4.








結論から言おう。
《ATEM》の強奪未遂を行ったクラッカーたちは、KCへの業務妨害等々の罪状で現実に逮捕されるに至った。
決め手は《ν(ニュー)》が当人曰く『腹の中』に溜め込んでいたデータであったのだが、警察機構に引き渡す前にデータを確認した海馬は、彼には珍しく驚いた。
いや、驚いたという感情の中に、呆れや困惑も入っていただろう。
何しろ《ν》は、件のクラッカーたちの詳細情報は元より、彼らに《ATEM》クラックを依頼した存在のことまで、いつの間にやら調べ上げていたようなのだ。
(放置しておくのは不味いな)

ニューロンズ・リンクスの管理AI《ν》、海馬の想定を最初に超えた集合プログラム。

システムテスト区画で、海馬は公式デュエル・リンクスではなくニューロンズ・リンクスへログインする。
久々にログインした無秩序の世界は、なぜか水中になっていた。
(いっそ芸術家の方が喜びそうな空間だな)
他愛もないことを考えながら、デュエルディスクに親コードを入力する。
《外部入力を確認しました。入力者・海馬瀬人、システム・オールグリーン》
海の中のような光景を割り、海馬の目の前に石造りの扉が現れた。
ひとりでに開いた扉の向こうへ足を踏み入れれば、そこは。

「……。《ν》、出てこい」

現代の技術でも再現することが厳しい、紙一枚も入らぬ石造り、その部屋。
同じく石で彫刻された灯籠に、広くはない部屋が照らし出されている。
壁面にびっしりと描かれているのは、古代エジプトの歴史画と説明のヒエログリフ。
海馬からやや離れた位置で、ノイズが上下に走った。

「ようこそ、我らが創造主サマ。この部屋の説明は要るか?」

現れた《ν》が、相変わらず人相悪く笑う。
《ATEM》襲撃事件の際に使用したアバターを自身の固定アバターとしたらしいが、《ν》にM&Wルーツの情報は入っていない。
一般的な情報だけでは、この部屋は元より、《ν》の使用しているアバターはおそらく表現されない。
「要らん。大方予想はつく」
余計な手間は省くに限る。
「ククッ、さっすが。ではご用件をドウゾ?」
大仰に手を広げて見せる《ν》に、やはり闇人格のバクラの姿が重なる。
「今まで、貴様には最低限の制限しか掛けていなかった。が、どうやら貴様は思った以上に進化していたらしい。
ゆえに、新たな枷を付ける」
《ν》は肩を竦めた。
「OK、まあ予感はしてたぜ。けど今回の件は、俺は褒められて然るべきだろう?」
その言い分に、初めて海馬は口角を上げた。
「そうだな。今回は貴様に感謝しよう。おかげで有力な情報も数多く手に入った」
「どういたしまして。それじゃ、入力をドウゾ?」
《ATEM》と同じ朝焼け色の眼が、電子と粒子の白金に染まる。
何を制限するのか、すでに決めていた。

「1つ、《ν》から《ATEM》への接触は、今回のような不測の事態の際に限る。データ共有は今までどおりだ。
2つ、不測の事態の際は、デュエルディスクを通じた外部への出力を許可する。ただし報告はしろ。
3つ、《ATEM》防衛セキュリティの穴は、見つけ次第塞げ。事後報告で構わん」
「うわぁ。それ、過保護って言うんだぜ」
「黙れ。…4つ、ニューロンズ・リンクス監視レベルを強化。
特に次元上昇可能な集合意識となりうるものは、上限値前で弾け」
《ν》が首を傾げた。
「上限値って、相当高いじゃねーか。創造主サマとセラ・イシュタール以外はその遥か下だぜ?」
海馬は言葉を替える。

「『ディメンション・システム』と同じ座標を目指す者は、即刻排除しろ」

理解した《ν》が、ニヤリと笑って問い掛ける。
「《ATEM》はどうする?」
ディメンション・システムの原理は、ニューロンズ・リンクスとよく似ている。
違うのは、そこに人間の"個"を想定しているか否かだ。
そしてこの原理は、公式デュエル・リンクスには搭載されていない。
(ゆえに、《ν》が《ATEM》よりも優勢になる)
顎に指を触れ考えていた海馬が、答えを告げる。







黄金櫃の輝きは、衰えることがない。
この先千年、二千年経っても、変わることはないだろう。
(不変、不滅の証。だから古代エジプトの王の象徴でもあった)
遊戯は黄金櫃に触れたまま、ニューロンズ・リンクスへログインする。
するとなぜか水の中だった。
「えっ、もうここ変わったの? ていうか水中って?!」
一瞬、息が出来ないのかと思った。
遊戯の隣に誰かがやって来る。
「ニューロンズ・リンクスは移り変わりが速いんです。毎日変わることもありますし」
セラのアバターだ。
彼女は遊戯と目を合わせるなり、嬉しそうに微笑んだ。
「懐かしい…、そんな感じがします。今の遊戯さん」
手を、と促され、遊戯は差し出された彼女の手に自分の手を乗せる。
セラは小さく頷いた。
「これなら大丈夫です。あとは遊戯さん、あなたがあの方に会いたいという願いの強さだけ」
2人の繋いだ手が強く輝き、それぞれが足元から何かに持ち上げられていく。
驚いた拍子に繋いだ手が離れたが、足元の揺れは収まらない。
「えっ、なに?!」
「遊戯さん、しっかり掴まってくださいね」
「えっ?!」
掴まるってどこに?! と問う暇すらなく、身体に物凄い力が掛かったかと思うと遊戯の周りの景色は水ではなくなっていた。
「は?! えっ?! 空?!!!」
遊戯の眼前に広がるのは蒼穹、眼下に広がるのは果てない水面。

翔んでいる、猛スピードで。

「ちょっと何これぇ?!」
ニューロンズ・リンクスでは数えるほどしかデュエルしていない遊戯は、何が起こっているのか解らない。
何だか手元がふかふかする、と薄目を開けてみれば、確かにふわふわとしていた。
猛スピードで過ぎる景色の手前に、美しく伸びる翼がある。
今度こそしっかりと目を開けて隣を見ると、セラの姿があった。
同じスピードで翔んでいるというのに、彼女は遊戯を見てクスクスと笑っている。
「次元上昇を視覚的に捉えていると思ってください。以前、私はファイター(戦闘機)に乗っていましたよ」
「はああ?!」
素っ頓狂な声を上げ、遊戯は大きく脱力する。
ついでに大きく息も吐き、改めて自分の状況を確認した。
ーー巨大な隼に乗り、空の彼方へ向かっている、らしい。
「遊戯さん。あなたに黙っていたことがあります」
「え?」
風を切る音に紛れて、セラの穏やかな声が聴こえる。

「私と兄はあの後…あの災厄の後、あの方にお会いしました」

遊戯は目を見開く。
「エジプトの故郷へ帰り、しばらくした頃。マリク・イシュタールさんが私たちを訪ねてこられました」
マリク、随分と久しぶりに聞く名前だった。
セラと目が合う。
「私と兄が次元上昇の媒体としたのは、『王の記憶の石版』です」
エジプトの国宝、M&Wのルーツであり、『アテム』という存在を示す唯一の。
「…そっか」
きっと、彼は視ていたのだろう。
藍神とセラと、プラナの子どもたちを。
(何だかんだで心配性なところあったしなあ…)
穏やかに彼を思い出すのは、いつぶりだろうか。
「…?」
ふっ、と空が暗くなった。
顔を正面へ向けると、遊戯とセラの向かう先にもやもやと暗雲が広がっていく。
隼がスピードを落とさず進行方向を変えるが、暗雲はこちらを追尾するように前方に広がるばかり。
セラはきゅっと唇を結んだ。
「妨害が入るとは思っていましたが、海馬瀬人さんではありませんね?」
彼女の誰何に、暗雲の一部が揺らめく。
「ククッ、ご明答」
遊戯には聞き覚えのある声だった。
(獏良くん…?)
一瞬収縮した暗雲が、何者かの姿を創り出す。
「!!」
見覚えがあった。
彼は獏良ではない、闇人格のバクラでもない。
「お前は、盗賊王…?!」
千年パズルの記憶迷路、その奥でかつてのアテムと激しい戦闘を繰り広げていた、あの男。
顔も、装束も、そっくりだ。
「生憎と、俺サマはそんな名前じゃあねぇんだ」
クツクツと嗤う男は、バサリと赤い装束を揺らす。

「ハジメマシテ、次元上昇を目論む者よ。俺サマは《ν》、このニューロンズ・リンクスの管理者さァ!」

その意味するところを、セラは即座に判じた。
「…あなたが『無音の決闘者』ですか」
「あぁ。このアバターと音声が許可されたの、つい最近だからなあ」
お前たちが最初の目撃者だ、と愉しげな《ν》に、薄々と事情が掴めてくる。
「瀬人さんは、他の者がかの座標に至ることを認めないのですね」
「ま、そういうこった」
《ν》の背後、暗雲から何かが降りてくる。
「さーて、この世界の管理者たる俺サマに勝てるかな?」
姿を現したのは、こちらも遊戯には見覚えのあるモンスターが2体。
「ディアバウンド・カーネル…!」
セラが自身のデッキから、方界器デューザを召喚する。
「気をつけて! あのモンスター…もしボクの想定通りのものなら、倒したモンスターの能力を奪われる」
「それは…厄介ですね」
遊戯はデッキからサイレント・マジシャンLv4を召喚し、相手の出方を伺う。
(どうする…?)
あまり時間を掛けたくない。
ニューロンズ・リンクスにおいて、デュエルは己の精神力の消費を意味する。
次元上昇に使用するのも、願いとはいえ同じ精神力に違いない。
時間が掛かれば掛かるほど遊戯の精神力は摩耗し、いずれはニューロンズ・リンクスから強制ログアウトされるだろう。
「時間ならたっぷりあるぜぇ? 楽しもうじゃないか」
ニヤリと嗤った《ν》の目的も、まさにそれだろう。
ディアバウンド・カーネルの攻撃対象がサイレント・マジシャンになる。
「!」
しかし、攻撃されたのはサイレント・マジシャンではなかった。

「方界胤ヴィジャムは戦闘では破壊されない。そしてヴィジャム自身の効果により、このカードは永続魔法カードとなる!」

未だに強い印象を残す、卵型をした異形のモンスター。
それが遊戯のサイレント・マジシャンの壁となった。
「藍神くん?!」
「兄さん!」
遊戯の前に、やはり隼に乗った藍神…ディーヴァ・イシュタールが割り込んだ。
驚く遊戯を尻目に、彼は気負いなく笑む。
「セラから訊いたときは何かと思ったけど、まあ借りを返すには良い機会だからね」
彼は自身の姿がデフォルトであるアバターに、ほとんど手を加えていないようだ。
藍神は《ν》を見据え、好戦的な表情を隠しもしない。
「僕はディーヴァ・イシュタール、M&W世界大会のエジプト代表だ」
場にカードが1枚、伏せられる。
「君がここの管理AIだろうが関係ない。プラナの意識同調、舐めんなよ」
「ハッ、上等だ!」
もう1体のディアバウンド・カーネルが、セラの方界器デューザに襲い掛かる。
「セラ!」
思わず叫んだ遊戯に、2人の兄妹は微笑んだ。
「行きなよ、遊戯くん。あの御方への恩返しにはピッタリだ」
「このニューロンズ・リンクスでなら、私は兄より強いんですよ」
もう1体、セラのフィールドに方界器デューザが召喚される。
遊戯はぎゅっと唇を引き結んだ。
「ありがとう。セラ、藍神くん」
遊戯の乗る隼は、判っていると言わんばかりに力強く羽撃いた。
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2018.10.16
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