2.
::: 日本時間 03:22:000
イメージするならば、そう。
大量の槍がこちらに向かって、とんでもない速さで降ってきた。
それは海馬コーポレーション(以下KC)の情報システムに構築された多段防御層を次々と打ち破り、《ATEM》自身の防御層にまで到達した。
「…っ?!」
気が遠くなる程に、用意周到かつ隙のない攻撃(アタック)。
《ATEM》の処理限界を試すように、それは息つく間もなく続く。
DUEL LINKSがサービスを開始して、3年目。
この丸2年間を、この日のためにひたすら準備してきたのだろうと思わせる程の。
敵ながら天晴と言ってやりたいところであったが、生憎と《ATEM》にはデュエル以外で『敵』を褒めるプログラムは無かった。
「くそっ…!」
《ATEM》は存在の元となったアテムのように、DUEL LINKSにおける『王』である。
けれど人とAIという違いの他にも、彼とは決定的な違いがあった。
《ATEM》には、自身とDUEL LINKSを守るための『盾』は有っても、相手を倒すための『剣』が元から無い。
::: 日本時間 03:23:000
「止まった…か?」
《ATEM》の防護壁は、第六層まで突破された。
攻撃が止み、これ以上は無理と悟ったか別の攻撃手法で再度アタックしてきている。
《ATEM》自身は周りを残り六層の強固な防護壁で覆われ、外から見たなら『ラーの翼神竜 スフィア・モード』を連想しただろう。
膨大な量を吐き続ける各種ログを並列高速処理で解析し、攻撃相手に繋がるものへフラグを立てていく。
『 ハハッ! こりゃ災難だなぁ、王サマよぉ! 』
唐突な声に、《ATEM》は目を丸くした。
「お前…!」
この声の主は。
防護壁の向こう側から、声の主は言う。
『 ログを洗いざらいコッチに流しな。盾しか持たねえアンタに代わって、報復してきてやるぜ 』
《ATEM》は迷わなかった。
外の存在が、ログを辿って光速で離れていったことを感じ取る。
::: 日本時間 03:24:000 / アメリカ・サンフランシスコ 10:24:000
海馬はKC北米開発拠点にて業務中であった。
そこへけたたましく鳴ったアラートは、訓練以外では決して鳴ってはならないもののひとつ。
当然KCのすべての社員にも周知と訓練が義務付けられており、ゆえに海馬も含めて皆の血の気がサッと引いた。
しかし海馬が動揺を見せたのはその一瞬のみで、彼は平素の表情へ戻ると矢継ぎ早に指示を出し始める。
「緊急対策本部を設置。日本本社および全拠点との緊急会議の準備を」
「はっ!」
全社に対する緊急メールが送付され、各国拠点の代表内線には緊急コールが鳴らされる。
会議の場が整うまでの間に、海馬はやりかけていたことを高速で片付けた。
用意された会議室まで移動する間に、デュエルディスクを装着する。
たったそれだけの時間でさえ、海馬の腸(はらわた)は煮え繰り返って収まる気配などなかった。
(おのれ…!)
KCはM&Wに関する多くの独占的立場の企業であり、ゆえに法人個人…あるいは国家…を問わずあらゆる者からその資産を狙われている。
サイバー攻撃など日常茶飯事、守るべき情報は多岐に渡る。
けれど海馬にとって何よりも許し難いのは、"《ATEM》そのもの"を狙ってきた事実だった。
::: 日本時間 03:30:550 / アメリカ・サンフランシスコ 10:30:550
会議室へ入るなり海馬はデュエルディスクを起動し、DUEL LINKSへの高度アクセスを開始した。
無駄を嫌う彼の性格を知る他の参加者たちは、すでに席に着いているか画面の向こうで固唾を飲んで見守るのみだ。
無論、そこには副社長でもあるモクバの姿もある。
《DUEL LINKS起動、アクセスコードを確認……海馬瀬人》
《上位権限におけるAIシステムをリンク》
「《ATEM》、状況を報告しろ」
何も無い空間に虹色の筋が上下に走り、《ATEM》のビジョンが顕れる。
現れた彼の表情は、中枢域の稼働率が高いのか険しい。
「悪いが、視覚情報を示す余裕がない」
「現状が把握できれば構わん」
海馬の言葉に頷いた《ATEM》は眼差しを伏せた。
次に彼がその眼を開いたとき、朝焼けの色彩は電子と粒子の白金に染まり、表情は失せていた。
それはまるで、人智を超えた"何か"に出遭ったような薄ら寒さを人に与える。
《ATEM》は口を開いた。
「現地時間10:22:000、攻撃を検知。
膨大なアクセス通信により、Webシステムが一部ダウン。
外部影響無し。
同時刻、ネットワーク側で大量のパケットを検知。
前段のFW(ファイアウォール)を含め、処理数超過により複数の防御帯がパケットをスルー。
さらに同時刻、DUEL LINKSへの不正アクセスを大量に検知。
防護壁の構築を開始。
その間、公式デュエル・リンクス上にて最大同時召喚数のモンスターを同タイミングで召喚するデュエルが多数発生。
すべてAI対戦モード。
本件はデュエルディスクに不正改造をしたものと見られる」
デュエルディスクに改造を施す輩は、必ず一定数が出て来る。
もちろん対策は施しているが、所詮は人が造ったもの。
人が改造出来ないわけもない。
海馬は顎下に組んだ己の指先に、ギリ、と力が篭もったことを感じた。
「…続けろ」
《ATEM》が再び口を開く。
「本体リソースへの圧迫ラインを越えたため、コード"クレバス"が起動。
公式デュエル・リンクスへの対応リソースを分離。
攻撃者は対応リソース分離の際に発生した僅かな相異パケットを検知し、《オレ》へのルートを発見した模様。
追撃を開始。
《オレ》の防護壁も起動したが、全12層のうち6層を突破された。
公式デュエル・リンクスに何かしら仕込んでいたんだろう。
新しい防護壁を2層構築し直したから、現在は8層」
ざわ、と会議参加者たちに動揺が広がった。
「《ATEM》のデータベース側にまでアタックが届いたのか…?!」
「そんな馬鹿な!」
海馬の目線は《ATEM》から外れない。
「《ATEM》、続けろ」
「分かった。
…第6層まで突破した後は攻撃手法を変えてきたが、第7層から第12層までの構成は変更している。
アタック時のログは順にフラグを立てているところだ。
《ν(ニュー)》が勝手に反撃に入ったが、そろそろ何か解るだろう」
まるで当然のように混じった、不可解な単語。
「待て、《ATEM》。《ν》とは何だ?」
海馬の問いに、《ATEM》はゆっくりと瞬きをひとつ。
電子の輝きを載せていた《ATEM》の眼が、平素の朝焼け色へ戻る。
「…ああ、そうか。お前たちが名前を付けていなかったから、勝手にそう呼んでたぜ。
あいつのことだ。ニューロンズ・リンクスの管理AI」
KCには、管理者としてのAIが3つ存在する。
1つは、KCの持つ膨大な資産とデータを管理する、いうなればKCの倉庫番兼インデックスのようなAI。
1つは《ATEM》、公式デュエル・リンクスを総合的に管理するAI。
そしてもう1つ、ニューロンズ・リンクスを総合的に管理するAI。
創られた年数は《ATEM》がもっとも若く、またビジョンを持つのも《ATEM》だけだ。
《ATEM》を学習させるにあたり、先行稼働済みであったニューロンズ・リンクスのシステムデータを使用したことはままある。
それに公式デュエル・リンクスとニューロンズ・リンクスは、クリスタル・クラウド・ネットワーク(以下CC-N)上では同列に存在する。
よって、"あちら"のAIと《ATEM》の間にデータのやり取りがあることは分かった。
分かったが。
「ニューロンズ・リンクスのAIが反撃に向かった? 自身の判断で、か?」
懐疑的な海馬へ頷いてみせた《ATEM》が、何かに気づいた顔をする。
「"本体の"《ν》がリンクしてきたぜ。どうする?」
彼の『どうする?』の問いには、幾つかの回答が必要となる。
まず第1に、ニューロンズ・リンクスのAI…《ATEM》に倣って『ν』と呼ぼう…は、公式デュエル・リンクスへのログイン権限を持たない。
これは《ATEM》のニューロンズ・リンクスへの権限も同様だ。
第2に、海馬を含めた上位権限の者が展開するソリッド・ビジョンは、公式デュエル・リンクスのシステムにあたる。
第3に、《ν》には《ATEM》のような共通ビジョンや声、人格が備わっていない。
ニューロンズ・リンクス上で決闘者(デュエリスト)をこてんぱんにしていることは、《ν》のログから判明している。
決闘者たちからは『無音の決闘者』として認識されているようだ。
(そういえば…)
ニューロンズ・リンクスのAIには、ほとんど手を入れていない。
"アレ"はニューロンズ・リンクスと共に、海馬の想定を最初に越えた"モノ"だった。
::: 日本時間 03:55:210 / アメリカ・サンフランシスコ 10:55:210
ニューロンズ・リンクスのAIの実態は、肉眼では判らない。
共通ビジョンが実装されていないために、ユーザーとのデュエル時も回を変えるごとに姿が変わる。
顔が見えず、声の無いことだけが一定しているようだ。
仮称《ν(ニュー)》のログイン要請に、海馬は迷わなかった。
「《ATEM》、専用領域の1%を《ν》へ貸し出せ。ただし権限はログインのみ、必要なものは都度お前が代行しろ。
ビジョンと音声は適当なユーザーのものを使えば良い」
「了解した」
《ATEM》が右手を横に翳すと、その手の先でノイズが上下に走った。
しかし《ATEM》が戸惑ったような仕草を見せ、海馬は片眉を上げる。
「どうした?」
「いや…《ν》が、使いたいビジョンと音声があると言って送ってきたんだが…」
なぜこれを、と首を捻る。
そんな些事に構っている暇は誰にもないので、《ATEM》は海馬の指示した領域を『ν』の領域に変換した。
《ATEM》の隣に現れたのは、同じ褐色の肌をした青年であった。
白い髪、右目の下には傷跡、衣装は古代エジプトの装束を模したのだろうが、紅い色が目を引く。
『は? お前バクラ?!』
画面の向こうでモクバがつい叫び、海馬も腑に落ちた。
《ν》のビジョンは、獏良了…それも闇人格としてデュエルをしていた方…に酷似しているのだ。
モクバを見、海馬へ目線を合わせ、《ν》はニヤリと笑う。
「ハジメマシテだなぁ、俺サマの創造主さんよ。
名前も無いから、王サマみてぇに《ν》とでも呼んでくれ」
人相も悪ければ口も悪い。
海馬の蟀谷がピクリと引き攣るが、やはり些事だ。
「下らん無駄口を叩くな。《ATEM》へのアタックについて、元を探ったと聞いたが」
冗談が通じないとばかりに肩を竦めた《ν》は、《ATEM》に世界地図を表示させて説明を始める。
「アタック元のサーバーはこの10箇所。EUとUSAなら、諸々の条約で物的取り押さえが可能だ。
中身のログは絶賛コピー中」
「コピーだと? 何処に」
「そりゃあ、俺サマの腹ん中に」
はあ?! と口に出したのはモクバや開発担当チームだけではなかった。
海馬だけは静かに《ν》を見据えている。
「お前に割り当てたデータベースの中、ということか」
「ご明察」
ニューロンズ・リンクスと公式デュエル・リンクスは分かれているが、CC-Nは1つだ。
そしてどちらにログインするにも、使用する道具は新型デュエルディスクに限られる。
このAIは、CC-Nから『外』へ出られると言っているのだ。
海馬はフッ、と口角を上げた。
「まさに想定外の所業だが、役に立つ内は咎めん。対象人物は?」
「それは多いからリストで送るぜ。所謂"ダークネット"の住人で、全員がそっち方面で食ってるプロだ」
「…そうだろうな。だが、同じ犯罪者集団でもあるまい」
「これまたご明察。会員制の掲示板を経由して、有名ドコロのクラッカーに向けて依頼が出ていた」
DUEL LINKSの襲撃、各種データの奪取。
《ν》はそこで言葉を切った。
「真の目的は、王サマ…AI《ATEM》の強奪だ」
嘘だろ、とモクバの唇が戦慄く。
『《ATEM》を奪うって、どうやって! KCのシステムの乗っ取りってことか?!』
違う、と訂正したのは海馬だった。
「最善が強奪、次点がコピーだろう。AIと言えど、所詮はプログラムの集まり。
根幹を成す命令文を書き換えれば、権限を奪われる」
100点回答、と《ν》がまた肩を竦めた。
「さすがは創造主サマだねぇ。
王サマが盗られたら、KCには天文学的な被害さ。金も、権力も、信用も、根こそぎ全部!」
KCに怨みを持つ連中にゃ、願ってもないチャンスだよなあ。
《ν》は嘯き、笑みを深くする。
「王サマは今や『KCの象徴』だ。
M&Wのカードも、デュエルディスクも、ソリッドビジョンも、全部KCのモンだが、王サマは個々のバラけた嗜好すら越えちまった!」
まだデュエルディスクは旧型との互換性を維持している。
だが、そう遠くない未来にすべて新型デュエルディスクに切り替わるだろう。
新型デュエルディスクを使えば、ユーザーの個人情報がKCのCC-Nに保存される。
保存された情報を使い、《ATEM》がユーザーと会話する。
公式デュエル・リンクスを利用するには、《ATEM》の存在は欠かせない。
そしてM&Wは、公式デュエルを避けては通れない。
「王サマの声はすべての決闘者に届く。それはCC-N上で、ユーザーの脳を介して行われる。
ちょいと話し方を変えれば、人間の無意識にだって届くぜ?」
先導を。
扇動を。
洗脳を。
「我らが創造主サマはそういう意味じゃあ"真っ当"だ。
だからこそ、アンタが手塩に掛けた王サマは狙う価値がある」
《ATEM》は何も言わない。
クラッカー集団がニューロンズ・リンクスを狙わなかったのは、単に利潤が見えにくいだけだ。
また、ニューロンズ・リンクスを管理するAIの存在は公にはされていない。
ひと通り言いたいことは言い終えたか、《ν》がひらりと片手を振った。
「さて、今後の指示をドウゾ? 我らが創造主サマ」
2体のAIは、海馬だけを見ている。
>>
2018.10.16
ー 閉じる ー