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我ながら、恨みを買っている数だけは自慢出来ると思う。
キラは大きくずれたことを考えながら、襟元を緩めて息をついた。
（シン・アスカ、か。迂闊には踏み込めないな）
行動で明確な殺意を示されたのは、本当に久々だ。
（…って思うってことは、僕もカナードも棘が丸くなってる？）
２年前のように憎悪や願望を言葉に表さなくとも、相手には十分伝わる為か。
（端から見れば、相性の良いパートナーくらいに見えるんだろうな…）
考えるべきことから更にずれ始めたキラの思考を、追いかけてくる靴音が引き戻した。
足を止めると、追い付いて来たのはルナマリアと名乗った紅服の少女だ。
彼女はキラを正面に見て、深々と頭を下げた。
「申し訳、ありません！あのときに、シンを止めるべきでした…！」
…前大戦時。
フリーダムの撃った流れ弾が、シンの家族の命を奪った。
『怒りに我を忘れる』という言葉は、あのようなことを言うのだろう。
ルナはそのとき初めて、剥き出しの殺意に触れた。
艦内であるとか、キラが客人の部類だとか、軍規違反だとか。
シンの中ではもう、自分が軍人であることさえ消し飛んでいたに違いない。
『あのとき俺は、アレのパイロットは絶対に殺してやると誓った！
アスハなんて…オーブなんて、絶対に許さないと誓ったんだ！！』
気付けば、銃口が目の前に在った。
いつ抜いたんだろうか、と呑気なことを考えてしまうほどに速く。
それを文字通り、身を挺して留めたのがルナだった。
『軍規違反よ。それもタダじゃ済まない』
『そんなことはどうだっていい。どけよ、ルナ。一緒に撃たれたいのか？』
『嫌よ。でもどかないわ。私はアンタが、どれだけ努力してインパルスのパイロットになったのか知ってる。
レイほどじゃないけど、よく知ってるわ。だから私は、この場で起きたことを全部揉み消す。
何事もなかったって』
この男を殺したいのなら、ザフトの制服を脱いでちょうだい。
それから、エースのシン・アスカを知っている人間が居ない場所でね。
キラは頭を垂れたままの彼女へ尋ねる。
「君は彼の保護者？友人？それとも…」
ストッパー？
格納庫へ入ると、一角に整備士の人集りがあった。
その中心に居るものが何か容易く想像出来て、カナードは軽く息をつく。
「カナリア」
自機ドレッドノートへと歩みながら、声を掛ける。
全員の視線がギョッとしたようにこちらへ集まるのと、彼らの間から黒い影が躍り出るのは同時だ。
するりとカナードの左肩に上ったカナリアは、彼にだけ届く音量で入って来た情報を伝える。
《現在位置は太平洋、東経162°北緯22°、オーブまでの直線距離は約300km。
それから、依頼主から予定変更のダイヤルが１件》
予定変更という言葉に、カナードは思わず足を止めた。
（また妙なことを…。まあ、世界情勢がこれならどこも崩れるか）
ユニウスセブンは例えるまでもなく、巨大な隕石。
多大な被害を被った地球では、一般人も軍人も無関係で走り回っているのだろう。
…このミネルバという戦艦のように。
「（なあヴィーノ。あの猫ってさ、重くないのか？）」
「（あ〜、確かに…。けどあの人傭兵だし、鍛え方とか俺らと違うって）」
整備士たちは一様にして、カナードに声をかけるタイミングを失っていた。
キラという青年ならばともかく、こちらの青年は非常に近寄り難い空気を纏っている。
しかし、それはそれ。
ヨウランとヴィーノはまだ観察し足りない"カナリア"を目で追い、示し合わせたわけでもなく頷きを交わす。
…アカデミーからの友人であるシンやレイ、ルナが顔見知りになっているのだ。
あの興味深い黒猫について尋ねるチャンスも、今を逃すといつになるのか分からない。
そんなわけで、ヨウランとヴィーノは揃って"彼"へ近づいた。
「カナード…さん？えーと、その猫、重くないんですか？」
「あと、どうやってそいつがここのメインに繋いだのか、すっげ気になるんですけど！」
感情を映すことは皆無だろうと予想出来る、紫紺の眼。
鋭いそれがこちらを向いたとき、黒猫と同じ色だと初めて気付いた。
カナードは鬱陶しいという感情を隠さない。
けれどこちらを見る２人の表情は好奇心に満ち溢れており、引く気配も無い。
（…俺も随分と丸くなったな）
ふと息を吐くと左手を軽く上げ、彼らに向けた。
「外身だけなら勝手にしろ。中身については答えない」
彼が言い終わるが早いか、カナリアは軽く反動をつけて跳躍した。
「うわっ？！」
ちょうど彼女の先に居たヴィーノが、慌てて両手を差し出す。
「…あれ、普通の猫？」
「マジ？」
腕の中に収まったカナリアは、ペットにされる猫を抱き上げているのとまったく同じだった。
ヨウランも、恐る恐る手を伸ばして綺麗な毛並みに触れてみる。
「うわ、血統書付きみてー！」
何をどう取って血統書付きなのか、彼のコメントは微妙なところだ。
カナリアがそちらを構ってやっている間に、カナードはエイブスから整備の状況を聞く。
と言っても大気との摩擦熱で外部が破損した程度、弾薬もそう使ってはいない。
「「中身気になるよなー…」」
ヨウランとヴィーノはカナリアの外見が本物の猫と同じだと結論付け、超精密であろう中身を想像する。
「駄目だよ。中身は企業秘密だから」
夢中になっていて、もう１人の傭兵が格納庫へ戻って来たことに気付くのが遅れた。
ヴィーノが抱えたままのカナリアを撫で、キラは笑みを浮かべる。
「外も中も、とあるジャンク屋との共同作業だからね」
すでに飽きていたのか、カナリアはひょいと床へ飛び降りた。
キラは名残惜しそうに彼女を見送る２人の整備士に、興味本位で尋ねてみる。
「君たちは、紅服の３人の同級生？」
「あ、はい。科は違ったけど、結局進路は同じで」
「成績優秀者はこの艦に配属ってんで、相当頑張ったんですよ」
やはり彼らもアカデミーのエリートか。
適当に会話を終わらせ、キラはドレッドノートへ乗り込もうとしているカナードへ駆け寄る。
「カナード、ちょっと待って！カナリア僕が連れてって良い？」
受けていた依頼の１つに変更があったらしく、カナードは二つ返事でそれを了承した。
…カナリアは基本的に、彼と行動を共にしている。
機体へ乗り込むと、カナードはブリッジへ回線を繋ぐ。
「"GARMR&D"カナード・パルス、発進する。カタパルトを開けてくれ」
通信を受けたメイリンは艦長席のタリアを振り返り、許可を求めた。
タリアはため息を殺して頷く。
「いいでしょう。許可します」
どうやら傭兵のもう１人は、オーブの領海に入ってから出るようだ。
オーブ領海まで、残り200km。
自室へ戻ったシンは、力任せにベッドを殴りつけた。
「…っ！」
肩で息をしながら、外へ出てしまいそうな怒りを押さえ込むため目を閉じる。
少しでも気を抜けば、その瞬間に殺意が蘇りそうだ。
（ここでは、駄目だ。ここはミネルバで、レイたちも居る。それにまだ…）
まだ、相手の方が確実に強かった。
MSパイロットとしての腕だけではない。
怒りに任せて放った拳を、あんなにも簡単に止められてしまったのだ。
返り討ちに遭うほど、馬鹿馬鹿しいことはない。
扉の開く音がした。
「レイ？」
身を起こし、入り口を見遣る。
「シンか。何も起こしていないな？」
部屋の電気をつけるのを忘れていた。
シンはそんなことを思いながら、視線を自分の手へ戻す。
「…起こしてない。ルナが止めたよ」
あの後すぐに部屋へ戻った。
彼女がキラという傭兵を追い掛けたであろうことは、想像に難くない。
「そういえば、レイは？」
どこへ行っていたのだろう。
レイは自分のベッドへ腰掛けると、組んだ手に額を乗せ俯く。
「…訊きたいことが、あっただけだ」
声に力がなかった。
訊きたいことというのは、あのカナードという傭兵にだろうか。
しかしシンは、それ以上何も聞こうとはしなかった。
「…そっか」
一言だけ返してベッドへ寝転がる。
（仮眠でもしよ…。ちょっとは落ち着くかも）
何も聞かれないからこそ、救われることがある。
シンは自身の身を以て、それを知っていた。
