十一. 此ノ岸ノ夢ノ終ノ今日
♪散り散る花びら ひらひらり
吹く吹くそよ風 ふわふわり♪
下校途中にふと聴こえた、可愛らしい歌声。
家長カナは足を止め、きょろりと周りを見回した。
「こっちかなぁ?」
いつもは真っ直ぐに行く道を、右に折れる。
♪ひらひらり ふわふわり♪
幼いながらに甘さの乗った声。
楽しげにリズムを紡ぐ、歌。
耳に残る可憐な歌を、併せて口ずさんでみる。
「ひらひらり♪ ふわふわり♪」
可愛い歌だなあと思いながら、カナは足を進める。
「…あれ?」
気づけば、周囲から住宅地が消えていた。
再び足を止め、周りを見る。
道はあるが、家は無い。
空は見えるが、靄(もや)が掛かって遠くまで見えない。
「うそ、もしかして迷った…?」
不安を抱くと、先刻よりもずっと近い場所で歌声が聴こえた。
♪散り散る花びら ひらひらり
さらさらせせらぎ ゆらゆらり♪
歌詞の通りの水音が聞こえそちらへ向かえば、川が流れている。
ふわりと香った匂いに顔を上げると、小さな花を満開に咲かせた梅の木が立っていた。
「うわあ…!」
どういうわけか、紅白の花が同じ木に咲いている。
小さく丸い梅花は秘めやかな甘い香りを纏い、ここに在ることが尤も相応しいと思わせる佇まいで。
思わず見蕩れたカナは、小さな気配に気づくのが遅れた。
「"おねえちゃん、梅、すきなの?"」
「えっ?」
驚きに梅から目を離すと、目の前に8歳くらいの少女が居た。
右に赤、左に白のリボンで結い上げた、長く絹糸のような黒髪。
白地に梅と鶯が描かれた小袖、合わせの袴は緑青(ろくしょう)。
愛らしい顔立ちは、無意識に頭を撫でたくなってしまう。
少女はカナを見上げ、嬉しそうに笑った。
「"えへへ。ありがとう"」
カナは何も答えていないのだが、少女はにこにことカナを見上げている。
それだけで、まあいいかと思ってしまう。
「"おねえちゃん、りっくんの香りがする"」
彼女が何なのかと思案していたカナは、突然の言葉に目を丸くした。
「りっくん?」
誰のことだろうか。
少女は頷き、大きく澄んだ色の目を細めた。
「"だからつぎは、りっくんときて"」
少女と梅が、カナの視界から不意に遠ざかる。
一瞬後にすべてが靄に包まれ、周囲にはいつの間にか住宅街が広がっていた。
♪咲く咲く紅白 きらきらり
香り 忘れなかれーー…♪
そうして、遠くであの歌が途切れた。
カナの話を聞き終えたリクオは、うーんと眉尻を下げる。
「えっと、それで僕?」
「うん。私の知ってる人でそんな風に呼ばれそうな人、リクオ君しか居ないし…」
あの子、なんだったのかな?
下駄箱で靴を履き替えながら、リクオもカナと一緒になって首を捻る。
「なんだろ…梅の精、とか?」
学校を出て、正門を後にする。
いつも一緒に居る氷麗(つらら)は、今日は見回りがあるので居ない。
相談されてしまったので無下にも出来ず、リクオはカナが歌を聴いたという場所まで一緒にやって来た。
「この交差点?」
「そうそう。で、ここで歌が…」
♪散り散る花びら ひらひらり
吹く吹くそよ風 ふわふわり♪
図らずも、2人同時に目を瞬いた。
「リクオ君、聴こえた…よね?」
彼女の問いに頷いたリクオにも、確かに聴こえた。
先日のカナと同じように、2人で道を右に折れる。
♪ひらひらり ふわふわり♪
歌は途切れず聴こえてくる。
だが、カナが先日出会ったときと、少し違った。
「…あれ?」
気づいて、立ち止まる。
「カナちゃん?」
「あ、うん。景色が変わらないから、何が違うのかなって」
この間は、気づけば靄の中を歩いていた。
けれど今回は、歩き続けても歌に近づけていない感覚がある。
「うん、確かに…」
歌は同じ距離から、付かず離れず聴こえてきていた。
「他に何か要るのかな…?」
例えば、扉を開くための呪文のような。
リクオが何気なく口にした事柄に、カナがぽんと手を打つ。
「あ、私、歌った!」
「へ?」
「この歌、私、一緒に歌ったの。ひらひらり♪ ふわふわり♪ って」
「♪ひらひらり、ふわふわり?」
「そう」
そより、と風が吹く。
風に乗って、甘い香りがふわりと漂った。
「あ…」
顔を見合わせて、リクオとカナは周りを見直す。
靄が掛かり、いつもの町並みは白の向こうへ消えていた。
「歌が鍵なんだね」
歌の聴こえる方へと、また2人して歩く。
さらさらと水のせせらぎが聴こえ、白い景色の中に鮮やかな紅白が現れた。
それは色鮮やかに、見るものを誰彼構わず惹き付けて。
「凄い…」
見事さに賞賛を呟いてから、リクオはハッとする。
同じ木に紅白を咲かせた梅は、此(こ)の岸にあるのか彼(か)の岸にあるのか。
(不味いものじゃなければ良いけど…)
清浄な『気』を蓄えた花(以前見た神仙花のように)であれば、良いのだが。
そんな考えがリクオの頭を過った。
「"あ! このあいだのおねえちゃん!"」
リクオとカナの他に誰も居なかったはずの場所に、少女が立っていた。
少女へ笑みを向け、カナはリクオを指し示す。
「こんにちわ。あなたの言った"りっくん"って、リクオ君のことかな? って思って」
("りっくん"って…)
愛称に苦笑を浮かべ、リクオも紅白の少女を見返す。
誰かにそのように呼ばれた記憶は、ないのだが。
梅の少女はリクオを見上げ、可愛らしく小首を傾げた。
「"うーんと、りっくんはりっくんだけど、ちがうかなあ…"」
言っている意味が、よく分からない。
リクオもカナも疑問符を掲げる。
すると少女は、カナが肩から下げていた鞄を指差した。
「"鏡"」
「えっ、鏡?」
こくりと頷いて、少女はカナへ笑いかける。
「"その鏡をおねえちゃんにぷれぜんとした、りっくんだよ"」
思い当たったカナの頬が紅潮した。
「えっ、あのっ…」
カナが13歳の誕生日を迎えた日。
割れてしまった鏡を知っていたのか、美しい顔立ちの少年に貰った、紅の手鏡。
「あ、あの方のことなの?!」
一方で、リクオは開いた口が塞がらない。
カナのことと言い、この梅の精らしい少女と言い。
(絶対天然タラシだろ"夜の僕"…っ!!)
同じ『奴良リクオ』として、こういう差異はまったく嬉しくないものである。
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11.5.1
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