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「ちっ!」

…嵌められた。
人気のなくなったところで足を止め、カナードは壁を横殴りに叩きつけた。

今回、わざわざアプリリウス・ワンまで危険を冒してやって来たのは、依頼主に会うためだ。
つい数日前には、目的地が偶然バッティングしたキラと派手に動いたばかり。
立ち上げたばかりの傭兵部隊の名を上げるには、必要以上に動くことが手っ取り早い。
『 GARMR&D(ガルムandディ)』
この名前にも意味があるが、それは別の話にしよう。
カナードが感情的になっているのは、乗りたくもない人の手に乗らざる負えなくなったからだ。

交渉術で劣っていたとは思わない。
必要最低限しか喋っていないし、当然こちらについての情報はほとんど出していない。
それで劣っていたのなら、年齢の分だけ差があるということになる。
敵地に乗り込むに等しいこの場所で、手玉に取られるようなミスもしていない。
しかし相手が悪かった。
より人付き合いの得意なキラでも同じ結果だったろう。

ギルバート・デュランダル、プラント最高評議会議長。

それが今回の依頼主だった。
長期契約を結ぶことを前提にした依頼で、特に難しい部類ではなかった。
だが、権力者の考えることは例外なく気に食わない。
…確かに破格の条件には違いなかった。
ザフト軍需施設における自由行動、安全の保証、国内における機密情報の提供。
もちろん、横を見れば抜け道だらけだ。
"最低限の"安全の保証などと付けられては堪らないし、情報漏れがあった場合に重罪を擦り付けられる可能性がある。
そこはそれ、一国の頂点に立つ権力者も必死なのは同様だ。
もっともカナードの癇に障ったのはこの1文。

『ザフト及びプラント国内においては、それぞれに従えるものとする』

かなり歪曲に表現されている。
言い換えれば、こうだ。

『ザフト及びプラント国内においては、それぞれ属する軍部の命令に従うことを了承する』

つまり、こちらの領域にいる間はザフトに属する兵士として扱う、というわけだ。
それが先刻、シンが聞いた"低く危険な響きを伴った声"の原因。
そのような契約を成立させてしまえば、自由行動はおろか機体の安全にまで事が及ぶ。
外からハッキング等で探った方が何倍もマシだ。

息を吐き落ち着いてみると、相手の取った行動が全て計算づくだったという結論に達する。
いくつかの計算違いはあったろうが、根本にまで影響はなかったと。
壁に背を預けて窓の外へ目を向ければ、どこか不自然な青空が広がっている。
気にしても変化のないそれは思考の外へ追いやり、先程までの出来事を反芻してみる。

「…あれは、時間指定も計算の内だったか」

一国のトップなのだから、空き時間が少ないのは当たり前。
雇われる側であるから、こちらが雇い主の都合に合わせるのも当然。
暗号で添付されたパスコードでアプリリウス・ワンへ入り、この議事堂へ来た。
機体についてはカナリアに任せたので問題ない。
議長室へ通されたのは指定された時間ちょうどだった。
長期契約については慎重にならざる負えないため、短時間で済まないことは予想出来る。
そこへ別客が来た。
背の高い女ーーサラのことだーーは、カナードをここへ案内して来た人物だ。
部屋に入らなかったオレンジ色の髪の男ーーハイネのことだーーも、そのときに顔を合わせた。
なのでカナードが初見だったのは、軍人になりたてらしい別の3人。
彼らが来ることは、以前から今日のスケジュールに組み込まれていただろう。
誰か他の客が来ても不思議はなかったので、1度見やっただけで興味は湧かなかった。

あの声を聞くまでは。



そこまで考えて頭を振り、携帯電話を取り出す。
ワンコールですぐに繋がった。

「カナリア、そっちはどうだ?」
《こちらは特に問題ない。"あちら"は交渉中で、1度留保して帰ると言っていた》
「…向こうも同じかよ」
《一筋縄ではいかないようだ。これから戻るか?》
「ああ。あと5分程度」
《了解》

なんとなく、閉じた回線の向こうで"彼女"が顔でも洗っていそうな気がした。
無意識に想像出来るほど、カナリアは本物に近い。
…ところで、なぜ"猫"になったのだろうか。
顔馴染みのジャンク屋が持っていた人工知能を見て、便利そうだと思ったのが最初。
鳥型の方が移動しやすいが、そこまで技術が追い付かなかったのか。
今この段階で使えなかったことは確かだった。



少し歩くと、小さなホールのような空間に出た。
ホールというよりも待ち合い室のようなところで、この建物の太い支柱に沿って観葉植物とソファが並んでいる。
半円形の議事堂に合わせた螺旋階段を壁際に見つけて、カナードは思考を巡らせながら降りていく。

この議事堂の主との交渉を有利にするにはどうするか。
宇宙において、プラントと何かしらの手を結べばあまり不自由しなくて済む。
(ザフトについて調べた方が早いか…)
前大戦時に関わりはしたが、組織の大きさから言えばほんの末端だった。
調べれば、使える条件が転がっているかもしれない。
そんなことを考えながら階段を下り切る。
来たときと違う階段を下りたが、右手を見てみればロビーがあるので迷うことはない。

コツン。

足の先に何か硬いものがぶつかった。
「?」
何か、と黒い大理石張りの床へ目を落とす。
床には赤くて丸っこいもの。
それはころりと向こうへ転がっていった。
「……」
とても見覚えのある形なのは、果たして気のせいだろうか。
訝しげなカナードなど目に入らないのか、その丸いものは勢い良く飛び上がる。


『 Hallo!! Hello!! How are you? I'm fine!! 』


早口で捲し立てるや否や、ソレは弾みをつけて体当たりをしてきた。
高く跳ねたソレを難なく受け止め、カナードは明らかな既視感を覚える。
「公用語で話すとは…随分とマトモだな」
色も違えば話し方も別物。
さて、とロビーを見回せば、カナードの片手にいるソレを探す声が駆けて来た。

「ハロー?もう、どこ行ったのよ!」

ヒールの甲高い音も一緒に駆けて来る。
規則的な音はロビーの左手から、次いで見覚えのある少女が現れた。
『 Hello! Lacus!! 』
赤いソレーーハローーは、そう言うなりカナードの手から少女の元へぴょいと跳ねた。
向かって来たハロに慌てて足を止め受け止めた少女は、ハロが来た方向にいるカナードに気付く。
彼女は早足でこちらへ近づき、小首を傾げて尋ねた。

「ごめんなさい。お怪我なさいませんでしたか?」

呆れてものも言えない。
(言うことも同じかよ…)
少女の問いを無視して、カナードは彼女を軽く観察してみた。
桃色の髪に星形の髪飾り。
白と紫の服は、かなり活動的なデザインだ。
「あの…?」
黙ったままのカナードに不安になったのか、少女が声を投げる。
彼女がどんなコメントを期待しているかは知らないが、とりあえず一言だけ呟いた。


「大胆な格好だな…」


それが"プラントのラクス"に対する、記念すべき感想第1号である。
驚き顔で固まった彼女を残し、カナードは議事堂を後にした。