「お久しぶりですね」

ストライクそっくりの黒いMSから降りて来たパイロット。
ヘルメットを外してそう言った少年に、フラガを筆頭としたAA格納庫の面々は呆気に取られた。
「きっ、キラ?!」
「坊主じゃねえかっ?!!」
何でここに、と聞きたい事は他にも山ほどある。
だがフラガはもう1機、白いMSから降りて来たパイロットに嫌な予感がした。
「キラがいるってことは、まさかそっちの少年は……」
ヘルメットを外すと、長くて黒い髪が無重力に靡いた。

「よう、エンデュミオンの鷹。また会ったな」










-月と太陽・3-










見覚えのある人を喰ったような笑みと、常に感じる殺気に近いプレッシャー。
フラガは気づかれぬよう舌打ちして、苦笑いを浮かべる。
「できれば会いたかなかったけどねえ。何でユーラシア連邦が…」
思わずそう呟くと、キラが不思議そうな顔をした。
「あれ?ひょっとして何も聞いてないんですか?」
「ザフトに付けられててそんな暇はねえだろ。人手不足らしいし」
「あ、それもそうだね」
キラはカナードとのやり取りで勝手に納得し、にこりと笑ってこう言った。
「マリューさんに会わせて頂けますか?」



ブリッジへの道行く途中すれ違う人たちが皆、通り過ぎてから驚いて振り返っていく。
それがキラにはおもしろかった。
「あれ、カナード?」
キラの後ろにいたカナードが、後ろの方で立ち止まっている。
「どうしたの?」
前を行くフラガが立ち止まったので、キラはカナードの方へ少し引き返した。
カナードは船室の、閉まった扉の1つを見ながら首を傾げる。
「…戦艦で歌う奴なんていないよな……普通」
「?」
キラには歌らしきものは何も聞こえない。
カナードは気のせいにしたらしく、また進み始めた。



ブリッジに程近い通路で、今度はキラが立ち止まった。
「あ、サイじゃない?」
扉が開いている船室。
向かいにあるベッドを気遣わしげに見つめて、サイが反対側のベッドに座り込んでいた。
キラの声にかなり驚いたらしく、彼は声を出さないように慌てて口を塞ぐ。
「き、キラ?!何でここに…?」
声を潜めている様子からすると、やはり向かいのベッドで誰かが寝ているらしい。
キラも声を潜める。
「それを今からマリューさんたちに説明しに行くの。…誰か寝てるの?」
「ああ…。フレイだ」
「あ、そう」
気のないキラの相槌に、サイは思わず目を丸くする。
しかしすぐに平静に戻り言った。
「理由は艦長やミリイたちに聞いてくれ」
「うん。そうするよ」
そう返して、キラはまたブリッジへと進み出した。





「きっ、キラ君?!」
「「キラっ?!」」

ブリッジに入った途端、驚きの声に包まれた。
皆が皆同じように驚くので、キラは悪戯が成功したように楽しかった。
滅多に(というか使った事のない)敬礼の形をとり、キラはマリューに微笑んだ。
「軍人としては初めまして、ラミアス艦長。ユーラシア連邦所属、キラ・ヤマト少尉です」
カナードは何て面倒な、といった表情を隠さず、それでもいちおう敬礼の形はとる。
「同じくユーラシア連邦所属、カナード・パルス少尉」
やはり軍属の鎖は邪魔だな、と彼が小声で呟いたのが聞こえた。
「「君はあの時の…」」
マリューとオペレーションスペースに上がって来たナタルの声が重なった。
…アルテミスで出会った、いい知れぬ狂気を秘めていた少年。
「へえ。あんたらも鷹と同じで覚えてんのか」
カナードの嘲笑半分の言葉に、マリューとナタルは眉根を寄せた。
他のクルーたちはその様子を緊張の面持ちで見つめる。
トールとミリイは特に、あの"カナード"という名の少年を。

「ねえトール。あの人、何かキラに似てる…」
ミリイは小声で隣りに座るトールに話しかけた。
トールもまた頷き返す。
「うん。それにあの人、キラがアルテミスに残るって言ったとき仲良さそうに話してた…」

マリューは1つ息をつくと本題を切り出す。
「援護は感謝します。けれどなぜ貴方たちが…?」
なぜユーラシア連邦が?と置き換えた方が良さそうだ。
カナードはため息をついた。
「…最新鋭艦も人手不足じゃ宝の持ち腐れだな」
さらりとそう言うと、彼はカズイが使っている通信機器を横から片手だけで使い始める。
片手の上に横からで見難いはずだろうに、速い。
「解読もやった方がいいのか?」
画面を見たまま、カナードは誰ともなしに尋ねた。
「え、ええ。お願いするわ」
マリューは戸惑いながら答える。
カズイはただびくびくしながら、マリューとカナードを交互に見ていた。
「ほらよ」
ものの1分と立たないうちにカナードは機器から離れた。
カズイはマリューを見て、彼女が頷くとその画面に現れた文章を読み上げた。

「だ、『第八艦隊からアークエンジェル及び先遣隊へ。
ナスカ級に今だ追跡を受けている君たちに朗報がある。
つい先日ユーラシア連邦から打診があり、援軍を実験的に派遣したという事だ。
詳しくは分からないが、心強い味方となるだろう』…」

改めて、全員の視線がキラとカナードへ向けられる。
「じゃあ貴方たちは命令で…?」
マリューの言葉をナタルが遮った。
「しかし…ならば何故、すぐに戦闘に介入しなかった?」
キラとカナードは顔を見合わせ、そしてお互いが分かる程度の笑みを浮かべた。
「大した理由はねーよ」
「ちょっとした考え事を」
キラに邪気のない笑みを浮かべられたナタルは、それ以上問い詰める事が出来ない。
それを確認したキラはひょいとブリッジの下の階を覗き込んだ。

「ねえトール、ミリイ。さっきここで何があったの?」
「「え?」」
まさか自分たちに訊かれるとは思わなかった2人は、顔を見合わせた。
キラは少し視線を宙に泳がせる。
「さっきサイに会ったんだけど、何かフレイが寝込んでたみたいでさ…」
「…それは……」
言い渋るミリイの言葉をトールが続けた。
「先遣隊に…フレイのお父さんが乗ってたんだよ…」
「あの3つの内の1つに?」
「そう。それで…」
キラはトールの言葉を遮った。
「ちょっと待ってよ。何でフレイがそれを知ってるの?」
「それ?」
今度はトールが首を傾げる。

「何で父親が死んだのを知ってるのかって聞いてるの」

その言葉に、キラにより近い場所にいる人間が息を呑むのが分かった。
「船室にいれば何も見えないよ?それに君たちが、こんな時にそれを伝える冷血漢だとは思ってないし」
「……」
「トールやサイなら、"お父さんは無事に脱出してるから"って言うよ。違う?」
「それは……」
誰もが口をつぐむ。
カナードはそんな彼らを見回していたが、もう1度ナタルを見ると徐に口を開いた。
「あ、あんたひょっとして副艦長?」
「…そうだが?」
適切な言葉遣いをしようとしないカナードに、ナタルは少々不機嫌に答える。
「確か、ラクス嬢の人質宣言したよな?」
「…それがどうかしたか?」
さらに怪訝そうにするナタルから視線を外し、カナードは面白そうに笑うとキラへ言った。
「もういいぜ、キラ。分かったから」
「ホント?」
キラはパッとカナードに向き直った。
他の者から見れば、何の話か全く分からない断片的な会話。
しかしこの2人にはそれで十分だ。

「ラクス嬢を人質に取るって案は、フレイ嬢の発案だな」

フレイって奴は女だろ?とキラに確かめ、違うか?とカナードはナタルを見る。
ナタルは対して感情を見せず、そうだと頷いた。
一方のマリューやフラガたちは僅かに青ざめている。
カナードはそれに満足したのか、笑みを深めてくるりと踵を返した。
「あ、カナード!」
キラが止める間もなく、カナードはブリッジから出て行った。
おそらくこれ以上ここで聞くものはなく、興味が失せたのだろう。
おかげでキラは自分で逆推理するハメになった。
「せめて最後まで言ってってよ…」
文句をぐちぐちと口の中で呟きつつ、キラは自分が分かるように説明しようと試みる。

「ええと…フレイがラクスって人を人質にしようと言い出した?
…って事は、その時点で父親が乗ってるって知ってたんだよね。
ああ、でも先遣隊に避難民のリストくらい行くから、父親の方が気づいて知らせたのかな?
で、ザフトに攻撃受けて……あ!そういうこと」

キラはマリューを見てにこりと笑った。
「民間人がブリッジに乱入…。軍事裁判すれすれってとこですか?」
「「!」」
ぐっと詰まるマリューに、フラガは思わずキラへ詰め寄った。
「おいキラッ!それは言い過ぎだろ!!俺はよく知らないがあれは…」
キラの声が冷めたものに変わる。

「言い過ぎ?事実を言っただけですけど」

振り向いたキラに、今度こそカナードの姿が重なって見えた。
「ちょっとお聞きしますけど、ラクスって人はこれからどうなるんですか?」
「えっ?ああ、ええと…とりあえず最終的な判断は第八艦隊に合流してから…」
急に質問の矛先が変わったので、マリューは困惑した。
「そうですか。…じゃあ、僕らは格納庫にいるので」
キラはまた元の笑顔に戻るとブリッジを出て行った。
「あ!おいキラ!!」
トールが慌てて席を立ち、ミリイも立ち上がる。
「すみません。フレイの様子と…あと、キラのこと見て来ていいですか?」
マリューは少し思案しただけで許可した。
ラクス・クラインがこの艦にいる限り、戦闘は起きない。
そして何よりも。
「キラ君、一体どうしちゃったのかしら…?」

その呟きは、マリューだけのものではなかった。





格納庫へ引き返す途中、カナードはまた立ち止まった。
…ブリッジへ向かったときに立ち止まったのと、同じ扉の前。
間違いなく、中から歌声が聞こえてくる。
「…物好きな奴がいるもんだな」
そう呟いてまた足を進めようとしたが、

『テヤンデイッ!!』
「うわっ?!」

いきなり扉が開き、何だか丸くて固そうな物体が飛び出して来た。
危うく直撃を受けるところを受け止めて、それを眺めてみる。
「…何だこりゃ?」
ちょうど手に収まるサイズで、濃いピンク色をした丸い……ロボット?
『認メタクナ〜イ!』
「…は?」
そして訳が分からないが、喋る。

「あらあら、ピンクちゃん。勝手にお外に出てはいけませんよ」

戦艦に似合わない、ふわりとした声が部屋の中から聞こえて来た。
そこにはピンク色の髪に白と紫のドレスを着た少女が。
「お怪我なさいませんでしたか?ピンクちゃん、少しはしゃぎ気味ですの」
通路に出て来ると、そう言って彼女はふわりと微笑んだ。
カナードはとりあえず、その"ピンクちゃん"とやらを少女に返す。

「お前…ひょっとしてラクス・クラインか?」

少女は手の中で"ピンクちゃん"を遊ばせながら、再び微笑んだ。
「そうですわ。貴方は…AAの方ではありませんのね」
「ああ。アンタも大変だな」
別にラクス・クラインに用があるわけではないので、カナードは彼女に背を向けて進み出す。
変わらずにこにことしながら、ラクスは遠くなるカナードの背に声を掛けた。
「お名前、教えてくださいませんか?」
カナードは曲がり角で立ち止まり、一瞬考えてから言った。
「…カナード・パルス」
名前を隠す必要があるわけでもない。
(そういやアルテミスに連絡入れてねえな…)
常識的に考えると遅すぎるが、角を曲がってからそんな事を思い出した。





エレベーターから駆け出すように降りると、通路の向こうにキラの姿が見えた。
「キラッ!!」
気づいたキラは足を止めて振り返る。
「トール、ミリイ。どうしたの?そんなに慌てて…」
そう首を傾げるキラは、彼らの知る"キラ"そのままだ。
「どうしたって…お前こそどうしたんだよ?」
「?」
質問の意味が分からないキラは、ますます首を傾げる。
ミリイがおそるおそる聞いた。
「ねえ、キラ。あの…アルテミスで何があったの?」
キラはわずかに眉を寄せた。
「…またその話?」
それに怯んだトールだが、覚悟を決めたのかキラをまっすぐに睨んだ。

「いい加減にしろよ!キラがアルテミスに残って、俺たちがどれだけ心配したと思ってるんだよ!!」

キラはきょとんとした。
「…心配?何で?」
その言葉にトールは毒気を抜かれる。
「何でって…」
「そんなの当たり前でしょ!キラは大事な友達だもの!!」
黙っていたミリイが叫ぶように言った。
「戦いたくないのに私たちのために戦って…傷ついて…。
そんなキラを見てるしか出来なかった私たちが悪いのは分かってる…」
「……」
「あのガルシアって人は、コーディネイターを心底嫌ってたもの。
そんな場所にいたら、キラの心が壊れちゃうんじゃないかって…」

キラにとって、"壊れる"という言葉は懐かしいものだった。

「…僕の事なんか忘れてくれて良かったのに」
ブリッジで話したときと、明らかに声の調子が違った。
「キラ…?」
キラは自嘲気味な笑みを浮かべていた。
「…心なんて。そんなもの、とっくに壊れてる」
「「?!」」

「だから…、僕からカナードを奪わないで」

トールとミリイはハッとした。
キラの瞳には、深い悲しみの色が浮かんでいた。
まだ彼がAAにいた頃よりも、それよりもずっとずっと深い、海のように深い哀しみの色。
キラは続ける。
「今の僕にとってはカナードが全て。彼のいる場所が僕の居場所。
もし彼が死んだら……僕は死ぬ事すら出来なくなる」
ゆらり、とアメジストの眼に紅い火が灯った。

「…邪魔するなら容赦しない。それが誰であっても」

それは怒りか、それとも憎しみか。
キラの周りの空気が変わり、2人はゾッとする程の寒気を感じた。
しかしほんの一瞬でそれを消し去ると、キラは彼らの知る微笑みを浮かべた。

「心配してくれてありがとう」





キラが通路の向こうに消えても、トールとミリイはその場を動かなかった。
「本当に、何があったんだろうな…?」
トールがぽつりと呟いた。
まさか、あんなキラを見るなんて。
「キラがああなったのは…あのカナードって人のせいじゃないのか?」
答えの見えない疑問に、トールは思わず拳を握る。
「…そんなことはどうだっていいのよ」
俯いたままミリイが言った。
「キラにとってあの人が"絶対"なら、私たちはその間に入っちゃいけない」
その表情には、わずかではあるが笑みが浮かんでいる。
ミリイはトールに笑いかけた。
「いいじゃない、それがキラが決めた道なら。私たちが変わらなければいいの。キラは友達なんだから」
そうでしょ?と聞き返してくるミリイに、トールはつい苦笑した。
「…そうだな。よく考えたら俺たち、カナードって人のこと何も知らないしな」


トールとミリイはキラを追わず、フレイの様子を見に行くことにした。