何だか外が騒がしくなってきた。

キラはもう1度だけカナードを見ると部屋の外へ出て、そのまま洞窟の出口らしき方向へ向かう。
聞こえてくるのは大勢の人の声、金属質の音、車のエンジン音。
洞窟の外はかなり明るく、高い位置に来ている太陽に思わず目を細めた。

「キラ君っ!」

眩しさに辺りが白く見える。
自分を呼ぶ声が聞こえて、キラは白くぼやけた視界のままそちらを見た。
「…マリューさん?」
正常に戻ってくる視界の中に、ナタルとフラガの姿も見える。
瞬きをして不思議そうにこちらを見るキラに、マリューたちは安堵の息をついた。
「…無事で良かったわ」
フラガはひと通り周りを見回し、キラに尋ねる。
「カナードはどうしたんだ?」
キラは悲しげな笑みを漏らす。
「高熱で倒れてます」
やはり、とマリューたちも表情を陰らせた。
「…そうか。スピネルもダウンしてるからなあ」
キラはフラガの言葉にホッとした。
…スピネルも、無事だった。
「皆さんもご無事で何よりです。ところで…」
自分たちの周りで忙しなく動き回る人々を見ながら、キラは尋ねた。

「ここ、どこですか?」










-月と太陽・12-










キラの問いにマリューたちは顔を見合わせ、彼が今まで倒れていたのだろうと気づいた。
マリューは自分の立ち位置をずらしてそちらの方向を見せる。
体格の良い無精髭の男が、他の男たちと何事かを相談している様子が見えた。
「ここはアフリカの北部。レジスタンスが協力してくれることになったのよ」
「…そうですか」
キラは適当に相づちを打ち、見える光景を観察する。
…何か作戦を練っているらしい集団。
その中にひと際目立つ、自分と年が近そうな金髪の人物がいた。
キラは別に気にした訳ではなかったが、その人物はこちらを振り向いて、ひどく驚いた顔をした。
金髪の人物はつかつかとキラに歩み寄ると、その顔をまじまじと見つめた。

「お前…!やっぱりあの時の!!」
「?」

何のことかさっぱり分からないキラは首を傾げる。
業を煮やしたのかその人物は突然、キラへ殴り掛かった。
不意打ちであったそれを危なげなく止め、キラは冷ややかにその人物を見返す。
「いきなり何?」
拳を止められているにも関わらず、その人物はギッとキラを睨み据えて怒鳴った。

「なぜお前があんなものに乗っているっ?!!」

その人物は空いている片方の手で、AAの脇に置いてあるMSを指差す。
キラもようやく思い出した。

「君…もしかして、ヘリオポリスで会った子…?」





太陽が天頂に達した頃、スピネルはようやく意識を取り戻した。
…頭がくらくらする。
「まだ動かないでください。また倒れられても困りますから」
冷たい声が降ってきた。
身体を起こすのを止めて冷たさを含む声の主を見ると、フレイが座っていた。
その手にタオルを持っているので、自分を看病してくれたのだろうと想像がつく。
「言葉が刺々だな。俺の言ったことがそんなに気に食わなかった?」
クスクスと笑うスピネルを、フレイは眉を寄せて睨みつけた。
「ええ、その通りです。だから感謝してます」
「は?」
「私が何をしたいのか、自分で見つけることが出来たから」
どこか真剣なフレイの表情に、スピネルもまた表情を改める。
フレイは続けた。
「コーディネイターが憎い。それは変わりません。
でも、キラたちが無事だとフラガ少佐に聞いたとき、私は安堵してしまった…」
フレイは持っていたタオルをぎゅっと握りしめる。
「倒れた貴方をフラガ少佐が連れてきたときも、私は動揺してしまった…」
憎んでいたはずの相手を心配し、利用しようとしたはずの相手までもを純粋に気に掛けてしまった。
スピネルが目を覚ますまで、フレイはずっとその矛盾と戦っていた。

自分は何がしたいのか。
彼らを気に掛けて、一体どうする気なのか。

黙って聞いていたスピネルが口を開く。
「…で?あんたは結局、何がしたいんだ?」
彼女にとって、コーディネイターであるキラとカナードは憎むべき相手。
しかし、その相手を心配してしまう心の矛盾。
利用したい相手を利用出来ない、苛立ちと葛藤。
…その中に、何を見たのか。
フレイはスピネルの予想に反して、穏やかに微笑んだ。

「私は…見てみたいんです。貴方たちが見ている"何か"を。貴方たちが求めている"場所"を」

その目に宿る光は揺るぎない。
「…"憎しみ"の先に何が待つのか。"孤独"の先に何があるのか。
貴方たちの傍にいればきっと、私にもそれが見えるから」
紡がれる言葉と、その穏やかな表情はひどく不釣り合いだ。
だがスピネルには不均等が感じられない。
おそらく、キラとカナードも感じないだろう。
「確かに私はスピネルさんの言うように、孤独じゃない。
けれど私には、貴方たちの生き方が何よりも"自由"に見えるんです」

その理由は、"すでに心が蝕まれてしまっている"から。
"戦争"という名の狂気に。

キラとカナードは、生きる意味と戦う理由の全てをお互いに依存して。
スピネルは、"戦争"で生まれた孤独を"戦争"で埋めて。
フレイは、壊れかけた己の心を繋ぐ"糸"として、同じ狂気に喰われた者に救いを見て。

結局出る答えは、奇妙な同属意識。

スピネルは思わず吹き出してしまった。
そんな彼を、フレイは怪訝そうな顔で見遣る。
「…何かおかしなこと、言いました?」
するとスピネルは本格的に笑い出した。
「くっ…あっはははは!あんた、熱があるとかそーゆーオチじゃないよな?」
「……いい加減にしてくれません?」
人が真剣に話しているというのに。
フレイは持っていたタオルをばさりとスピネルの顔に落とすと、ため息をついて立ち上がる。
顔に落とされたタオルをずらし、スピネルはにやりと笑ってフレイを見上げた。
「…なら、俺の代わりにあいつら見てきてくれよ。
元々あいつらも、あんたを嫌ってるわけじゃなさそうだし」
フレイは何が気に食わなかったのか、眉をひそめた。
「私はフレイです。少佐と性格まで同じにならないでください」

その言葉は、またスピネルを笑わせることにしかならなかったが。





レジスタンスの基地を見渡せる小高い砂丘の上。
キラとカガリはそこで基地を見下ろしていた。
目を閉じて外界を遮断し、思考を落ち着かせてからカガリは視線をキラに戻す。
「つまり、お前がMSに乗ってるのは不可抗力ってことか?」
「ストライクに乗ったのはね」
どこか含みのある返答。
…いや、当然か。
ストライクに乗っていたのは、あのスピネルという名の少年だったのだから。
ナチュラルだと聞いて思いっきり驚いたことは言うまでもない。
「じゃあ、あの"アヌビス"ってのに乗るようになったのは違うのか?」
キラは笑って言った。
「そうだよ。だってあれは僕が造ったんだもの」
「なっ?!…造った?お前が?あれを?!」
とてもじゃないが、信じられない。
しかし"なぜ"と聞く前に、カガリはその言葉を遮られた。
「これ以上言うことは何もないよ。君には関係ないし」
「なっ…!!」
「GATと君が何の関係があるの?身分を隠してる人にこっちの秘密を言う気もないしね」
「…!!」
驚くカガリを尻目に、キラは少し離れた場所に立っていたキサカに軽く会釈し基地へ降りていった。

そのとき意味ありげな笑みを浮かべていたキラに、キサカは片眉を上げた。
「…あの少年は……」
カガリの隠す、"何か"に気づいているようだ。
「ほんとにあいつ…ヘリオポリスであった奴と同一人物なのか…?」
カガリはカガリで、以前会ったときのキラと違和感を感じていた。
言うなれば、

『普通じゃない』





キラはカガリと別れたあと、アヌビスの元へ足を運んだ。
「さて、どうしよっか…?」
調べてみたところ、大した異常は見つからなかった。
おそらくここまで機体を運んだ際に、カナードが見てくれたのだろう。
砂漠の上でもそれなりに動けるようになっていた。
…しかし、戦闘データがあるわけではない。
かといって、せっかく非戦闘な時間であるのにそれを自分で壊すのも気が引ける。
「…カナードの様子、見に行こうかな……」
そう考えて足を基地の入り口へと向けたとき、久々に聞く声があった。

「キラ!!」

AAの方向から走ってくる、紅い髪の少女。
「…フレイ?」
予想外の人物に、キラは目を丸くした。
フレイは首を傾げるキラを大して気にせず、安堵のため息をついた。
「良かった…。ほんとに無事だったの…」
心底ホッとしたように呟かれ、キラは思わずフレイの額に手を当てる。
「…あれ、熱はないんだ」
てっきり、熱に浮かされてるのかと思ったんだけど。
素直にそう言うと、フレイはあからさまに嫌そうな顔をした。
「キラ…。貴方も私が狂ったと思ってるの?」
「…貴方"も"?」
自分の前に誰かに言われたことを示す言葉。
フレイは腕を組み、さも不愉快だと言うように、
「そうよ!スピネルさんも同じこと言ったんだから!」
と、そう言い放った。
その様子が簡単に想像出来てしまい、キラはクスクスと笑いを漏らした。
「でもさ、ホントにどうしたの?スピネルはともかく、僕とは会うのも嫌なんじゃないの?」
改めてフレイを見つめ、そう尋ねる。
すると彼女は今までに見た事のない、艶やかな笑みを浮かべた。
「そうよ?コーディネイターは全部憎いもの」
フレイは視線をキラから外し、忙しなく動く基地の人々へ向ける。
「…でもね、貴方たちは別」
そしてまたこちらを振り向いたフレイは、今までの彼女とは全く違う空気を纏っていた。
ほんの少し身を屈め、彼女はキラの目を下から覗き込む。

「見たいと思ったの。スピネルさんと、キラと、カナードさんが見ている"世界"を」

キラはぱちりと目を瞬いた。
「…フレイ。言ってることの意味、分かってる?」
フレイはにこりと微笑む。
「分かってるつもりよ?私が見ているものを、サイやミリイたちが見れないこともね」
その言葉にキラが表情を変えたのを、彼女は見逃さなかった。

「だから私は、貴方たちの傍にいる。サイたちと違って、雑用係だから時間と自由もあるもの」

これは成長なのか、それとも心が止まったのか。
キラは、これを聞いたスピネルが大笑いしただろうと妙な確信を持った。
…けれど、嫌な気はしない。
「僕は別に誰がどうしようと構わないけど?でもサイとのごたごたに巻き込まないでね」
それに笑って頷いたフレイは、ころりと表情を変えた。
「ところでキラ、カナードさんは?」
「ん、たぶんまだ寝てると思う。一緒に見に行く?案内するけど」
「じゃあお願いするわ」





サイーブたちとの会議を終えて、マリューたちはため息をついた。
…この砂漠を抜けるのは、予想以上に困難な道。
「あ、会議終わったんですか?」
通路の角を曲がった所で顔なじみに出会った。
「キラ君、それにフレイさん。ええ、この砂漠を抜けるのは予想以上に大変そうなのよ」
マリューは至って普通に会話をしているが、フラガは信じられないものを見たような気分だった。
「フラガ少佐?どうか致しましたか?」
怪訝に思ったナタルが声を掛ける。
フラガはその声で我に返り、何でもないと笑った。
「いや、珍しい組み合わせだと思ってな」
「…彼ら2人が、ですか?」
言われてみれば、キラはいつもカナードの隣りにいたのでそうかもしれない。
しかしフラガはそう納得したナタルと違って、フレイの激情を目の当たりにしている。
…ラクス・クラインの一件だ。
まあ、同じ艦の中でギクシャクされるよりはマシか。
「お嬢ちゃん、スピネルの様子はどうだ?」
「…その呼び方はやめてください」
フレイはいい加減、いちいち訂正するのも疲れてきた。
「もう意識は回復しましたし、本人は元気そうですよ」



マリューたちと別れ、キラとフレイはカナードの寝ている部屋へ来た。
「あ、やっぱりまだ寝てる…」
そういえば自分はどれくらい寝ていたのだろうか、とキラはふと思った。
「ねえ…」
寝ているカナードを見ていたフレイが口を開く。
「キラとこの人は、兄弟か何か?」
「え?」
思いもよらぬ言葉にキラは驚いた。
フレイはもう1度キラとカナードを見比べて言う。
「あら、違うの?似てると思ったんだけど」
そういえば眼の色も同じよね、と呟く。
「…似てる…のかな……?」
言われてもキラにはピンと来ない。
フレイは木箱が積み上がっているだけの、殺風景な部屋をぐるりと見回してため息をついた。
「…こんなとこで寝かせてていいの?AAで休んだ方が……」
フレイにしてみれば、こんな場所で眠れるわけがないといったところか。
キラは少し考えたが、ここは彼女の意見に従うことにした。

「カナード、起きて」

あまり深い眠りではなかったらしい。
キラが少し肩を揺すっただけで、カナードは目を覚ました。
「…キ、ラ……?」
ゆっくりと開かれた双眼にキラの姿が映る。
キラはそれに頷き、微笑んだ。
「うん。重力があるから大変だけど、AAに戻ろう。ここじゃ体が休まらないから…」
「……」
カナードは答えなかったが、目に掛かる髪を掻き上げると立ち上がった。
素直に見えるのは、熱のせいで思考が安定しないためだろう。
しかしフレイの姿を認めたときは、その目にわずかな驚きが見られた。
「…なんでお前が……?」
フレイは心外だというように首を傾げた。
「そんなにおかしいですか?」
キラの傍にいるのが。
「…熱に浮かされてるか、狂ったかのどっちかだろ」
カナードはいとも簡単にそう言ってのけた。
フレイは眉を顰め、カナードの後ろにいるキラへ視線をやって呟く。
「…同じことを3度も言われるともう、文句を言う気にもなれないわね」
キラは苦笑するしかない。
「じゃあフレイ、カナードをよろしくね。僕はもう少しここにいるから」
「分かったわ」





AAの内部。
カナードを部屋へ送り届けた後、フレイは食堂でサイを見つけた。
「あ、フレイ!スピネルさんの様子は?」
一緒にいたトールがフレイに尋ねる。
「大丈夫みたいよ。意識はしっかりしてるし」
「じゃあ…キラとカナードさんは?」
フレイは少し考えてから答えた。
「キラはもう大丈夫そうだけど、カナードさんは…」
言葉を濁すフレイに、トールやミリイも表情を曇らせた。
「…そっか」
「でも当たり前だよね。あんな無茶なことになったんだもの…」
2人と話している間に、サイが飲み物を用意してくれていた。
フレイはそれを受け取り、意を決して話を切り出す。
「サイ、あのね…」
そんな様子のフレイをあまり見たことがないので、トールたちも何事かとそちらを見る。

「婚約を…白紙に戻してほしいの」

驚いて目を見開くサイに、フレイは一息に言った。
「婚約はパパが決めたことで、パパはもういない…。だから、私たちもそれに縛られる必要はないと思うの」
「ちょっ、フレイ!何を…」
サイは慌てるが、フレイはきっぱりと宣言した。
「婚約は、破棄よ」
そう告げると、フレイは食堂から駆け出していった。
サイも彼女の後を追い、駆け出していく。
「…と、突然何なの?」
「さあ…」
それを眺めていたトールたちは、唖然としてその姿を見送るしかなかった。


ドンッ!


「わっ?!」
AAに戻ってきたキラは奥から走ってきた誰かとぶつかり、危うく倒れるところだった。
「え?フレイ??」
キラが抱きとめたのは、紅い髪の少女。
「キラ?!」
ぶつかったのが自分だったことに、フレイも驚いているようだった。
「フレイ!」
奥からサイが走ってきた。
それに気づいたフレイは反射的にキラの後ろに隠れ、キラは困惑するしかない。
「え?え??」
困惑顔のキラには目もくれず、サイはその後ろにいるフレイへ問う。
「フレイ、さっきのはどういう事だよ?理由もなくあんな風に言われたら、俺だって…」
「サイ…」
フレイは戸惑い気味に目を伏せる。
「…えーと……」
キラはようやく、目の前で何が繰り広げられているのかを理解した。
ため息をつき、自分の後ろにいるフレイへ告げる。
「…巻き込まないでって言ったよね?」
いや、これはタイミングの悪すぎる自分が悪いのか。
「…ごめんなさい」
フレイが素直に謝ったので、キラは却って扱いに困ってしまった。

そんな2人の様子を見ていたサイが、声を低くする。
「キラ、どういうことだ?」
「は?」
「何でフレイがお前に謝ってるんだよ?」
キラは特に悪気もなく答えた。
「ああ。さっき婚約者同士の諍いに巻込まないでね、ってフレイに言ったから」
しかしその言葉は、サイを逆上させるには十分だった。
「どういうことだよフレイ!!」
彼はキラに構わずフレイに詰め寄った。
フレイもまた声を高くする。
「キラは関係ないわ!私が勝手に決めたことだもの!!」
もちろんその言葉は嘘ではない。
だがそれがどういう意味を含むのか、フレイには分かっていなかった。
サイはますます表情を険しくする。
「フレイ!!」
目の前で繰り広げられる言い争いに、キラはうんざりした。
…カナードが本調子でないことの大部分は、自分のせい。
そう思っているキラは、ただでさえ苛々している。
刃のような言動を、いつものようにオブラートに包むことさえ不可能だった。
フレイに詰め寄って声を荒げるサイの手を後ろ手に捩じ上げ、キラは彼をそのまま外へ押し出す。
「うわっ?!」
「…っ?!サイ!」
サイは半ば転げ落ちるように、デッキから地面へ降りた。
キラの行動にフレイも息を呑む。

「…いい加減にしてくれない?」

すぅっと響く冷たい声。
そんな声がキラから発せられたことに、サイもフレイも驚きを隠せなかった。
キラは冷たい声のまま続ける。
「僕はフレイと何の関わりも持ってない。持ってるとすればラクス・クラインの一件くらいだ。
自分たちの火種は自分たちで消してよ。僕は何の興味もないから」
そう言い放つと、キラはAAの内部へ足を進めた。
自分の言葉によって未だ動けない、サイとフレイを残して。





その日の夜、タッシルの村がアンディの隊により焼き払われた。