MSが周りを固めた豪華なホテル。
そこが"砂漠の虎"の本拠地だった。

「いらっしゃい。あらら、アナタは早くシャワーに行かないとね」

身体のラインが線に出る青い服を着た、話し方に訛のある女性がキラとカガリを出迎えた。
カガリはその女性に案内されて通路の向こうへ消える。
キラはアンディに別の部屋へ通された。

「少年、君はコーヒーは好きかい?」

キラの返答を待たずに、アンディはコーヒーメーカーのスイッチを入れる。
「…まあ、飲めますけど」
進められたソファへ腰を下ろし、キラは珍しい蒸留コーヒーが出来上がるのを眺めていた。










-月と太陽・15-










レジスタンスの秘密基地へ戻ってきたカナード。
その彼を、誰もが驚愕の顔で見つめた。
…彼の右腕は血塗れ。
しかしカナードは、指摘されるまでその事を忘れていた。

「うーわ…。お前、それどーしたんだよ?」
「は?」

AAへ戻ろうとした彼を、スピネルがまず引き止めた。
カナードは意味が分からず首を傾げる。
すると、AAから出てきたフラガがカナードの姿を見るなり目を剥いた。
「おまっ…その腕!!」
「腕?」
言われて自分の右腕を見てみる。
「…あ〜、忘れてた」
その様子に却って拍子抜けしてしまう。
どう返せばいいのか分からなくなったフラガに代わって、スピネルが言った。
「ってことは、お前の血じゃないのか」
カナードは口の端を吊り上げる。
「ああ。お前の言った通り、会ったぜ?"砂漠の虎"に」
スピネルも笑みを浮かべる。
「へえ?じゃあその血はブルーコスモス…とか?」
「まあな。いちおう礼は言うぜ。おかげで清々した」
そう言ってAAの内部へと消えたカナードを、フラガは複雑な表情で見送った。

「どういうことだ?"砂漠の虎"に会ったって…」

同じようにカナードの姿を見送ったスピネルは、フラガの声に振り返る。
「ほら、ここに来てからアイツ、明らかに様子おかしかっただろ?」
「…ああ」
「だからキラとカガリが街行くって聞いて、行かせたわけ。気分転換くらいにはなるし」
「……どうやって行かせたんだ?」
あのカナードが、"気分転換"なんて言葉で動くとは思えない。
案の定、スピネルは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「"運が良ければ砂漠の虎に遭遇する"ってな。もちろんオマケ付き」
まるで、自分も出会ったことがあるかのような言い方だ。
「オマケ?」
「そ。一般市民には迷惑千万な、"テロリスト"っていうオマケ」
…その名は"ブルーコスモス"。
フラガは気になっていたことを口にする。
「お前も会ったのか?"砂漠の虎"に」
スピネルは頷いた。
「結構、陽気な男だったぜ?MS乗りの腕は本物だし」

次にあいつと遊ぶときは、俺たちかあいつか、どっちかが死ぬんだろうけど。





手の中にあるのは、白いマグカップ。
そのマグカップの中には、ブラックのままのコーヒー。
キラはそのコーヒーの匂いに咽せそうになった。
(…これ、ホントにコーヒー?)
思わずそう疑いたくなる。
おそるおそる口をつけてみるが…
「苦…」
非常に複雑な味がした。
どうやら今日は、食事に関して厄日らしい。
一方のアンディを見れば、香りを楽しみつつ美味しそうにそのコーヒーを飲んでいる。
(…この人、どんな味覚してるのかな……)
もう1度このコーヒーに口を付ける気は、キラにはすでになかった。
「おや、君はブラックが苦手なのかい?」
そう尋ねてくるアンディに、キラは適当に相槌を打っておく。


カチャリ。


部屋の扉が開き、青い服の女性…アイシャが入ってきた。
「出来たわよ。お2人さん」
アイシャの後ろから、カガリが入ってきた。
そのカガリは恥ずかしそうに俯いている。

…エメラルドグリーンのドレス。
金色の髪は結い上げられ、ご丁寧に髪飾りやネックレスといった小物も充実。

「女の子…だったんだね」
その普段の姿とはギャップがありすぎる彼女に、キラは思わず失礼極まりない言葉を発していた。
もちろん、カガリが腹を立てないわけがなく。
「何だと!私が男だとでも言いたいのか?!」
…と、普段と変わらぬ男勝りな態度でキラに怒鳴った。
キラとアンディ、アイシャは苦笑するしかない。

アンディは適当な言葉でカガリを宥め、コーヒーを勧めた。
不愉快そうな顔を隠さず、それでいて無駄だと諦めたようにカガリはソファへ腰を下ろす。
キラにとって不可解だったのは、カガリが至って普通にアンディのコーヒーを飲んだことだった。
(…平気…なのかな……)
彼女もこんな砂漠にいるくらいだ。
かなり丈夫な体をしているのだろうが、謎は残る。
とりあえずキラはコーヒーについて考えることを放棄した。
ふと、カガリを眺めていたアンディが感心したような声を発した。

「まっすぐな目だねえ。強い信念と意志を秘めた目だ」

カガリはコーヒーを置き、アンディを睨む。
「本当に、どういうつもりだ?お前。私とキラをこんなとこに連れてきて」
アンディは肩を竦める。
「どうと言われてもねえ。助けてくれたお礼だと言ったはずだが」
「ふざけるな!」
バンッと机を叩き、カガリは立ち上がった。
「何なんだよお前は!お前らのせいで苦しんでる人がたくさんいるのに!
その張本人は気楽に占領した街を歩いてる!!」
コーヒーを飲むアンディの手が止まり、その目がわずかに細められた。
キラも手に持ったままのカップを置いて、アンディを見る。

「そんなに殺してもらいたいのかい?君は」

アンディの声色が変わり、カガリは言葉を飲み込む。
思わず身構えるが、アンディは立ち上がってホテルの外を眺めた。

「戦争とは何か、と考えることはないかい?」

予想外の問いに、カガリは目を丸くした。
アンディはそのまま続ける。
「いつ戦争は終わるのか。軍人でもそう思うことくらいあるぞ?」
振り返った視線は、カガリの隣りを見ていた。
「少年、君はどう思う?戦争の終わりというものを」
「……」
キラは黙ってアンディを見上げる。
アンディはふっと笑うと、こう言い換えた。

「ではこう聞こうか?
"破壊の女神様"から見た、戦争の愚かさはどのようなものか?」

「なっ?!」
カガリが驚愕の声を上げる。
しかしキラは別段、驚くことはなかった。
「…気づいてたんですか」
疑問系とも言えない言葉でキラは尋ねる。
アンディはそれが意外だったのか、面白そうに笑った。
「そう言う君も驚かないねえ。
もう1人の彼…黒い少年の方が、君よりヤバいような気はするが」

このホテルに来る理由となった、カナードの行動。
それを見ていた人間で、そう思わない方がおかしいだろう。
だがそれは、"行動"だけを判断した場合で。
そうでなければ、アンディは遠回しにキラをも"危険"だとは言えない。
たいした行動を起こしていなかったキラを、ここで引き合いに出せるわけがない。
…キラの内に眠る、"狂気"を感じ取れなければ。

キラはクスクスと笑みを漏らした。
「じゃあ、僕をここで殺しますか?そしたら女神の数が減りますよ?」
「キラ?!何言ってるんだ、お前!!」
怒鳴るカガリを、キラはやんわりと制止する。
そして視線をアンディに向け、答えた。

「破壊の女神・セクメトとしてお答えするなら?…答えは、愚かすぎて言葉にもできない。
冥界の守護者・アヌビスとしてお答えするなら。…答えは、死者の数を増やしすぎる人間は愚か。
…こんなところでしょうね。"本物"に会ったことがないので、正解かは知りませんけど」

まるで、全てを知るかのような。
戦争の、人の愚かさを、その全てを知った上で戦っているかのような言い方だった。
アンディはどう返すべきか迷う。
「…いや、君も十分ヤバそうだな。早々に退散して頂こう」
キラは吹き出した。
「それ、言い方が逆じゃありませんか?」
アンディも苦笑する。
「それは仕方ないだろう。ここは僕らの本拠地だからねえ」

再びカチャリ、とアイシャが部屋の扉を開けた。
キラは呆然としたままのカガリの腕を取ると軽く会釈して、部屋を出ようと扉へ向かう。
その背へアンディは問い掛けた。
「どこで戦争は終わるのか、君自身はどう思う?
敵である者を全て滅ぼせば終わるのか。それとも…」
キラは足を止めて振り返った。
…その口元に、謎めいた笑みを浮かべて。

「相手を全て滅ぼす前に止めないとダメなんでしょう?戦争は。
でも僕は…"僕たち"には、どうでも良いんです。終わり方なんて」

神話の神々にとって、人間は取るに足らない小さな存在。
その名を冠された者は、少なからず"狂気"を秘め、ココロを蝕まれている。
だから、どうでも良くなる。
自身に巣食う"狂気"の消し方など、知らないのだから。







プラントの首都、アプリリウス・ワン。
数ヶ月ぶりの休暇をもらったアスランは、それを利用して婚約者のラクスの元を訪れた。

「まあ、アスラン。ようこそおいで下さいました」
ラクスと共に大量のハロがアスランを出迎える。
自分が贈ったとはいえ、これには苦笑するしかない。
「…賑やかですね」
ラクスは自分の後ろをついて来るハロを見て微笑む。
「皆、アスランが来るのを楽しみに待っておりましたもの」



広大なクライン邸からは、プラントの"海"が見える。
それを眺めながらも話す話題は、やはり現在を取り巻くものへと移ってしまった。

「次はいつ頃、プラントへお戻りになりますの?」
尋ねたラクスの手元に、ピンク色のハロが飛び乗る。
アスランはラクスへ向けた視線を海へ戻した。
「…分かりません。議会でまた大きな動きがあったとは、聞きましたが」
ラクスも海を見つめた。
「ええ。"オペレーション・スピットブレイク"が、可決されそうだと」
それがどのような作戦なのか。
アスランもラクスも、詳しいことは何も知らない。
けれど戦争の早期終結を目的とした、大規模な作戦であることは間違いないだろう。
ザフトの前線を担うクルーゼ隊の一員であるアスランも、おそらくはその作戦に関わる。
…軍人に休暇など、あるようでないものだ。
小さくため息をついたアスランに、ラクスはにこりと微笑んで言った。

「キラ様は、アスランのご友人ですのね」

突然振られた話題とその内容に、アスランは目を丸くしてラクスを見返した。
しかしラクスは、にこにこと笑みを崩さずに続ける。
「以前に私がAAに保護されたとき、キラ様は本当に良くして下さいましたわ」
そして、ぴょんぴょんと飛び回るハロを手に収めた。
…このハロは、その時に連れていたもの。
彼が持っていたものは、"ハロ"ではなかったけれど。
「トリイという名のロボットを、大切に持っていらっしゃいました」
ハロと同じように、名前と同じ『トリイ』と鳴くロボットを。
アスランはラクスの手に乗るハロを見、次いでラクスを見つめる。

「あいつが…?」

彼と離れたのは一体、何年前の話だったのだろうか。
あれはまだ、戦争が始まる前だ。
そして再会したのは、すでに戦場となった場所だった。
当時はまだ半信半疑のようなもので。
けれど、甘かった。
「本気…だったんだろうな。きっと」
思わずそんな言葉が口を突いた。
次に出会った彼は、紛うことなく"敵"として存在していた。

『あの人が、今の僕の全てだから』

そう言って自分を撃った彼。
キラの指した人物は、誰なのだろうか。
(確か名前は…)

「カナード様のことを、お知りになりたいのですか?」
「えっ?」

アスランは驚いて思考を中断させた。
…口には出していないはず。
驚くアスランにラクスは微笑んだ。
「キラ様の話になると、アスランはポーカーフェイスが崩れるのではありませんか?」
「……」
読心術でも持っているのかと本気で疑ってしまった。
どうやら表情に出ていたらしい。
ラクスはくるりと体を反転させ、手摺に背を預けると空を見上げた。

「キラ様は、太陽のような方でしたわ。ふっと影が差すこともありましたけれど…」

ころころと表情が変わる人だった。
ナチュラルもコーディネイターも、彼の中では全て"同じ"であったようで。

「カナード様は、星のない夜の月のような…そんな方ですわ」

あまりにも分かりにくい例えに、アスランは不可解な顔をする。
ラクスも自身で思ったらしく、苦笑した。
「良い表現が見つかりませんわ。見ただけならば、"黒"という表現がぴったりなのですけれど」
「黒?」
ラクスは頷いた。
「眼の色は、キラ様と同じ綺麗なアメジスト色ですわ。
けれど長い黒髪をお持ちで、着ている服も全て黒色ですの」

宇宙の闇に溶けてしまいそうな、黒。
けれどその奥底には、赤々と燃える炎がある。
勝手にそれを見ようとすれば、こちらが骨も残さず焼かれてしまいそうな。

「ああ、それはキラ様も同じですわね…」
ラクスは見上げた空の上、見えずとも広がっている宇宙を見つめる。



太陽は、光ではない。
近づくもの全てを焦がし、溶かしてしまう"炎"だ。