喰らう神殺し

(3.プラス凡例β)




その平和な本丸は10振り程度の刀が極の修行を終えており、今回、山姥切国広が修行に出ている最中だった。
本歌山姥切と彼はそれまでの間に徹底的に対話(物理込み)をし、和解は出来ぬまでも軽い世間話なら交わせるようになっている。
なので大丈夫だろうと審神者も彼を送り出したのだが、不安になるのは仕方がない。
「もうすぐ帰ってくる…! 歌仙、玄関行くよ!」
「了解したよ、主。こら、走るんじゃない!」
初期刀の歌仙兼定と共に、審神者は国広の迎えに走っていく。
このとき誰も、騒動が起きるなどと思いもしなかった。







極めた国広を迎えた審神者は、嫌な予感がした。
「あんたの刀だ」と言ってもらえたのはとても嬉しい。
けれど国広は、次には「俺の本歌はどこだ?」と長義を捜し始めてしまった。
「…えっ、訊いてた話と違う……」
「あっ、こら国広! 走るんじゃない!」
審神者が困惑してる間に国広は駆けていってしまって、歌仙と慌てて追い掛ける。

「本歌!」

スパァン! と大広間の襖を開ければ、勘に違わず長義の姿があった。
おかえりと迎えてくれる仲間たちに脇目も振らず、国広は己の本歌の元へと突き進む。
そうして他と車座になっていた長義の目の前で片膝をついた。
「本歌。俺もついに極めたぞ」
「あ、ああ…そうだね…?」
まったく訳が分からない。
仲間たちが他にも大勢居るのに、なぜ入り口から近くもないこちらへ真っ先に?
意味が分からなすぎて、長義は言ってやろうと思っていた「おかえり」の言葉すら出てこない。
国広は戸惑う長義に構わず、彼の手を取る。
「俺は極めた。前よりもずっと強くなったし丈夫だし、多少の無茶では折れたりしない。だから、」
瑠璃を嵌め込んだような、美しい眼を国広は真っ直ぐに見つめた。

「だから俺を喰ってくれ。俺の本歌」

しん、と広間が静まり返った。
広間の入り口で国広の告白を訊いてしまった審神者は、咄嗟に自分の口を抑える。
(えっ、愛の告白?!)
ざわついているのは、審神者と同じ発想に至った刀だろう。
けれど、それにしては様子がおかしいような。
「…は?」
たっぷり数秒の間を空けて、長義はようやく声を発した。
今、目の前の刀はなんと言った?
「……偽物くん。お前は自分が何を言っているのか、解っているのかな?」
大丈夫。
(大丈夫だ、ちゃんと『枷』は効いている)
これが駄目になったら、長義も冷静ではいられない。
国広は真剣な表情のまま、さらに言い募る。
「政府施設に行くと、満たされているあんたを見掛けることがある。
俺があんたをあのように満たすことが出来るなら、どれだけ幸せだろう」
審神者は、愛の告白にしては言葉選びがおかしいな? と思っている。
長義の柳眉が釣り上がった。
「お前に出来ることは何もない、そう言ったはずだ。まず政府の事例を調べるべきだったね。
特だろうが極だろうが関係ないんだよ」
審神者は、愛の告白にしては返答もおかしいな? と思っている。
国広は長義の手を掴む力を強めた。
「そうじゃない。それはあんたの呪いを壊すような、軽率な審神者の元で起きたことだ。ここは違う」
審神者は、あ、これは愛の告白じゃないですね、と気づいた。
国広の言葉は止まらない。
「なあ、あんたはいつも腹が減ってる。俺ならそれを満たすことが出来る!
今だってあんたの斬れ味は素晴らしいが、本来のあんたはそんなもんじゃないだろう!」
「お前ね! 他に誤解を与えるような物言いは止めろ!」
審神者が固唾を呑んで見守る他の面々を見ると、厨当番を担うことが多い長船派と伊達組が唖然としていた。
「えっ、長義くん、もしかしてあの量じゃ足りてなかったの?!」
「他よりも多い方だったが、そうか…遠慮していたのか…」
しょぼん、という擬音語が見えるようだ。
そこへ鯰尾藤四郎がひょいと寄っていく。
「あの、皆さん。山姥切さんと切国さんの話、料理のことじゃないですよ」
「えっ?!」
審神者も同じくえっ、となった。

長義に直接触れたことで、国広は察した。
この刀が満足を覚えたことなど、おそらく一度もない。
こんなにも空腹なのに、それをおくびにも出さず、彼は平然としてみせている。
(この身は人だ。本当に大丈夫なのか?)
けれど、だからこそ、極めた己ならば何とか出来ると国広は確信していた。
正確に言えば、長義が極めておらず国広が極めているという、『今』だからこそ。

掴まれた手が、唐突に引かれた。
「わっ」
無防備な状態であった長義は逆らいきれず、国広へと倒れ込む。
「いきなり何…っ?!」
文句を言うために上げられた美しい顔(かんばせ)に、国広は迷いなく唇を寄せた。

「!」

己の写しに、口づけられている。
長義がそれを理解したとき、違う温度の舌がぬるりと差し込まれた。
「っ、ん…あっ」
自覚した途端に、瑠璃色の目が酩酊してゆく。
ーー『これ』は熱くて、勝手に蠢くけれど。

(おいしい)

いろんなものを食べてきたけれど、どれと比べても極上で。
(もっと、)
食べたい、食べたい、もっと食べたい。
(これなら、)
長義の掴まれていない手が伸び、国広の後ろ首を捉えて引き寄せる。
ゆるゆると合わせられていた唇に、今度はこちらから喰らいついた。
(もっと、よこせ)
人に寄せた形ではなく、妖(あやかし)じみた虹彩が瑠璃色に浮かび上がる。
それは国広の視線を余さず絡め取り、理性をぐらり、揺らす。

「馬っ鹿野郎っ!!!」

南泉一文字が、怒鳴り声と共に2振りを力づくで引き剥がした。
長義を自身の背後へと押しやり、南泉は国広を睨み据える。
「テメェ、いい加減にしろよ?! 国広の写し!!」
それは戦場に似た鋭い声で、突然の公開キスシーンで惚けた者が我に返るには十分だった。
南泉が国広を『写し』と呼んでいるのも初耳だ。
途切れ零れた唾液を拭い、国広はゆっくりと立ち上がった。
「…なぜだ? 俺は極めた。本歌は極めてない。だから引き剥がすことも出来る」
本体を他所に置けば喰らい尽くされることもない、と国広は宣う。
南泉はハッ、とせせら笑った。
「理性喰われかけたやつが、何いっちょ前に言ってやがる。…にゃ」
「ぅぐ…。だが俺は写しだ! あんたよりも本歌の腹は満たされるはずだ!」
「そういう問題じゃねえんだよ! テメェ、本霊の願望表に出すなんて以ての外だ! にゃー!!」
物吉貞宗が南泉の前に、極の後藤藤四郎が国広の前に割って入る。
「ちょっ、やめてください! 南泉さんも切国さんも!」
「私闘は厳禁だろ! 道場行けよ! 主、これ恋の泥沼三角関係とか可愛いもんじゃねーからな念のため!!」
審神者は、あ、違うんだ、でも恋の泥沼って可愛いで済む…? と不思議に思った。
現実逃避である。

一方。
南泉に庇われ体勢を崩した長義を抱き留めた髭切が、その顔を覗き込みながら問う。
「ねえ化物斬り君。今の満腹度はどんな感じ?」
名前を間違えていないことに、誰も口を挟めない。
「満腹……ああ、」
長義ははたと目を瞬いた。
そうだ、数百年ぶりに腹がくちい感覚が蘇っている。
「腹六分目、というところかな」
すると髭切はうんうんと楽しげに頷いた。
「そう。じゃあ化物斬り君、満腹になりに行こうか」
「うむ、俺と兄者が連れて行ってやるぞ。なに、知らぬ仲でもあるまい」
膝丸が手を貸し、長義を立たせる。
そのとき彼らを見た者は、彼らがあまりに似ていることに気がついたはずだ。

それは末席の神たるものではなく、妖の、喰らう者の眼をした、3振りの化物斬り。

「あっ、じゃあ検非違使対策に俺も行きますよー!」
鯰尾が手を上げる、彼も長義たちと同じくカンスト勢だ。
「ははっ、楽しそうだな! 俺も混ぜてくれ」
代わりに他への説明役は引き受けよう、と笑ったのは、こちらもカンスト勢の鶴丸国永。
彼らを眺めるしかなかった極の短刀たちは、顔を見合わせ小夜左文字が頷いた。
「じゃあ、僕が万が一のために一緒に行くよ」
一部隊分が早々に揃った。
「主、ゲートを使うよ。行き先は阿津賀志山で」
「え…、えっ?!」
まだ騒動は収まっていないというのに、髭切は当事者の一振りを連れ出そうとしている。
しかし審神者が混乱から戻る前に、歌仙がさっさと了承してしまった。
「刀装はすべて装備すること。お守りもだ。巴形、確認をお願いするよ」
「了解した。装備は第三者が見てこそだからな」
審神者が (゚ω゚)??? な顔をしている間に、彼らは広間を出ていってしまった。
「え、待って…待って?!!」
我に返った審神者の肩を、歌仙は諦めなさいとばかりにぽんと叩く。
「知らない方が良いだろうと、きみに黙っていたことが幾つかあるんだ。
でもこうなってしまったからには、きみには政府の重要通知を読み返してもらわなければね」
「………待って?!!!!!」
政府からの重要通知は、もちろん目を通している。
けれどイマイチ目が滑るというか、頭に入ってくれないのが実情で。
それが自分でも判っていたので、審神者は近侍に重要な文面の読み返しをお願いしていた。
「つ、つまり…わざと読み返ししてくれてなかったものが…?」
「該当する本丸の条件から、微妙に外れていたからね」
ナ、ナンダッテーーー!!!
審神者の叫びのエコーが、歌仙に引き摺られて執務室へと消えていく。

「なあ薬研、アレどうすんだよ」
アレとは、睨み合う国広と南泉、彼らを止めようとしている後藤と物吉だ。
不動行光に問われて、薬研藤四郎は肩を竦めた。
「抜刀あるいは広間を壊しそうなら、無理矢理止めるだけだな」
こいつも大概だよなあ、と思った不動も薬研も、極めているのでどっちもどっちである。







短刀と苦無なら目玉。
脇差と打刀なら心臓。
それ以外なら脳味噌。

遡行軍は息絶えた後、5分程度で塵となって消えてしまう。
消える前に、遡行軍を構成する核を取り出さなければならない。
遡行軍の死体に本体を突き刺す化物斬りたちを、鶴丸は適当な岩に腰掛けて眺めている。
「良い喰いっぷりだなあ、きみたち」
便利なのは、どれだけ遡行軍の血で汚れても、それが勝手に塵になって消えることだ。
髭切がクスリと笑う。
「なぁに、国永は僕で見慣れているだろう?」
「えっ、そうなんですか?」
鯰尾が訊けば、鶴丸は頷いた。
「髭切が燃えて、再刃された後だなあ。散々消耗された後だろう? 今より断然鬼気迫って怖かったぜ」
付喪神も妖、妖は同じ妖や時には神を喰らって力をつける。
俺は神社に入っちまったからもう喰えないんだよなあ、と彼はぼやいた。
なるほど、と呟く鯰尾はというと、化け物の類を斬ったことがないので食べられない。
しかし、と鯰尾は思う。
「ねえ山姥切さん。遡行軍って、美味しくはないんですよね?」
膝丸が投げ渡した短刀の目玉を検分して、長義は首を縦に振る。
「うん。美味しくはないけど不味くもないよ。ずっと空腹でいるよりマシなだけ」
「…僕、切長さんとは一度しか同じ隊にならなかったけど。もしかして、いつも食べてました?」
長義は小夜の問いにも頷いた。
「猫殺しくん…南泉一文字といつも同じ隊だからね。隠れるのは簡単だよ。おそらく歌仙くんの采配だろうけど」
目玉を飲み込み、長義はまだ足りないなあ、と切なそうな顔をする。
「そんな顔されたら、甘やかすしかないよねえ」
髭切の笑みに、違いないと鶴丸も笑って立ち上がる。
「小夜と鯰尾、偵察を頼めるか」
膝丸の言葉に元気に返事をして、よしじゃあ次行こう、と物騒な彼らは山道を進んだ。

山道を進みながら、長義は今頃叱られているであろう己の写しへ悪態をつく。
(極上の食事を喰わされて、遡行軍が本当に不味くなったじゃないか!)
あんなに美味いものを知ってしまったら、他が全部不味くなるに決まってる。
(さて、どう責任を取らせるか)
>>


2019.2.28
ー 閉じる ー