四. 酒宴への招待
今夜も良い月だ。
「おお、これは良い酒じゃのう」
「ええ。この間のお祭りで頂いたものですよ」
ぬらりひょんの問いに、若菜がにこりと微笑み答えた。
話題に上っている一升瓶は、最上の部類に入る銘酒。
奴良家には常に、そこそこの酒が大量に置いてある(妖怪は基本的に酒好きだ)。
しかしここまでのものは、祝い事でもない限りお目に掛かれない。
今宵の月見に、と考えたぬらりひょんは、そこで思い付いた。
「そうじゃ。客人を呼ぶかの」
あら珍しい、と若菜は目を瞬いた。
奴良組総大将たるぬらりひょんを訪ねる者はあっても、当人が呼ぶことは滅多にない。
訪ねに行くことはあっても、やはり招くこと自体が少ない。
「どなたか、御友人が来ておられるのですか?」
肴を別に作るべきかと思案する若菜に、義父はからからと笑って答えた。
「うむ。長い付き合いの龍神がのう」
正確には、その息子がな。
何でもないように言われた言葉の、その何でもない加減といったら!
若菜はうっかり、包丁を取り落としかけた。
月も高くなってきた頃、南の湖へやって来たのは鴉天狗。
彼は湖の淵へと降りてきて、静まり返った湖面に呼び掛ける。
「龍の子よ。総大将から宴の誘いだ」
言うまでもなく、湖の客人を呼ぶよう命じたのはぬらりひょんだ。
総大将の命であれば断る理由もなく、また鴉天狗も彼(か)の龍神の父の友である。
旧友の便りは聞きたくもなろう。
(それもまた、歳を取った証か…)
などと物思いに沈みかけた時分、シャンッ! と神楽鈴によく似た音色が響いた。
「宴?」
ふっ、と湖面に舞い降りたが首を傾げる。
燐光に縁取られたかのような姿は、この湖畔と月夜、そして彼が『神』である事実が重なるからこそ。
「…いや、月見と言った方が良いかもしれんな」
何となく訂正してみたが、相手には宴と月見の違いなどどうでも良いらしい。
「行く。場所はどこ?」
傍までやって来た彼を見れば、蒼い眼が好奇心で輝いている。
(確かに子供…)
未来の三代目と、目の輝きようがそっくりであった。
そして脳裏に過る既視感は、おそらく主たるぬらりひょんも同じであろう。
鴉天狗が道案内のために飛行の高度を上げると、もそれに合わせて高く舞い上がる。
どうも気になるので、尋ねてみた。
「其方(そなた)、地は歩かんのか?」
「なんで?」
間髪入れずに、問いの意味が解らないような疑問符が返る。
だが考えてみれば、本来の姿である龍が地を歩くなぞ聞いたことがない。
「…いや、愚問だ。気にせんでくれ」
「?」
広い森を飛び越えれば、奴良の屋敷が見えてくる。
「広い家…」
立ち止まり見下ろした屋敷に、は目を丸くした。
「当然じゃろう。関東妖怪総元締めの本拠、外側もそれなりの威厳が必要になる」
もっとも、始めからこの広さであったわけではない。
奥座敷の庭先へ降りれば、すでにぬらりひょんは月見を始めていた。
「おお、来たか! 御苦労じゃったな、鴉天狗」
「なんのこれしき…おや、リクオ様は?」
「宿題が済んでからと言っておったぞ」
鴉天狗はやれやれと首を振る。
「また熱心ですなぁ…」
主従のやり取りを眺めていたを、ぬらりひょんが縁側へと手招く。
「ほれ、こっちへ座ったらどうじゃ。
そうふよふよされていては、気になって仕様がないわい」
「ふぅん…?」
先ほど鴉天狗が問うたときと同じように、彼はよく解っていないような相槌を返した。
けれどぬらりひょんの招きに従って、杯(さかずき)と酒の乗る盆を挟んだ反対側へと腰を下ろす。
…が、彼の興味は酒よりも屋敷の中のようだ。
「ここ、どれくらい部屋があるんだ?」
「はてのう…。数えたことが無いわい」
ちらりと鴉天狗を見遣れば、そちらも首を捻る。
「大部屋も多いですからなあ…」
が身を乗り出して板張りの廊下の向こうを覗いていると、すっと隣の部屋の障子が開いた。
「「あ、」」
声を上げたのは同時だ。
「おお、リクオ。宿題は終わったのか。明日は休みじゃろうに」
「うるせえよ。出来るときにやっとかねーと、何があるか分かったもんじゃねえ」
すでに隠居の心積もりであるらしい祖父に、リクオは真っ向から返す。
返した後で、その向こうの存在へ改めて目を向けた。
「客ってのは、おめぇのことだったのか」
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09.11.23
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