耳障りな、鬱陶しい"音"が聞こえる。

1階の奥にある階段を上り、2階へ足を踏み入れる。
なぜ自分がそう思ったのか分からない。
だが、1階に何もないであろうことを"知っていた"。


ーーー待って!待ってください!!


誰かの走る音が響く。
誰かが叫ぶ声が聞こえる。
ここには、自分の他に誰もいないのに。


ーーーやめて!その子を…


『 Prof, Ulen Hibiki M.D.Ph.D. 』

扉の上に書かれた文字は、見たくもない名前を刻んでいた。
電力が回されず自動では開かない扉に手を掛け、そして開く。


ーーーその子を、殺さないでっ!!


耳障りな"音"たち。
消せないのは、"自分の頭の中で"響いているからだ。










-月と太陽・39-










足を踏み出すたびにカツン、と響く靴音。
触れた床から跳ね上がった音は壁と天井へぶつかり、広く奥へと流れていく。
誰かがいる証として、自らが発した音は自らを誇示し続ける。
これでは身を隠す意味がないだろう。
エントランスホールへ出たキラは、高い天井を見上げた。
…誰の姿もない。


パァンッ!


どこかで1発の銃声が響いた。
騒音の値が大きな銃声が円筒形の壁で反響し、さらなる騒音と化す。
小さくなる騒音の中で、カツカツと誰かの靴音が走った。
そしてそれを追いかけるように、幾分ずれた靴音が走る。
1人はムウ・ラ・フラガであろうが、もう1人は?
(カナードじゃ、ない)
自分より先に入った2人よりも随分前に、彼はここへ入ったはずだ。
ならば、そう音が響き渡る場所には居まい。
(きっと…こんな大きな音も立てない)
大型の黒猫のような、そんな月の闇の雰囲気を持つ彼は。
…勝手な推測と思い込みには違いないが。


パンパンッ!!


何発目か分からぬ銃弾が、自分の1歩前にある壁に穴をあけた。
チュインッ、と壁に弾き返された音が途切れ、フラガは潜んでいた壁から半身を出すと2発撃ち返す。
そうして身を隠し直した瞬間、またチュインッ、と1歩前の壁に弾と音が弾かれた。

「ここが何か知っているかね?ムウ」

無機質で硬質な壁に、その声は清々しい程よく通った。
「知るかこの野郎!!」
怒鳴り返した途端、抉られた左の肋がズキリと疼く。
腹筋を使う度にこうかと思うと気が重い。
…再び靴音が早いリズムで遠ざかった。
フラガも左手で脇腹を押さえつつ、後を追う。
盾になりそうな銅像を見つけその影に身を寄せると、銅像の反対側の壁にエレベーターの扉があった。

「罪だな。君がここを知らぬというのは」

返ってきた声は、もっと奥からホールへ響いてくる。
いったい、何の話か。
クルーゼのいう"罪"とは、何なのか。


「フラガ少佐!!」


歩けば歩くだけ自分の居場所を示してしまう。
ならば、とキラは探し人の片方の名を思いっきり呼んだ。
自分の声もまた銃声と同じくよく通り、残響を長く引いた。

「キラ?!」

遅れて、驚き混じりの声がホールに反響した。
…どうやら上の階のようだ。
左の壁際に階段を見つけて、キラは靴音を隠すことなく階段を駆け上る。
階段を上り廊下を左手に曲がると、ちょうどホールの上へ出た。
フラガが追いかけた男は、この建物の入り口から最も遠い位置にある廊下へ入ったらしい。
銅像横にフラガを見つけると、そこまで一気に走った。

「キラ!お前なんで追いかけてきた?!」
「だったらアヌビスで大人しくしててくださいよ!」

肩で息をつきながら、キラは文句を言ってきたフラガへ負けじと言い返す。
「いっつ…、お前、生意気…」
キラはフラガの怪我に気がついた。
「少佐、それ…!」
「掠り傷さ。問題ない」
問題がないわけがないが、ここでは引き返す以外の選択肢が無い。
なるべく響かないように声を落とし、尋ねる。
「カナード、見ませんでしたか?」
フラガもようやく、カナードが内部へ偵察に赴いていたことを思い出した。
「…いや、見てない」
暗い建物の中でも分かるほどに、キラの表情が陰る。
そういえば、キラとカナードの2人が同じ場所に居ないというのは、滅多にないことだった。

「キラ・ヤマト…。そうか、君がフリーダムのパイロットか…」

自分たち以外の声が割り込んでくる。
(この人がラウ・ル・クルーゼか…。アスランたちの上官だった人)
ザフトについては、スピネルの方がよく知っていた気がする。
しかしクルーゼの声は、キラの予想などいとも簡単に追い払ってしまった。


「君もまた、戻ってきたのか。懐かしいだろう?ここは君にとっても生まれ故郷だからな」


何を言われたのか、分からなかった。
「故郷…?」
いったい、何の話だろう。
自分の出身地はオーブなのだから、故郷も当然…
(…っ、違う!)
忘れたわけじゃない。
けれどこの期に及んで、自分で封印していた。
"認めたくないから"。
言い様の無いあの暗闇が、キラの目の前に広がる。

「さあ来たまえ、始まりの場所へ!君も知りたいだろう?"ここで何があったのか"」

フラガは青ざめたキラを叱咤する。
「馬鹿!本気にするな!んなもん嘘に決まってる!」
しかしキラは、呆然とクルーゼが潜んでいるであろう廊下を見つめていた。
「違う…」
「え?」
聞き返したフラガの声は、おそらく聞こえていない。
「カナード…ねえ、どこにいるの…?」
まるで譫言(うわごと)のように、キラの口から発せられた言葉。
「おい、キラ!」
様子がおかしい。
「言ったのはカナードなのに…何で、何でここにいないの?!」
強く頭を振った彼は、見るからに錯乱している。
フラガはキラの肩を掴むと強く揺すった。
「キラ!落ち着け!」
だが彼はフラガを振り返ることすらしない。
…いや。
キラの中から、フラガの存在が完全に除外されている。

「カナードっ!返事くらいしてよっ!!」

喉の奥から絞り出すように、あらん限りに叫ばれた声。
少し高めのキラの声は、建物の中をぐるぐると行き場無く回った。





不気味な光に、青い水が。

わずかな電力で最低限の光源に照らし出された、規則正しく並ぶ円筒形の"箱"。
箱の上に乗った、"中身"とデータを映し取り続ける機械。
下の部屋一面に張られた水の中の、それは"人工子宮"と呼ばれるもの。
周りの棚には、ホルマリン漬けの胎児標本が並んでいる。
カナードは手摺越しにそれらを見下ろし、ただ見つめていた。


ーーーあの子をどこへやったのっ?!


耳障りな音。
それは、自分の記憶の奥底に仕舞われていた"記憶"。
大抵の人間はこの部屋の光景を見て、絶句なり何なりして驚くのだろう。
反してカナードは…笑んでいた。

「知ってるぜ。"あの頃"と何も変わんねーんだな、お前らは」

そう、自分は彼らを知っている。
"この状態"から察するに、自分より"後"のモノたちだ。


ーーー貴方は愛情というものを持っていないの?!


自分より"後"であり、成功体よりも"前"である。
故に彼らは、"人"と言うには早すぎる姿のまま放置された。
こちら側は言うなれば、"実験中枢"だ。
手摺付きの鉄板の上を歩き、研究所の"データ中枢"へ入る。
…散らかったままの部屋だ。
電子機器であったらしい鉄の机の上に、アルバムと写真が散らばっていた。
「…こいつが」
その中の1枚。
カメラの方を向き、笑顔で誰かと握手を交わす金髪らしい男が写っている。
写真の裏にはご丁寧に、写る人物の名前が書いてあった。

この男が、ユーレン・ヒビキ。


ーーーなぜ、なぜあんな名前を付けたの?!


その男の右側。
栗色の髪に紫紺の眼をした、"キラによく似た"女性が立っている。
「鬱陶しいのはこれか…」
名前など知らない。
だがひたすら泣き叫んでいた"誰か"は、この女だ。
「1人や2人助けたところで、同類だ」
カナードが出したのは温度のない、抑揚さえも無い冷たい声。

…虫酸が走る。
何百体目か(数など知らない)の実験体が"成功体"ではないと分かって、破棄しようとしただけ。
今までと違っていたのは、そう判明したのがある程度成長してからだったという事。
たったそれだけの違いを、この"音"の主は拒否した。
大した自己満足だ。
それまで、同じことを散々やってきたくせに。

「日記…?」
壁際の古びた本棚を物色していると、装丁の違うノートを見つけた。
かなりの分厚さで、手に取り開いてみればそう色褪せていない。
よく見れば、その段には同じようなノートが数冊並んでいる。

『091〜800』
『6001〜13700』
『25040〜33900』
『34001〜』

間がぱたぱたと抜けていて、基準がさっぱり分からない。
基準は分からないが、中身の予想はついた。
この数字が何を意味しているのか、中には何が書いてあるのか。
「面白いもんが残ってるな」
カナードは、数字が最も大きなノートを引き抜いた。

最後のページまで書かれていない、中途半端なこのノート。
これはつまり、ノートが終わる前に書かれなくなったのだ。
なぜ書かれなくなったのか。
…決まっている。
"終わったから"、書く必要がなくなったのだ。



『 遺伝子操作の第一人者であるユーレン・ヒビキ博士とヴィア女史のプロジェクト。
受精卵の遺伝子組み換え時、もしくは子の生誕後に起こる"予期せぬ違い"をゼロへ。
この計画に賛同した研究者たちの精子、卵子の提供数が期待数まで達した。
よって本日から、人工子宮の開発と共にプロジェクトが始動される。 C.E.5-. 』





反響していた声の残りが、静寂に溶けた。
…返事はない。
「カナード…っ!」
明らかに、キラは何かに怯えている。
「キラ!!ちっ、クルーゼの野郎…!」
彼がこうなったのはおそらく、カナードがここに居るらしいことも起因している。
しかし彼らを繋ぐものは、何だ?

「ほう。カナード・パルス…やはり彼もそうなのか」

どこか納得したような声が、独り言のように響く。
勝手に紡がれるクルーゼの言葉に、キラはビクリと肩を震わせた。
クルーゼはキラの反応を面白がっているようだ。
放心状態に近い彼へ、容赦なく言葉の銃弾を浴びせる。


「君が"兄"である彼を求めるのは、罪の意識かい?」


フラガは反射的にキラを振り返った。
銃を握る手はカタカタと小刻みに震え、キラは今にも座り込んでしまいそうだ。
「キラ!しっかりしろ!!」
どれだけ怒鳴っても、キラの目は焦点が定まらない。
「あ…嫌だ…こんな……」
途切れ途切れに漏れる言葉は一貫性がなく、けれど最後だけは同じで。
「…カナード」
この建物のどこかに居るらしい人物の名前しか、紡がない。

クルーゼは、彼がキラの"兄"だと言った。

カツカツと速く遠くなる音に、フラガはハッと我に返る。
「くそっ、まだ奥へ!」
奥へ走ろうとしたフラガの目の前を、ふいに人影が横切った。
人影の主であるキラは、クルーゼがいたらしい1番奥にある廊下の角を曲がる。
「…っ、キラ!!」
フラガも慌ててその後を追う。

廊下は今までよりもさらに薄暗く、だが正面に見える扉の向こうは明るい。
その部屋から入る光は、どこか青い気がする。
キラは待ち伏せされているなど考えていないのだろう。
一目散にその部屋へ向かう。
フラガが咄嗟に呼び止めようとしたその足は、なぜか入り口でピタリと止まった。
キラに追いついたフラガも彼の後ろから部屋を覗き込み、そして息を呑む。

不気味な光に、青い水。
眼下に広がる水の中には、規則正しく並ぶ円筒形の物体。
その上でデータと中身の映像を流す、小さなコンピューター。
「こ、れ…は……」
1歩、2歩と、キラは震えそうになる身体を叱咤して先へ進む。
視線はコンピューターに映る"モノ"に釘付けになっていた。
…それぞれに振られた番号と、"生きている"画像。

あれは、"胎児"だ。

後に続いていたフラガに突然頭を抑えられ、しゃがまされる。
キンッと手摺が何かを弾く音を聞き、キラはようやく銃口に狙われたのだと気づいた。

「その様子なら、自分が無関係ではないと知っているようだな。キラ君」

そう、"知っている"。
見たのが初めてだっただけで。
フラガが何発か撃ち返し、その隙に先の分岐を曲がると別の部屋があった。
中にはコンピューターだったらしい操作台と散らばった資料、右手には古びたソファーが並ぶ。
自分たちのいる扉へ音を立てた銃撃は、どうやら左の方から来ている。
意を決して中へ走り込んだフラガは、左手側に銃を撃ちながらソファーの向こう側へ飛び込んだ。
キラが扉の陰から見る中で、銃撃戦が起こる。
「つっ?!」
「少佐!!」
銃弾がフラガの右肩を抉った。
部屋の中へ飛び込んだキラは、自分を狙う銃弾を足下に感じながらソファーの向こうへ飛び移る。
「少佐!」
銃撃戦で恐慌状態から抜け出したらしい。
フラガが取り落とした銃を拾い、キラはソファーを盾にクルーゼへ銃を向ける。
「殺しはしないさ。少なくとも…"真実"を知ってもらうまではな」
隣の部屋の明かりが届かない奥から、クルーゼがようやく姿を現した。

「このコロニーは遺伝子研究の聖地だ。子のコーディネイトも、全てがこの場所から始まった」

キラへ銃を向け、クルーゼは読めない笑みを浮かべる。
「この地は悪夢の始まり。人類の"夢"を追った愚か者の聖地。
君も、知ったのはつい最近の話なのだろう?でなければ…そこまで取り乱しはしまい」
「!」
クルーゼは、机の上にあった写真とアルバムをキラたちの方へ放り投げた。
…すぐ横でばさりと広がったアルバムと、乾いた音を立てた写真立て。
「この写真…!」
ひび割れた写真立てに入った、"カナードに瓜二つの"女性と2人の赤ん坊を映す絵。
それはいつだったか、カガリに見せられたものと同じ。
一方でフラガは、アルバムから散らばった写真に目を見張った。
「親父?!」
幼い頃の自分を肩車して微笑む、父親の絵。
傲慢だった記憶しかないが、それにしてもなぜこれが、このような場所にある?
2人の反応を見越していたクルーゼは笑った。

「"真実"を知る者なら他にも居るさ。だがその裏にある血塗れの"狂気"を知る者はいない。
そう、"生き延びていなければ"な」

キラの思考がそこで停止した。
(生き延びて…?)
死人に口無し、生きていなければ言葉など語れない。
つまり"知っている"と。
(知ってるの…?)
自分がそれを声に出したことすら、知らなかった。

「知ってる…?カナードも、"それ"を知ってるの…?」

クルーゼはその問いに答えない。
同様に、否定も肯定もしなかった。
「キラ!」
向けられた銃口が火を噴き、フラガは咄嗟にキラを床に伏せさせる。
何発か撃ち返すと、クルーゼは奥の扉の向こうへと身を隠した。
…おそらくクルーゼは、自分たちにその"真実"とやらを話し終えるまでは本気で撃ってこない。
呆然としたキラを立ち上がらせると、フラガはその背をこちらの奥にある扉へ押した。
自身もまた、痛む脇腹と肩に眉を顰めながらキラの後に扉をくぐる。

「君たちもまた、狂気の夢を追った愚か者の息子さ」


クルーゼのそんな嘲笑が聞こえた。