夜の砂漠。
AAでは地球降下の衝撃と重力の影響で、クルーの大半が疲れを見せていた。
もちろん艦長とて例外ではない。
その上、心配事が3つにも4つにも増えている。
マリューはまず、管制官のミリアリアに尋ねた。
「アヌビスとハイペリオンから連絡は?」
ミリイは首を横に振る。
「…いいえ。磁場の影響で無線も繋がりません」
「磁場というより、Nジャマーキャンセラーの影響だろうな…」
艦のチェックをしていたノイマンが愚痴る。
マリューもため息をつくと、また別のことを問う。
「…スピネル君の容態は?」
-月と太陽・第2部『サバクノトラ』-
「あの…本当に大丈夫なんですか?」
医務室で、トールとサイは艦専属の医師に念を押して尋ねた。
問われた医師は苦笑して、同じことをもう1度繰り返す。
「心配ない。半日も経てば熱も下がるし、大きな外傷もないさ」
彼らが返り見た先にあるベッドには、高熱に魘されているスピネルの姿があった。
…おそらく、MSに乗った状態で地球降下を果たしたナチュラルは、彼が初めてだろう。
異常なほどの高熱は、大気圏突入の際にコックピット内の温度が急上昇した結果。
本当に回復するのか疑いたくなるのも当然だ。
「大丈夫さ。何せ彼は…"神に愛されし者"だから」
医師は2人を安心させるかのようにそう言うと、医務室を出て行った。
トールとサイは複雑な表情で顔を見合わせる。
「"神に愛されし者"…か」
「何か…複雑だよな」
そう言われる本人は、どんな気分なのだろう?
どこからか医務室に戻ってきたフレイが、それに横やりを入れた。
「いいんじゃない?それで。人それぞれだもの」
手には氷枕を持っている。
「彼は私が看てるから。2人ともブリッジに戻って大丈夫よ」
微笑むフレイに、彼らはもう1度スピネルを見ると頷いた。
「そっか。じゃあ頼むな」
ブリッジに戻る2人を見送った後、フレイはスピネルの氷枕を取り替えた。
ほんの少し前に彼の額に乗せた濡れタオルは、すでに冷たくなくなっている。
サイとトールが心配するのは当たり前だった。
フレイは眠るスピネルを見つめる。
「…貴方に死んでもらっちゃ、困るのよ」
この胸に渦巻く憎しみを消すために。
上層部に顔の利く彼の力を利用出来れば、復讐など楽に済む。
本当は、キラとカナードを利用したいけれど。
ふと部屋の外で人の気配がしたため、フレイはその思考を隠した。
「ああ、誰かと思えばお嬢ちゃんか」
自分をこのように呼ぶ人物は1人しかいない。
「…フラガ少佐、いい加減その呼び方はやめてください」
通路から顔を出したのはフラガだった。
フレイの不機嫌な様子など気に止めず、その視線はスピネルへ向けられている。
「…まだ熱は下がってないのか」
AAへ最初に着艦したメビウス/ゼロは、艦が盾となりコックピットの温度変化はそう大きくなかった。
その辺りを考えると、アヌビスとハイペリオンも気掛かりだ。
フレイはスピネルの容態を説明する。
「お医者様の話では、もう熱は下がるはずだそうですけど。でも何かもの凄く魘されていて…」
そう言ったフレイは手に持っていたタオルでスピネルの額の汗を拭き、氷枕を裏返した。
フラガもスピネルのベッドに近づき、その顔を覗き込む。
「「!」」
それは、声として聞こえない悲鳴だった。
フレイもフラガも、スピネルのそれを確かに"聞いた"。
ベッドの上に投げ出されている手は苦しげにシーツを掴み、うっすらと脂汗が浮かんでいる。
…スピネルは、明らかに高熱以外の理由で魘されている。
2人を言い知れない不安が襲った。
「わ、私、お医者様呼んできます!」
フレイは部屋を飛び出し、フラガはスピネルの肩を揺する。
「おい、起きろ!スピネル!」
その間にも、呼吸はどんどん過呼吸に変わっていった。
「… !」
再び声にならぬ声がスピネルの口から漏れる。
けれどこちらへの反応はなく、息づかいも荒いまま。
フラガはシーツを掴むスピネルの手を上から握り込んだ。
…まるで願うかのように。
「スピネル!!」
周りのどこを見ても砂。
アヌビスとハイペリオンは、AAから遠く離れた場所に落ちた。
ザフト側に捕捉された様子はなく、モニターを見ていたカナードはとりあえず息をつく。
夜であることも幸いし、機体に目立った損傷もない。
…これはかなり運が良かったと言える。
コックピットから出て地上へ降りると、砂の混じる夜風が吹き抜けていった。
「…俺にどうしろって言うんだよ……」
ため息をついて向けた視線の先。
アヌビスの足元で、苦しげな表情のキラが眠っていた。
その額に手を当ててみると、まだかなり熱い。
どうやら地球降下という無茶の影響で、高熱が出たらしい。
カナードは再びため息をつくと、キラの横に腰を下ろした。
「成功体のくせに、俺より先にくたばってんじゃねーよ…」
そう言う自分もかなり調子が悪かった。
しかしながら、AAとの無線はNジャマーキャンセラーの影響で通じない。
とりあえず、今の状況で最も効果的なのは睡眠だが、
「…眠れねえ……」
どこに行っても、どこにいても、嫌な記憶ばかりが思い出されてしまう。
砂漠もまた、同じこと。
カナードは仕方なく空を見上げた。
「スピネルっ!!」
「…!!」
フラガの2度目の呼びかけで、スピネルはハッと目を覚ました。
「…っは…あ、俺…は……?」
乱れた息を整えながら視界を確認すると、目に入ったのは見慣れた部屋と見慣れた金髪。
回転の遅い思考で、ようやく自分がベッドに寝ていることを理解した。
何とか身を起こしてみると、やはり考えに間違いはなく。
自分のいる部屋がAAの一角で、ベッドに座っているのがフラガだということも分かった。
「…じゃああれは……ゆめ……か…?」
視線を落とし、スピネルは安堵のため息をついた。
「スピネル…?」
フラガは彼のあまりにも"らしくない"様子に疑問を感じる。
しかしすぐに、自分が握っているその手が震えていることに気づいた。
「お前…」
スピネルはフラガの視線に気づき、ばつが悪そうに力無く笑った。
「…悪い。しばらくそのままでいてくれ」
自分の手を握っているフラガの手を握り返し、強く目を閉じる。
何年ぶりかに、あの"悪夢"を見た。
久々に思い出してしまった"恐怖"は、しばらく消えそうにない。
どれくらいの時間が経ったのだろう?
カナードは突然、人の気配を感じた。
…それもかなり近くに。
音を立てないように起きあがり、ホルスターから銃を抜く。
(ヤバい。ここまで近づかれて気づかなかった…)
人の気配は2つ。
かすかに話し声も聞こえてくる。
これがザフト軍の偵察だと、状況は非常に悪い。
…そう思っていたが。
「おいっ!そこにいるヤツ!!」
いきなりその片方が大声で怒鳴ってきた。
「カガリ!危険すぎることをするなっ!」
「うるさい!どう見たってコレはザフトのじゃないだろ?!」
そして言い争う声が遮るもののない砂漠に響く。
(なんだ?こいつら…)
カナードはすっかり毒気を抜かれてしまった。
拍子抜けした気配を悟られたのか、今度はいきなりライトを向けられる。
「?!」
殺気を向けられていないことは分かったが、眩しさに思わず目を細めた。
また最初に怒鳴った方の声が飛んでくる。
「おい、お前!地球軍か?!」
フラガとフレイの心配は取り越し苦労で、スピネルの容態はほとんど回復していた。
連れてこられた医師は、とにかく水分補給をすることだと告げてさっさと行ってしまう。
その余りにあっさりすぎる対応には、唖然とするしかない。
フラガより1歩早く我に返ったフレイは、飲み物を持ってくる、とまた部屋を出て行った。
「…まったく、余計な心配をかけさせるな」
呆れ半分に呟かれたフラガの言葉に、スピネルは苦笑した。
「悪かったって言ってんだろ?」
裏腹に、その表情は陰を帯びている。
「まさか…またあの夢を見るなんて思わなかったんだから」
「あの夢?」
聞き返したフラガに、スピネルは小さく頷いた。
「…俺が独りにされた日。両親が殺されたときの夢」
本当に、悪夢に魘されていたのか。
「今考えると…ホントふざけた話だよな。俺も両親もナチュラルだったのに」
「…なに?」
フラガは妙な点に気がついた。
それはつまり…?
「"蒼き正常なる世界のために"。やつらの爆弾テロさ。両親が俺を庇ったおかげで俺は無傷」
まるで自分自身を嘲笑うかのように、スピネルは笑う。
フラガは明らかな矛盾点を信じることが出来なかった。
「ちょっと待てよ!お前この間言ったよな?お前の後ろにいるのは…」
スピネルは笑って頷く。
「…あの場所にアイツもいたんだ。偵察だか視察だか知らねーけど。
で、俺がナチュラルだって最初に気づいたのがアイツ。
天涯孤独になった俺を引き取ったのも、軍に入れたのも、それで傍に置くようにしたのも、全部」
ブルーコスモスの盟主であるが故に、その権力は大きかった。
「けど俺は、あの日から眠れなくなった。血塗れの夢を見るから」
フラガはようやく悟った。
毎回のように感じる、スピネルの違和感の正体を。
「夢を見ずに眠る方法が、"遊び"…か?」
スピネルはまた自嘲した。
「そ。半年も経ったら睡眠薬も効かなくなった。誰に何て思われようと止められない」
…何度も自分が嫌になった。
それでも、悪夢に魘されて一晩中眠れないよりはずっとマシだった。
憎しみの矛先を向ける相手がいないから、他に何も出来ない。
フラガは俯き沈黙した彼を、衝動的に抱きしめた。
「ぅわっ!ちょっ…フラガ?!」
スピネルは抵抗を試みるが、そんなものは簡単に封じ込められてしまった。
早々に諦め大人しく抱きしめられたまま、スピネルはため息をつく。
「あいつらに会ってから、ちょっとはマシになるかと思ったんだけどな…」
「あいつらって…キラとカナードか?」
「ああ。あんたには見えないか?あの2人の影が異様に重くて暗いってのが」
「……」
「だから…少し安心したんだ。こんな考え方を持ってるのが俺1人じゃないって」
スピネルはフラガの腕からそっと抜け出し、自分の両手を見つめた。
「戦争はただの時間つぶし。敵はザフトとは限らないって考え方が」
フラガはスピネルを見つめる。
「じゃあ、お前の撃つべき相手は誰なんだ?」
スピネルはふっと笑った。
「"俺"に決まってんだろ?」
医務室を出た廊下。
(な、何よ?どういうこと…?)
そこで中の会話を漏れ聞いていたフレイは、頭の中が真っ白になった。
(…まさか、この人まで利用出来ないって言うの?)
キラとカナードの間に"何か"あるだろうことは、予想がついていた。
それが何なのかまでは分からない。
ただ、自分の付け入る隙がないことは明らかなように思えた。
だからこちらを利用しようと思っていたのに。
…それなのに。
スピネルもまた、付け入る隙がない。
自分の過去を話すことは、よほどその相手に気を許していなければ無理だ。
(フラガ少佐が…?じゃあ私は……?)
このままでは、完全に孤立してしまう。
縋る相手も何もかも、失ってしまう…?
スピネルはひょいとベッドから降りると、1つ伸びをした。
「さってと、暗い話はここまで。で、ここはどこなんだ?」
「は?」
突然の話題転換に、フラガはついて行けない。
スピネルは呆れた顔で再度聞いた。
「だから、AAはどこに落ちたんだって聞いてんだ」
「ああ。確かアフリカ北部のサハラ…いや、リビア砂漠だ」
「…え?」
スピネルの動きが止まった。
「おい、今なんつった?」
そしてこわごわともう1度聞く。
フラガももう1度答えた。
「だから、アフリカ北部の砂漠地帯」
スピネルはそれこそ自分の耳を疑った。
「なっ?!じゃあこんなとこで悠長にしてる場合じゃねーだろ!!」
「はあ?」
怪訝な様子のフラガは放っといて、スピネルは部屋に備え付けられている直通電話を取る。
「おい艦長!聞こえるか?!」
ブリッジでは誰もが突然響いた声に驚いた。
マリューは慌ててモニター回線を開く。
「ス、スピネル君?!あなた体は…」
『んな事はどーでもいい!今すぐ艦内を戦闘配備にしろ!!』
「「ええっ?!」」
『おいスピネル!そりゃどういうことだ?!』
回線の向こうで、フラガの半ば怒鳴るような声が聞こえる。
「ちょっ…スピネル君!それはどういうこと?!」
マリューもまた、彼と同じ問いを発した。
モニターに映るスピネルは、思いっきりうなだれる。
『あーもう、とにかく早くしろ!いつ狙い撃ちにされるか分かんねーぞ!』
理由は分からないが、モニターに映る彼の様子からただ事ではないことは分かった。
マリューは即座に命令を出す。
「総員第一戦闘配備!」
『ええっ?ちょっと、どういうこと?!』
今度はフレイの声が入ってきた。
スピネルはちらりとそちらへ目を向け、そしてまたモニターに視線を戻す。
『この砂漠の北西に、ザフト軍基地ジブラルタルがある。それはまだいい。
問題はこの砂漠を統括してる、ザフトの隊長格とここらのMSだ!』
「「え…?」」
マリューたちにも、少しずつ事の重大さが分かってきた。
『砂漠を制圧したのは猛将、アンドリュー・バルトフェルド。通称"砂漠の虎"!
宇宙艦のAAじゃ、それこそ瞬殺される!』
にわかに艦内が騒がしくなった。
ブリッジとの通信を切ったスピネルは呆れのため息をつく。
「…まったく。無重力から重量下に降りて疲れてるのは分かるけど。いくら何でものんびりしすぎだろ」
「しかし"砂漠の虎"ってのは…」
フラガはたった今スピネルの口から出た、ザフトの名だたる猛将の名に驚きを隠せない。
その様子に、スピネルはわざとらしく肩を竦めた。
「この艦の奴らは全員ずっと上にいたんだろ?反面、俺はずっと地上にいたんだから信用しろよ」
「別に信用しないとは言ってないだろ」
「んじゃ、さっさとスカイグラスパー見に行った方がいいぜ?
整備が間に合わないんじゃ話にならねーし」
「そうだった!!」
フラガは慌てて格納庫の方へ走って行った。
「…忘れてたのかよ」
スピネルは、まさかそれが自分のせいだとは思っていない。
フレイは走り去っていくフラガを、呆気にとられて見送った。
「さて、あんたにも1つ言っておきたいことがある」
そう言われて、フレイはビクリと体を強張らせた。
スピネルは彼女の様子を気にせず告げる。
「俺は、あんたに利用されるつもりはない」
フレイは知らず握っていた手を、さらにきつく握りしめた。
しかしスピネルの口調は穏やかなまま。
「心配しなくても、この艦はちゃんと守るぜ?
キラもカナードもまだ居ないし、提督にはずいぶん世話になったし。
それにアンタ、自分が思ってるほど独りじゃないだろ?」
「…え?」
戸惑うフレイをそのままに、スピネルもまた格納庫の方へ去って行った。
「私、は……?」
言われた意味が分からず、どうすればいいのかも分からず。
フレイはただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。
「私はカガリ・ユラだ。お前は?」
突然現れた2人組にカナードが案内された場所。
そこは岩場に囲まれていて、隠れ家にするには絶好の場所だった。
…この砂漠を仕切るザフトへのレジスタンス、"明けの砂漠"の秘密基地。
背の高さがキラと同程度で金髪の方は、カガリ・ユラ。
男だと思っていたがどうやら女らしい。
もう1人、筋肉質で大柄な男はキサカ。
このカガリという女の護衛か何かのようだ。
キラをキサカが運んでくれたため、カナードはMSを動かす二度手間だけで済んだ。
当然基地内にいる人間の視線は、全てMSとカナードへ向けられている。
前を先導するカガリもまた、例に漏れずその1人だ。
「しっかし、お前…めちゃくちゃ目立つ容姿してるな」
「はあ?」
夜の闇でも目立つ黒がメインカラーの人間なんて、そうそう居るもんじゃない。
「なんだ、自覚ないのかよ?それにこいつも…」
カガリはキサカの背で眠るキラを見た。
…どこかで会ったような気がする。
そしてあの、2機のMS。
ヘリオポリスで見たものとは違うようだが。
(いくらなんでも、『アレ』に似すぎてる…)
基地の奥まで来て、カガリは空いている部屋を見つけた。
キサカはその部屋にキラを寝かせる。
「えーっと、水…とタオル…と…あ、あったあった」
その辺に積んである木箱から水とタオルを取り出して、カガリはそれをカナードに手渡す。
「とりあえず、今はこれだけだ。基地内が手薄になるから留守番でもしといてくれ」
「?」
「砂漠の真ん中に白い戦艦が泊まってる。あれ、お前らの母艦だろ?」
「…だろうな」
「あれを狙ってザフトが来てる。一泡吹かせてやろうと思ってな」
そう言うと、カガリはキサカを伴って出口へ走って行った。
カナードは部屋(洞窟なのでもちろん扉はない)に入ったが、また何人かが出口へと走って行く音が聞こえた。
「明けの砂漠…」
レジスタンスの名前を聞いても、いまいちピンと来ない。
宇宙嫌いのスピネルがいれば何か分かったかもしれないが、他人の心配が出来るほどの余裕はなかった。
「…疲れた……」
壁際の木箱に背を預けて、カナードは目を閉じた。
「ふむ、大天使様はお休み中か…」
AAから数km離れた地点。
双眼鏡でAAの様子を窺う男の姿があった。
アンドリュー・バルトフェルド、付けられた二つ名は"砂漠の虎"。
このアフリカ北部の砂漠地帯を制圧した、ザフトの猛将。
砂丘の下から部下が走ってくるのが見えた。
「お、準備が完了したかい?ダコスタ君」
息が切れた様子もなく、マーチン・ダコスタは報告をする。
「準備完了しました。戦闘ヘリを出撃させますか?」
アンディは満足げに頷き、AAの方角を振り返った。
「よーし、出撃だ。あくまで目的は、例の"女神様"の戦力評価だぞ」
濛々と砂塵を巻き上げ、武装ヘリと四脚MS・バクゥが出立した。
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