五.  妖と龍

名前は確か、

リクオが確認の意を込めて名を呼べば、彼は外見年齢に見合う笑みで答えた。
「そう。…ねえ、君は夜にしか居ないの?」
妙な言葉になっていたので、当人が答えるまでに間が空いた。
「…それは、"この姿の"オレのことか?」
そうだと頷いてから、は続ける。
「朝に人の住む方を見に行ったときに、見掛けたから。君じゃない方を」
酒の乗る盆を正面に、リクオは縁側へ腰を下ろした。
「夜…というか、闇であれば」
は盆にあった杯(さかずき)の1つを手に取り、呟く。
「へえ…。やっぱり、変わってるね」
ぬらりひょんはリクオにも杯を取るよう即し、酒を注いでやった。
何かを思い出したらしく、笑っている。
「くっくっく…おぬし、ほんによう親父殿に似ておるわ」
「そう? …あ、美味しい」
ぺろりと一口だけ舐めてみれば、かなりの上物。
「お前、酒はいけるクチなのか?」
同じく杯を傾けて、リクオも確かに上物だと飲み干した。
「…まあ、そこそこ?」
そんな台詞を吐けるのは、飲める者だけだ。
人の気配に振り向けば、今度はリクオのすぐ背後の部屋の襖(ふすま)が開かれる。

「お待たせしました」

リクオの母、若菜が酒の肴を盆に乗せて入って来た。
彼女はの姿を認めると、目を見張って立ち尽くす。
それはおそらく、己が湖で彼を目の前にしたときと同じような心境だろう。
リクオはそんなことを思った。
「おお、すまぬの若菜殿」
ぬらりひょんの声に、若菜はハッと我に返る。
「いいえ、雑作も無いことですよ。龍神様のお口に合うか分かりませんが…」
答えてから、若菜はそっとへ視線を向けた。

「神様にお会いしたことは初めてですけれど、…お美しいですね」

月が霞みそうですわ、と上品に笑う若菜に、はとりあえずの礼を言った。
「ありがとう。ところで貴女は誰?」
若菜は再度ハッとする。
「これは失礼致しました。私は若菜、リクオの母にございます」
すると、が何事かに納得する様子を見せた。
「あ、だから昼に見たリクオと似てるのか」
え? とリクオが言葉を返す前に、鴉天狗が横槍を入れた。
「これ龍の子! 若を呼び捨てにするでない!」
リクオはへ言葉を返すのではなく、鴉天狗へ溜め息を返した。
「別に良いじゃねぇか。組のもんじゃねぇし、ましてや妖でもねえ」
当のは、やはりきょとんとした様子で鴉天狗へ告げる。
「リクオがオレのことを名前で呼び捨てにすれば、それで良いんじゃないのか?」
ぽかんとしたのは、鴉天狗だけではなくぬらりひょんもだった。
思わず吹き出してしまったのは、リクオだけで。

「んじゃ、遠慮なく呼ばせてもらうぜ? 

どうやらは、ぬらりひょんと鴉天狗が呆気に取られた理由が分からないようだ。
「どうかした?」
問いかけに渋い顔を一層渋くさせたのは鴉天狗であったが、ぬらりひょんは一拍置いて豪快に笑った。
「いやいや、本当に彼奴そっくりじゃ!」
懐かしいのう、とぬらりひょんは月を見上げる。
リクオはの杯へ酒を注いでやりながら、尋ねた。
「お前、年幾つだ?」
「人間に合わせるなら、数えで百」
見た目に反して、随分と年を重ねている。
だが、最初に付けられた言葉が気になった。
「合わせるなら…?」
も、リクオの杯へ酒を注ぎ返す。
「妖も同じだろ? 流れる時間が違う」
「…ああ、確かに」
「オレは神格は持ってるけど、"神位(しんい)"は持っていない。
だから龍の年齢に言い換えれば、人間でいう君と同じくらいだ」
「神位?」
「天津神(あまつかみ)としての位」
「…?」
相槌を打てなくなったリクオに気づかぬまま、は若菜が持って来た肴を指差す。

「これ、なに?」

今度こそ、リクオもぽかんと目を丸くした。
「……は?」
彼が指差したのは、こういった類いの宴にはあまり出されない刺身の造り。
もちろん、ぬらりひょんが『客を呼ぶ』と言ったので、若菜が新たに拵えたものだ。
「こっちは見たことあるけど」
そう言って指差した隣の平皿には、肴の定番である"するめいか"。
「お前…。酒飲めるのに、肴食ったことねえのか…?」
鴉天狗など、驚き過ぎて開いた口が塞がる様子を見せない。
は相変わらず、なぜリクオたちが驚くのかが分からないようだ。
「だって、食べなくても良いし」
「……」
そういうことか、とリクオは己の考えを改めた。

『神様』という種類の存在は、こちらの常識の外の生き物である。

つまりはそういうことだ。
とりあえず、これは聞いていくしか無いだろう。
「食わなくても良いってことか? それとも、霞でも食ってんのか?」
「あー…。父上と母上から神気を分けて貰ってる、かな」
リクオは首を捻り、ぬらりひょんを見遣った。
当の祖父も、首を捻っていた。

「おかしいのぅ。彼奴、儂らと同じように飲み食いしておったぞ?」
「は…?」

のっけから矛盾が発生している。
再度を見れば、彼は意味も無く視線を彷徨わせた。
「んー…神酒(みき)はくれるけど、他はくれたことないし」
「誰が?」
「父上。…と、時々母上」
「…そうかい」
そうか、これはアレだ。
「過保護だな」
呟いたリクオに、ぬらりひょんが不正解を突き出す。
「それは違うぞ、リクオ」
「何が」
横を見れば、なぜか鴉天狗もぬらりひょんの言葉に大きく頷いていた。
「そうですな。彼奴の性格を考えると」
だから何が、と再度問えば、2人は揃って大真面目に宣(のたも)うた。


「「彼奴はただの親馬鹿じゃ(ですよ)」」


ああそうかい、と言葉を無くしかけたのは、きっと他の者でも同じはずだ。
「…大真面目に言うことかよ、そりゃ」
過去を懐かしむ年寄りは放っておこう。
リクオはまず、に肴の説明をしてやることに決めた。



<<  四.  酒宴への招待   /   六.  妖と龍 II  >>



09.12.3

閉じる