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無事に着水したミネルバは、自動航行でオーブへ向かう。
通路に一定間隔で設置してある艦内通信機で確認すれば、艦長であるタリアは部屋に戻っているようだ。
通信を切ったルナは、意を決してカナードを見る。

「あ、あの、墓標では助けて頂き、ありがとうございました!」

1度会ったきりの人物を理解することは、非常に難しい。
姉御肌で物怖じしないと自負しているルナも、内心ではかなり緊張していた。
…この"カナード・パルス"という人間は、取っつきにくい上に人間嫌いの部類だ。
ドキドキしながら一礼して顔を上げると、彼は何のことだろうかと一瞬だけ思案の様子を見せた。
「ああ、あれか…」
カナードは基本的に、任務上での細かい出来事は記憶に残さない。
先のユニウスセブンの件ならば、ルナを庇ったことはその類に入る。
言われて思い出す程度だ。
しかし、彼女のことをさっぱり忘れている訳でもなく。

「ガナーで出るのは自殺行為だな」

ただ事実だけを述べた。
アーモリーワンでの実戦演習のことを含めていると察したルナは、思わずムキになる。

「なっ、これでも命中率上がってるんですよ?!」
「…の割には、1発も当たっていなかったようだが」
「?!」

外れた弾も目立つと図星を指され、ルナは反撃の言葉が出ない。
彼女は言い返そうと開いた口を何とか閉じると、深呼吸して気持ちを落ち着けた。
(この人に張り合おうとするのがまず、間違いだったわ…)
エターナルの"剣"と"盾"についての伝説化された話は、誇張はされこそ半分以上が真実である。
狩猟の女神"アルテミス"を名乗る二つ名に、偽りは無い。
「…努力します」
いろいろと言いたいことを押さえつつ答えてから、ルナは意外に感じる。
(ひょっとして、取っつきにくいだけ…?)
そういえばシンは普通に話しかけていたな、と艦長室へ歩きながら思い出した。



格納庫を出て、キラは思い切り伸びをする。
「まったく、まさかアスランと鉢合わせなんて…ツイてないよ」
ちらりとキラを後ろに見ながら、シンは小声でレイへ呟いた。
「(コイツ…かなりわざとらしいんだけど)」
レイは無言のまま微かに頷く。
が、それ以上のリアクションは起こさない。
それを知ってか知らずか、キラはにこにこと笑いながらシンへ問いかけた。
「ねえ、インパルスについてちょっと聞きたいんだけど」
嫌々な表情を隠さず、シンは少しだけキラを振り返る。
「…何ですか?」
得体の知れない傭兵は、シンの機嫌を気にすることなく嬉々として尋ねた。

「じゃあ遠慮なく。デュートリオンビーム送電システムと合体型のメリットについて、パイロットとしての意見を」

思わず、レイまでもが足を止めた。
キラも立ち止まった2人に合わせて立ち止まり、今度は企みに富んだ笑みで答える。
「別に部外秘じゃないでしょ?一方的で嫌ならこっちも…」
言葉を切ったのは意図的なのか。

「あの"ストライク"について教えてあげる」

((こいつ、最低だ…))
シンとレイは図らずも同時にそう思った。
…大戦終戦後のアカデミー生である彼らに、戦中の話題は大きな餌だ。
そうでなくても大戦終盤についての話は、常に尽きない華だというのに。

第三勢力の象徴であり反戦の旗印であった、歌姫ラクス・クライン。
彼女の婚約者であり、前最高評議会議長パトリック・ザラの息子であるアスラン・ザラ。
連合に屈せずオーブの獅子と言われたウズミ・ナラ・アスハの娘、カガリ・ユラ・アスハ。

彼らに言えることは、一様に素性が知れ渡っていることだ。
それを利用して三隻同盟を"勢力"と呼ばせるまでに拡大させたという推測には、事欠かない。
逆に、世界中で彼らを知らぬ者を探す方が難しいだろう。
一方で、軍に関わる者しか素性を知らない者がいる。

奇跡の生還を果たしエターナル艦長として歌姫を補佐した、"砂漠の虎"アンドリュー・バルトフェルド。
GATシリーズ推進派の最後の1隻、連合に反旗を翻したAAの艦長マリュー・ラミアス。

一般のメディアを通して伝わるのは、彼らの名前と艦の名前。
彼らを評価するのはその功績のみであり、人物像は重視されない。
それが軍に属する人間である。
たとえばエターナルの乗員たちはクローズアップさえもされず、名前もろくに出ない。
しかし例外がある。
名前も顔も知られていなくとも、政治圏の者たちにまで影響を及ぼす者。
それが、MS及びMAのパイロットだ。

「あれのパイロットを、知っているんですか?」

ストライクがインパルスの大本であることは、ザフトの軍人ならば誰もが知っている。
そしてその機体が存在だけで、連合、ザフトの双方から戦意を失わせることを。
「…シン、歩きながら話せ」
このまま話し込んでしまいそうな雰囲気を読み取ったレイは、先に歩き出す。
艦長室へ行く途中であったことを思い出したシンは、慌ててその後を追った。
その後ろでキラは話を続ける。

「彼が生きている保証はなかったよ。向こうからすればこっちがそうだ。
でも、ジェネシスの目の前にいた僕らが生き残ったからね。死んだとは思ってなかった」

これは、聞き間違いだと思わない方がおかしい。
「ジェネシスって…、まさかあの?アレの目の前?!」
何でそんなところに居たんだ、と続くことが容易に想像出来た。
キラは肩を竦めて思い出すように呟く。
「だって、強かったんだよ。お世辞でもなく」
「…誰が?」
主語の無い言葉は、それが誰を示すのか分からない。
キラは首を傾げたシンの横へ視線を流した。

「僕らは聞かれたことしか答えないよ。"レイ・ザ・バレル"」

格納庫で互いが名乗ったのだから、名前を知っていることは当然だ。
けれどシンには、キラの呼んだレイの名前が別の"何か"を含んでいるような気がした。
…レイは何も言わない。
「もう、遅いわよ!」
通路の向こうからルナの声が飛び、シンの意識はそちらに移る。
キラは彼らには届かない音量で、黙然と自分を見返すレイに言った。

「知らないでいる方が幸せなことは、たくさん転がってるよ。
でもその中には、知らなければ一生の後悔になることも混ざってる」

レイの表情がわずかに変化したことを、キラは見逃さなかった。





格納庫にて。
エイブスはインパルスや他の機体の整備が終わった頃を見計らい、整備士たちを呼び集めた。
残る機体は、"GARMR&D"の2機。
「こちらの機体の整備を始めよう。燃料補給は…まず、エンジン部分の点検をしてからだ」
だろうな、と誰もが思った。
機体の根本が分からなければ、整備など出来ない。
問題は、この"GARMR&D"の機体が様々な点において特殊であることだ。
2人の整備士が、まずカナードという名の傭兵が乗っていた機体へ上がる。
…正直言って、エイブスさえもこちらの機体を知らない。

「うわぁっ?!」

コックピットを開けた途端、騒ぎは始まった。
何か"黒いもの"が整備士の方へ飛んできて、彼らはリフトの端へ飛び退く。
「なんだ?!」
下の整備士たちは、落ち着かぬ様子で上を見上げる。
リフトに降り立った"黒いもの"はさらに操作パネルへ飛び、下降ボタンを押した。
降りて来たリフトに驚いたのは、下にいたエイブスたちだ。
「おい、どうした?!」
リフトへ近づいた整備士たちの間から、さらに"黒いもの"が飛び跳ねた。
「な…?!」
すとん、と降り立った"黒いもの"はトトト、と軽やかに彼らの間を通り抜ける。
そしてヨウランとヴィーノが操作する、総合パネル装置へ飛び上がった。

「へ…?」
「猫…?」

彼らの目の前にいたのは、黒い猫だった。
格納庫にいる全員がそこへ集まり、黒猫を凝視する。
…どこからどう見ても、黒い猫である。
黒猫は装置のディスプレイへ近づき、そこへ腰を落ち着けた。
ザ、と画面にノイズが走る。


【私の名は"AI.カナリア"。"GARMR&D"の機体の整備は、私の指示に従ってもらう】


映し出された文字に、誰もが唖然と口を開けた。
「アイ…?もしかして、人工知能の"AI"か?」
「まさか…じゃあこれは…?!」
再度、すべての視線が黒猫へ向く。
ノイズが走った画面には、また別の文章が浮かんだ。

【私は擬似人格を持つ人工知能。他者と違う点は、独立運動機能を施されていることだ】

顔を見合わせずにはいられない。
「マジかよ?!」
「じゃあ、あの2人が造ったってことか?!」
「信じられん…!」
驚きよりも好奇心が勝ったヴィーノが、目を輝かせながらカナリアへ尋ねた。

「なあ、お前。どうやってここに文字映してんの?」
【回答不可】
「えー。じゃあ、何かしゃべれんの?」
《Nyaro-にゃーお》
「うわ!本物の猫だ!!」
「おいヴィーノ、」
「何だよ〜ヨウラン。だって面白いじゃん!」
「ヨウランの言う通りだ、ヴィーノ。まず整備が先だ」
「えー、チーフまで」
「(俺、まだ何も言ってないんだけど)」

整備士たちの会話は、微妙に噛み合っていない。
気を取り直したエイブスが、とりあえずカナリアへ言ってみた。
「この2機の基本データを見せてくれ。データが無いのでは弾薬の種類も分からん」
ピピッ、と音がしたかと思うと、総合パネルのすべてのディスプレイにデータが流れ出した。
「おい!早くバックアップ取れ!」
「「は、はい!」」
整備士たちが慌ただしく動き始める。

黒い翼のMSは、予想に違わず『ZGMF-X10A・フリーダム』。
流れたデータとザフトのデータバンクに残っているデータに、大きな違いはない。
だがもう1機は、データバンクにもデータが見つからなかった。

「『YMF-X000A/H・ドレッドノートΗ(イータ)』…?どういうことだ?」

これは、ザフトのMSコードだ。
基本データには、フリーダムやジャスティスのプロトタイプであったことを伺わせる部分が多い。
エイブスがカナリアを見ると、ディスプレイの1つに見透かしたような文章が並んだ。

【これはザフト軍部が独断で開発したMS。ある筋から正式にこちらへ渡ったものだ。
よって返却の義務はなく、また、それについて詮索される理由も無い】

厄介だと思いながらも、どこかホッとしたエイブスは苦笑する。
「安心してくれ。余計な詮索をして余計な荷物を背負うのは、こちらもご免だ」
【それならこちらも余計なデータを使わずに済む】
「お前さん、かなりの容量だろ?」
【空いて困ることは無い】
「確かにな」
随分と、人間らしい猫だ。


思わぬ登場人物…いや、動物(機械だが)に混乱はしたが、格納庫は平和だった。