この地球上で日付が変わる順番に、最初の0時を越えた瞬間から、《ATEM》はひっきりなしに祝福の言葉を受けていた。
AI対戦モードで、あるいはデュエル塾モードで。
ほんの2秒ほどで相手の言語を自身の登録した言語へ翻訳出来るデュエル・リンクスで、老若男女問わずたくさんの言葉を。

「《ATEM》くん、誕生日おめでとう!」
「「「おめでとう!」」」

そして今、デュエル・リンクス上のイベント標準時である日本では、面と向かってクラッカーの音と共に。
クラッカーのリボンがすり抜けてしまうのはご愛敬というやつだ。
「ははっ! ありがとう、みんな」
これはすごいな、と楽しく驚いてくれたようなので、上々だろう。
「《ATEM》君、今日はいろんな人たちから言われてるんじゃない?」
「そうだな。今日は誰かに会うたびに言われてるぜ」
《ATEM》は散らばったリボンを拾った獏良の手元を覗き、興味深そうに見遣る。
「そういえば…海馬君は言ってくれたの?」
ちら、と当人を視線で示して獏良が尋ねると、言われたような言われてないような、と曖昧な答えが返った。

『フン、サービスインから1年か。貴様にはまだまだやって貰わねばならんことがあるからな。
近い内にまたバージョンアップしてやろう』

あまりにもらしすぎて笑うしかない。
KCとしてはデュエル・リンクスにおけるイベント標準時0:00、《ATEM》に新たな機能を追加している。
「ねえ《ATEM》君、ここでも”ハネクリボー"って出せるの?」
杏子の笑みに頷いた。
「出来るぜ。ほら!」
《ATEM》が差し出した右掌の上に光る粒子が集束し、ふわりと弾けてモンスターが現れる。
『クリクリ!』
「うわぁ、可愛い!」
遊戯や《ATEM》の使用するモンスターカード『クリボー』の派生系、『ハネクリボー』。
公式デュエル・リンクス上であれば《ATEM》の意思で具現化可能な、お供的なものだ。
カードではないので役に立つわけではないが、KCとしては《ATEM》に付随するマスコットキャラクターの位置付けらしい。
「なあ海馬、他のも見せて良いか?」
「えっ、ハネクリボー以外にも出来るの?」
《ATEM》の言葉に驚く。
海馬は軽く肩を竦めた。
「構わんが、口外は許さん」
主に遊戯たちへの言葉だ、さすがに城之内たちも頷く。
「安心しろよ。口は硬えーからな!」
「ハ、どうだか」
とは言っても、モクバの"おねだり"とはいえこのような場を海馬が許しているのだ。
それなりの信用は得ていると思って良い。
「城之内君、ほら!」
城之内の傍へやって来た《ATEM》が、パッと新たなモンスターを出現させる。
「…っ、スケープゴート?!」
城之内は目を丸くした。
彼が多用する壁モンスター、4色の眠り目の羊がふよふよと浮いている。
思わず手を伸ばすが、スカッとその手を通り抜けてしまった。
「くそっ、リアル過ぎて思わず手が伸びちまったぜ…」
《ATEM》はクスリと笑う。
「残念ながら、俺たちは"質量"がないからな。でも…」
《ATEM》の腕がピンクの羊へ伸び、ぎゅう、とそれを抱き締めた。
「俺であれば触れる。…とは言っても、人の行動データを元にした映像に過ぎないが」
羊をもふもふと抱き締めていた《ATEM》は、不意に周囲が静まり返ったことに気づいて顔を上げた。
「…? どうした?」
遊戯と獏良がぽかんとこちらを見遣っていて、御伽と城之内と本田が何かに納得したような顔をしていた。
杏子はなぜかスマホをこちらに向け、パシャパシャとカメラで連写している。
海馬とモクバを見ると、城之内たちと同じく何かに納得している様子だ。
《ATEM》はひとまず杏子へ声を投げた。

「杏子、俺は映らないぜ」
「えっ!」

我に返った杏子がスマホのアルバムを起動すると、確かに《ATEM》の姿は写っていない。
写っているのはソリッドビジョン投影前の、観覧用ルームの無機質な壁のみ。
「あっ、あー! そっか…そうだったよね。反射でカメラ使っちゃった……」
可愛くてつい。
ぺろっと舌を出した杏子は、忘れていた。
デュエル・リンクスの起動された状態では、海馬コーポレーション公式の外付けデバイスを取り付けなければ、撮影も録画も不可能であることを。
これは数々の法的措置を躱すためであり、また数多くの包括的人権を守るためのものだ。
さらにはKCが持つ多くの特許や肖像権を守るためのものでもある。
特に《ATEM》に関する部分は、開発技術部門とは別に法務部門を持たせるほどに重要な位置づけとしている。
…実のところ、AIに人権があるか否かの議論に決着は付いていない。
しかし《ATEM》は実在の人物の容姿と人格を持つ"キャラクター"であることから、現在は"著作物"としての枠組みになっている。

閑話休題。

どういう訳か、彼らの一連のやり取りに海馬が反応した。
「…なるほど。やはり女子供は"こういうの"が好みか」
モクバがえっへんと胸を張る。
「だから言っただろー兄サマ! マーケティング情報は嘘をつかないって!」
「そのようだな」
彼らは商売の話をしているようだが、遊戯は首を傾げた。
「海馬くんとモクバくん、何の話?」
「いや、実はさあ」
モクバの話によると、こういうことらしい。

初め、《ATEM》の1周年記念のアップデートは技術的な方向を予定されていた。
平たく言えば、対戦時のバリエーションの追加である。
それに対して異議を唱えたのが、マーケティング部門だった。
曰く、「決闘(デュエル)以外の目的でデュエル・リンクスへログインするユーザーを見過ごすのは、大きな損失である」と言う。
海馬は確かにKCの社長であり、彼のGOサイン1つで軌道エレベータの建造が決定される程度にはワンマンである。
ただ如何な彼でも、自社の手掛ける製品の現状すべてを把握出来ているわけではない。
すぐに分かるのは、せいぜい企業価値として有効な数値だけだ。
また彼自身が決闘者(デュエリスト)であるため、決闘しないという選択肢を考慮していなかった。
「カードのコレクターは今も居るけどさ。デュエル・リンクスでその幅が物凄く広がったんだ」
実物のカードを集めて楽しむ人々はデュエル・リンクスという枠組みで、カードがデータになってどうしたか。

集めたカードを実体化して眺める、という楽しみ方を創りあげたのである。

今までのデュエルディスクは、決闘を開始しなければソリッドビジョンが起動しなかった。
だがデュエル・リンクスのデュエル塾モードを使用すれば、カードの効果や攻撃の確認が出来る。
決闘者でなくても見たいカードを持っていれば、デザイナーによるデザインの全体像をいつでも見ることが出来る。
「な? これって凄いことだろ?」
遊戯が頷いた。
「うん。確かにそうだよね。前のゲーム展で知り合った何人かも、"カードじゃ分からなかった細部の資料に困らない!"って言ってた」
御伽も同意する。
「M&Wのカードデザインを仕事にしてる友人も、『カードでは見えなかった全体像が見せられる!』って意気込んでいたよ」
手間も増えたって言ってたけどね、と苦笑も混じった。
うんうん、と大きく頷いたモクバが続ける。
「だろ? でさ、デュエル塾モード使うのって、子どもと女性とシニア層が多いんだ」
「へえ」
「決闘するのはちょっと…ってやつかな?」
「そ。んで、お前らはデュエル塾モードで《ATEM》のモード、開放したよな?」
「おう」
「もちろん。それで?」
皆が話に夢中になっている間に、ケータリングした料理が運ばれてくる。

「《ATEM》なら、単なるCOMじゃなくて『話し相手』になってくれるだろ?」

何事も、淡々と授業を進める講師よりも雑談を挟んでくる講師の方が人気も高く成績も良い。
それは対話…つまり、"この人の授業を受けている"という認識が生徒側に生まれるからだ。
「…そっか。親近感か」
教科書や問題集の添削なら、COMにも出来る。
授業でもビジネスでも、『雑談』は対象を自身に認識させる有効な手段だ。
「みんな…オレたちだって、《ATEM》が結局のところ機械でプログラムだってことを知ってる。
それでもさ、こうやってパーティー開きたいとか思うくらいに、"個『人』"だと認識してる」
すべては受けとる『人間側』の問題であり、法律上でネックとなっている部分も、言ってしまえば《ATEM》には"どうでも良いこと"である。
「親近感って大事でさ。強面のおっちゃんがトイプードル抱いてたら、途端に怖くなくなるだろ?」
「ぷっ…」
「例えがヒデェ!」
「城之内でも解りやすくて良いだろー? で、まあ『ハネクリボー』も同じ考えなワケだ!」
つい皆の視線がハネクリボーへ向き、《ATEM》の右肩辺りにくっついていたハネクリボーが『クリ?』と身体を傾けた。
"彼"は《ATEM》の頭よりも大きいので、《ATEM》は茶色いもさもさとした毛が擽ったそうだ。
「あー…そういうことかぁ」
遊戯も理解出来た。
「思い出したよ。もう一人のボクって、結構近寄り難いんだった」
彼を遺跡で見送ってから4年近くが過ぎ、大人になったからだろうか。
海馬もそうだが、アテムは年齢の割に醸し出す雰囲気が一般とはかけ離れていた。
今ならそれが分かる。
「本物の王様だったもんなあ…」
「考えてみれば…私たちのよく知ってる"遊戯"のまま、千年パズルの記憶の中でもファラオだったわよね」
記憶の中の人々は、"あのときの"アテムに多くの違和感を抱いていただろう。
それでも人々や臣下は彼に従い、助けていた。
彼が『王』であることは、彼という存在そのものが証明していたのだ。
「まあ、《ATEM》の場合はそんな大層なもんでもないけどさ。あいつと会話する人の半数が敬語使ってる、っつう面白いデータもあるんだぜ?」
《ATEM》じゃなくて"王様"って呼んでるせいもあるだろうけど、とモクバは締め括る。
ははぁ、と遊戯たちは感嘆に近い息を吐いた。
「親近感を与えるためのマスコットキャラかぁ」
「ブルーアイズも、デフォルメしたやつは女の子が持ってるの、よく見掛けるよ」
「確かに。決闘で見るとブルーアイズって結構厳ついけど、デフォルメされると可愛いわよね」
わいわいと話す遊戯たちを、海馬は呆れとも付かない眼差しで見遣る。
(よくもまあ、飽きんものだな)
訪いを示すノックと共に、部屋の扉が開いた。

「ドリンク、お待たせしました!」

おや、初めて見る顔だ。
遊戯も杏子も城之内も本田も御伽も獏良も、揃ってそんな顔をしたのが可笑しい。
「お前らおんなじ顔してるぜ〜?」
けらけらと笑ったモクバが、カートを押してきた女性の隣に立つ。
かなりの美女だった。
「紹介するぜぃ。今度オレの秘書になる予定のキサラだ。今は磯野に付いて、兄サマのとこで見習い中だぜ!」
「初めまして。キサラと申します」
皆さんのお噂はかねがね。
青みがかった長い銀髪はさらさらとして、CMで見そうだなと杏子は思った。
白い肌に青い眼をした彼女は、どこかで見たことがあるような。
「あっ!」
「あー!『青き眼の乙女』だ!」
「マジか?!」
世界でただ1人、青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)のカードを持つ海馬。
実質、彼しか扱う意味のないカードがM&Wには複数存在している。
『青き眼の乙女』もその1枚で、遊戯たちは彼女に瓜二つの人物と『記憶迷路』で遭遇している。
「えっ、実在の人物だったの?」
「まさか。偶然ですよ、偶然」
驚きのまま問い掛けた杏子に、キサラは苦笑した。
彼女の背は杏子よりも高く、モデルと言われても頷ける。
「(なあ、"あの時"も海馬によく似たヤロウがこの人と一緒に居たよな?)」
「(うん。たぶんブルーアイズと関係あったんじゃないかな)」
ひそひそと遊戯と言葉を交わしてから、城之内はなるほどなぁと意味ありげな笑みを浮かべた。
「社長サマの好みは清純派ってことかぁ? 王道じゃねえか」
「…凡骨はどこまでも凡骨のようだな」
下世話な想像しか出来んのか、と鼻で笑う海馬は全くもっていつもと変わらない。
「凡骨凡骨ウルセェ! 言っとくがうちの静香の方が美人だからな!」
「出たよ。城之内の妹自慢」
「良いんじゃないかな、平和で」
それじゃあ仕切り直して乾杯を…とシャンパングラスを1つ取った遊戯は、《ATEM》が右手にするものを見て目を瞬いた。
「…え」
彼が手にしているものは、遊戯と同じものだ。
グラスの半ばまで満たされているのは、どう見てもシャンパン。
「えっ?!」
自分のグラスを見て、《ATEM》のグラスを見て、しかし遊戯は驚きすぎて言葉が出ない。
釣られて《ATEM》を見た杏子たちも、遊戯と同じ動作をなぞって固まった。
ーーだって『彼』は、映像(ソリッドビジョン)のはずだ。
《ATEM》はそんな彼らに、可笑しそうに肩を揺らす。

「公式発表があるまで秘密だぜ?」

誰もモンスターカードしか"表示"出来ないとは言っていない。
《ATEM》はデュエル・リンクスにおいて、管理者…つまりは神様のようなものなのだから。
しぃ、と人差し指を唇に当ててクスクス笑う彼は、キャラクターだと解ってはいても酷く魅力的だった。
「〜〜もう無理! 海馬君、写真!!」
辛抱堪らず杏子が叫べば、海馬はあからさまに眉を寄せた。
「喧しい。キサラ!」
「バッチリです。私が撮影係なので、それで我慢ですよー杏子さん」
キサラの左目にはデュエル・リンクスで使用する機能グラスが装着されている。
これが撮影デバイスも兼ねていたのだろう。
「それ先に言って欲しかったな! グッジョブ!!」
力一杯サムズアップしてみせた杏子のテンションは、とても高い。
皆もそれぞれにグラスを持ち上げる。
モクバがちょいちょいと《ATEM》を手招きした。
「《ATEM》。お前見た目は未成年なんだから、それは不味いぜ」
「じゃあどうするんだ?」
「これ。オレのと同じやつにしろよ」
「分かった」
《ATEM》の右手にあったシャンパングラスが光の粒子に分解され、1秒後にモクバの持つグレープジュースのグラスの形へ集束した。
「へえぇ…決闘抜きで見ると、まるで魔法だね」
獏良が《ATEM》の手元を覗き込めばソリッドビジョンゆえに映像の透過はなく、本物が存在しているように見える。
揺れるジュースすら数字で表された映像とは、中々に信じられない。
「優れた科学は魔法と変わりない、って言うしね」
ほら《ATEM》くんはこっち! と、今度は遊戯が彼を手招いた。
「今日は君が主役なんだから、君が真ん中じゃないとね!」
「そーそ。撮影はKCお墨付きデバイスだし、キレイに写るって!」
本田の言葉で、御伽が雑多になっていたテーブル上の料理を並び替える。
「料理の並びはこんな感じで良いかな?」
「それじゃあ撮りますよー」
キサラの合図で皆が《ATEM》の周りに集まる。
「ほら、海馬くんも諦めて写ってよ」
「そうよ。せっかく撮ってもらうんだし、モクバ君もあんなに楽しそうじゃない」
海馬に対する伝家の宝刀、困ったときのモクバ様である。
思惑通り、海馬は渋々と立ち上がった。
「…仕方あるまい」
彼がひとつ残っていたシャンパングラスを手にすれば、全員の手にグラスが渡り準備は万端。
「モクバ様、もう少しだけ《ATEM》さんへ寄ってください。瀬人様はもう少し左です、左」
杏子さんは少しだけ屈んでください、とキサラから指示が飛ぶ。

「撮りますよー。はい、チーズ!」

カシャッ。
シャッター音がしたのが少し不思議だ。
「その眼鏡型デバイスで撮影したんだよね?」
遊戯が尋ねると、彼女は疑問をすぐに察してくれた。
「あ、シャッター音ですか? これは試作機なんですけど、映像開発部門で搭載是非を議論中なんです」
カメラといえばシャッター音ですよね、と言われて、そうかもしれないと頷いた。
ちなみに先程のシャッター音で、12コマの連続撮影をしているそうだ。
「ていうかボクたち、さっきから社外秘の機能ばっかり見てない…?」
後が怖いよ、と頬を掻けば、大丈夫だと《ATEM》が太鼓判を押す。
「社外モニターってやつだぜ、相棒。海馬が許可してるんだから気にするな」
それにしても、と御伽が飲み干したシャンパングラスを持ち上げた。
「このシャンパン、もしかしてブラゾン・ロゼかい?」
やや辛口だが果実の甘い香りが芳しく、飲みやすい。
ほう、と海馬が感心したように彼を見返した。
「貴様は多少は酒の味が分かるようだな」
「まあ、コネクションは大切だからね」
仕事をして食っている、という意味では、海馬兄弟を除けば御伽が他の面子よりも強い。
杏子が声を潜めて御伽へ問うた。
「美味しくて飲みやすいけど、やっぱりお高いやつ?」
「そこそこ。ボトル1万ってとこかな」
「「「……」」」
あ、これ請求書来たらどうしよう、という文言が遊戯たちの頭の中を駆け巡った。
皆がキサラに2杯目を注いでもらってしまっている。
彼らの脳内を見透かし、海馬が鼻で笑う。
「フン、貴様ら愚民どもが易々と払えん額であることは承知の上だ。だが安酒など俺は飲まん」
…と、いうことは。
思わずモクバを見れば、彼は通訳よろしくにかりと笑った。
「心配すんな。飲み物はうち持ちだぜぃ!」
やったぁ! と皆して歓声を上げてしまったのは許してほしい。







複数銘柄のシャンパンとワインを定期的に入れ替えてやってくるキサラのおかげで、皆の飲みっぷりは中々だった。
定期的に水も運ばれてくるが、パーティー定番の料理に酒とくれば進まない訳がない。
「これはナパヌック。カリフォルニアワインの1つで、流通すると早い段階で売り切れてしまうんですよ」
「へえぇ。人気なんだ…」
キサラは祖父が個人でバーを経営しており、母とよく手伝いに行っているという。
ワインを注ぐ一連の動作も、口から出る講釈も淀みなく滑らかだ。
杏子はグラスを置き、ワインのラベルを写真に撮った。
無論、メモも忘れない。
(明日になったら絶対忘れてるわ…)
キサラは彼女をじっと観察し、カートの中段から小さめの盆に載ったものを手渡す。
「杏子さん、ダンサーなんですよね? スタミナと美容のイイトコどりで、こちらをどうぞ」
にこやかと手渡された盆には、野菜スティックとディップソース。
「えっ、良いの?」
「ええ。チャージで出るものとでも思ってください。ディップソースはアボカドとレモンなので、栄養価もバッチリです」
「ありがとう!」

所謂"女子力"の高い会話を聞きつつ、獏良は《ATEM》へ話し掛けた。
「《ATEM》君って、今もログインしてる決闘者と決闘したり、デュエル塾モードで教えてたりするんだよね?」
赤ワイン…銘柄はオーパス・ワンと言ったか…を片手に、獏良が《ATEM》へ尋ねる。
《ATEM》は頷いた。
「ああ、そうだぜ」
「じゃあ今ここにいる《ATEM》君と他の《ATEM》君って、何か比率とかある?」
「…?」
言葉のニュアンスが掴めず、《ATEM》が首を傾げた。
人々の言葉は最終的に彼の中でゼロと1へ分解されるので、それが出来ないものは取り込めない。
「あー、えっと…そう! 今僕の目の前に居る君と公式デュエル・リンクス内で稼働してる君には、本体と末端デバイスみたいな関係性はある?」
「ああ、そういう意味か」
今度の例えは通じたようだ。
「優先度が振り分けられているんだ。海馬がここに居るから、今は獏良君の目の前に居る俺が『本体』って位置づけになるな」
「え、海馬君?」
そこへフライドポテトとチキンを皿に盛ったモクバがやって来て、口を挟む。
「《ATEM》に関する仕様は、全部兄サマが決定も調整もするんだ。他のプロジェクトは結構プロマネに任されてるんだけど」
公式デュエル・リンクスではすべてのログインユーザーに平等だが、《ATEM》のリソースには他の稼働には使用できない領域がある。
「それが兄サマ用の対応リソース」
「開発責任元みたいな感じ?」
そうそう、と返しながら、モクバは《ATEM》を見た。
彼の背は、もう《ATEM》を追い越している。
「兄サマが納得しない限り、新しい学習仕様も載せないぜ」
AIは双方向デバイスだ。
チェスや将棋を専門とするAIが判り易いが、相手の出方でこちらの出方を変えるという対話が可能な存在である。

ーーAIは、対話の内容によって人の『善』にも『悪』にもなるということだ。

「特に《ATEM》は、人格プログラムと見た目の共通ビジョンを載せたからな。それも、兄サマにとって相当でかい存在だった"あいつ"を」
それは獏良たちとて同様だ。
獏良は城之内と後から割り込んだ杏子に絡まれている海馬をそっと盗み見る。
「そっか。海馬君自身が、《ATEM》君を守るための砦ってことなんだね」
彼が自身の力で築き上げた地位、権力、財力で、とんでもないことをやってのけてきていることは、とうに知っていた。
当たり前だが、海馬はそれに伴うとてつもない『責任』をちゃんと識っているのだ。
「…ところで獏良、お前それ何杯目だよ?」
「え? 数えてないなあ」
高いお酒は美味しくて飲みやすいよね、と微笑む獏良が酔っているのか素面なのか、モクバには分からない。
ちら、と観覧ルームの一角を見る。
(少なくとも、あっちは酔ってやがるな…)
我関せずを貫いていた海馬に絡んでいる城之内は、どう控えめに見ても酔っている。
杏子はそこまで酔っていないように思えるが、アルコールで気分が高揚していることは確かだ。
「モクバ、助けなくて良いのか?」
《ATEM》が聞いてきたが、モクバは首を振った。
「兄サマ助けたいのは山々だけど、絡まれる方が絶対に厄介だぜぃ…」
「ふぅん…」
そんなものか、と《ATEM》は結論付ける。
彼には酒の味も"酔う"という感覚も理解出来ないので、不思議なのだろう。
「《ATEM》君」
「?」
呼ばれ、振り返ると御伽が手を振る。
「何だ?」
「君はM&W以外のゲームって出来るかい?」
《ATEM》の解答には間が空いた。
「それは…実際にプレイするという意味か?」
今度は御伽が首を傾げる。
「もしかして、M&Wしかプレイ出来ないとか?」
「いや、そういう訳ではないな。知識だけなら大抵のものはあるし」
ビデオゲームやスマホアプリ系は微妙なところだが、と続いた。
「それがどうかしたか?」
「遊戯君がゲームを創ってるのは知ってるかい?」
「もちろん」
「彼が去年の大会に出したやつ、僕もお気に入りでね。もし君が出来るなら一緒にプレイしてみたかったんだ」
というか、そもそも遊戯君がずっと言ってたんだけどね、と彼は苦笑した。
(…どうだろう)
《ATEM》は『他のゲームをプレイする』という選択肢を、入れたことがない。
なぜなら彼は公式デュエル・リンクスの管理者であり、他に処理スレッドを割いてそれを疎かにするわけにはいかないのだ。
「…すまない。俺では答えられないから、海馬に訊いてくれ」
《ATEM》は基本的に自由にしているように見えるが、その実、"彼"を守るための防壁が幾重にも張り巡らされている。
プログラマーである御伽は、その綿密さと周到さに今も舌を巻いていた。
「OK。後で訊いてみるよ」
御伽が海馬の方を見てみれば、彼は城之内と杏子に絡まれている。
「…後で訊こうかな」
「止めないのか?」
「嫌だよ。巻き込まれるじゃないか」
彼もモクバと同じことを言っている。
《ATEM》はそんなものなのか、と素直に頷くに留めた。







「海馬君って見た感じお酒には強そうだけど、それ何杯目?」
キサラさんこっちにもう1杯! と手を振って杏子が尋ねると、5杯目だと返る。
杏子は6杯目だ。
「人の金でタダ酒飲めるのって気分良いよなあ!」
城之内はおそらく8杯目。
わははは、と笑う城之内を、料理に専念している本田が諌めた。
「お前飲み過ぎだぞー」
「まだ行けるって!」
「そう豪語する人間ほど、酔っ払って醜態を晒すがな」
「んだと!」
まあまあ、と城之内を宥めて、杏子がこそりと声を潜める。
「ねえ、あんまりおおっぴらには聞けなかったんだけど。海馬君、求婚されてるってほんと?」
「なんだとっ!」
途端に城之内まで身を乗り出してくるので、海馬は舌打ちした。
「離れろ、酒臭い!」
白ワインを持ってきたキサラが彼の代わりに答える。
「本当ですよ。といっても、政略結婚だと丸分かりですけど」
年頃の娘さんが居るとそういうことを考えたくなるみたいですね、と彼女は苦笑気味だ。
「フン。結婚など考える暇はないわ!」
有象無象が鬱陶しい、と海馬が本当に忌々しげなので、いろいろあるんだなあと杏子は知らない世界を知った気になる。
「そういう輩は、最近はモクバにまで色目を使い出す始末だ」
無論タダでは済まさんがな、と非常に悪い顔をされた。
(そりゃそうよね…)
「まー、俺も静香にそんな目使われたら、相手はタダじゃ済まさねーけどな!」
叩きのめしてやるぜ! と両手を鳴らした城之内は、正しくワルの顔だ。
空になった彼と海馬のグラスを、キサラは新たなワインのグラスへ取り替える。
今度はピュリニー・モンラッシェという銘柄だそうだ。
それを味わっているかは定かでない飲み方で口にして、城之内が海馬へ尋ねた。

「結婚はともかく、海馬の好みのタイプってどんなんだ?」

ざっ、と音が聞こえそうなレベルで、皆の視線が海馬へ集まった。
直後にモクバへ視線が流れる。
「…オレも知らないぜぃ」
訊いたこともないという顔でモクバが言うので、俄然、気になってくる。
「………海馬くんの好みのタイプ?」
遊戯は盛大にクエスチョンマークを飛ばした。
むしろそんなのあるの? と失礼を承知で聞きたいくらいだ。
「遊戯…貴様、無礼なことを考えているな…?」
「えっ、まっさか〜」
あはは、と誤魔化す。
「海馬君の好みのタイプかー。そもそも海馬君って面食いだったりするの?」
と口にしてから、杏子は自ら否定した。
「…それはないか。美人とか可愛い子とか、よりどりみどりで会ってそうだし」
CMやイベントで契約するアイドルやらモデルやら、もちろん面識はあるがその程度だ。
「美人云々以前に、海馬の仕事人間っぷりに着いて行けるヤツなんて居るのか?」
本田の素朴ともいえる疑問は、核心を突いていた。
「それもそうね…」
また、杏子たちに思い浮かぶ知り合いの女性というのが少ない。
あっ、と御伽が思いつく。
「イシズさんとか? 彼女、エジプト考古局のトップだから仕事に対する理解はあるだろう?」
美人だし歳上だから寛容そうだし、と注釈が加わったが。
「止めろ…寒気がする…」
心底嫌そうに呟いてから、海馬はワインをぐいっと飲み干した。
「イシズさんみたいな美人が好みじゃないなら、キサラさん?」
身近なところへ目を向けた御伽へ、城之内がぱちんと指を鳴らす。
「おっ、灯台下暗しだな! イメージもブルーアイズっぽいし!」
なるほど、と納得してしまう程度には、海馬の"青眼の白龍"マニアっぷりは…今は唯一の持ち主であるし…周知の事実だ。
唐突に話を振られたキサラは、城之内に即されるまま新たなワインを手渡した。
「で、キサラさんは実際のところどーなんだ?」
海馬のこと、と妙に輝く表情で問われて、困ったキサラは最高の営業スマイルでカウンターを放つ。
「仕事に影響しそうなので、黙秘しますね」
何せ、相手は酔っぱらいである。
「むむ…ガードが硬い」
「オレの秘書になるんだから、当たり前だぜぃ!」
逆に躱してもらわないと困る、と腕を組んだモクバへ、キサラが笑みを戻してレモネードを差し出した。
「高い評価をいただいて光栄です、モクバ様」
へへん、と笑って、モクバがグラスを受け取る。
「モクバ、それは何だ?」
早速彼の飲み物に興味を示した《ATEM》に、モクバはレモネードについて説明してやる。
その光景を見て、獏良がぽんと手を叩いた。

「仕事もそうだけど、海馬君てほぼ『子持ち』だよね。そこに理解がないと、まず付き合うのもままならないんじゃない?」

全員の目が等しく点になり、《ATEM》はほぅと感心した。
が、彼と獏良以外の面々はそれどころではない。
「なっ…」
「えっ…」
若干2名が絶望顔である。

「「「何を言い出すんだおまえはーーーっっ?!!!」」」

城之内、杏子、本田が獏良へ詰め寄る。
「ねえ獏良君、今私たち何の話してたっけ?!」
海馬君が求婚されてるって話と好みのタイプの話だったよね?!!!
「仕事の方が大事みたいな朴念仁だって話だろ?!!」
イシズさんはタイプじゃないって言ってたしな?!!!
「ていうか結婚してねーのに子ども?! それ隠し子って言わねえか?!!」
やべえ、超スクープ!!!
大騒ぎする彼らを余所に、モクバが震える声で海馬へ問い掛けた。
「……兄サマ、隠し子居たの…?」
せめてオレには言って欲しかった…、と彼の目尻に涙が溜まる。
「う、狼狽えるなモクバぁあ!」
狼狽えているのは海馬である。
勢い良く立ち上がった彼は、獏良へ詰め寄りその襟ぐりを掴んだ。
「貴様…永久にこの世から消されたいのか?」
獏良はブチ切れ寸前の海馬に狼狽えるでもなく、目をぱちりと瞬く。
「え? だって、そうだよね?」
あっち、と彼は一方向を指差す。
その指の先を海馬よりも早く目にした御伽…海馬の椅子を蹴倒す音で石化から立ち直った…が、ああ! と腑に落ちた。
「そうか、確かにそうだよ!」
「貴様まで何を抜かすか!!」
「だって海馬君、」
少なくとも、海馬にもっとも理解出来る言葉を話すのは御伽であった。

「君は《ATEM》君の開発者じゃないか! 海馬君はデュエル・リンクスを支える、世界最高峰のAIの父だ!」

今度は御伽と獏良以外の目が、これでもかと思うほど丸くなった。
そして若干1名、絶望顔の人物が。
「そういう意味だろう? 獏良君」
「うん」
海馬の手が獏良から離れ、彼は乱れた襟元を正す。
逆にきょとんとしているのが《ATEM》だった。
「…俺に生物学的概念は適用されないぞ?」
「比喩だよ、比喩。"ネットワークの父"とか"インターネットの父"とか、ともかく世界を変える技術を創り出した技術者を、僕らはそう呼ぶんだ」
「へえ…」
確かに、そうかもしれない。
《ATEM》という"AI"の管理者は、初めから等しく海馬だった。
「それにボク、さっき《ATEM》君と話してて思ったんだけど」
獏良は避難させていたワイングラスを再度手に取る。

「デュエル・リンクスは情報の宝庫だ。ゆえにあらゆる手を使ってあらゆる人々がその情報を狙ってる。
万が一…ううん、億に一つでも《ATEM》君がクラックされたら、その影響はユーザーもKCも超えて、全世界に及ぶよ」

公式デュエル・リンクスに君臨するAI。
正確な技術と発想力のある者であれば、それを『武器』へと反転させることが可能だろう。
(おそらく、僕の考えた倍は何かしら張ってる)
御伽が真面目に思いを巡らせた隣で、獏良はにこやかと話を戻してみせた。
「で、さっきの結婚の話だけどさ」
「そこで話戻すのかよ?!」
うっかり涙も引っ込んだモクバがツッコミを入れた。
だってその話だったよね? と小首を傾げてみせる獏良も、おそらく。
(これ酔ってたのか…!)
非常に分かりづらい酔い方である。
オレのショック返せ! と彼は心の中で盛大に叫ぶしかなかった。
そんなことは露知らず、獏良は続ける。
「例えば、本当に海馬君が結婚を前提にお付き合いしてる女性が居るとして…だから、例えだってば。
KCの非常時はモクバ君や秘書さんとかがある程度対応出来るけど、《ATEM》君は別でしょう?」
「…当然だ」
幾分か冷静さを取り戻した海馬は、その青い眼に剣呑な光を宿した。
《ATEM》のシステムに何者かが侵入するなど、想像するだけで虫唾が走る。
そのようなことが起ころうものなら。
(他のシステムをスリープさせてでも、実行犯と依頼者を完膚なきまでに叩き潰す)
ーー例えそれが、一国の政府であろうとも。
獏良は頷く。
「うん。ボクたちも同じだよ」

だって、《ATEM》君はアテム君だものね。

(え、酔って…る?)
とてもマトモなことを言っているように聞こえ、モクバは混乱した。
いや、言っていることにはモクバも大きく頷くのだが。
「あと何かさ、海馬君はベッドの上でも《ATEM》君のエラー通知が来ようものなら中断しそうだよね」
そして突然の下世話な話である。
「貴様、やはり死にたいらしいな?!」
再び海馬に襟ぐりを掴まれ首を絞められる獏良が酔っているのか、モクバは判断を放棄した。
「《ATEM》、どうした?」
一周回って冷静になったところで、モクバは何やら考え込んでいる様子の《ATEM》へ声を掛ける。
「ん、いや…調べてみたら、確かに海馬は俺にとっての『父』であるという定義になるんだが」
「が?」
《ATEM》はただ、解が上手く出せなかったために判断を仰いだだけだった。

「人は"父"と"母"の間に産まれる。なら俺には『母』の定義に当て嵌まる存在はあるのかと思って」

待て、とモクバの思考が止まった。
(それ、たぶん考えたらダメなヤツ…!)
しかし悲しいかな、皆が皆、付き合いの長い面々ではなかった。
「ああ、それなら…」
キサラが悪気なく模範解答を投げ返す。

「《ATEM》さんのビジョンとロジックの元となった方ではないでしょうか」

あ、という呟きは誰のものだったのか。
「あ?」
「「「アウトォオオオーーーーッ!!!」」」
城之内たちはキサラへ詰め寄る。
「何ってこと言うんですかキサラさんーー!!」
「ヤメテ!┌(┌^o^)┐ホモォな展開は誰も望んでないの!!」
「でもほら、『行き過ぎた執着は愛に等しい』と言いますし」
「言わねえよ?!!!!」
おかしい。
キサラは酒を一滴も飲んでいないはずだ。
一方のモクバは、なるほど等と腑に落ちてしまった《ATEM》に手を伸ばす。
「いや、《ATEM》待て…っ?!」
つい人と接するように彼の腕を掴もうとして、すり抜ける。
「おわっ…と!」
「っ! モクバ、大丈夫か?!」
2,3歩つんのめって、何とか転けることを免れる。
「だ、大丈夫だぜ!」
自分だけでなく、兄や開発部のメンバーも偶に"これ"をやってしまう。
その度、自分たちが《ATEM》を"人"と認識してしまっていることを痛感するのだ。
(それが良いのか悪いのか、誰も判断出来ないけど…)
いや、今はそんなことより。
「《ATEM》! 今のキャッシュから移すなよ?!」
「今の? お前が転けそうになったとこか?」
「違う、その前!」
「どれだ?」
0と1の世界であるAIにも、人間特有の曖昧さを解析するためのロジックが組まれている。
ただし《ATEM》の場合は決闘が本職であるため、そちらが本業である他社のAIに比べると"ふわっとした"言葉に弱かった。
モクバは急いで言い直す。
「母親の概念ってとこだよ!」
「別に構わないが…なぜだ?」
なぜ、と問われて、モクバは脳内で上手い言い訳を超高速で組み立てた。
この場における彼のアドバンテージは、未成年であるがゆえに酔っていなかったことであろう。
「家族みたいな話使うなら、オレの弟分って方にしろよっ!」
正直苦しいが、間違いではない。
「…それもそうだな」
こちらも《ATEM》が納得して、何とか不穏な話を断ち切れそうだったのだが。

獏良は隣の遊戯が、『海馬が《ATEM》の父』の下りで絶望的な顔をしていたことが気になっていた。
「…、…い」
その彼が、拳を震わせながら何かを呟く。
「遊戯君?」
獏良の呼び掛けには答えず、遊戯はキッと海馬を睨み付けた。
キサラの発言に呆然としていた海馬も、その視線の鋭さに我に返る。
遊戯はビシリと人差し指を海馬へ突き付け、宣言した。

「ボクは絶対嫌だからね! アテムを君のお嫁さんにするのも、君と親戚になるのも!!」

モクバは顎が外れるかと思った。
「な…」
「「「おまえも何を言ってるんだーーーっ?!!!」」」
城之内たちは今度は忙しなく遊戯へ詰め寄ることになった。
「ちょっと待ってよ、遊戯! 何でそんなことになるの?!」
「だって、アテムはボクの親友で家族だよ!」
「それもそうね!」
同意してしまった杏子、陥落。
「海馬のヤロウが遊戯の親戚とか……ぜってぇお断りだ…」
違う方向で同意してしまった城之内、陥落。
「お前らも言ってることおかしいからな?!」
水ぶっかけてやりてぇ! と地団駄を踏む本田は、ワインを2杯で切り上げた常識人であった。
海馬もガタンと派手に椅子を引き、遊戯を睨み返す。

「貴様は何を言っているんだ?!!」

奴が嫁だと?! 常識的におかしいだろうが! と怒鳴った海馬に対し、遊戯も負けじと言い返す。
「千年パズルの為だけに宇宙ステーション造った君に常識語られたくないんだけど?!」
確かに、と最後の良心・本田が、遊戯へポイントを与えた。
「ほざけ! そもそもなぜ奴を"母親"等と常識外れの捉え方をする!!」
1本、と実はザルである御伽が海馬へポイントを与える。
「…ていうかキサラさん。ここは貴女が止めるべきじゃないかな」
呆れ半分に告げてみれば、彼女は獏良のようににこやかな笑みで宣った。
「怖いので嫌です☆」
え、この人お酒飲んでなかったよな…? と御伽は冷や汗を流す。
(まさかこれが素とか…?)

「ていうかボク前々から思ってたんだけどさ! 君、どんだけもう一人のボクのこと好きなの?! "好き"は拗らせると完全にストーカーなんだよ?!!」
うんうん、と頷いた本田はやはり遊戯へポイントを与える。
(世界規模だったけど、やってたのはストーカーだよなあ)
海馬の拳がわなわなと震えた。
「貴様はその気色の悪い例えを止めろ!! 勝ち逃げした宿敵(ライバル)を追って何が悪い?!!」
悪くはない…かな? と御伽はオマケで海馬へポイントを与えた。
(世界規模っていう非常識さだったけど…)
墓荒らし…もとい遺跡発掘から、宇宙開拓史の1ページ目まで。
(あ、宇宙規模だった)

完全に子どものケンカ状態の遊戯と海馬を、モクバはやや離れたところから半目で見守っていた。
「なあ、モクバ」
「ん〜?」
「あんな相棒初めて見たけど、あれって酔ってるのか?」
《ATEM》の問いに、自身の記憶も照らし合わせて頷く。
「……たぶんな」
「じゃあ、海馬は?」
少なくとも、モクバの記憶にはない姿だった。
「…………酔ってると思う」
「へえ」
《ATEM》は言い争う2人をしげしげと観察しているが、飛び交う言葉が全部《ATEM》に届いているかというと、そうではない。
イメージとしては、《ATEM》への言葉が常に伝言ゲームされていると思えば良い。
伝言するのは、彼の手前に幾重にも張られた自然言語処理フィルター。
その人物の登録国に従って言語を翻訳したり、不適切なワードを削除したり。
《ATEM》に関する法務部門が独立している理由は、ここにもある。
「…ぷっ」
真面目に考えていたら、不意に笑いが込み上げてきた。
「モクバ?」
突然笑い出したモクバに、《ATEM》は訝しげな顔をする。
「いや…くくくっ…真面目に考える意味ないなって。兄サマも遊戯も、素面に見えて酔ってるとか一番ダメなパターン!」
ケラケラと笑い声を上げる彼は楽しそうで、それなら良いかと《ATEM》は視線を遊戯と海馬へ戻す。

「《ATEM》君、《ATEM》君」
小さな声で名を呼ばれた。
見るとまたもや御伽が手招きしていて、よくよく見れば獏良が彼の隣でまたワインを注いでもらっている。
(さすがに飲み過ぎだろう…)
大丈夫か? と彼の健康状態が気に掛かってしまう。
無言で御伽にそれを問えば、肩を竦められた。
「獏良君はともかく、君にお願いなんだけど」
「ん?」
苦笑と呆れを等しく混じえた笑みで、御伽は騒々しさの元を示す。
「あの2人、止めてもらえないかな?」
そのとき《ATEM》は、AIながら『面倒くさいな』と思った。
「…放っておいたら良いんじゃないか?」
事も無げに言ってくれた《ATEM》に、アテム本人もそう言いそうだなと御伽は懐古する。
「まああの2人、積年の何とやらで互いに言いたいことたくさんあるんだろうけどね」
でも、と彼は《ATEM》の頭を撫でたくなる手をぐっと堪えた。
触れても触れられないのは、少し切ない。
「今日は君の誕生日なんだから、《ATEM》君が主役で終わりたいだろ?」
獏良もワインを片手に《ATEM》を覗き込む。
「テクノロジーの1年は物凄く速いから、来年の《ATEM》君が今から楽しみだよね」
果たして彼は酔っているのか否か。
何となくモクバを振り返ってみると、聞こえていたのか彼も両手を合わせて頼む、と口パクで伝えてきた。

城之内は寝ていて、杏子は平常心を取り戻し眠気覚ましにグレープフルーツジュースを飲んでいた。
彼女の隣では本田が疲れた顔をしている。
ふむ、と顎に指を沿え、《ATEM》は件の2人を見た。
何の話かは不明だが、これから決闘でもしそうな勢いだ。
「そんなこと言って、今度はボクがエクゾディアで瞬殺してあげようか!!」
「ほざけ! 二度も同じ手は喰わん、ブルーアイズで先に粉砕してくれる!!」
《ATEM》は消していたスケープゴートとハネクリボーをもう一度出現させた。

「よし。スケープゴートは海馬の目隠し、ハネクリボーは相棒へダイレクトアタックだ!」

ちなみにスケープゴートは通常の倍の8体である。
それがわっと海馬に集まった。
「なっ?!」
デュエル・リンクスでリアルに体感出来るのは決闘であり、表示されるモンスターは結局のところ映像だ。
「な、何だこれは! おい!!」
ただし透過はされないので、自分の手でどかせない。
誰かが我慢できずに噴き出した。
「ちょっ…あはははは!」
「ぷっ、くく…!」
カラフルポップな羊がふわふわと海馬を取り囲み、磁石よろしくくっついた。
当然海馬の視界はカラフルに占領され、はね除けようと手を振っても掴めるものは何もない。
結果、モクバたちには全身を羊に囲まれその羊の間から手をバタバタさせている海馬、という、つまり間抜けな光景しか見えていない。

「や、やめてよ海馬くん…おなかいたい…!」
遊戯は文字通り腹を抱えて笑っている。
ハネクリボーのダイレクトアタックに驚き、彼は尻餅をついていた。
そこへスケープゴートの目隠しを目撃してしまい、立ち上がれなくなっている。
「盛大に尻餅着いてたが、大丈夫か? 相棒」
ひぃひぃ言っていると、《ATEM》が顔を覗き込んできた。
驚いたのと大笑いしたのとで、頭は随分とスッキリしている。
「ははっ! ごめんね、《ATEM》くん。君の誕生日なのに騒いでるばっかりで」
《ATEM》はふるりと首を横へ振った。
「いや。皆がこうして集まってくれたのも嬉しいし、何より相棒たちの意外な一面が見れたからな」
真顔で酔っぱらう相棒と海馬とかな、とウインクされてしまえば、もうぐぅの音も出ない。
「うぅ…忘れてくれると嬉しいけど」
「無理だな」
「デスヨネー」
遊戯がテーブルを見上げると、杏子の隣で城之内がいびきを掻いていた。
「あー、城之内くん寝ちゃったのかぁ」
「タクシーくらい呼ぶぜぃ!」
「ほんと? ありがと、モクバくん!」
しかし城之内は残念だった。
当分は海馬を笑うに困らないネタが、現在進行形であったというのに。

《ATEM》はスケープゴートに囲まれギリギリしている海馬の元へ移動する。
彼がパチンと指を鳴らせば、スケープゴートはパッと星を撒き散らして消えた。
「《ATEM》、貴様ァ!」
睨む眼光に怯む訳もなく、《ATEM》は海馬の目線の高さに合わせるようにふわりと身を浮かせる。
(あ、そうか…)
彼が"立っている"のはそれが人から見てもっとも自然だからであり、肉体ではなく"ビジョン"の《ATEM》には重力など関係ない。
今さらそんなことに気づき、遊戯は座り込んだまま呆けてしまう。
その遊戯の隣へしゃがんだ杏子が、些か焦った様子で耳打ちしてきた。
「だ、大丈夫かな? あれ、ぱんつ見えちゃったりしない?」
「……何言ってるの、杏子」
彼女も実は酔っているのだろうか。

「落ち着けよ、海馬。相棒と2人して愉快な酔い方をしてるが」
「これしきでは酔わん!」
「そういう輩ほど、酔って醜態を晒すんだろう?」
酔う前に城之内へ告げていた言葉を引用してやれば、判りやすく海馬の眉間に皺が寄った。
「…っ、貴様は本当に、神経を逆撫でしてくる言動が"奴"そのものだな…!」
吐き捨てた海馬にきょとんとした《ATEM》は、何を思い付いたかニヤリと笑う。
彼は内緒話をするように海馬へ顔を寄せ、囁いた。

「俺をそうプログラムしたのはお前だろ? ち・ち・う・え」

ぞわわっ、と海馬の肌に鳥肌が立った。
「きっ、貴様ァーーー!!!」
思わず振り被ってしまった右拳は空を切り、ビジョンを解除することで避けた…避けずとも当たらないのだが…《ATEM》は遊戯の背後へ現れる。
「なんだよ、ほんとのこと言っただけだぜ?」
「喧しい!! 貴様のデータベースから、その記載の一切を削除してくれる!!!」
「なんだ、残念だな」
《ATEM》は自身を構成している膨大なデータ群について、AIゆえにさして執着がない。
あっさりと返して、座り込んでいる遊戯としゃがんだままの杏子へ声を掛ける。
「もうワインは良いのか?」
2人は苦笑いした。
「うん。さすがにこれ以上は」
「意識ある内に帰った方が安心だしね」
城之内くんは無理だけど、と起こそうとして失敗した本田と肩を竦める。
遊戯は立ち上がり杏子の手も引っ張って立たせてやると、改めて《ATEM》と目線を合わせた。
「相棒?」
どうした、と遊戯と同じ赤紫の目が問う。

その目を見返して、思う。
(気づいたら、ボクたちは大人の仲間入りをしちゃったけど)
《ATEM》はこの先、デュエル・リンクスが存在する限り、遊戯たちの『アテム』を記憶し続けるだろう。
(いつか、ボクたちがいなくなる日が来ても)
そのとき、《ATEM》が何かを想ってくれることがあると嬉しい。
人間ゆえの勝手な感情で、人間ではない"機械"の彼にそんな勝手なことを願う。
遊戯は《ATEM》に触れようと伸ばしかけた腕を、気力で留めた。

記憶で止まってしまった『彼』に、してあげたかったことがたくさんある。
(頭を撫でて、抱き締めて、「大丈夫だよ」って)
教えたいことも、一緒にやりたいことも、まだまだたくさんあった。
ーー彼を冥界へ送り出したことに、後悔は無くても。
アテムと《ATEM》、それに遊戯たちの時間は違う。
それぞれに過ぎるものを留めることは出来なくても。

「また来年も、君の誕生日パーティーを開こう」

この日だけは、立ち止まろう。
皆で集まって、騒いで、『彼』の思い出を追い掛けたい。
「よし、じゃあキサラ! オレと兄サマの来年の今日、予約入れといて! あと場所も!」
「承知しました!」
グラスの回収を始めていたキサラが、モクバの指示に元気よく返す。
「おい、モクバ…」
酔いと怒りが一周回って落ち着いたらしい海馬が疑問を投げると、モクバは笑った。
「オレもたまには遊戯たちと騒ぎたいぜ!」
海馬もモクバが彼らと仲が良いことを否定はしない。
そのため、この手の"おねだり"には滅法弱かった。
溜め息を吐き、告げる。
「…好きにしろ」
「やった! ありがとう兄サマ!」
杏子は《ATEM》の傍に浮いているハネクリボーへ手を伸ばした。
スカスカと彼女の手はすり抜ける。
「こんなにリアルなのに、触れないのが不思議よね」
決闘で感じる衝撃は本物ではなく、本物に見えるビジョンは質量がない。
「フン。せいぜい、今後の開発に期待しておけ」
ニューロンズ・リンクスを所謂β版の状態で公開しているのも、そのためだ。
「海馬くんが言うなら、その通りなんだろうね」
遊戯は己の手のひらを見つめた。
(そうやって、ボクたちは進んでいく)
過去を振り返って、立ち止まって、未来を信じて歩いていく。

「来年の君が、今日とどれだけ違うのか。楽しみだね《ATEM》くん!」

にこにことする遊戯に、《ATEM》も笑みを返した。
「そうだな。せめてオシリスに挑む奴が出てきて欲しいぜ」
「あはは!」
丸1年が経った今でも、彼のオシリス・デッキは披露の機会を得られていないようだ。
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2016.6.18
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