喰らう神殺し
(3.プラス凡例β)
その平和な本丸は10振り程度の刀が極の修行を終えており、今回、山姥切国広が修行に出ている最中だった。
本歌山姥切と彼はそれまでの間に徹底的に対話(物理込み)をし、和解は出来ぬまでも軽い世間話なら交わせるようになっている。
なので大丈夫だろうと審神者も彼を送り出したのだが、不安になるのは仕方がない。
「もうすぐ帰ってくる…! 歌仙、玄関行くよ!」
「了解したよ、主。こら、走るんじゃない!」
初期刀の歌仙兼定と共に、審神者は国広の迎えに走っていく。
このとき誰も、騒動が起きるなどと思いもしなかった。
*
極めた国広を迎えた審神者は、嫌な予感がした。
「あんたの刀だ」と言ってもらえたのはとても嬉しい。
けれど国広は、次には「俺の本歌はどこだ?」と長義を捜し始めてしまった。
「…えっ、訊いてた話と違う……」
「あっ、こら国広! 走るんじゃない!」
審神者が困惑してる間に国広は駆けていってしまって、歌仙と慌てて追い掛ける。
「本歌!」
スパァン! と大広間の襖を開ければ、勘に違わず長義の姿があった。
おかえりと迎えてくれる仲間たちに脇目も振らず、国広は己の本歌の元へと突き進む。
そうして他と車座になっていた長義の目の前で片膝をついた。
「本歌。俺もついに極めたぞ」
「あ、ああ…そうだね…?」
まったく訳が分からない。
仲間たちが他にも大勢居るのに、なぜ入り口から近くもないこちらへ真っ先に?
意味が分からなすぎて、長義は言ってやろうと思っていた「おかえり」の言葉すら出てこない。
国広は戸惑う長義に構わず、彼の手を取る。
「俺は極めた。前よりもずっと強くなったし丈夫だし、多少の無茶では折れたりしない。だから、」
瑠璃を嵌め込んだような、美しい眼を国広は真っ直ぐに見つめた。
「だから俺を喰ってくれ。俺の本歌」
しん、と広間が静まり返った。
広間の入り口で国広の告白を訊いてしまった審神者は、咄嗟に自分の口を抑える。
(えっ、愛の告白?!)
ざわついているのは、審神者と同じ発想に至った刀だろう。
けれど、それにしては様子がおかしいような。
「…は?」
たっぷり数秒の間を空けて、長義はようやく声を発した。
今、目の前の刀はなんと言った?
「……偽物くん。お前は自分が何を言っているのか、解っているのかな?」
大丈夫。
(大丈夫だ、ちゃんと『枷』は効いている)
これが駄目になったら、長義も冷静ではいられない。
国広は真剣な表情のまま、さらに言い募る。
「政府施設に行くと、満たされているあんたを見掛けることがある。
俺があんたをあのように満たすことが出来るなら、どれだけ幸せだろう」
審神者は、愛の告白にしては言葉選びがおかしいな? と思っている。
長義の柳眉が釣り上がった。
「お前に出来ることは何もない、そう言ったはずだ。まず政府の事例を調べるべきだったね。
特だろうが極だろうが関係ないんだよ」
審神者は、愛の告白にしては返答もおかしいな? と思っている。
国広は長義の手を掴む力を強めた。
「そうじゃない。それはあんたの呪いを壊すような、軽率な審神者の元で起きたことだ。ここは違う」
審神者は、あ、これは愛の告白じゃないですね、と気づいた。
国広の言葉は止まらない。
「なあ、あんたはいつも腹が減ってる。俺ならそれを満たすことが出来る!
今だってあんたの斬れ味は素晴らしいが、本来のあんたはそんなもんじゃないだろう!」
「お前ね! 他に誤解を与えるような物言いは止めろ!」
審神者が固唾を呑んで見守る他の面々を見ると、厨当番を担うことが多い長船派と伊達組が唖然としていた。
「えっ、長義くん、もしかしてあの量じゃ足りてなかったの?!」
「他よりも多い方だったが、そうか…遠慮していたのか…」
しょぼん、という擬音語が見えるようだ。
そこへ鯰尾藤四郎がひょいと寄っていく。
「あの、皆さん。山姥切さんと切国さんの話、料理のことじゃないですよ」
「えっ?!」
審神者も同じくえっ、となった。
長義に直接触れたことで、国広は察した。
この刀が満足を覚えたことなど、おそらく一度もない。
こんなにも空腹なのに、それをおくびにも出さず、彼は平然としてみせている。
(この身は人だ。本当に大丈夫なのか?)
けれど、だからこそ、極めた己ならば何とか出来ると国広は確信していた。
正確に言えば、長義が極めておらず国広が極めているという、『今』だからこそ。
掴まれた手が、唐突に引かれた。
「わっ」
無防備な状態であった長義は逆らいきれず、国広へと倒れ込む。
「いきなり何…っ?!」
文句を言うために上げられた美しい顔(かんばせ)に、国広は迷いなく唇を寄せた。
「!」
己の写しに、口づけられている。
長義がそれを理解したとき、違う温度の舌がぬるりと差し込まれた。
「っ、ん…あっ」
自覚した途端に、瑠璃色の目が酩酊してゆく。
ーー『これ』は熱くて、勝手に蠢くけれど。
(おいしい)
いろんなものを食べてきたけれど、どれと比べても極上で。
(もっと、)
食べたい、食べたい、もっと食べたい。
(これなら、)
長義の掴まれていない手が伸び、国広の後ろ首を捉えて引き寄せる。
ゆるゆると合わせられていた唇に、今度はこちらから喰らいついた。
(もっと、よこせ)
人に寄せた形ではなく、妖(あやかし)じみた虹彩が瑠璃色に浮かび上がる。
それは国広の視線を余さず絡め取り、理性をぐらり、揺らす。
「馬っ鹿野郎っ!!!」
南泉一文字が、怒鳴り声と共に2振りを力づくで引き剥がした。
長義を自身の背後へと押しやり、南泉は国広を睨み据える。
「テメェ、いい加減にしろよ?! 国広の写し!!」
それは戦場に似た鋭い声で、突然の公開キスシーンで惚けた者が我に返るには十分だった。
南泉が国広を『写し』と呼んでいるのも初耳だ。
途切れ零れた唾液を拭い、国広はゆっくりと立ち上がった。
「…なぜだ? 俺は極めた。本歌は極めてない。だから引き剥がすことも出来る」
本体を他所に置けば喰らい尽くされることもない、と国広は宣う。
南泉はハッ、とせせら笑った。
「理性喰われかけたやつが、何いっちょ前に言ってやがる。…にゃ」
「ぅぐ…。だが俺は写しだ! あんたよりも本歌の腹は満たされるはずだ!」
「そういう問題じゃねえんだよ! テメェ、本霊の願望表に出すなんて以ての外だ! にゃー!!」
物吉貞宗が南泉の前に、極の後藤藤四郎が国広の前に割って入る。
「ちょっ、やめてください! 南泉さんも切国さんも!」
「私闘は厳禁だろ! 道場行けよ! 主、これ恋の泥沼三角関係とか可愛いもんじゃねーからな念のため!!」
審神者は、あ、違うんだ、でも恋の泥沼って可愛いで済む…? と不思議に思った。
現実逃避である。
一方。
南泉に庇われ体勢を崩した長義を抱き留めた髭切が、その顔を覗き込みながら問う。
「ねえ化物斬り君。今の満腹度はどんな感じ?」
名前を間違えていないことに、誰も口を挟めない。
「満腹……ああ、」
長義ははたと目を瞬いた。
そうだ、数百年ぶりに腹がくちい感覚が蘇っている。
「腹六分目、というところかな」
すると髭切はうんうんと楽しげに頷いた。
「そう。じゃあ化物斬り君、満腹になりに行こうか」
「うむ、俺と兄者が連れて行ってやるぞ。なに、知らぬ仲でもあるまい」
膝丸が手を貸し、長義を立たせる。
そのとき彼らを見た者は、彼らがあまりに似ていることに気がついたはずだ。
それは末席の神たるものではなく、妖の、喰らう者の眼をした、3振りの化物斬り。
「あっ、じゃあ検非違使対策に俺も行きますよー!」
鯰尾が手を上げる、彼も長義たちと同じくカンスト勢だ。
「ははっ、楽しそうだな! 俺も混ぜてくれ」
代わりに他への説明役は引き受けよう、と笑ったのは、こちらもカンスト勢の鶴丸国永。
彼らを眺めるしかなかった極の短刀たちは、顔を見合わせ小夜左文字が頷いた。
「じゃあ、僕が万が一のために一緒に行くよ」
一部隊分が早々に揃った。
「主、ゲートを使うよ。行き先は阿津賀志山で」
「え…、えっ?!」
まだ騒動は収まっていないというのに、髭切は当事者の一振りを連れ出そうとしている。
しかし審神者が混乱から戻る前に、歌仙がさっさと了承してしまった。
「刀装はすべて装備すること。お守りもだ。巴形、確認をお願いするよ」
「了解した。装備は第三者が見てこそだからな」
審神者が (゚ω゚)??? な顔をしている間に、彼らは広間を出ていってしまった。
「え、待って…待って?!!」
我に返った審神者の肩を、歌仙は諦めなさいとばかりにぽんと叩く。
「知らない方が良いだろうと、きみに黙っていたことが幾つかあるんだ。
でもこうなってしまったからには、きみには政府の重要通知を読み返してもらわなければね」
「………待って?!!!!!」
政府からの重要通知は、もちろん目を通している。
けれどイマイチ目が滑るというか、頭に入ってくれないのが実情で。
それが自分でも判っていたので、審神者は近侍に重要な文面の読み返しをお願いしていた。
「つ、つまり…わざと読み返ししてくれてなかったものが…?」
「該当する本丸の条件から、微妙に外れていたからね」
ナ、ナンダッテーーー!!!
審神者の叫びのエコーが、歌仙に引き摺られて執務室へと消えていく。
「なあ薬研、アレどうすんだよ」
アレとは、睨み合う国広と南泉、彼らを止めようとしている後藤と物吉だ。
不動行光に問われて、薬研藤四郎は肩を竦めた。
「抜刀あるいは広間を壊しそうなら、無理矢理止めるだけだな」
こいつも大概だよなあ、と思った不動も薬研も、極めているのでどっちもどっちである。
*
短刀と苦無なら目玉。
脇差と打刀なら心臓。
それ以外なら脳味噌。
遡行軍は息絶えた後、5分程度で塵となって消えてしまう。
消える前に、遡行軍を構成する核を取り出さなければならない。
遡行軍の死体に本体を突き刺す化物斬りたちを、鶴丸は適当な岩に腰掛けて眺めている。
「良い喰いっぷりだなあ、きみたち」
便利なのは、どれだけ遡行軍の血で汚れても、それが勝手に塵になって消えることだ。
髭切がクスリと笑う。
「なぁに、国永は僕で見慣れているだろう?」
「えっ、そうなんですか?」
鯰尾が訊けば、鶴丸は頷いた。
「髭切が燃えて、再刃された後だなあ。散々消耗された後だろう? 今より断然鬼気迫って怖かったぜ」
付喪神も妖、妖は同じ妖や時には神を喰らって力をつける。
俺は神社に入っちまったからもう喰えないんだよなあ、と彼はぼやいた。
なるほど、と呟く鯰尾はというと、化け物の類を斬ったことがないので食べられない。
しかし、と鯰尾は思う。
「ねえ山姥切さん。遡行軍って、美味しくはないんですよね?」
膝丸が投げ渡した短刀の目玉を検分して、長義は首を縦に振る。
「うん。美味しくはないけど不味くもないよ。ずっと空腹でいるよりマシなだけ」
「…僕、切長さんとは一度しか同じ隊にならなかったけど。もしかして、いつも食べてました?」
長義は小夜の問いにも頷いた。
「猫殺しくん…南泉一文字といつも同じ隊だからね。隠れるのは簡単だよ。おそらく歌仙くんの采配だろうけど」
目玉を飲み込み、長義はまだ足りないなあ、と切なそうな顔をする。
「そんな顔されたら、甘やかすしかないよねえ」
髭切の笑みに、違いないと鶴丸も笑って立ち上がる。
「小夜と鯰尾、偵察を頼めるか」
膝丸の言葉に元気に返事をして、よしじゃあ次行こう、と物騒な彼らは山道を進んだ。
山道を進みながら、長義は今頃叱られているであろう己の写しへ悪態をつく。
(極上の食事を喰わされて、遡行軍が本当に不味くなったじゃないか!)
あんなに美味いものを知ってしまったら、他が全部不味くなるに決まってる。
(さて、どう責任を取らせるか)
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2019.2.28
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