時計の針は、変わらず過ぎる時を刻む。
エターナルの格納庫で、アスランは苛々とそれを感じていた。
「くそっ…!」
小さく悪態をつき、待機させてあったジャスティスへ乗り込む。
主電源を入れ、エターナルのブリッジへ回線を繋ぐと苛つきの滲む声で告げる。
「いくら何でも遅すぎる!ジャスティス、出るぞ!」
だがブリッジからの返答は、冷ややかな歌姫の声。
『いけません』
発進を許可しないというものだった。
「なぜですか?!キラたちがまだ戻って来ないというのは、何かあったとしか…」
思わず言い返したアスランは、しかしモニターに映ったラクスに息を呑む。
『分かっておりますわ!
ですが私たちは、たとえ彼らが戻らなくてもこの道を歩まねばならぬのです!』
強い声とは裏腹に、彼女は肩を震わせ俯いていた。
『キラもフラガ少佐もディアッカさんも戻らず、カナードに至っては…それよりもずっと前に内部へ向かいましたわ。
私も、出来ることなら内部へ赴きたい。けれどドミニオンの攻撃も、いつ再開されるか分からない。
そんなときに、貴方という戦力まで削ぐわけには参りません…!』
よく筋の通った言い分だった。
考えてみれば、戦う者として当たり前のこと。
アスランは気を落ち着かせ、その言葉が最善だと再確認する。
「…分かりました。もう少し待ってみることにします」
しかし回線を閉じて深く息をつくと、片手を額に目を覆った。
「やるせないな…本当に」
結局彼女は、1度も顔を上げなかった。
誰よりも彼らの身を案じているのは、ラクスなのだ。
-月と太陽・41-
バサリ、と乾いた音を立て、白い仮面が床に落ちる。
そうなった原因であるキラも。
銃を構えキラに続いて撃とうとしていたフラガも。
今まで動揺の欠片すら見せなかったカナードも。
仮面に隠されていた"理由"を、言葉も無く目の当たりにしていた。
…クルーゼの年齢は、フラガとそう変わらないだろう。
だが、仮面が隠していた目元は。
その部分だけが年老いたように、皺が寄っていた。
「テロメアの劣化…?」
ユーラシアの研究所も、元は"スーパーコーディネイター"の研究をしていた。
そのために、聞かずとも聞かされなくとも遺伝子の話が入って来る。
"テロメア"とは、年齢を司るDNA配列のことだ。
カナードの声にクルーゼは皮肉な笑みを浮かべ、露になった目元を隠そうともせず言い放つ。
「最後の扉は私が開く!もう誰にも止められはしないさ!!」
反響した声が消える前にクルーゼは踵を返し、その場から走り去った。
「待て貴様!…っ?!」
追おうとしたフラガは、途端に脇腹へ走った激痛に敢えなくしゃがみ込む。
キラは構えていた銃を下ろし、カナードを見た。
…その姿が刹那、掻き消える。
「…っ!!」
「キラ?!」
床に背中を叩き付けられ激痛が走る。
フラガの上げた声が重なったが、キラは衝撃と痛みで声すらまともに発せられなかった。
襟刳りの辺りを強く押さえつけられ、息をするのも難しい。
「おいカナード!何やって…!」
腹の筋肉を使ったことでまたも激痛が走り、フラガは最後まで言えなかった。
かなりの声量で怒鳴ったつもりだが、おそらく彼らには聞こえていない。
「面白いヤツに会えたがな、まずはてめえだよ!」
キラを床に押さえつけ、カナードは激情に任せ叫ぶ。
(カナード…?!)
痛みに歪むキラの視界には、彼の姿だけが映る。
しかし呼吸器官を圧迫されていて声が出ない。
今の彼は、先程までの冷たさからはとても想像出来ない。
何がそこまで彼を怒らせた?
…これはまるで、灼熱。
メンデルの内部へ侵入したスピネルは、中程まで来たところで3機のMSを見つけた。
「パイロットはいないのか…?」
落とされたというのが相応しいアヌビス。
同じく落とされた後の、ザフトの新型MS。
そして無傷で立っているフリーダム。
3機が纏まっているのは、高い壁に囲まれた敷地の外。
敷地内に立つのは、研究所のような印象を受ける建物だ。
「ん?」
別の建物の影に、もう1機あった。
「ハイペリオン…」
キラ、カナード、そしてフラガがこの建物の中にいるのだろうか。
…では、あのザフトのMSに乗っていたのは?
とりあえずストライクを陰に置ける建物を探し、スピネルは機体を降りて研究所らしき建物へ向かう。
「ヒト遺伝子操作研究所…?」
入り口の壁にあった表札に首を捻る。
…"遺伝子操作"ということは、コーディネイターに関するものか。
建物の中は閑散として何もない。
この研究所に関するものが残っていないかと探してみるが、やはり何もない。
「!」
ずっと奥の方から、銃声らしいものが聞こえた。
エントランスの中心に立つ支柱の向こうに、開いたままの扉がある。
そちらへ走るが、大きな部屋があるだけでさらに奥には行けそうにない。
「上を経由しないと行けないのか…?」
左手の壁際に階段を見つけ、上る。
内部は薄暗く、スピネルは途中から点々と続く血の痕には気付かない。
エレベーターらしき扉の横を通り、奥へ行けそうな通路を見つける。
そこで初めて、自分以外の足音を聞いた。
カツカツと速いテンポで響く足音は、段々と近づいて来る。
(ヤバそう…)
奥の方には明るい部屋があった。
その手前の部屋で、スピネルは背の高い棚の陰に身を潜めた。
足音はさらに近づく。
思わず息を詰めたそのとき、足音がスピネルの潜んだ部屋を横切って行った。
わずかな明かりに映ったのは、白い軍服と目立つ金髪。
同じ白でも、あの軍服は連合のものではない。
(あれは…まさかラウ・ル・クルーゼ?)
そう短い付き合いではないので、フラガにその人物の話を聞いたことがある。
…何故かその存在を感じ、けれど理由が分からない。
ただ、浅からぬ因縁があるのだろうと。
足音が聞こえなくなったのを確認し、スピネルは再び奥へ向かう。
奥の部屋からは青い光が溢れていた。
スピネルはその理由を自身の目で見た瞬間、軽い吐き気に襲われた。
「な…っ、何だよこれは…っ?!」
水の中に並ぶ円筒形の物体と、人であろうモノ。
人体研究でもしていたのかと思うような、目を背けずにはいられない光景が広がっていた。
どれもこれも生々しく、1秒でも同じ場所には居たくない。
スピネルは奥に別の部屋を見つけ、駆け込んだ。
「っ、気持ちわる…」
あんなものを作る人間の気が知れない。
ここにいた人間は、あの部屋を毎日見ていたというのか。
駆け込んだ部屋の奥から、今度は誰かの声が聞こえた。
「…フラガ?」
確信はない。
深呼吸で荒れた息を整えて、スピネルは再び奥へ足を進める。
開け放たれたままの扉の先は、非常階段になっていた。
スピネルは階段を降りずに踊り場から下を見下ろす。
(あいつら何やって…)
朦々と水蒸気と埃が舞い上がっている。
その煙の端に、壁際に座り込むフラガと、床にキラを押さえつけているカナードの姿が見えた。
「何で、こんなのが"成功体"なのかと思っていたがな」
カナードは冷笑を浮かべ、キラを見下ろす。
「『 C.E.54。NO.35236がプロジェクトが設定した期待値を、ギリギリではあるが超える数値を示した。
ようやくプロジェクトも成功かと喜んだも束の間、主任はなぜか研究続行を命じた。…なぜだろうか?』」
次に彼が口にしたものは、誰かが遺したらしい記録。
「…ぇ?」
キラは微かに目を見開く。
「『主任の判断ならば仕方ない。NO.35236を育てながら、我々はさらに実験を繰り返した』」
( C.E.54…?)
自分が生まれる前の年だ。
「『研究に嫌気が差したというヴィア女史は、NO.35236を大層可愛がっていた。
だが主任は、NO.35236に名前を付けることを嫌がった。…その理由はよく分からない』」
その先は聞きたくない。
キラはカナードの言葉を、それ以上聞きたくなかった。
…聞けばきっと、"すべてが壊れる"。
「『C.E.55。ここのところ、主任とヴィア女史の衝突が多い。NO.35236について揉めているらしいが…。
いや、どうやらこのプロジェクトそのものについて揉めている』」
"プロジェクト"というのは、スーパーコーディネイターを生み出す計画のことか。
かろうじて色があったキラの"世界"は、今や蜘蛛の巣状にひび割れている。
それを粉々に砕くのは、一体どんな"真実"か。
「『C.E.55、1月。主任はNO.54125を"成功体"と位置づけた。名前は" Kira "。東洋の言葉らしい。
同時にNO.35236を、" Canard "と名付けた。…そういうことか。
数日後、主任はすでに幼年期に入っていたNO.35236を破棄しろと研究員に命じた。
ヴィア女史が猛反発したことは言うまでもない』」
名前の意味など、考えたこともなかった。
" Canard "…"虚報"。
個人の存在を示す名前までもが、彼の全てを否定していたというのか。
「『確かに期待値ギリギリだったとはいえ、なぜNO.35236は"失敗作"とされたのだろう?
能力など成長に付加されるもので、外見の話ならば、彼は主任の妻であるヴィア女史によく似ていた。
もちろんそれらは、NO.54125にも同様であるが。目立った違いと言うなら…』」
そこでふと、カナードの言葉が途切れた。
酸素不足を補うように乱れた呼吸を繰り返しながら、キラはカナードを見上げる。
…その記録の内容が表すもの。
幼年期にならずとも、生まれてすぐに分かる違いとは。
(僕とカナードの違いは…)
年齢、性格。
それらは違っていて当たり前で、遺伝子改変でもそう意図的には変えられない。
能力値。
それもまた記録者が指摘した通り、成長することによって追加されていく。
ならば違うのは?
「くっだらねえ…」
吐き捨てるような言葉が落ちて来た。
自分を押さえつける力が僅かに緩んだが、その表情は長い髪に隠れて窺えない。
(髪…!)
決定的に違うものが、あった。
カナードの口から漏れたのは、自嘲とも嘲笑ともつかない笑い声。
「ハッ、くだらないにも程がある。"最高のコーディネイター"?
そんなもの、ユーレン・ヒビキの好みかどうかであって、最高かどうかなんて分かりゃしねえ」
違うのは、"髪の色"。
…たったそれだけのことで。
キラの中で、何か決定的なものがガラガラと崩れ落ちた。
辛うじて付いていた"色"は、全て灰色に変容していく。
「こんなもんに執着してたのが、1番くだらねえ」
キラにとって、それは死刑宣告に等しかった。
自分さえも信じらず、唯一信じられるものからも切り捨てられる、恐怖。
「や…て…」
掠れる声は、己にすら聞こえない。
自身の色さえも失い、キラは自分から離れる手に必死に縋り付いた。
「…っ、やめて!!」
生きる糧すら失ってしまう。
自分で死ぬことすら出来ないのに。
「僕を見捨てないでっ!!」
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