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宇宙ステーション『アメノミハシラ』。
そこはオーブ所有の宇宙基地であり都市であったが、今は違う。
今のアメノミハシラは、ロンド・ミナ・サハクを主とした一国家と言える。


『宙域にMS。認識番号F-002、"幻影のシャヘル"』


警戒を解かれたアメノミハシラの宙域に、1機のMSが侵入を許された。
白い胴体に青のコントラスト。
それとはまったく相容れぬ、6枚の黒い翼を持ったMS。
宙(そら)へ向けてぽかりと開いたドックの入り口へ、そのMSは静かに吸い込まれて行った。


『宙域にMS。戦闘反応有り。認識番号F-001、"月光のシャレム"』


数十分の間を空けて、別のMSがアメノミハシラのドックへ入った。
白を基盤に、赤のコントラスト。
背部の装備が特徴的な"Η(イータ)"を形作る。

さらに新たな1機を入れたアメノミハシラのドックは、静かにその入り口を閉じた。





自機から降りたキラは、後から入ってきた2機のMSに首を傾げる。
「あのMSは…?」
彼の言う"あの"とは、最後に入ってきたMSだ。

「あれはジェネシスαにあったMSさ。俺がアウトフレームって名付けた」

その声に振り返ると、そこには馴染みのジャンク屋がいた。
「ロウさん!久しぶり!」
「おう!元気そうで何よりだ」
いつだったか火星へ旅立ったはずだが、戻ってきていたらしい。
「どうだったんですか?火星は」
ジェネシスαは、前大戦末期に使用された巨大兵器『ジェネシス』のプロトタイプ。
それを本来の用途"宇宙船加速装置"として使ったロウ・ギュールは、仲間と共に入植者のいる火星へ向かった。
問われたロウは楽しそうに話す。
「楽しかったぜ〜!生活環境はまだまだ改善の余地があるし。…にしても、」
そこで言葉を切ると、ロウはキラの乗っていた機体を見上げた。

「本当に全盛期の動きに戻るとは思わなかったぜ。それに、あの色も」

大胆なことするな、と苦笑に近い笑みで彼はキラへ問う。
問われたキラは笑った。

「"カナリア"も完成してたしね。それに、ユーラシアのときみたいに最初から造るわけじゃないから」

ZGMF-X10A『フリーダム』。
前大戦末期、第三勢力の剣として名を馳せたMSであり、キラの愛機。
半壊した機体は、真っ黒に塗られた翼を除けば元の姿を取り戻している。
…翼が黒く塗り替えられた意味。
それは、かつての自分を知る者への"メッセージ"。

ドックの整備士たちが慌ただしくなり、新たに入ってきたMSからパイロットが降りてくる。
先に降りてきたのは、アウトフレームというMSのパイロット。
その人物の片手にはどうも、何度か見たことのある物体が。
「…8(ハチ)?」
白い鞄のような形に、大きなディスプレイ。
オーブ・モルゲンレーテ社製の人工知能、『8』だ。
それを持つ人物はどうやら、ロウと知り合いなようで。

「ロウじゃないか!もう帰ってきてたのか?!」

野宿も出来そうな服装で、前髪に黄色のメッシュを入れた背の高い男だった。
脇に抱えているカメラに一般的でない望遠レンズが付いているのを見ると、ジャーナリストか。
些か不審そうなキラに気付いたのか、ロウが紹介する。
「あ、こいつはジェス・リブル。フリーのジャーナリストで、結構良い奴だぜ」
よろしく、と差し出された手を拒む理由はなく、キラもにこやかに応じる。
「こちらこそ初めまして」
相手はジャーナリスト、やはり顔を知られていた。

「あんた…ひょっとしてあの、第三勢力のキラ・ヤマトじゃないか?!」

初対面の人間は、ほぼ9割がたそのような反応をする。
どうやって続く質問を躱そうかと考えたキラだが、それは無用だった。

「あっ!」

ふいにキラの視界を横切ったもの。
ジェスの持っていた一眼レフカメラを、ひょいとひったくっていった"何か"。
カメラを取り返そうとそちらを見たジェスは、自分の目を疑う。

「…ねこ?」

行儀よろしくそこに座っていたのは、黒い猫。
鮮やかなアメジストの両眼が、すいっとジェスの姿を収めた。
一眼レフはまるでその辺の部品の如く、黒猫の前足に敷かれている。

「それだけじゃないぜ、カナリア。そいつ、デジカメも使ってたはずだ」

そして少し離れた位置から、黒猫に掛けられた指示。
黒猫はジェスがその声に反応する前に、カメラを無重力に浮かべて…蹴った。
「なっ?!」
確かにジェスは、上着のポケットにデジカメを持っている。
一眼レフに気を取られた彼に向かって飛んだ黒猫は、見事にそのデジカメを奪い取った。
「ああっ?!」
口にデジカメをくわえた黒猫は、ジェスから数歩後ろにいた別の人物の腕に着地する。
その人物の逆の手には、先ほど飛ばされた一眼レフカメラが。

「人が邪魔だと言ってる傍から…。その野次馬根性は認めてやるけどな」

黒い髪、黒い服。
同じ漆黒に溶け込んで、黒猫の眼はよく光った。
黒猫の飼い主らしい人物は、ジェスの持つ"8"を見て口の端を吊り上げる。

「大抵のデータはソイツに転送するだろうから、そっちもか」
「って、おいカナード!いきなり何を!!」

一連の動作を見て、ロウが肩を竦めた。
「おいおいジェス。いったい何やらかしたんだ?」
キラは一眼レフのフィルム残数を確認しているカナードを横から覗き込む。
「おかえり。どうしたの?」
一眼レフからフィルムを取り出したカナードは、それをキラに渡し苛々と言った。

「Η(イータ)の戦闘データを取られた」

彼はキラと別行動で、かつて同僚であったメリオル・ピスティスの部隊と共同戦を張っていたはずだ。
「あ〜…それはちょっと、マズいね」
たとえ写真1枚でも、高速シャッターで撮られたものはMSの機能を雄弁に語る。
…"GARMR&D"の本来像を、今明かされるわけにはいかない。
正体が分からない、というのは、依頼を受ける上で大きなメリットになるのだ。

キラはカナードの肩の上でデジカメをくわえるカナリアを見上げた。
「カナリア、そっちは消した?」
口からデジカメを離した"彼女"は、それを前足で掴む。
数秒後、カメラの液晶ディスプレイには" Delete "の文字が浮かんだ。
キラがデジカメをチェックすると、意外にも何枚か残っている。
「優しいね〜カナリア。僕なら全部消すよ?」
どうやらカナードの乗るドレッドノートΗに関係ないものは残したらしい。
写真を撮ることを生業とする人間にとってみれば、非常に恐ろしいことをさらりと言ってくれる。

「はい、ジェスさん。こっちのフィルムは返してあげることはできないけど」

デジカメとフィルムを抜き取った一眼レフを、キラはにこにこと笑顔でジェスに手渡した。
それまでの行動とのギャップにより、その笑顔は非常に黒々しい。
「あぁあ…!苦労して撮った写真がっ!!」
頭を抱えるジェスを他所に、カナリアがとてとてと彼の持つ『8』に近づく。
【な、なんだ?!】
ディスプレイに、8の焦るような言葉が浮かぶ。

「お、何する気なんだ?カナリア」

興味津々といった表情のロウが、ジェスの手から8を取ると床に置きディスプレイを正面から見る。
【ロウ!わたしをソレから離してくれ!】
とんでもなく焦った様子の8が、ディスプレイでロウへ頼み込む。
「ソレって…カナリアか?」
ロウの足元で8を見ていたカナリアは1度彼を見上げるが、すぐに8へ向き直った。
ちょいと右の前足を上げ、8のディスプレイに触れる。

【ドレッドノートΗとフリーダムに関するデータ、すべて消去させてもらう】

明らかに口調の違う言葉が、8のディスプレイに浮かんだ。
首を盛大に捻ったロウは、一拍置いて8へ問いかけた。

「んん?お前、カナリアか?!」
《Nyaro- にゃーお》

返事とばかりに本物のような鳴き声が、"彼女"から発せられた。
しばらくしてカナリアが前足をディスプレイから離すと、勢い良く文句が走る。
【おいこら!人の回線を勝手に乗っ取ってデータ弄るなんてふてぇ野郎だ!!】
しかし自分で動けるカナリアはすでに8に背を向け、主たちの方へ歩いている。
一部始終を目の前で見ていたロウは、8の心配など露程もしない。

「すっげぇじゃねーか!無線接触回線が完成したのか?!」

キラが笑って頷く。
「うん。ちょっと軍部のデータを拝借したけどね。凄いもんでしょ?」
「凄いも何も、これが量産出来たら世界のネットワークが変わるぜ!!」
同じような台詞を、ロウはカナリアが完成した際に使っている。
自分や他の仲間たちも協力したとはいえ、この2人の造り上げた AI は、全てにおいて世界最高水準だ。

傭兵にしておくには、勿体なさすぎる程に。