七.  朝靄の軌跡

「いってきます!」
手を振る母へいつもの挨拶を残して、リクオは門から駆け出した。
「リクオ様、待ってください!」
少し遅れて、氷麗(つらら)が慌てて駆けて来る。
ここまでは、いつもの朝の風景だった。
「ねえ、どこに行くの?」
「「うわぁ?!」」
突然に背後から(やや上空と言うべきか)声を投げられ、2人して文字通り飛び上がった。
「な、な、な…」
氷麗はいつだかのように口をぱくぱくと開閉させ、まるで金魚のようだ。
リクオも物凄い勢いで鳴り続ける心臓を押さえ込もうと、胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。
「な、な、…え、君?!」
声の投げ主を確認するまでもなかったのかもしれないが、姿を認めてやはり驚く。
けれど、驚くにはまだ早かった。
彼を正視したリクオと氷麗は、そこで言葉を失う。

光と装飾が、見事な調和の元に昇華された姿に。

銀の髪と和装、彼の指、手首、足首、首、耳元、髪を飾る青水晶。
そして彼自身。
すべてが日の光に照らされ、反射し、言葉さえ掻き消える麗容が…在る。

リクオも氷麗も、失った言葉さえ忘れた。
…朝靄の光に照らされているのは、自分たちも同じだというのに。
なぜ、こうも違うのだろうか?
(これが、『神様』)
昼間…否、朝に彼の姿を見たのは、これが初めてだ。
「どうかした?」
彼が首を傾げ、リクオはハッと我に返る。
「あっ…、ごめん、何でも無いよ!」
ちょっと吃驚しただけだからと告げれば、はあっさりと納得した。
リクオは今ので何分のロスか、と腕時計を見下ろす。
とりあえず、歩き出さなければ。

「ええっと、ごめん。なんて言ってたっけ?」
自分の隣を音も無く飛ぶへ、リクオは尋ね返した。
…驚き過ぎて、何を問われたのか忘れてしまった。
はリクオと氷麗をじっと見つめて、再度同じ問いを投げる。
「毎日同じ時間に、どこに行くの?」
昼の君は、いつもそっちの子とどこかへ行ってるから。
氷麗を視線で指し示して、彼はそう言った。
リクオは頷く。
「学校だよ」
「がっこう?」
疑問符付きの鸚鵡返しに、リクオと氷麗は顔を見合わせた。
「…もしかして、知らない?」
予想に違わず、頷きが返る。
「ええっとね…、人間の子どもが勉強に通うところだよ。昔は学び舎って言ってたかな」
「人の子が、大人になるために必要な知識を得る場所です。妖怪にはありません」
「へえ…」
氷麗が加えた注釈に、は感心したように目を丸くした。
その様子に、遠慮しながらも氷麗が問う。
「…龍の方(かた)は、どこで必要な知識を学ばれるのですか?」
『龍の方』とは、彼を知る奴良組の者たちが、彼を呼ぶ為に使い始めた敬称だ。
年齢だけで言えば氷麗だって彼より年上だが、何せ相手は龍神だ。
存在としての『格』が違う。

問われたは、少し考えてから答えを口にする。
「大抵は両親かな? 俺は兄弟が居ないし。後は他の神族(しんぞく)かな。
人間は、彼らを引っ括めて『八百万の神』なんて呼んでるけど」
「えっ? じゃあ付喪神とか土地神も?」
リクオが再度尋ねれば、彼は肯定した。
「だって、基本的には皆、オレより年上だもの」
だから妖怪も結構身近だね。
そう笑ったに、意外と遠慮の必要はないのかもしれない、と氷麗は思い直す。

道は住宅地を抜け、この地域の学校と駅へ繋がる商店街に入る。
今の時間は通勤・通学ラッシュなので、進行方向も逆行方向もいつものように混雑していた。
(あれ?)
リクオはふと気がついた。
…自分たちの歩いている周囲の、人の流れが違う。
リクオの左隣の氷麗は、前方からの人の流れに避けてもらったり彼女が避けたりとしている。
だが、右隣にいるは?
同じく気づいたのか、氷麗がリクオの袖を軽く引いてを見つめている。
彼の姿は、それなりに霊力を持つ人間や妖力を持つ者にしか見えない。
だから自分たちを追い越す人々も擦れ違う人々も、誰もが彼の存在が解らないし、見えてもいない。
…にも関わらず、人々はを避けて歩いていた。
(見えないのに、避けてる?)
はただ、リクオたちの歩みに合わせて隣を飛んでいるだけだ。
ということは、彼の姿が見えないのならば、この人の流れは一部だけ奇妙な空白である。
しかし誰もがその事実を気に留めていないという、事実。

つまり、人が彼に道を開けることは極自然なことであり、気に留める理由がないのだ。
たとえ見えていなくても、存在を信じていなくとも、『知っている』のだ。

(これが、神様)

「あ、ホントだ。リクオと同じぐらいの子がいっぱい居る」
習慣というものは恐ろしい。
の声に改めて前を見遣れば、中学校がある。
「オレのこと見える人、他に居るの?」
問われ、リクオは頷いた。
「1人居るよ。同じクラスで、陰陽師なんだ」
会ってみる? と尋ねてみたが、気が向いたら、と返された。
彼は学校を見ただけで満足なようだ。

「じゃあね。いってらっしゃい」

2人へそう笑いかけて、は何処かへと身を翻す。
ややあって、氷麗がくすぐったそうに笑った。
「龍の方に"いってらっしゃい"と言われるのは、何だか恥ずかしいですね」
リクオも頬を掻いた。
「あはは、そうだね」
そうして2人はいつものように、浮世絵中学校の正門を潜った。

End.

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10.1.17

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