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手渡された通知書を見て、シン・アスカは思わず宛名を確認したものだった。

「…嘘だろ…?」

そう口に出したところで文字が変わるわけでもないし、誰かが答えてくれるわけでもない。
通知書を渡してくれたアカデミー時代の教官も、どこか苦そうに笑いながら言った。
「君自身がそう思うなら、そうなんだろうな」
意味が分からない。
けれどシンは手に持つ1通の文書に、文字通り手一杯。
教官のそんな言葉を聞き咎める余裕もなかった。

放課後になり、生徒の数が疎らになってきたザフトアカデミー。
卒業する前ですでにシン自身が数えることを放棄した、教官室への呼び出し。
実戦に備えた模擬演習担当であった教官に手渡された、通知書。


『新設プラント、アーモリー・ワンへの派遣及び任務通知書』


話によれば、シンを含めて派遣されるのは全6名。
パイロット育成科から紅服認定を受けた3名、ITエージェント育成科の成績優秀者から3名。
アーモリー・ワンへ新卒兵士を配備するための一環らしい。
その新設プラントにはすでに都市として機能出来るだけの住民がおり、基地常駐の軍人も住んでいる。
だがその数はまだ予定数の70%に留まっていた。
残り30%は未だ調整中で、ユニウス条約に沿う形の新規軍需も軌道に乗ったばかり。
今期アカデミー卒業生の大部分は、この新規に伴う空席に埋められて行くという。
もちろん、それだけならシンは通知書を疑ったりしない。
通知書の言葉を借りるなら、『及び任務』という文字が問題だったのだ。





アプリリウス・ワン評議会議事堂。
それを目前に見上げて、シンは緊張をため息にして吐き出そうと試みた。

「なんか…すごいドキドキするわね…」

シンの斜め後ろで同じく緊張している様子の少女が、そんな気持ちを代弁してくれた。
鮮やかな赤紫の髪は短く揃えられ、癖があるのか前髪はぴょんと跳ねている。
来ているのは紅い軍服。
シンも同じ紅の軍服を着ているが、彼女の場合は合わせの下が薄桃のミニスカートだ。
彼女…ルナマリア・ホークは、シンの左隣に立つ人物を恨めしそうに見やった。
「もう、なんでレイはこんなにも平然と出来るのかしら?」
ポーカーフェイスなのかさえ分からないのがまた、厄介だ。
言われた当人は、至って涼しげな顔でシンとルナを当分に見る。

「お前たちの落ち着きがないだけだろ?」

絵に描いたような金髪碧眼、品行方正、アカデミー主席卒業。
レイ・ザ・バレルは、非の打ち所がないと言っても過言ではないだろう。
滅多なことでは表情が変わらず話し方も淡々としており、"アンティーク・ドール"と嫌みを言う人間も居る。
その実、負けず嫌いだとか毒舌家だとか、ごく親しい人間が知るところの彼は人形ほど可愛くはない。

「レイはパンピーじゃないもんな」

言いながら、それを過去に何度言ったのかとシンは自問自答した。
知られていないが、シンはレイともう1人…ミーア・キャンベルと同じ戸籍表に名を連ねている。
詳しい話は長いので棚に上げるが、少なくともシンのレイとの付き合いはルナよりも長い。
同居人2人の金銭感覚や損得勘定が、一般家庭から逸脱していたのは確かだった。
ルナがわざとらしくため息をつく。

「そうよね。見るからにお坊ちゃまのレイに、私と同じ感覚を求めるのがおかしいのよね」



大きな自動ドアを抜けると、カツン、と靴音が響き出した。
さすがに議事堂の中は粛々とした空気に包まれており、知らず背筋を伸ばしてしまう。

「アカデミーから派遣された方ですね。お待ちしておりました」

入ってすぐ、幅の広い階段の傍に佇んでいた女性から声が掛かった。
すらりと背が高く、ハニーブロンドの髪は綺麗に纏められてそつなく顔の横に流れている。
視力が悪いのかは定かではないが、赤みがかった全面グラスを掛けていた。
いつだったか、視力を持たせるために同じような装置を付けている人物を見たことがある。
女性の前で立ち止まり敬礼を返すと、彼女は顔と名前を一致させるように呟いた。

「レイ・ザ・バレル、シン・アスカ、ルナマリア・ホーク…以上3名ですね。ああ、申し遅れました。
私はサラ・シェリカ、デュランダル議長の秘書のようなものをやっています」

言いながら体を反転させ、彼女は片手で階上を示す。
後に続いて階段を上りながら、シンは物珍しげに建物の中を見回していた。
議事堂という格調の高そうな場所だけあって、階段から上は絨毯張りだ。
1階は大理石と思われる、つるりと光る床だった。
「ちょっとシン、もう少し落ち着きなさいよ」
声を潜めて耳打ちして来たルナも、やはりきょろきょろと物珍しそうだ。
人のことは言えない。

「突然の任務通達で驚かれたことでしょう。こちらも慌ただしい限りで…」

サラの言葉に意識を戻す。
シンたち3人が受けた任務は、『アーモリー・ワン視察に際する評議会議長の護衛』だった。
それこそ、アカデミーを卒業したばかりの新人には前代未聞の話だ。
しかしサラの言う通り、ザフトが現在進行形で忙殺されているのも確かである。

新たに発効された『ユニウス条約』は、各国のMS及び戦艦保持数を制限し、核の軍事使用を禁止している。
現段階で、核エンジンを搭載したMSや戦艦は全て破棄されているはずだ。
…政府が把握している限りでは。
MSや戦艦の保持数を制限されるということは、戦闘に出る軍人も自ずと制限されるに等しい。
前大戦を生き残った経験豊かな者は、そろって要人の護衛や本国守備に駆り出されている。
早い話が人手不足。
故に、シンたちのような新人が国内に配備されるのは必然と言える。
言えるのだが、護衛する人物が問題だ。
何せプラントにおける最終決定権の持ち主なのだから。



やはり幅の広い絨毯張りの外周通路を歩き続け、いくつもの扉の前を通って、サラが立ち止まった。
その扉の前にいた軍人がサッと敬礼し、それに敬礼で返したシンとルナは思わず声を出す。

「「ハイネさん?!」」

口に出した後でハッと自分の口を塞ぐ。
任務中の私語は御法度だ。
レイには無言のままで呆れの視線を向けられた。
呼ばれた当人は2人へ苦笑すると真顔に戻り、サラもシンとルナを咎めず口元で笑むに止めた。

「ご来客中でしょうか?」

尋ねた彼女に、ハイネ・ヴェステンフルスは軽く頷いた。
「ええ。しかし長引きそうなので、彼らが来たら通してくれて良い、と」
"彼ら"というのはシンとレイ、ルナのことだ。
ハイネの返答にしばし考え込むサラの横で、改めて目の前の彼へ目線を合わせる。
すると相手は茶目っ気たっぷりに小さく笑った。

「まだまだ青いな〜君たち」

ハイネはアカデミーで演習項目の教官補佐をやっていた。
パイロット育成科だった3人とは、顔見知りである。
彼は評議会議長が任命する特務隊員"FAITH(フェイス)"であり、隊長以上の権限を持っている。
"FAITH"は軍人としての総合能力と実績に優れていなければ任命されない。
軍服の襟元にある、白い翼を模した紋章がその証だ。
そんな硬そうな地位であるにも関わらず、ハイネ自身は至ってフレンドリーな性格の持ち主であった。
エンターテイナーとしてやれそうな気さくな人柄は、取っつきやすく朗らかなもの。
人見知りの気があるーーこの場合は不可抗力だがーーシンが、唯一反射的に反抗しなかった上官でもある。

しばしの思考から戻ったサラが扉の開閉ボタンを押した。
動作に気付き、ハイネやシンも姿勢を正す。
「失礼します」
彼女の声と共に、扉が静かな音を立てて開いた。



「よほど俺に首輪を付けたいらしいな、てめえは」



低く危険な響きを伴った声が耳に入った。
軍人ではないであろうサラでさえ、緊張に体を硬くしたのが分かる。

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。こちらとしては破格の条件を出しているつもりだがね」
「破格?寝言は寝て言え」

広い部屋には最高評議会議長の執務机、その脇の壁には巨大なモニター画面がある。
執務机に主の姿はなく、通路ひとつ分の間を空けた向かい側には応接用のソファとテーブルが。
あまり穏やかでない会話はそちらから発せられていた。
応接用ソファの向こうーー入り口側へ向けてーー座っているのが、護衛対象であるギルバート・デュランダル。
クライン派の思想を受け継ぐ穏健派で、前大戦後の選挙で最高評議会議長となった。
シンとレイ、ミーアの保護者代わりでもあるが、長くなるのでこれも棚に上げる。
その彼が対しているーーシンたちには背を向けて座っているーー人物が、こちらを肩越しに振り返った。

「…ッ?!」

瞬間、視線に射抜かれた。
殺気こそ込められていなかったが、冗談抜きでその場に縫い止められたと思った。
レイやルナ、そしてハイネですら軽く目を見開いている。
矢の元である鮮やかな紫が脳裏に焼き付きそうだ。
その場に立ち尽くす彼らへ、デュランダルはどこかすまなそうに声を掛けた。

「やあ、サラ。取り込み中ですまないね」

状況から言えば、すまなそうに思うのも当然か。
金縛りから抜けたようにサラがハッと顔を上げた。
「い、いえ。出直した方がよろしいでしょうか…?」
すると紫の視線が外され、その人物が片手を上げて軽く振った。
どうやら譲ってくれるらしい。
ホッとしたシンは知らず肩の力を抜く。

先客は応接テーブルの上に雑多に置かれていた書類を手に取り、読み始めた。
背を向けているからか、先程のような緊張感は部屋から消え去っている。
少しの義務感と多くの好奇心からその人物を観察してみるが、何者なのかさっぱり分からない。
いつだったかミーアが『珍しい』と言っていた黒髪で、ソファに隠れているが長いだろう。
長い髪の間から見える服も黒く、ザフトの関係者でないことは一目瞭然。
自分たちよりも年齢は上のようで、けれどそう離れていない気もする。

「議長。彼らがこの度の護衛を務める、アカデミー推薦の者たちです」

サラの声で我に返り、シンはレイとルナから幾分遅れて敬礼をとった。
その様子が可笑しかったのか、デュランダルは笑みを漏らす。
「よく来てくれた。早速だが今日の午後からよろしく頼むよ。
…そちらの女性がルナマリア君かな?」
「は、はい!」
突然に名を呼ばれ、彼女の声がわずかに上擦る。
「妹のメイリン君共々、優秀な成績を修めていると聞いているよ」
確かに彼女の妹メイリン・ホークは、ITエージェント育成科の首席卒業生だ。
ちなみにパイロット育成科ではルナが次々席、シンが次席卒業生になる。
「あ…ありがとうございます!」
礼を述べる声も表情も、歓喜に満ちていた。
デュランダルは次にレイを見る。
「レイも…あれから別状はないかい?」
「はい、特には。お心遣いありがとうございます」
込み入ったことはよく知らないが、レイは何か持病があるらしい。
軍人などという道を選んでいるのだから、そう深刻なものではなさそうだが。
それよりもシンは、視界の端に映った先客の様子が気になった。

彼ーー声から判断してーーは、今まで全く関心がなさそうに背を向けていた。
デュランダルがルナへ話しかけたときも、我関せずな様子は崩されない。
けれど次にレイが返答したとき、驚いたようにこちらへ振り向いた。
驚きに軽く見張られた紫の眼はレイに据えられ、次いでデュランダルへ据えられる。
またすぐに背を向けられてしまい、それ以上は考えようがなかったが。

「シンも変わりはないかい?」

いつの間にか自分の番になっていた。
シンは慌てて口を開く。
「あ、はい!おかげさまで…なんとかやってます」
言いながら、後でルナに問い詰められそうな気がした。
プラントにおける最重要人物に、敬称も付けずレイと同じように接されたのだから。