喰らう神殺し
(2.マイナス凡例α)
その、刀が顕現したとき。
山姥切国広(以下、国広)は、近侍として審神者と共にそこに居た。
「俺こそが長義が打った本歌、山姥切」
美しい。
いや、美しい刀なら他にも在る。
けれど国広には、その刀が己にとって『絶対的な』存在であると瞬時に解せた。
実際に見(まみ)えたことがあったか?
その斬れ味に見覚えがあるのか?
生憎と、どれも記憶にない。
けれど記憶になくたって問題ない。
なぜならこれは、自明の理。
彼は、本歌。
山姥切国広の本歌、本作長義(以下五十八字略)…山姥を斬った山姥切、その刀。
(俺がここに居るのは、)
彼のためだったのかと、国広は唐突に腑に落ちた。
このとき、審神者が国広を見ていれば。
彼が融けるような、永く隔絶されていた恋人に見せるような、あまりに焦がれた表情を向けていたことに気づけただろう。
名乗りを上げた山姥切長義(以下、長義)が、そんな国広に向かって口を開く。
「やあ、『偽物くん』」
ーーパチン、と。
夢から突然起こされたように、国広の視界が開けた。
「……あ、」
ここはどこだ? 審神者の部屋だ。
何をしていた? 聚楽第の任務達成で手に入れた刀を、顕現して…。
「俺、は」
そうだ、目を醒まされたのだ、自分は。
夢うつつの本能に呑まれていたのを、引っ張り出されたのだ。
「写しは、偽物とは違う…」
そうだ、でもそうじゃない。
「そうだね。でも山姥を斬っていないのに、山姥切の名で顔を売っているのだろう? だからお前は偽物だよ」
そうだ、でもそれだけじゃない。
『偽物くん』と呼ばれたことで、写しの本能が退いた。
もし彼にそう呼ばれなければ、きっと。
ホッと胸を撫で下ろした国広に、審神者の震える声が聴こえた。
「…な、何で」
「主?」
「何でそんなこと言うの?! 国広は、私の山姥切は山姥切国広なの!!」
審神者は長義に向かって叫びだした。
「何様なの?! いくら本歌だからって、言って良いことと悪いことがある!!」
「主、待ってくれ! そうじゃない、これは…!」
国広が慌てて言い募るが、審神者は止まらなかった。
「国広は偽物なんかじゃない! あんたが山姥切だなんて、あんたが本歌だなんて認めない!!」
ーーパチン、と。
国広の視界が一気に沈んだ。
水のような、安寧に満ちた微睡みへ、真っ逆さまに落ちていく。
「……ほんか、」
呼べば、仕方がないねと苦笑する顔が見えた。
「せっかく堰き止めたというのに。これでは俺も止められない」
審神者はなぜ長義が笑っているのか、その彼に国広が寄っていくのかが分からない。
「ま、待って国広! 近づいては駄…っ?!」
喉元に、鞘に納まってはいれど『山姥切国広』が突き付けられた。
「く、くに、ひろ…?」
それは確かに審神者の近侍である山姥切国広で、けれど、何かが。
何かが決定的に違った。
元より、審神者に刀が向けられる状況など、余程の場合しか。
審神者が動けないと判断し、国広が長義へ向き直る。
国広はもう、熱に浮かされて彼以外に何も見えない。
自身の核たる本体を、己の本歌へと恭しく差し出した。
「おれを喰ってくれ。おれのほんか」
嬉しい、嬉しい。
ようやく写しとして、文字通り彼の力になれる。
(やっとたべてもらえる!)
己の本歌がいつも空腹で、満たされないことを『知っている』。
けれど彼は刀剣男士で、自分も刀剣男士で。
本霊は無理でも、刀剣男士の彼を満たすことなら、己が出来る。
他の写しに、先を越される前に。
長義は改めて空腹を自覚しながら、自身の外套の襟元…通信機のスイッチに軽く触れた。
「ごめんね、コード9000。…止められない、かな」
彼は政府から派遣された監査官だ。
通信機やレコーダーは、多くを想定して隠し持っていたが。
(…ああ、おなかすいたなあ)
目の前に差し出されているのは、写しの中でも極上だと解っているご馳走で。
聚楽第の任務中は遡行軍をこっそり狩ることも出来なくて、食べることなんて論外で。
(おいしそう)
差し出されている、長義にとってもっとも効率的で、何よりも美味な食事。
『偽物くん』
山姥切を名乗る偽物だと、否定の意を込めた呼び名。
それは国広の『写しとしての本能』を無理やり鎮めると共に、長義の『本歌としての本能』にブレーキを掛ける呪(まじな)いでもあった。
お前は偽物であるがゆえに、写しとして本歌の食事にはなり得ないと。
だというのに、せっかくの予防線も、崩してしまう人間は居るもので。
ーー本歌の否定は、写しの否定だ。
写しは刀工と本歌から成る、ゆえに本歌を否定されては存在出来ない。
揺らいだ写しの存在に、長義は迷うことなく手を伸ばした。
*
その本丸に政府の者たちが駆けつけると、転移ゲートの前で長義が待っていた。
「山姥切様! ご無事で!」
「無事? ああ、うん。そうだね」
何かおかしい、と1人が気づく。
普段から見ていた彼の同位体に比べて、この山姥切長義は随分と…。
「何か、満足そうですね…?」
そう、満足げなのだ。
すると長義はこちらを見て、ふふ、と幸福そうに微笑んだ。
「お腹がいっぱいになったからね。この戦が終わるまで、もう何も食べなくても良いかな」
気配に敏い者は、初めから気づいていた。
山姥切長義の『中』に、山姥切国広の気配が混ざっていることを。
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2019.2.28
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