2- 3

懐かしい、海の音が聞こえる。



「おい、起きろ。スピネル」

付き合いの長かった声にゆっくりと目を開ければ、見慣れた黒い仮面。
それは声だけでは錯覚したままであったろう自分の意識を、無理矢理引き戻す。
…中国、華南にある地球連合軍基地。
その一角で、ネオは呆れたように息をついた。
「時間厳守って、お前がこれじゃあ話にならんだろーが」
スピネルは寝転んでいた芝生から起き上がると、素で首を捻る。
「何か言ってたっけ?」
今度こそ、ネオは盛大なため息をつかざるを得なかった。

「新しい戦力が合流すると言っただろ…」

華南といっても、ここは内陸部に入る地域。
ユニウスセブン落下の表立った影響は微々たるもので、裏でじわじわと広がるのは"塵"の影響だった。
海に半分、陸に半分落ちた隕石たちは、海ならば塩を、陸ならば粉塵を大気中に巻き散らした。
それは地球全土の天候に影響を及ぼし、常ならばあり得ない気象を生み出している。
これから先、食糧難に襲われるかもしれない。

そんなことを思考の隅で思いながら、スピネルは立ち上がり伸びをした。
「ああ、なんか言われた気がする」
「気がする、じゃなくて言われたはずだな。マティス殿に」
「…たぶん」
「……」
呆れ過ぎてネオは沈黙してしまった。
自分でも、自覚はしている。
ようやく地上に降りることが出来た為か、気が抜けていることが。
…地上には、無条件で心を満たしてくれるものがある。
それ以外に思い当たることも、あった。

「ホッとしたんだよ。あのとき」

基地の司令部へ歩きながら、ネオは黙って彼の言葉の先を待つ。
スピネルは見上げた青空の中に、先日見たばかりのMSを思い描いた。
黒い翼を持ったMSと、光る盾を持つMSを。

会ったわけじゃない。
ただ、それを目撃しただけ。
けれど確信を持って、"そう"思った。

「前みたいに…知らないものしかないわけじゃ、なかったって」

6年前は、知らないものしかなかった。
だけど今回はまだ、知っているものが残っている。
「…そうか」
ネオが肯定の言葉だけに止めたのは、彼が言葉に込めた真意を掴み取れなかったからだ。

ふいに2人の上に大きな影が出来る。
上を見れば、MS運搬用の巨大な貨物機が高度を下げ着陸態勢にいた。
それが着陸するであろう滑走路の向こうを眺めて、スピネルは笑みを浮かべる。
「来たのがイルドだったら笑ってやろうかな〜」
宇宙で、あの友人は何をしているだろうか。



カオス、ガイア、アビスと並ぶRGXシリーズ。
向かいには、3種の可変装備と共に並んだストライク。
その『Phantom Pain』の主力を収めたハンガーへ、新たに入って来たMSが1機。
整備士たちはその機体へ、必然的に目を引かれた。

「こりゃすげえ…鏡みてーに瓜二つだぜ」
「まさに兄弟機、ですね」

『GAT-X105E・ストライクノワール』。
背部に"ノワールストライカー"と呼ばれる専用装備を持ち、性能を例えて言うなら万能型MS。
近接戦から援護射撃まで、すべての射程で対応出来る機体だ。
色はその名が示す通り黒が主体、かつてユーラシア連邦から出た兄弟機"アヌビス"を彷彿とさせる。
そのノワールから降りてきたパイロットを見て、整備士たちは驚きを禁じ得なかった。
…若い。
自分たちの上司と、ほとんど同じ年齢ではないだろうか。
ここのところ、新型機のパイロットが低年齢化しているのは気のせいではないらしい。
とにかく、機体を見上げているだけでは始まらない。
ハンガーに居た整備士たちは軽く目を交わし、幾人かが降りてきた青年へ近づいた。

「お疲れさまです、スウェン・カル・バヤン中尉」

スウェンと呼ばれた青年は軽く目礼し、その視線をそのまま向かいにあるMSへ向けた。
口を開かない彼に対し、整備士たちも咎めない。
このハンガーに入ってきた者は必ず、彼と同じ動作をするのだから。
「何か説明が入り用ですか?」
問われた彼はようやく口を開いた。

「…いや。すぐに本人に会う」

己の愛機の大本であるストライクを見上げていた視線を、整備士たちへ戻す。
さすが連合軍において異質な『Phantom Pain』、その中でも異質なこのハンガーのMSに関わる部隊。
整備士たちも"普通でない"パイロットと関わるせいか、何というか逆に人が良い。
ぶっきらぼうと言えるスウェンの態度に、気を悪くした様子もなかった。
「そうですか。では詳しい話は後ほど。少佐と大佐はこの奥を出てすぐの司令部です」
「分かった」
口数が少ないのか話すことが嫌なのか、スウェンは自分でも分からない。

異動してきたこの部隊がかなり『異質』であることは、十分に察せられた。
たとえば、自分のノワールも含めた『異常』に近い戦力の偏り。
…ザフトの最新鋭が3機に"あの"ストライク、そこへノワールだ。
3機に対し、ストライクとノワールの2機が別部隊ならば分かる。
集団戦法が基本である連合軍において、中心を担う機体が在ればそれだけで隊はまとまるのだ。
(ストライク、か…)
今のところ、スウェンの興味はRGXよりもそちらへ向いていた。





添付された写真で目立つのは、白に近く短い銀髪にフェザーブルーの眼。
所属は『Phantom Pain』となっているが、こちらとは別の地域の部隊であったらしい。
(俺より年上…)
ネオの言う"新しい戦力"である人物の資料を見れば、年齢の項は"20歳"となっている。
スピネルは、自分がいかに年功序列に即していないのか再認識した。
…したところで何か変わるわけでもないが。
出身地は不明とされ、しかし彼が居た表向き"養護施設"とされている施設は、
(東欧でもっとも活発だった反コーディネイター組織…)
ブルーコスモスと手を結んでいた、連合軍の一派を担うエリート養成研究所。

扉の開く音がして、ネオが艦橋から戻って来た。
「どーだった?この辺の被害状況」
ガーティ・ルーの面々は墓標落下の混乱が収まり始めたところへ降りて来たので、詳しい状況を知らない。
ネオはスピネルの問いに肩を竦めてみせた。

「かなりの被害だったらしい。大都市も水没している」
「ああ、それは俺も聞いた。ワシントンを含めたアメリカ沿岸都市に、ペキン、トウキョウ、キャンベラ。
ロンドンも半水没。インドネシア地域は島ごと消えたとか?無事な沿岸は地中海かな」
「…俺より余程詳しいな」
「世界地図がきっちり頭に入ってれば、予想くらい出来る」

腰掛けていた窓から離れ、スピネルは持っていた書類を執務机に返す。
ネオはその椅子に腰掛けると、備え付けモニターの電源を入れ世界地図を出した。
「まあ、お前の予想は違わないな。おそらく、全体被害の少なかったEU諸国が台頭してくる。
そうそう、あのオーブも結構な被害だったそうだ。中心部は無事らしいがな」
南太平洋に位置する国名を聞いて、数日前のことを思い出した。
それについて口を開こうとしたスピネルを、扉のノック音が遮る。
「どうぞ」
ネオの声に応じ入ってきた人物は、つい先ほど見た資料の人物だった。


「スウェン・カル・バヤン中尉、参りました」


ガーティ・ルー部隊司令室へ入った瞬間、スウェンはぎょっとした。
いや、黒い仮面を被った人間がいれば、誰だってぎょっとするに違いない。
だが感情表現の乏しい彼は、些かも動揺した様子に見えないのが現状である。
(凄いな〜こいつ…)
スピネルはそのスウェンの反応に感心した。
感心どころが違うことは百も承知だ。
ネオは面白そうに笑いながら、軽く片手を上げる。

「ようこそ、ガーティ・ルーへ。指揮官のネオ・ロアノークだ。とりあえず、部隊の責任者だな」

妙な言い方にスピネルは疑問を返す。
「とりあえず、って何だよ?」
机に腰掛けるように立っている彼を見上げて、ネオは再度肩を竦め笑った。
「半分は、お前の指揮下だからな」
スピネルはそれの意味するところを正確に読み取る。
…揶揄の言葉でありながら、皮肉に聞こえないのは気のせいか。

「まあ、別に良いけどな。俺はスピネル・フォーカス。MS及びMA部隊の指揮官」

"アリオーシュの蒼い蝶"、前大戦時は"連合の蝶"。
戦い方で付けられる二つ名がなぜ"蝶"なのか、不思議に思ったことがある。
今目の前に居る本人を見て、スウェンはその理由が分かったような気がした。
(この人間が、あのストライクのパイロット…)
この『スピネル』という人間ほど、≠(ノットイコール)が成立する軍人も居ないだろう。
ほんの少し眉が顰められたのを認めて、スピネルは苦笑した。
(よほど、MSとのギャップがあるんだろうな)
噂やたとえ話に尾ひれがつくのは、よくあることだ。
自分が他人からどのように見られているのか熟知しているスピネルは、あまり深く考えない。


…RRRRR、


電話の呼び出し音が部屋に響いた。
机の上の受話器を取ろうとしたネオを軽く制して、スピネルは扉に近い壁にある受話器を取る。
わざわざそちらを取ったのは、何となく予感がしたから。
「はい、こちら司令室。……ああ、久しぶり」
聞こえて来たのは予想に違わず、ガーティ・ルーへ司令を出している張本人。
スピネルは通話が長くなることを身振りでネオに伝えると、壁に背を預けて僅かに声を潜める。
その一連の動作で誰からの連絡か察しのついたネオは、そちらを彼に任せてスウェンへ向き直った。

「ガーティ・ルーはユニウスセブン落下の影響で、もっとも動けない部隊でね。
情勢が動くまではゆっくりしてくれ」
「……」
のんびり構えてくれと命じる部隊に初めて出会った。
返答しようにも困ったスウェンは、無言で先に続くであろう言葉を待つ。
ネオはスピネルへ視線をやってから、呆れとも苦笑ともつかない笑みを漏らした。

「今後、君はアイツの下で戦うことになるが…あまり期待しない方が良いぞ」
「は?」
「見た目の割に不真面目だからな。上に立てる素質があるくせに、当人はそれが嫌だときてる。
RGXのパイロットたちも世話が焼けるが、1番厄介なのは間違いなくスピネルだ」

まだ初対面でしかないスウェンは、ネオの言葉にスピネルを見る。
すると勝手に話題にされている当人と目が合った。
スピネルは別に意図したわけではなく、受話器の向こうの人物がその名前を出したため。
その後二言三言交わして通話を切ったスピネルは、スウェンを見ながら呟いた。
「スウェン・カル・バヤン…こっちも読みは"Su"か…」
何のことやら分からず、スウェンは内心で首を傾げる。
それに気付いたスピネルは、大したことは無いと笑って自分より少し背の高いスウェンを見上げた。

「ここのパイロット、"Su"の読みで始まる名前のやつ多いんだよ。俺もだけど。
だからミドルネームで呼んで良いか?」

スウェンが頷いたのを確認して、スピネルはネオを振り返る。
「あいつらはもう準備万端?」
ネオは何度目かの呆れのため息をついた。
「スウェンが来る少し前に、催促の通信が2回あったぞ」
催促、つまり待たせているということ。
なぜかまた満足げに笑って、スピネルは足を部屋の出口へ向ける。

「ノワールはすぐに出せるか?」

先に続く言葉を予想出来たスウェンはネオに目礼すると、彼に次いで部屋を出た。
格納庫への道を歩きながら、スピネルは話を続ける。
「俺の部下ってことはカルの部下。あいつらも新しく入ったMSに興味津々だったし」
今までミドルネームで呼ばれることの無かったスウェンは、不慣れに反応が遅れる。
「RGXのパイロット…ですか?」
断片的な話に確認を取るため尋ねると、スピネルが徐に振り返った。

「敬語はいらない。実際カルの方が年上だし、角張った敬語は本部の人間だけで十分だ」

最後の部分は、どこか実感が籠っているように聞こえたが。
先ほどネオが言っていたことと、この当人の台詞。
両方から判断して、思ったことをそのまま問うてみる。

「…階級名も付けるな、と?」

スピネルは軽く目を見開いたが、すぐに肯定した。
「正解」
ただ、浮かべた笑みには翳りがある。


「名前だけで呼んでくれた方が、ありがたいよ」



その翳りの意味を問うことは、しなかった。