2- 4
閉じた艦長室の扉を少し遠目に眺めながら、ルナは後ろの2人を振り返る。
「で、どうする?待っとくの?」
例の2人が出て来るのを。
シンは迷いなく頷いた。
「あの人に聞かれたこと、俺はまだ何も言ってないし全部聞いてない。
それに…聞きたいことがある」
いつにも増して鋭利な赤い眼に、ルナはほんの僅かだが危惧を抱く。
その後ろのレイを見れば、何事か考え込んでいる様子だ。
ルナはふと先の場面を思い出した。
(そういえば…あのキラって人と、何を話していたのかしら?)
友人を心配する気持ちと好奇心を一緒くたにして、ルナは彼らに付き合うことにした。
名前だけは何度も耳にしたことがある、2人の傭兵。
その彼らを目の前にして、タリアは表情が険しくなることを止められなかった。
「…アーサー」
「は、はい?!」
試しに傍に控えていた副艦長の名を呼んでみれば、ひっくり返ったような声。
タリアはため息を隠しながら、視線は動かさず指示だけを返す。
「この部屋で聞いたことはすべて他言無用よ。いいわね?」
戸惑いながらも頷いた彼は、やはり副艦長だ。
自らの責任と責務をきっちりと弁えている。
アーサーから視線を外し、タリアは改めて2人の傭兵へ向き直った。
「まず、部下を救ってくれたこと、それから破砕作業への協力に感謝致します」
シンとルナマリアが、危うく命を落とすところだった。
大戦後のアカデミー卒業生は、とても危うい。
しかし、と続ける。
「それとこれとは別。ミネルバへ近づいた理由を、話していただきましょうか」
破砕作業へ協力するだけなら、ジュール隊のように限界高度で離脱すれば良い。
それをなぜ、大気圏突入という選択肢を取ったのか。
いや、彼らがミネルバへの着艦許可を求めてきたのは、限界高度に入る直前だった。
(済し崩しで許可してしまったけれど…)
ボギーワンの介入と、ストライク。
人間は、多くのことを1度に考えられないのだ。
タリアの視線は強かった。
さすが大戦経験者、と意味の分からない関心をしながら、キラは心外だと眉を寄せる。
「のっけから悪者扱いですか?…別に、構いはしませんけど」
ちらりとカナードを見ると、ちょうど視線が噛み合った。
それに気分を良くして、今度はにっこりと笑う。
「"貴女の血縁者に興味があったので"、とでも言って欲しいんですか?グラディス艦長」
「!」
サッとタリアの顔に朱が走った。
けれどそれは一瞬で、彼女も自分たちと同じ戦場の人間だった。
(さすが)
キラは悪意を持って言ったわけではない。
「…つまり、そちらから要望があるということ?」
だからというわけでもないが、彼女は言わずとも悟ってくれた。
「そう。僕らをオーブまで乗せて欲しいんです」
途端にタリアは拍子が抜けた。
(ああ、なんて嫌な子供)
戦場で歪んでしまった少年少女を、数多く見てきた。
だが目の前に居る人間は、そんな甘いもので済むのだろうか。
「良いでしょう。オーブ本国でもそこまでの行程でも、どうぞ好きな場所で」
さっさと降りてくれれば良い。
心底、関わりたくないと本心が告げている。
表情に出したつもりは無かったが、もう1人の青年の方が呆れたように言った。
「余計な心配は無用だ。言われなくても格納庫に戻る。余計な人間に会わなければ、何も起きない」
GARMR&D。
かつて第三勢力の英雄と言われた者たち。
彼らが出て行き扉が閉まった途端、タリアとアーサーはため息をついた。
「ええと、艦長?」
「なに?」
「あ、いえ、大丈夫…ですかね?」
「願うしかないわ」
「ああ、やっぱり…」
何事も起きずに、オーブまで辿り着ければ。
だが世界情勢も艦内の状況も、それを許してくれるのだろうか。
扉の開く音に、シンとレイ、ルナはハッと顔を上げた。
「あれ、律儀に待ってたの?」
彼らの様子に笑ったキラは、どこにでもいる青年に見える。
シンは憮然としながら言い返した。
「まだ全部聞いてません」
ストライクの話を。
一方のカナードは、さっさと来た道を戻る。
オーブ領海に入る前にミネルバを出るのは、別の任務が入っているからだ。
(地図の確認と、あいつらの位置の確認だな…)
「カナード…?!」
どこかの曲がり角に来たところで、誰かの驚愕に満ちた声が飛んできた。
カナードは面倒な表情を隠さず、ため息をつく。
(…またか)
利点が多いからとミネルバに乗り込んだが、難点との差は微々たるものだったようだ。
彼の少し後を歩いていたキラも、あからさまなため息を吐いた。
(今度はカガリか…)
驚愕の声を上げたのは、現オーブ首長代表カガリ・ユラ・アスハだった。
「キラ…?生きていたのか…?!」
呆気に取られ目を見開いていたのは最初だけで、すぐに猛烈な怒りが彼女を支配する。
格納庫で別の人物が同じ行動を取ったのを見ていたルナは、耳を塞ごうかと本気で迷った。
「なんで…なんで何も言わなかった!帰って来なかった?!生きていたなら!どうしてっ!!」
掴み掛かる勢いで伸ばされたカガリの手を、シンは遠慮なしに掴んだ。
怒りの矛を阻まれたカガリは、ギッと止めた人間を睨む。
「おい!何を!!」
「それはこっちの台詞だ!権力者だからって逆上せ上がるな!!」
「なっ?!」
シンの言いたいことが分かったレイは、声音だけ冷静にして言い換える。
「…艦内での勝手な行動は、慎んで頂きたいのですが」
ルナは思わず拍手を送りたくなった。
(さすがだわ…)
ここまでオブラートに包んで言える人間は、貴重に違いない。
自分たちが原因であることを分かっているキラは、カガリの手を掴むシンの手をそっと外させた。
「ごめん。話の続きはカナードに聞いてくれる?」
その方が聞きやすいだろうし。
シンは訝しげにキラを見たが、あっさり手を離すと正面から彼を見上げた。
「じゃあ、1つだけ答えて下さい」
「…何を?」
キラはシンの様子に剣呑なものを悟る。
すでにカガリは意識の外。
「オーブ防衛戦。あのときフリーダムに乗っていたのは、貴方ですか?」
フリーダムに乗っているのは、今も昔もキラだけだ。
だから素直に答える。
「そうだけど?」
次の瞬間、キラは自分の反射神経の良さに感謝した。
前触れもなく突然に放たれた拳を、咄嗟に受け止める。
シンの目に光っていたのは、強く明確な殺意だ。
その光に慣れきってしまっているキラは、狼狽するでもなく目を細めた。
「僕は、君に何か恨まれることをしたの?」
自分で言っておいてなんだが、相当に腹が立つ問いだ。
知っていて尋ねる自分の思考を、誰もが最低だと評するのだろう。
予想通り、赤い眼は憎しみの炎でカッと燃え上がった。
「お前が!お前が俺の家族をみんな殺したんだっ!!」
哀しみと憎しみが綯い交ぜになった怒声。
通路の向こうから響いてきたそれにも、カナードは何も感じなかった。
後ろを振り返り、付いてきた足音の主へ問う。
「お前は、俺に何を聞きたいんだ?」
数歩分離れたそこで立ち止まっていたのは、レイだ。
どうやらシンについては、ルナに任せてきたらしい。
相変わらず表情に乏しい顔だが、青い目だけは違った。
「…貴方は、俺を知っているのですか?」
アプリリウスの議事堂で、デュランダルと何事か話していたこの人物を見た。
後で出会ったミーアが、彼の名前を知っていた。
数日後、今度はアーモリーワンで。
"カナード・パルス"という名前と"GARMR&D"という名前を聞いたのは、そのときが初めてだ。
カナードは間を置いて答えた。
「お前のことは知らない。だが、お前によく似た奴を知っていた」
「…知って"いた"?」
「死んだ人間は過去形で十分だろ?」
「!」
心当たりが在った。
死んでしまった人で、レイ自身によく似ていた人を。
「誰…ですか?それは」
続く答えは、やはり。
「ラウ・ル・クルーゼ」
思い出したくもない映像が、記憶の底から溢れそうになる。
レイは、自分の声が震えていない自信がなかった。
「ラウを、知ってる?なぜ…?」
あまり動揺を隠せていないレイを見ながら、カナードは聞かれたことだけ簡潔に答える。
「プロヴィデンスを破壊したのは、俺とキラだ」
アカデミーに入学してから、聞いた事柄だった。
自分を救い出してくれたクルーゼという人間が、ザフトのトップエリートであったこと。
第三勢力に最後まで立ちはだかった、神託という名の壁であったこと。
レイの目に浮かんだ感情は、仇やそういった類いのものではないように思えた。
考えたカナードは、ふと思い至る。
(デュランダルとクルーゼ…。思想は違うようだが、1度は同じ道を行ったか?)
あの2人と目の前にいるレイと、それから自分たち。
(ああ、なるほど)
わざわざ、他の人間が居なくなることを待っていたのなら。
「不満そうだな。誰もが知っている事実は要らないか」
どういう意味だろう。
レイが疑問に思う前に、カナードは嗤った。
「面白いのが多いな。ヤツの周りは」
誰を基準に言っているのか、知るのは発した本人のみ。
まだ通路の向こうから声が聞こえてくるが、近くに他の人間の気配はない。
カナードはレイの反応を楽しむように、別の答えを与えた。
「俺の生まれは、コーディネイター研究中枢の"メンデル"さ」
その言葉は、すぐに空気の中に消えていった。
衝撃に言葉を失ったレイは立ち尽くす。
カナードは踵を返し、今度こそ格納庫へ向かった。
(ミネルバの速度は何ktだったっけな…?)
オーブ領海が、そろそろ近いはずだ。