C'mon Sensation!!








「ボクは<ブラック・マジシャン>で相手モンスターの<E・HEROフレイム・ウイングマン>を攻撃! これで君のライフはゼロだ!」
「うわあー! 負けたーっ!!」
ライフをゼロにされ、少年が空を仰ぐ。
ソリッドビジョンが解除され、周囲は特に面白みのない整然としたフィールドに変わった。
対戦相手の青年はクスリと笑う。
「曲がりなりにも講師だからね。簡単に敗けるわけにはいかないよ」
周りで見守っていた他の子どもたちが集まってきた。
「武藤先生って、ほんと決闘(デュエル)強いよね〜」
「何言ってんだよ! 海馬社長の方が強いに決まってんじゃん!」

ここは海馬コーポレーション本社と併設されているビル、通称『KCデュエルタワー』。
KCが開発した『デュエル・リンクス』の開発拠点の1つであり、最近は決闘者(デュエリスト)を目指す子どもたちの学校のような様相も見せ始めている。

「あれ? でも海馬社長と武藤先生って、デュエル・リンクスの発表会のときにデュエルしてなかった?」
集まっていた子どもの1人に問われ、武藤遊戯は曖昧に言葉を濁した。
「ううーん、あれは決着つかなかったしね…」
「何が起きたんだっけ?」
「確か世界中からの中継アクセスがバーストして、デュエル・リンクス側にエラー起こしたんじゃなかった?」
遊戯は苦笑する。
(そんな説明になったんだ…)
あれはもう、2年前の話だろうか。
新型デュエルディスクとデュエル・リンクスの発表、意識同調が可能な『プラナ』という存在との邂逅は。
(…アテム)
そして冥界へ還った大切な存在と、束の間の再会を果たしたのは。
遊戯は子どもたちをディスカッション・ルームへと誘う。
「それじゃ、さっきのデュエルを元にみんなで『戦術』を考えてみようか」
「「はーい!」」

遊戯はアメリカへ向かう杏子を友人たちと見送った後、彼らへの宣言通りオリジナルゲームの制作を始めた。
初めの年は駄目だったが、今年、出品したゲームが特別賞の1つに選ばれた。
(優勝にはまだ遠いけど…)
手応えがあった、それが嬉しい。
各賞の発表会の直後、早速KC副社長であるモクバから連絡があったことには驚いたが。
「おーい、遊戯!」
噂をすれば影、当人の声が子どもたちを連れた遊戯に掛かった。
「モクバくん!」
「あー! モクバ副社長だ!」
「すげえ、本物!」
その圧倒的強さと類を見ない行動力で、世界中の子どもたちに絶大な人気を誇るKC社長・海馬瀬人。
当然、彼の弟でありKC副社長として活躍するモクバも有名人だ。
「久し振りだね、モクバくん。また背が伸びた?」
「へへん、成長期だからな!」
見つめてくる子どもたち…生憎と目線の高さがほぼ同じ…をぐるりと見回して、モクバは満足気に笑う。
「さすがだな、遊戯。お前の講座、すっげえ人気だぜ!」

遊戯はこのデュエルタワーで、子どもたちにデュエルを教える講師をしている。
KC社員として雇われている講師陣とは別に、ゲーム制作の合間に講座を開く臨時講師だ。
(臨時というには待遇が良すぎるけどね…)
まあ、海馬の胸の内は測れずとも、有り難いことに変わりはない。
(最初の宣伝のされ方が、ちょっとアレだったけどなあ)
何せ、『海馬瀬人が認めた一流デュエリストの1人』という触れ込みだったのだ。
正直やめてくれと思った。
確かにプロデュエリストの資格も持っているが、本職ではない。
それでも前評判抜きで、遊戯の開く講座は瞬く間に一二を争う人気講座となった。
初級者、中級者向けが主だが、実家がゲーム店を開いているために"人に伝える"ことに手馴れており、上手い。
しかも海馬と遜色ない経験値を有しているため、教える内容が実用的だった。
(まあ、ほとんど『もう一人のボク』の戦歴だけどね)
子どもたちと談笑していたモクバの目が、遊戯へ戻る。
「じゃ、オレはそろそろ戻るぜ! 遊戯、今日の昼12時! 忘れんなよ!」
「うん。大丈夫だよ」
1ヶ月前から言われているのだから、もう忘れようがない。
講座は11時50分までなので、食堂と隣接するレセプションルームで陣取るのに間に合う。
(それに、みんなで会うのも久し振りだ)
杏子が帰省する時期が重なって、運が良かった。
童実野町を離れていたのは杏子と、知見のために偶に海外まで遠出する遊戯だけだ。
「今日の12時って、先週からKCのCMでやってるやつだよね!」
「今度は何の発表だろうなあ」
テレビ、新聞、雑誌、インターネット上の様々な箇所で、まったく同じ宣伝が為されている。

ーー今日の12時に、デュエル・リンクスに関する重大発表がある。



「遊戯!」
レセプションルームの一角から呼ばれ、遊戯は手を振り返した。
「杏子、久し振り!」
1年ぶりに会った彼女は、溌剌とした印象が強まっている。
いつもの面々も笑顔で呼んできた。
「よお、遊戯! 昨日振りだな」
「遊戯君、お疲れさま」
「調子はどうだ?」
杏子と城之内に獏良、本田。
席に着いて周囲を観察すると、誰もがそわそわと大型モニターを窺っていた。
思わず苦笑する。
「みんな考えること一緒だね」
「入ったら人凄かったんだもん。驚いたわ…」
一番乗りであった城之内たちが席を確保していなかったら、立ち見になっていたかもしれない。
杏子の言うとおり席を確保出来なかったらしい者も多く、中継のためにここへ来ている子どもたちも多そうだ。
「なあ、遊戯。海馬が発表するのってさ…」
ひそりと耳打ちしてきた城之内に、遊戯は頷いた。
「うん。たぶん…」
備え付けのデジタル時計が、12:00を刻む。
大型モニターが一斉に切り替わった。

『世界中のデュエリスト諸君。宣言通り、"デュエル・リンクス"の新たなシステムの発表を行う。心して聞くが良い』

KC社長である海馬の姿が、モニターに映った。







半年前。
遊戯は講師の仕事ではなく、海馬に呼ばれてデュエルタワーを訪れた。

通されたのはセキュリティレベルSの開発区画、主にシステムテストに使われる空間。
研究者たちが強化硝子の外側に、そしてこちら側に遊戯と海馬が居る。
「デュエルディスクは持ってきたな」
「うん」
「ならば着けろ。おい、テスト開始だ。ソリッドビジョンとAIシステムを起動しろ」
マイクを通して、向こう側の職員の「承知しました」という声が返る。
遊戯がデュエルディスクをONにし、海馬のデュエルディスクにも青い光が灯った。
《ソリッドビジョン、起動します。デュエル・リンクス、リンク確認》
周囲の景色が、教会のような建物の内部に変化する。
さらに。
《AIシステム、起動完了しました。投影まで3、2、1…》
光に包まれてよく見えない、教会の入り口から。
コツコツ、と足音が近づいてくる。
そのシルエットを目にした遊戯は、息を呑んだ。
「……え?」
これではまるで、"あのとき"の。

「もう一人の、ボク…?!」

海馬と遊戯の目の前に現れたのは、遊戯だった。
アテムではなく、まだ彼が遊戯に宿っていて身体を入れ替えていた頃の…もう1人の遊戯。
「…相棒?」
遊戯を見て不思議そうに首を傾げた彼は、どう見ても一心同体であった頃の『彼』で。
「海馬くん。これは…、これは、どういうこと?」
声が、震えた。
違うとすれば、『彼』が当時の姿のままであること。
遊戯は彼を見下ろしているし、当時よりずっと体格も良くなっている。
けれど声も、仕草も、話し方も何もかも、本人が目の前に居るとしか考えようがなく。
まさか、と脳裏に過ぎった遊戯の考えを嘲笑うように、海馬は事もなげに告げた。

「俺の記憶と、デュエルディスクに残っていた『奴』の公式記録を元に造ったAIだ」

正確には、AIの人格にあたる部分がアテムの形を取っている。
「人工知能があの頃のアテムを再現してる、ってことだよね。…どうして?」
聞きたいことが多すぎて、あまりに大雑把な問いしか出てこない。
海馬は珍しく、溜め息らしいものを吐いた。
「2年前。俺はアテムと再戦するために、少なくとも2つの手段を取っていた。
1つは千年パズルの発掘。そしてもう1つが、人工的に奴を再現するAIの開発だ」
付け加えるならもう1つあったが、それは意図的に伏せておく。
「少なくとも、俺の知っている『奴』は再現できた。だが所詮はAI、その戦術の進化までは捉えきれない。
何より俺は、奴と片手で数えるだけしか対戦していない」
共闘を含めてもな、と話す海馬の、考えていることがさっぱり分からない。
遊戯がAIのアテムを見ると、そちらは興味無さげに海馬と遊戯を窺っているだけだ。
「……それで、ボクを呼んだの?」
「そうだ。貴様の持っている奴に関する記憶、それを使ってAIをアップデートする」
「…!」
解らない。
何を考えているのだろう、彼は。
(まさか、まだ)
諦めていないのだろうか。
千年パズルが失われた今でも、『彼』を現世に呼び戻すことを。
遊戯の思考を見透かしたように、海馬は鼻を鳴らす。

「勘違いするな、遊戯。俺は『奴』を現世に呼び戻すためにやっている訳ではない」

むしろ逆だ、という言葉も、やはり解らない。
「…ごめん、ほんとに解らないや」
遊戯は早々に匙を投げた。
海馬も気にした様子はなく、けれど彼が次に口を開くまでに間が空いた。
「………惜しい、だけだ」
「惜しい?」
「奴は俺を真正面から負かしてみせた。その『アテム』という存在を、このまま忘却させるには惜しすぎる」
忘れたくない、と言っているのだろうか。
海馬は己の手を見つめ、握る。
「人は俺を『決闘王(デュエル・キング)』と云う。だが、俺は敗けているのだ。あのバトルシティで…公式であるデュエルで、奴に」
事実、あのデュエルは伝説的に今なお語り草である。
何せ『神のカード』同士の闘いでもあったのだ。
「…無論、奴との再戦を諦めたわけではないがな」
そしてまた不穏なことを言うのだから、遊戯は苦笑するしかない。
「もう、どっちだよ海馬くん。君はボクに協力して欲しいんじゃないの?」
「当然だ。何より貴様が、そう望んでいるだろう」
「…っ」
遊戯はぐっと詰まった。
「そんなわけ、」
「無いとは言わせんぞ」
いつだって鋭く周囲を睥睨する青の目が、遊戯を射抜く。
それを見つめ返し続ける力はなく、遊戯は目を逸らした。
(さすがに、君に隠すのは難しいか…)
アテムと同じ身体を共有し、家族のように近かったのが遊戯なら。
縁者でも友人とも違う、他人でありながらもっとも近かったのが海馬なのだ。

"あの日"のデュエルで理解したのは、互いの出した結論は正反対でも、求めて抱えていたものはまったく同じであったという事実。
『アテム』の消失という抉るような現実を、どうにかしようと双方必死に藻掻いていただけだった。
取った手段はまったく違って、意見は真っ向から対立して。
なのに同じようにただ1人を、見て。

「…忘れたら、良いのか。思い出にしてしまえば、楽になれるのか。ずっと、…ずっと、考えてたよ」
どうしたって、記憶は薄れる。
世の中は動いて、周りが変わっていくように忘却は進む。
「今でも、解らないよ。忘れたくなくても、忘れてしまうから」
でも、例えば。
(出品したゲームが受賞したとき。君はどんな言葉で喜んでくれただろう)
些細なことで、思わず彼が居た頃のように話し掛けようとする自分に気づく。
(今君が居たら、笑うかな。それとも困るかな)
どっちもかな、なんて。
思いだす度に胸が温まって、同じだけ痛んだ。

「…くだらんな。思い悩むくらいなら、すべて預ければ良い話だ」
海馬がAIのアテムを見る。
「AIは所詮、造り物に過ぎん。あるのは計算と記録のみ。デュエル・リンクスとて、人の脳…意識の齎す変化をすべて取り込めている訳ではない」
人間の脳は、その働きの大部分が未だ解明されていない。
だが判明した部分をデジタル化することで、成し遂げられることもある。

「忘れたくないと願うなら、さっさと忘却しないモノに預けろ。貴様が思い悩む間にも、貴様の中から奴の記憶は剥がれ落ちていく」

酷い、話だと思う。
(相変わらず、目的のためには手段を選ばないなあ)
目の前の『彼』は、彼の形を取った別のモノ。
望めばおそらく、『彼』と同じ声で、仕草で、表情で、同じ言葉を言ってくれる。
それを嫌だと思う一方で、忘れてしまう前に預けたいと思ってしまった。
「…決闘の話だけでも、良いかな」
「構わん。貴様が万人に見せても良いと思えるものだけで十分だ」
それと、と海馬がデュエルディスクで何かを操作した。

「『闘いの儀』とやらの記録は要らん」

海馬の発言に遊戯がハッと顔を上げた刹那、遊戯の姿を借りていたアテムのAIが光る粒子に姿を変えた。
光の粒子は千年パズルと同サイズの、"ウジャトの眼"を1つだけ持った正八面体となり、ゆったりとした速さで回転している。
《外部入力を確認しました。入力者・海馬瀬人、システム・オールグリーン》
音声がアテムのものではなくなった。
AIの、元の形がこれなのだろうか。
結局"ウジャトの眼"という象徴が付いていることを、笑った方が良いのだろうか。
「このAIにはまだ正式名称がない。俺たちはただ"試作AI"と呼んでいた。名を付ける必要性がなかったという理由でな」
しかしそれも今日までだ。

「遊戯。貴様ならなんと名付ける?」

遊戯はようやく、笑みを浮かべることが出来た。
「ねえ海馬くん。これ、ボクの話が終わったらさ。城之内くんと獏良くんにも協力してもらって良いかな?」
「凡骨共をか?」
「まだそんな言い方する…。2人とも、結構学校で対戦ゲームやってたんだよ。もう一人のボクと」
「ほう。貴様が良いなら構わんが」
「ありがとう。それで、名前はもちろん…」

ーー『XXXX』、だよ。







KC社長による、デュエル・リンクスの最新情報の発表が始まる。
『まずはデュエリスト以外の者、まだ新型デュエルディスクではない者へ、デュエル・リンクスの概要だけ説明しておこう。
デュエル・リンクスは人の脳波を電気信号に変換し、我々が"ニューロンズ"と呼ぶシグナルとしてクリスタル・クラウド・ネットワークへ送られる。
それで何が出来るかというと、カードデータのみならず、物理的な距離さえもゼロにして世界の誰かと対面でデュエル出来るというシステムだ』

旧型デュエルディスクは、まだ向こう3年は互換可能だ。
城之内が大喜びしていたのも懐かしい。
ネットワーク越しにソリッドビジョンを使用した対戦が可能になったが、公式である各国の国内大会、世界大会はすべて今までと変わらない。
"リアルに相手と対面し、ソリッドビジョンを展開してデュエルする"という醍醐味は、そうそう消えはしないのだ。

デュエル・リンクスには現在、2つのリンクモードがある。
1つはニューロンズ・リンクス。
これは大まかに言うと自身の気力を糧にモンスターを召喚するもので、『意識の同調』を始めとした脳科学の領域となる。
一般公開されて丸2年が経った今でも試作段階であり、バグを含めたあらゆる事象が日々起こっている。
脳科学分野からは大いに歓迎されており、科学者たち垂涎のデータ宝庫だ。

そしてもう1つが、公式デュエル・リンクス。
世界M&W公式組織により定義された、世界共通のデュエル・ルールが適用される。
デュエリストの使用率はこちらの方が断然上で、レーティングシステムによるランク付けも熱い。
しかも現実のデュエル大会での成績は、デュエル・リンクス上の対戦戦績よりもレートに大きく反映される。
そのため現実の大会は落ち目どころか、予選をデュエル・リンクス上で行わなければ場所を確保出来ないような状況だ。

『今回追加される新たなシステム。それは公式デュエル・リンクスのCOM対戦モード上位互換、《AI対戦モード》だ』

公式デュエル・リンクスには、先に述べた対人戦以外にも使用できるシステムがある。
人ではなく予め設定されている無数の強さのコンピュータ…所謂COM…と対戦して腕を磨く、COM対戦モード。
そしてデュエルに関する知識やスキルを学んだり、過去の大会の様子を再生可能なデュエル塾モード。

海馬の隣に別の画面が表示され、デュエル・リンクス開発室の様子が映し出される。
『デュエル・リンクス開発当初から、我が海馬コーポレーションはAIの開発にも着手していた』
デュエル・リンクスやそれに関わる様々な情報の維持管理。
収束する膨大なデータの処理や、その情報を目当てに受ける数多くのサイバーアタック。
そんなものを人が処理し切れる訳がなく、AI開発は企業として合理的と言えた。
『その我が社の誇るAIを、デュエリスト諸君の更なる飛躍のために解放しよう』
開発コードは存在せず、今回のローンチのためにようやく名を持たせたAI。
海馬の姿が引きになり、彼の居る場所がソリッドビジョンのテストフィールドであることが窺えた。
ここでなぜか、海馬が言葉を切る。
『…とまあ、小難しい話をしたが。そのAIには、ある人物のデッキ、戦術、ロジック、性格、仕草、容姿…記録に残っていたものをすべて載せた。
その人物は、かつて俺を負かした唯一の存在だった』
ざわっ、と遊戯たちの周りが部屋ごと動揺した。
「おーおー、みんなして動揺してやがる」
「そりゃあ海馬くん、決闘王って言われてるからねえ」
城之内と獏良がひそひそと言い合う。

『3年前に我が社が開催したバトルシティ。この俺の、唯一の黒星!!』

ーーー武藤遊戯。
彼の写真が別画面として表示される。
プロデュエリストなら、プロデュエリストを目指す者なら、誰もがその名を知っていた。
『プロデュエリストに同姓同名の奴が居るが、まあドッペルゲンガーとでも思えば良い。訳あって奴の名を借りていたようだ』
縁者だけあってよく似ているがな、と海馬はさらに余計なことを言う。
「ちょっ、海馬くん酷くない?!」
我慢できずに遊戯はツッコミを入れた。
(周りから刺さってくる視線がものすごく痛いし!)
「ぜってーワザとだぜ、あの野郎…」
「相変わらず嫌味だな…」
そういえば自分たちはあの海馬とクラスメイトだった、とどうでも良いことを思い出す。

『当然、俺はリベンジに燃えた! 再戦し奴を倒し、この俺が勝者であると証明するために!! …だが!』

画面に表示されていた遊戯…当時のアテム…の写真が消えた。
代わりにそこには"ウジャトの眼"の彫られた掌大の正八面体が浮かび、くるりと回転を始める。
海馬は自身の右掌をぐっと握り込んだ。

『奴は俺に敗者の汚名を被せたまま消えた! …いいや。正確には"この世を去った"と言うべきか』

コンサートホール程度はあるはずのレセプションルームが、しん、と静まり返った。
(本当の、ことだけど)
城之内も本田も杏子も獏良も、どこか遠くを見て。
(例えほんの一時、再会出来たのだとしても)
事実だ。
『彼』はもう…この世には居ない。

『俺は怒り狂った! そして絶望に打ちのめされた! 敗者の汚名を濯ぐ機会が一生失われてしまったことに!!
……そして、我が好敵手に相応しい最強の決闘者を失ったことに』

遊戯たちの精神が少しだけ回復した。
「ねえ、遊戯。海馬君…デレ期ってやつ?」
「…その言い方はどうかと思うよ、杏子……。時期的にも遅すぎるし」
訂正しない遊戯も同罪である。
大層失礼なことを言われているなど、画面向こうの…生中継かもしれない…海馬が知る由もない。

『俺は考えた。死者を甦らせることは出来ない。しかし再現は出来るのではないかと』

記録に残っていたデュエル、デッキ構成。
そして彼の友人たちの協力を元に構築した、思考ロジック。
画面の反対側の端に浮かぶ正八面体をちらりと見遣り、海馬がパチンと指を鳴らす。
…と、"ウジャトの眼"の放った輝きから正八面体が光の粒子に換わり、人の形を象っていった。

『2ヶ月前のことだ。世界12の国・地域を代表するデュエル大会優勝者たちと、このAIがデュエルを行った。
AIのデッキ構成は、あの男のバトルシティ開幕時のもの。この時点ではまだ、奴は"神のカード"を手に入れていない』

彼らのデュエルを、遊戯たちも最終テストの監視という名目の元で見守った。
当時のデッキは現在からすると"古い"もので、上位互換されたカードも多く存在する。
それでも。
「…あれ、『遊戯』だったよなあ」
しみじみと呟いた城之内の言葉には、ただ頷いた。

『勝ったデュエリストはただの1人も現れなかった。この海馬瀬人以外はな』

画面上、海馬の反対側に人の形が出来上がる。
誰もが息を呑んだはずのその瞬間、レセプションルームはガタガタンッ!! という慌ただしい椅子の音に包まれた。
「え、ちょっと待って…」
呆然とした獏良が、画面を指差し遊戯を見る。
遊戯は首を横に振った。
「えっ、じゃあ遊戯は何も知らないってことか?!」
椅子を蹴倒していた本田が問えば、杏子がその反対側から遊戯へと身を乗り出す。
「私たちも言ってないし、遊戯だってそうだよね?!」
遊戯はこくこくと頷いた。
だったら! と、やはり椅子を蹴倒していた城之内が力一杯腕を振りかぶり、巨大モニターを刺すように指差した。

「なんっっでアイツが"あのとき"の姿なんだ?!!」
「ボクが聞きたいよっ!!!」

思わず叫び返してしまい、ハッと我に返る。
(この発表を見るために、人が集まってるんだった…!)
すみませんすみません、と四方に軽く頭を下げ、皆でそっと席に座り直す。
見上げた先、正八面体が変えたその姿は遊戯たちの知る"当時"のアテムであり、なおかつ。

((((何で古代エジプトのときの格好なんだーっ?!))))

眼の色こそ遊戯と同じ赤紫だが、肌は浅黒く、顔立ちもエキゾチックで。
しかも額飾りや身に纏う装飾は黄金の輝きを放ち、それが似合うのだから文句も言えない。
千年パズルの『中』で彼に再会したとき、似ているだけでまったくの別人だったのかと感慨深かったものだ。
(本当に王様だったんだ、なんて)
誰よりも近かった距離が突然に遠ざかってしまった気がして、言い様もなく寂しかったことまで思い出した。
(いやいやいや…)
それにしたって、とツッコミが出てしまわないように、遊戯はモニターから目を逸らす。

『…なあ、海馬。幾ら何でも、この格好は時代錯誤過ぎないか?』

我慢虚しく当人からのツッコミが入ってしまい、遊戯たちは揃って噴き出すしかなかった。
でも、そうだ。
「もう一人のボクなら絶対言うよね…!」
杏子たちも、誰一人として遊戯の納得を否定しない。
モニター向こうで、海馬がAIをじろりと睥睨した。
『構わんだろうが。そもそも貴様には、決闘者のレベルを上げる他にM&Wのルーツを伝える役目がある』
(あの石版のことかな…)
今は故国エジプトへ戻った、巨大な石版のこと。
海馬の言葉に肩を竦めて見せたAIが、画面の正面へ…視聴者へ向けて…向き直った。
その胸に下がった千年パズルが、光って揺れる。

『順番が前後してすまない。俺は先の説明通り、KCが開発したAIだ。
名はこの容姿と人格構成の元となった人物に敬意を評し、《ATEM(アテム)》と名付けられた。以後、よろしく頼むぜ』

さらりとした説明によれば、『彼』は公式デュエル・リンクスのAI対戦モードの他、デュエル塾モードにも現れるらしい。
『俺を出現させるためには、必要な値をクリアする必要がある。何の、どの程度の値かは秘密だ』
分析好きなヤツが出すだろうしな、と事も無げに《ATEM》は言うが。
(煽ってる…)
(めっちゃ煽ってる…)
こんなところまで"らしく"なくても良いのに、と思うのは我が儘だろうか。
『貴様は要らん火種を注ぐな。ややこしくなる』
『お前に言われても説得力ないぜ?』
とても全うに返した《ATEM》に、海馬の眉間の皺が1本増えた。
「ぷっ…!」
「やべえ、なんかもう大声で笑ってやりてぇ…!」
腹筋つりそう、とは遊戯たち全員の胸中である。

ーーあのデュエリスト、海馬社長と仲良しだったのかなあ?
ーー遊戯先生そっくりだね!

しかしひそひそと囁かれる声と好奇の視線が、遊戯の魂(バー)をじわじわと削る。
(うう、いたたまれない…)
この発表終わったらダッシュで逃げよう、そうしよう。
(いや、でもその前に海馬くんに連絡…)
ツッコミどころが多すぎて、さすがに手ぶらでは帰れない。

『それじゃ、詳しい説明はデュエル・リンクスで会ってからするぜ。
実はもう、LINK ONのデュエルディスクのアップデートは終わってるんだ』

《ATEM》の言葉に、周りと同じく遊戯は自身の左腕…新型デュエルディスク…を見た。
「城之内はまだ無理だなあ」
「早く買い換えないとね」
「ぐぬぬ…」
本田と獏良が、未だ旧型デュエルディスクの城之内をからかう。
画面の向こうで海馬が居丈高に笑った。

『諸君が一斉にアクセスすることを見越して、AI対戦モード出現最低条件の1つに"アップデート後、デュエルを2度以上行うこと"とした。
勝敗は関係ないが、せいぜい腕を磨くと良い。フハハハハハ!』
『不真面目にやったらカウントされない上に、不正行為カウンターが上がっちまうから気をつけろよ?』

じゃあな、と《ATEM》が片手を振るとぷつんとモニターの画面がブラックアウトし、KCのロゴが浮かび上がった。
「っ、海馬くんに連絡!」
誰かに話し掛けられる前に、と遊戯は即座にスマートフォンの電話帳をタップする。
狙い通り、コール1つで繋がった。
「あっ、海馬くんお疲れ様! さっきのアレ、ちょっと説明してもらえないかな?!」
相手の声を聞き取った瞬間、遊戯は捲し立てた。
『…っ、何だ貴様、騒々しい!』
「そうさせてるの君だからね?!」
『だから喧しいと『おっ、もしかして相棒か?』』
海馬の声を押し退けるように《ATEM》の声が入り、遊戯はスマートフォンを取り落としそうになった。
「えっ?! 《ATEM》くん、そこにいるの?」
『ああ。今デュエルタワーに居るんなら、こっちまで来いよ。テスト区画の場所は分かるだろ?
『貴様、勝手に何を言う!』…だってさっき、磯野さんが気利かせて部下にそんなこと言ってたぜ?』
ぐぅ、と海馬の唸る声が聞こえ、遊戯はつい笑ってしまった。
「分かった。みんな一緒でも大丈夫?」
『区画前までなら杏子たちも入れるぜ』
「オーケー。じゃあすぐに行くよ」
遊戯が通話を終えると、すでに皆は準備万端だった。
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2016.5.28
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