3.








「またねー遊戯先生!」
「ありがとうございました。またね」
チリンチリン、とドアベルが軽やかな音で客を見送る。
遊戯は振っていた手を降ろし、満足の息を吐いた。

KCデュエル講座での教え子が母親と来店してきて、M&W以外のゲームの話で熱中してしまった。
世の中はM&Wが主流だが、もちろんゲームはそれだけではない。
プロ資格や賞金制度のあるアナログゲームもたくさんある。
この店は、そんなゲームを数々集めた祖父が開いたもの。
宝の山のようなこれらが無ければ、遊戯はこんなにもゲームを好きになることはなかったし、何よりも。
(『君』に、出会うこともきっとなかった)
ポケットから取り出した、M&Wのデッキ。
幾度も改良を経てはいても、根本は彼が…アテムが遺したカードたちだった。
遊戯はふと苦笑する。
「ちょっと、未練が過ぎるかなあ」
葬祭殿で彼とのデュエルで使用したデッキも、もちろんある。
それでも、指が選ぶのはこのデッキだった。
「そろそろ店仕舞いかな」
時計を見上げ、テーブルに広げていたゲームを片付ける。
祖父はボードゲーム愛好家の集まるイベントに出掛けていて、今日は留守だ。
(戸締まりしたら、もう一度考えよう)
今、遊戯には考案中の新しいゲームのアイデアがある。
今年の世界ゲームコンテストに間に合わせるためには、すでに設計図とプロトタイプの制作に取り掛かっていなければならない。
(…なんだけどなあ)
喉まで出掛かっているものが出てこない、そんなもどかしさが遊戯を苦しめている。
おかげで制作に手を付けられない。
アイデアはある、他にはない自信もある、けれど制作に着手するためのあと一歩が足りなかった。

(君が居たら、何て言ってくれただろう)

もう良い時間だし、閉店にしてしまおう。
遊戯は玄関のプレートを裏返して、鍵を掛ける。
階段を登り自室へ入れば、目線は自然と一箇所に向いた。
何度自室へ入ろうとも、この癖だけはどうしても治らない。

それは黄金櫃、かつて千年パズルが収められていた宝石箱。

純金に見事な装飾を為されたそれは、本来ならばエジプト国家に返還すべき遺物だろう。
金額的価値も、歴史的価値も、計り知れない。
(それでも…)
遊戯はこれを、手放せない。
どうにも頭の中がぐるぐると混乱していることを自覚し、遊戯は大きく溜め息を吐いた。
「《ATEM》くんと話そうかな…」
一人で煮詰まったとき、遊戯はつい公式デュエル・リンクスにログインしてしまう。
KCの誇るAI《ATEM》は人ではないが、それでも正しく遊戯の友人であった。
デュエルディスクを装着してから、自嘲に近い息を吐く。
(駄目だなあ…。最近、《ATEM》くんに頼り切りだ…)
ちょっと不味いかもしれない。
これはもしや、一人暮らしが寂しくてペットを飼い始める心境に限りなく似ているのでは。
(よし、ニューロンズ・リンクスにしよう)
いっそ何も考えずにデュエルをした方が良さそうだ。



遊戯は滅多にニューロンズ・リンクスにログインしない。
そのため、入る度に目に見える景色に驚く。
「うわあ…。まるでバベルの塔だ」
上を見ても下を見ても雲と青空の世界は変わらないが、軌道エレベーターを彷彿とさせる煉瓦造りの塔が建っていた。
ニューロンズ・リンクスはデュエルの腕だけでなく、脳の周波数や精神力をも基準としている。
「異なる周波数の人たちが手を組んだのかな?」
そうでもなければ、上下を貫くモノは建てられない。
周波数の波がニューロンズ・リンクス上での基準高度を決めるが、周波数は精神力やデュエルの腕に影響されない。
階数毎らしい扉を開けば、その階を根城にするチームとデュエルになるのだろう。
全員が塔に居るかといえばそうでもなく、遊戯のように塔を見ているだけの者も居れば、今までのように船やら何やらで飛びながらデュエルする者も居る。
「そういえば海馬くん…」
いつだったか、テストに付き合ったときに彼は言っていた。
(ニューロンズ・リンクスは、もう海馬くんの想定を越えているって)
ふと、自分のものではない衣服の裾が視界に入った。

「こんにちは。武藤遊戯さん」

名を呼ばれて振り向けば、随分と久しぶりに見る顔だった。
「やあ。久しぶりだね、セラ」
DUEL LINKSでは、自分の知り合いや気になる相手の動向を"フォロー"という形で知ることが出来る。
相手も自分をフォローする『相互フォロー』状態であれば、直接コンタクトを取ることも可能だ。
ニューロンズ・リンクスはアバター自由だが、表示される名前はDUEL LINKSのユーザー登録に使用された本名。
ゆえに遊戯の姿も『武藤遊戯』ではないし、相手も然り。
「もしかしてウォッチしてた?」
「ええ。現実世界で知っている名前は」
遊戯の目の前に居るのはグラマラスな美女であるが、彼女はかつて遊戯に千年パズルのピースを託したセラだった。
「遊戯さんは滅多にニューロンズ・リンクスに来ませんから、驚いて」
つい飛んできてしまいました、とフードに隠れた美女の口許が弧を描く。
「まあ、否定は出来ないよね…」
思う処あってこちらにログインしたが、何というか。
「秩序って何だっけ、っていう…」
「慣れですよ。ここは言ってしまえば『思念の世界』ですから」
思い返してみれば、ニューロンズ・リンクスは『次元領域デュエル』によく似ていた。
それに気づくまで3年掛かる遊戯も遊戯であるが。
「でも遊戯さん。なぜこちらに?」
《ATEM》さんには会えませんよ、とセラは素直な疑問を寄越してくる。
遊戯は複雑だ。
「いや…うん、そうなんだけどね。幾らなんでも《ATEM》くんに頼り過ぎかなって、今更だけど反省したんだ…」
自省ついでに海馬からの小言逃れのために、ニューロンズ・リンクスへログインした次第だ。
そういえば、と遊戯は自分とセラの足元を見下ろす。
「そっか。君とボクは同じ周波数なんだっけ」
2人は同じ雲の上に乗っているが、脳の周波数が違う場合は"同じものに立つこと"は出来ない。
クスリ、とセラが笑った。
「そうですね。兄もここに立てますよ」
彼女の兄…本名はディーヴァだが遊戯にとっては今でも藍神だ…は、DUEL LINKS登録時にログインしたきり、こちらには来ていないらしい。
「兄には目標があるんです。それに、ニューロンズ・リンクスは現実世界に反映されませんから」
「そっか。遺跡発掘の監督をしてるんだっけ」
彼とセラがイシュタールの者たちと懇意になったことは、特に驚くものでもなかった。
(行き着くところは、やっぱり『君』だもんね)
ふと陰った遊戯の表情に、セラは言うべきか迷っていたものを結局口にする。

「遊戯さん。『あの方』の何を悩んでいるのですか?」

まあバレるよね、とは言わなかった。
遊戯はセラから視線を外し、天高く聳える塔を見上げる。
「…何だろうなあ。ボクもよく分かってないんだ」
振り切れたと思っていた。
乗り越えたと信じていた。
「でもきっと、そう思い込みたかっただけなんだ…」
振り切れてなんてない。
乗り越えてなんていなかった。
だからいつも、《ATEM》と話しにログインしていた。
「《ATEM》くんがまだ開発中のとき、海馬くんに言われたんだ」

ーーー忘れたくないと願うなら、さっさと忘却しないモノに預けろ。
ーーー貴様が思い悩む間にも、貴様の中から奴の記憶は剥がれ落ちていく。

「ほんと…海馬くんってさあ、アテムに関することについては凄くボクと似ているんだよ」
嫌になるよね、と言いながら刻まれた笑みは、自嘲なのだろう。
(ああ…)
セラは遊戯が口にしない胸の内が、見えてしまった。
(忘れたくないのに、忘れてしまう。それはとても苦しいこと)
何とか抗おうとしても、行き止まりに足踏みしてしまう。
顔を伏せる遊戯の姿は、セラにはとても哀しいものに見えた。
(この人に頼ってしまった私たちが、思うべきことではないけれど)
けれど、と思う。

義理の姉も、きっとこうする。

「遊戯さん。貴方なら、『あの方』に深い縁のものを持っているはず」

海馬が"彼の地"に赴くために使っているのは、『彼』との縁、上昇すべき次元の座標、それから。
(第八の千年アイテム、『キューブ』)
"彼の地"の門は、海馬の為に開かれている。
それはつまり。
「え? アテムと縁の深いものって…彼のデッキ? じゃなくて?」
純度100%の、純金の輝き。
セラの微笑に、遊戯の目が開かれる。
「…黄金櫃?」
頷きのみを返して、セラは果てのない大空を見上げた。
「ニューロンズ・リンクスは、人工的な『次元領域』です。
ここならプラナでなくとも思念が相互リンクし、ひとつの巨大な"意思"を創り上げることが出来る」
『彼』と現世でもっとも深い縁を持つ遊戯なら、その先頭に立てるだろう。
「おそらく途中で邪魔が入るでしょう。私もお手伝いしますので、心が決まったら教えてください」

まさか、そんなことが。
ニューロンズ・リンクスからログアウトして、遊戯は呆然と黄金櫃を見つめた。
「……本当に?」
こんなにも身近に、この手を届かせる方法があるなんて。
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2018.10.16
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