の同位体がどんな行動を起こすか、予想はつけていた。
「急げ!」
ゲート用端末を手に叫ぶ自分の声に、場違いだと判っていても安堵で笑みが浮かんだ。
*
あなた方は部署を持った方が良い、と進言したのは、源氏兄弟の腕を斬り落とした長義だった。
彼の相棒の長義…ややこしいので結界の長義と呼ぶ…もそれに同調し、何なら根回ししようかと言う。
「結界部署ではあなたが一番有名だよ、鶴丸国永殿。【鳥籠之主(とりかごのぬし)】」
鶴丸は苦笑いを返した。
「うーん…有名になってもなあ。メリットが無いぜ」
「だから部署を作るんだよ」
相棒と鶴丸の会話を聴きながら、長義は髭切と膝丸の左腕を見聞していた。
手入れで治ることはよくよく知っているが、それでも気になることは気になるので。
「…綺麗に治って良かったよ」
ほっと安堵の息を吐けば、クスクスと髭切が笑う。
「もっと重症のときもあったからね。心配は要らないよ」
ところで、と会話を切った髭切の言葉を、膝丸が続けた。
「時間があるなら、手合わせでもしないか? 妖斬りの後輩の太刀筋、俺たちにも見せてくれ」
長義の表情がパッと輝く。
「それは是非! 俺たちの周りには平安の刀が居ないから、気になっていたんだ」
相棒を振り返れば、行って来いとばかりに片手を振られる。
そうして楽しげに部屋を後にする3振りを見送って、結界の長義と鶴丸は顔を見合わせた。
「久々に驚いた…。あいつらが他者に興味を持つとは」
「俺も驚いたよ…。相棒があんなに楽しそうなの久しぶりに見た」
ん? と鶴丸は疑問を覚える。
「長義の刀は実戦刀と聞くが、きみは斬り合いよりも楽しいことを見つけた口かい?」
結界の長義は笑みを浮かべたまま、自身の所属する部署を見回した。
「そりゃあ、俺自身で刀を振るって敵を斬るのは大好きだよ。でも霊剣山姥切の真価を発揮する場は、それだけに限らない」
この長義は、電子的な方面にも楽しさを見出した個体だ。
一方で呪術的な方面は得意ではないらしく、別の部署から同位体と入れ替わる形で異動したらしい。
「うーん。刀剣男士だけで部署を作るのは難しいから、人の子を何人か引っ張った方が良いね」
「アテがあるのかい?」
「2人ほどね。あとは類は友を呼ぶと言うし」
鶴丸の脳内にも、何人か…人の子と刀剣男士の心当たりが浮かんだ。
「ふむ…本気で考えてみても良いかもなあ」
*
【彼ら】の馴れ初め、と云われてもそんなものだ。
気づけば髭切と膝丸の任務に長義が同行することが増え、鶴丸が赴く必要性は薄れた。
ひとつ注釈すると、その頃の2振りの山姥切長義はフリーランスで、好きなことを良い塩梅でこなしていたと言える。
併せてにっかりも鶴丸のサポートに専念し始め、おやこれは? と思った頃。
のちに【青天の霹靂】として最初に語られる、1件目の殺傷事件が起きた。
山姥切長義に限らず、本丸に顕現されていない刀剣男士は多い。
初期の頃なら浦島虎徹や長曽祢虎徹、もちろん源氏の2振りもそれに該当した。
そのため政府施設のすべてに、審神者と本丸刀剣が立ち入り禁止となっている区域がある。
やはりこれも、多くの悪いタイミングが重なった結果だった。
如何なる事象も、1つの偶然では起こらないのだから。
その場所は審神者に周知されている立ち入り禁止区域の、手前にあるフロアだった。
審神者が立ち入らないようセンサーが張り巡らされ、警備員が常駐している、よくある禁止区域の1つだ。
不幸は幾つかあって、1つ目は、センサーが侵入者を排除するものではなく警報が鳴るタイプであったこと。
2つ目は、審神者が近づくことは基本ないため、警備員が職務怠慢となっていたこと。
3つ目は、当事者の審神者が、非常に面倒な人間であったこと。
そして4つ目が、その立ち入り禁止区域の先に居たのが、のちの【青天の霹靂】であったことだ。
その審神者は男性で年齢は30代だったか、仮に審神者Aとしよう。
安直だって? 気にするな。
彼は戦績優秀で、政府から直接任務を受けることもある程度には評価されている審神者だ。
けれど人間性にやや、いや、結構な難があった。
彼は非常に自尊心が高く、自分以外を無意識に見下していた。
それは日頃の言動や態度にも現れており、彼の本丸の担当者や窓口の者は『仕事でなければ絶対関わりたくない』と関わる度に愚痴っていたらしい。
そんな彼に云わせれば、立ち入り禁止区域は『無能な政府のくせにこの俺に隠し事とはけしからん』である。
彼の本丸の刀剣たちは、「せめて彼が敵を増やさないようにフォローしよう」という心掛けだったという。
刀剣たちは人間とは違うという認識がしっかりしていたのか、人間に対するような傲慢な態度を取られたことはなかったとのことだ。
事前説明はこのくらいにしよう。
立ち入り禁止区域の警備員はそのとき、持ち場を勝手に離れて端末と睨めっこしていた。
審神者Aは近侍の加州清光(特・練度カンスト)を連れていたが、周囲には運悪く誰も居ない。
それを目敏く発見した彼は、加州が止める前にセンサーを突っ切り盛大な警報音を鳴らさせ、フロアを突っ切った。
「政府のくせに俺に隠すなんて、疚しいものがあるって言ってるようなもんだよなぁ」
そんなことをほざきながら彼が足早に抜けた廊下の先は、ロビーだった。
警報に何事かと足を止めた職員たちと、彼のちょうど正面で談笑していた3振りの刀剣男士。
審神者Aは3振りとも初めて見たが(当時は源氏刀も未実装だ)、彼が目を惹かれたのは蒼と銀の印象が強く残る刀剣男士だった。
「おいおい、マジかよ。政府はこんな刀剣隠してたのかよ!」
ああ、そうだ。
不幸の5つ目の種はすでに存在した。
山姥切長義は他の刀剣に比べると人の子に甘く(持てるものこその義務感ではあるが)、問われると答えようとしてしまう。
ために政府職員は『山姥切長義』という刀剣を頼りにすることが多々あり、つい声を掛けてしまう。
その頻度があまりに高いので、髭切と膝丸の双方ともが辟易としていたのが5つ目だ。
人の目がある場所で話していると必ず邪魔が入るのは、誰だって嫌だろう。
たとえそこに他意がなくとも。
「おいお前! なんて名前だ? 刀剣なんだろう?」
喧しいな、と思ったのは、3振りともだった。
「…審神者はこの区域へ入ってはいけないはずだよね」
質問には答えていないが応えたのは長義で、それによりその審神者が血気盛んになったのを、髭切と膝丸が見咎める。
膝丸がさり気なく長義の半歩前に出て、髭切が彼らから審神者側へ1歩動く。
初めて見る太刀の2振りが剣呑な気配を醸し出したのを察し、加州が審神者Aの肩を掴んだ。
「主、駄目だ。早く戻ろう!」
「この刀剣を連れて帰るぞ、加州! 優秀な俺にこそ、このような刀剣は相応しい!」
物言いは大包平やそれこそ山姥切長義に似ているが、他が見えていないならただの厚顔無恥だ。
そもそも規則とは、守らねばならぬ理由があるから存在する。
それを破った時点で、言い訳は立たない。
「この俺の刀剣になるんだ、さぞ自慢だろう!」
さあ行くぞ! と意見など聞いちゃいない審神者Aが、長義へ向けて手を伸ばしたときだった。
「主っ!!」
咄嗟に彼を横に突き飛ばした加州の目に、弧を描く血飛沫が映った。
「えぇと、何だっけ。規則を破ったなら相応の罰を、だっけ」
血振りをされた太刀が、照明の光を反射する。
場が、騒然となった。
審神者Aの喚き声に、汚い悲鳴だなぁなんて髭切は呟く。
「ひ、髭切様…何ということを…!」
駆け寄ってきた職員の物言いに、当人は首を傾げた。
「正当な手段だろう?」
ここに審神者は入ってはいけない、他所の刀剣を攫ってはいけない。
「破ったのはあちらだよね」
ぐうの音も出ない。
そして場に居合わせた審神者Aを知る者は、彼を擁護する気がなかった。
片腕を飛ばされた審神者Aは救護班により運び出されて、それを追おうとした加州が足を止め髭切たちに向き直る。
「俺たちの主が無礼を働き、申し訳ありませんでした。初期刀・加州清光の名に免じて、腕1本でご容赦いただけますか」
唇を噛み締め、加州は深く頭を下げた。
カチン、と太刀『髭切』が納刀される。
「うん、別に良いよ。二度と顔を合わせることはないだろうしね」
「主の罪を謝罪出来るなら、君たちはまともなのだろう」
膝丸も頷いた。
言葉の斬れ味こっわ、と聞いてしまった職員は引いている。
「顔を上げて。加州清光」
恐る恐る顔を上げた加州に、長義は笑い掛けた。
「君たちが不当な扱いを受けているわけではなさそうだけど、君たちが我慢し続ける理由にもならないよ。
今、俺たちには人の身体がある。肉声がある。外に向けて声を出さなければ何も変わらない」
君は初期刀なのだから、と告げて去ったかの蒼銀の刀を加州が知ったのは、もっとずっと後になってからだ。
ーー審神者Aの後日談を語っておこう。
彼は片腕を無くしたが、治療後に戦線へ復帰した。
が、本丸の刀剣たちが近づくとビクリと恐怖を見せるようになった。
加州から事の顛末を聞いていた皆は、まあそうだろうなと呆れしか出なかったという。
しばらくはそれで良かったのだが、来る某日。
政府より、源氏の重宝・髭切と膝丸が実装される旨の通知があった。
添付された2振りの太刀と人型の写真に、審神者Aは悲鳴を上げ恐慌状態に陥り、執務室に引き篭もってしまう。
「あー…あの刀、髭切さんって言うんだね。もうひとりが膝丸さんか」
平安の刀、それも武家の頂点にあった刀。
そりゃあ、無礼に対して実力行使にも出るだろうなと加州は嘆息した。
ふと、蒼銀の刀の言葉が蘇る。
(うん。…潮時かもね)
あの刀のことは、いつ知ることが出来るだろう。
思いを馳せながら、加州は本丸刀剣会議を開くべく閉じた執務室前を後にした。
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2019.4.4
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