「今度失敗したら、また怒られる?」
「良いように使ってくれるよなあ、あのおっさんも」
「殺られるよりマシだな。そーいやスピネルは?」
「ここには戻ってないよ」
「入ったときに…エールだっけ?あれが飛んでった」
「ってことは単独任務か?マジで羨ましい奴だな」
「ホントホント」

再出撃を控えたドミニオン。
フォビドゥン、レイダー、カラミティはスタンバイ状態に入った。
ナタルはモニターを面白そうに見遣るアズラエルへ釘を刺す。
「残念ながら、今のこの状態で成功をお約束出来るとは思いませんが」
アズラエルはナタルを振り返った。
「無理を無理と言って何もしないのは、馬鹿のやることです。
それでもやり通すのが出来る人間。これ、ビジネス界でも常識なんですよ」
「ここは戦場です!失敗は死を意味します!」
強く返したナタルに、アズラエルは口の端を吊り上げる。
「ビジネス界だって同じですよ?失敗すれば死んだも同然だ。
貴女って、ひょっとして100%勝てる戦しかしないタイプ?」
「…!」
「ま、それも構いませんけどね。いざってときにはやってくれなくちゃ」

この男はなぜ、こうも癪に障る?

ナタルはこの場にスピネルがいないことを恨めしく感じる。
彼の持つ社交性がどれだけ貴重なのか、今まで思いもしなかったのだ。










-月と太陽・42-










キラとカナード。
誰も割り込むことの出来ない、2人の間にあるもの。

(ヤバいもん聞いちまった…)

階上で一部始終を聞いてしまったスピネルは、思わず頭を抱えた。
…割り込めなくて当然だ。
生まれた環境から、常人には考えられない。
天涯孤独になりはしたが、自分はそれなりに"普通の家庭"に生まれたのだから。

『僕を見捨てないでっ!!』

キラの叫びは酷く通って、それでいて酷く痛々しい。
けれどカナードは無言のまま部屋を出て、スピネルの視界から消えた。
…"壊れた"のだと思った。
キラが生きていた世界も、カナードが生きていた世界も、全て。

"自分"を構築してきたものが、全部。

「…どーしたもんかな……」
声には出さなかったはずの言葉は、静かになった部屋に響く。
「誰だっ?!」
鋭い声と共に、カチリと銃を構える音がした。
(やっべ。声に出てた…?)
仕方がないので、スピネルは階段を下りる。

「スピネル…?」
階段を下りて来る人物に、フラガは構えていた銃を下ろす。
もちろん、彼が連合の人間であることを念頭に置いて。
「…ドミニオンからの偵察か?」
その問いにスピネルは曖昧に頷く。
「ああ、半分くらい?」
「半分?」
「俺しかいないし、ここ入ったら回線通じなくなったし」
階段を下りたスピネルは、座り込んでいるキラに声を掛ける。
「おい、大丈夫か?」
キラはゆっくりと、まるで人形のように光を映さぬ目でスピネルを振り返る。
「ス…ピネル…?」
他人を認識出来なくなるということは、ないようだ。
しばらく彼を見つめたキラは、またゆっくりと視線を己の手に戻した。
「少佐、連れてってくれる…?」
「え?」
キラは顔を上げない。
「僕は…もう少しここにいるよ。カナードは…先に、行っちゃったし」
「……」
「スピネルなら…少佐をAAまで連れてってくれるでしょ?」
感情の端さえも見えない声だ。
スピネルは少し離れた場所にいるフラガに目をやるが、そちらもキラの様子に戸惑っている。
ただ、自分がこの2人をこの場で撃たないことは明白。
「分かった。お前は歩けるんだな?」
念のため尋ねると、キラは微かに頷いた。
フラガの方はさすがに1人で歩くのは無理そうだったので、スピネルは彼の片腕を肩に担ぐ。
「…悪いな」
「別にいいよ。"アヌビスを撃墜しろ"なんて命令は受けてねーし」
妙に現実感があるところが、却って可笑しい。
フラガは苦笑いを浮かべると、座り込んだままのキラへ声を掛ける。
「…あまり長居はするなよ」
それが聞こえたのかどうかも、怪しかった。



自分が入って来たルートとは別の道。
キラを後に残して隣の部屋まで来たスピネルは、どちらにせよ階段を上ることに気づく。
「またあの部屋を通るのかよ…」
また、あの薄気味悪い光景を目にしなければならないのか。
「…あの部屋?」
尋ねて来たフラガに、何とか通らない方法はないかと考えながら答える。
「あの、趣味疑うような部屋だよ」
具体的に何、とはおぞましくて言いたくない。
それでも通じるのだから。
「ああ、あの水槽の…」
水が張ってある妙な部屋のことか、とフラガも思い至る。
「何の実験か知らねーけどさ、あんなもん作るヤツの神経を疑う」
「……」
スピネルの言うことは正しい。
だがまさか、自分の父がその資金提供者でしかも依頼主だったとは。
フラガにはクルーゼが吐き捨てた"真実"が、今更ながらに重く感じた。

結局そこを通らなければならないらしく、目の前には再び青い水が広がる。
極力周りを見ないように、スピネルは前だけを見ている。
一方のフラガは、人工子宮の円筒を見つめていた。
…自分を"出来損ない"だと言ったクルーゼ。
もしかしたらこの中にまだ、あの父のクローンがいるのかもしれない。

「ここがコーディネイターの施設なら、やっぱナチュラルと変わんねえよな…」

ようやく青い光が背後に去り、呟かれた言葉。
フラガには何のことか分からない。
「そりゃ…コーディネイターのだろ?宇宙開発は彼らの方が専門だ」
「…だろうな」
どうも彼の態度は煮え切らない。
前を見据えたままのスピネルの横顔を窺えば、彼はふいにフラガの方を向いた。
スピネルが浮かべたのは、皮肉じみた笑み。
「ナチュラルもさ、こんな感じのことやってんだぜ?知らない人間の方が多いけど」
「なに…?」
「強化人間もしくは生体CPU。戦災孤児を使うんだ。俺は運が良かっただけ」
それは、"人間扱いをされていない兵士"ということか。
「連合に…そんな施設が?」
知らなかったというよりは、知ろうとしなかったという方が正しいのだろう。
"運が良かった"とはつまり、その場にブルーコスモスの盟主がいたことだろうか。
「そりゃ薬とかいろいろあるけどさ。誰もあいつらに関わろうとしないんだ。
あ、バジルール艦長は別だけど」
ちゃんと階級付きで呼ぶし、とスピネルはドミニオンへ思いを馳せる。
何も返さないフラガに、彼はまた笑った。
「いきなり言われて信じられないってのも、分かるけどな」

なぜこのような話をしているのか。
それはおそらく、"この場所が"そうさせるからだ。





自分以外、誰もいなくなった部屋。
舞い上がっていた埃や煙も収まり、静けさだけが満ちていた。
…ぐるぐると。
同じ言葉が頭の中を行ったり来たり。

『何故こうなった?』

どうして自分は"成功体"なのだろう。
なぜ、彼が"失敗作"なのだろう。
なぜ、このような場所にいるのだろう。
どうしてここに入ったのだろう。

どうしてどうしてどうして。

『何故こんな研究が始まった?』

己の中で、何かがぐるぐると蜷局を巻く。
…あれは"火"だ。
真っ赤に燃えて、輝く炎だ。
ずっとずっと燃え続ければ、きっと"黒く"なる。
ああ、行き場のない怒りとは、こんなことを言うのか。
「カナードもこんな気持ちだったのかな…」
"怒り"は出さなければ流れない。
ふらり、と立ち上がったキラは、込み上げて来る笑いを止められなかった。
いや、笑わずにはいられない。

「アハハハハハッ!くだらない!本っ当にくだらないよ!!」

彼の気持ちが少しだけ分かった。
こんなくだらないことのために生み出されたなんて、笑うしかない。
キラは部屋の中にある資料という資料を漁り始める。
「記録が残ってるんだから、絶対に残ってる…!」
そうだ。
カナードは、どこであの記録を見つけた?
「上かな…?」
見つけ出せば、怒りも少しは形を潜める。
たぶんそれはカナードも同様で。
キラが探すものはただ1つ。


研究に関わった者のリスト。







ようやく研究所の外に出た。
相変わらず赤茶色の土煙が舞い、空気が淀んでいる。

隠されているストライクとハイペリオン。
研究所の前に立っているフリーダム。
機能を停止したアヌビス。
同じく機能を停止していたザフトの新型MSであるゲイツは、すでに消えていた。
「あの野郎、逃げ足の速い…」
姿のないゲイツとそのパイロットに向け、フラガは毒を吐く。
スピネルはフラガを敷地の入り口付近に下ろすとアヌビスを見に行った。
コックピットの中を上から覗き込むが、予想通り。
「…全然だめか」
メインエンジンは動いているが、肝心の運動系統が動きそうにない。
辛うじて働いているのは、簡易通信機と生命維持装置のみだ。

苦労してフラガをコックピットまで連れて行ったスピネルは、ハッチの脇で大きく息をついた。
「…体つきが良いってことは、体重が重いってことだよな……」
脂肪よりも筋肉の方が重い。
しかし褒めているのか貶しているのか、微妙なところだ。
フラガは思わず苦笑する。
「おいおい…そんなあからさまにため息つかれたら、俺だって傷つくぞ?」
「なんだよ、褒めてやってんだろ」
俺はそこまでガタイ良くないし、とスピネルは眉を寄せる。
…どうやら褒め言葉だったらしい。
ストライクを取りにアヌビスから離れようとする彼を、フラガは腕を引っ張ることで止めた。
逆に後ろから突然引っ張られたスピネルは、体勢を崩す。
「わっ?!」
コロニーの内部は重力があるので重さがある。
危なげなくフラガに抱きとめられたが、傷に障りはしなかったかと余計なことを考えた。
「戻って来い」
「え?」
そのために、何を言われたのか聞き取れなかった。


「AAに戻って来い、スピネル」


スピネルは咄嗟に理解出来ず振り返る。
冗談でもなんでもなく、真剣な光を宿す目と目が合った。
「フラガ…?」
心なしかその表情は、悲壮さを含んでいて。
「AAは、お前の居場所にはならないのか?」
その答えは、決まっていた。

(…居場所になるけど、もう遅い)

AAも過ごしやすい場所だったが、遅過ぎた。
気ままに飛び回る"蝶"を捕まえてしまえば、後は死ぬばかり。
磔にされるのも、自分で羽を燃やすのもご免だった。

今の居場所を捨てるだけの理由は、目の前の男だけでは創れないのだ。

スピネルはふっと笑みを浮かべた。
「アンタのことは好きだよ。忘れるなんて馬鹿はしない」
そっと手を伸ばし、その頬に軽く触れる。
「けど…」
そして触れるだけの口づけをした。


「俺は【連合の蝶】だよ。"ムウ"」


何か言うよりも早くスピネルは計器を足場にコックピットから出て、ハッチの開閉スイッチを押す。
そしてそれが閉まりきる前にアヌビスを降り、コロニーの地面へ飛び降りた。
フラガが気づいたときにはもう、ハッチはピタリと閉じられていた。
「くそ…っ!」
悔しさに、動く左手を計器に叩き付ける。
…彼は初めて自分を"名"で呼んだ。

それはつまり、最後通牒だと。





ストライクへ向かう途中、スピネルは1度だけアヌビスを振り返った。
「俺がどんだけ嬉しかったか、アンタは知らないままなんだろうな」
言っていないのだから当然か。
…居場所が1つではなかったこと。
いや、選べる時点でかなりの幸せ者かもしれない。

だから選んだ。


自分は【連合の蝶】だと。