救命ポッドで戦場に放り込まれるなど、誰も思わない。
フレイにはもう、ビームやミサイルの光る場所が近いのか遠いのかさえ分からなかった。
…恐い。
助けてくれる人など、どこにもいない。
「いや…絶対にいやっ!お願い…っ、誰か!!」
救難信号を発するための通信機を、フレイはただ滅茶苦茶に押す。
お願い!
誰か、誰か!
お願いだから!
こんなところで死にたくない!
『 タ ス ケ テ ! 』
赤い救難信号が、灯った。
同時に国際救難チャンネルが開き、その声は周辺宙域にいる全ての人間へ届く。
「アーク、エンジェル!ねえ!誰か答えて…っ!!」
もう、何を言えば良いのか分からない。
「サイ…ッ!ミリイ!マリューさん!フラガ少佐!お願い、だからっ…!!」
自分の知る名前を、ひたすらに叫ぶ。
誰か来て!
誰か助けて!
誰か!
「スピネルさん!カナードさん!!」
誰か会わせて!
もう1度!
「キラーーーッ!!」
-月と太陽・44-
「フ、レイ…?」
「…フレイ嬢?」
ほんの一瞬、フリーダムとハイペリオンの動きが止まる。
「フレイ・アルスター…?」
ラクスもまた、その名に聞き覚えがあった。
随分と前になるが、AAに保護された際に出会った少女。
「捕虜?この子が?子供じゃないですか」
アズラエルはまさか、という懐疑の笑みを浮かべる。
…スピネルに関することは勝手に棚上げだ。
「ん?アルスター…?」
どこかで聞いたことがあるような。
考え込むアズラエルに、ナタルはその先を告げた。
「彼女は、亡くなったアルスター外務次官の娘です」
AAのブリッジも、同じく動揺を滲ませていた。
「フレイ…?」
元婚約者であるサイは、その声に間違いがないことを伝える。
「なぜ、フレイさんが…」
マリューもまた、分かってはいても決断が出来ない。
「カガリさん、マリューさん」
エターナルから通信が入る。
「ヴェサリウスを突破しましょう」
ラクスの提案に、アンディは渋い顔を作る。
「しかし姫、それでは他の2隻の集中砲火を浴びる」
エターナルを狙うザフト戦艦は、全部で3隻。
その砲火をまともに浴びてしまえばお仕舞いだ。
しかしラクスは微笑む。
「確かにそうですわ。けれど突破出来れば、最も追撃を受けにくいはずです」
たった1隻のドミニオンが、2隻以上のザフト艦を相手にするとは思えない。
そう考えれば、ラクスの言う道は最適となる。
アンディは頷いた。
「やるしかないな。クサナギとエターナルで突破する!AAはドミニオンを押さえるんだ!」
突然、フリーダムが3機の相手を放棄した。
「キラッ?!」
キラにはアスランの焦る声も聞こえない。
向かう先は、救難信号が光る場所。
このまま放っておけば、いずれは流れ弾に当たる。
…助けなければ。
"居場所"を作って待っていてくれた、彼女を。
『何やってんだよコイツ。ガラ空きだっての!』
レイダーのミョルニルがフリーダムを背後から叩き付けた。
「…っ!!」
大きな衝撃に、フリーダムは体勢を立て直せない。
「キラッ!!」
アスランが助けに向かおうとした目の前に、大鎌が振り下ろされる。
『邪魔はさせないよ』
フォビドゥンがジャスティスの進路を阻んだ。
「フレイッ!」
それでもキラは、救命ポッドへ向かうことをやめない。
フリーダムは隙だらけだ。
『貰ったぜ!!』
カラミティのビームキャノンが、フリーダムの頭部を吹っ飛ばした。
そのために、フリーダムはモニターを映すカメラの大部分を失う。
「フレイ!フレイを、助けなきゃ…っ!!」
周りに気を配ることが出来ない。
…メンデルで散々に打ち砕かれた精神。
キラの精神は限界で、1つのことを考えるだけで精一杯だった。
つい先程までは、内部で見つけたものを早くカナードに渡したい。
それだけで。
コロニーを出てからは、さっさと戦闘を終わらせたい。
それだけだった。
今、キラの頭の中にあることは1つ。
フレイに会いたい。
会ってお礼を言いたい。
ただそれだけ。
それすらも許さないのが、"戦場"というもので。
慣性の法則に従って揺れる救命ポッド。
(どうすればっ…!)
この戦場から一刻も早く逃げ出したい衝動だけが、フレイを動かす。
「私、かぎっ、鍵を持ってるわ!戦争を、終わらせる…っ!」
クルーゼは、このディスクが連合へ渡れば戦争が終わると言った。
戦争を終わらせるためなら、きっと…!
「ミーティアはまだ使えませんか?」
「起動完了まであと1分30秒!ヴェサリウスへ砲火を集中させるぞ!」
エターナルとクサナギは、3隻の中心にいるヴェサリウスへ突き進む。
「「撃てぇーっ!!」」
双方の全ての砲火が飛び交い、総力戦となる。
着弾する相手の攻撃に怯んでいる暇はない。
「くっ、AAは?!」
「未だドミニオンと交戦中です!」
休みなく撃たれる艦砲。
エターナルのそれが、ヴェサリウスの左翼を撃ち抜いた。
少女が叫んだ、"戦争を終わらせる鍵"という言葉。
それはアズラエルを動かした。
「ふぅん、"戦争を終わらせる鍵"…」
つい先程とは打って変わったその様子に、ナタルは眉を顰める。
「…そちらは信じるので?」
皮肉の1つも吐きたくなる。
あれは本当に捕虜なのか、としつこく食い下がっていた男が、だ。
まるで掌を返すような。
アズラエルはナタルの皮肉に堪えた様子もない。
「だって、気になるじゃない。普通言いませんよ?"戦争を終わらせる鍵"なんて」
「……」
そう、普通は言わない。
戦争は止めようと思っても、止められるものではない。
…かといって、このまま彼女を放っておく訳にも行かない。
ナタルはようやく合流してきたもう1機へ通信を入れた。
動きの止まったフリーダムに3機が近づく。
…オーブ戦から、ここまでは長かった。
「捕まえろ!」
2機の捕獲を命じられてから、長いこと逃げられていた。
ようやく任務遂行か。
「くそっ、キラッ!!」
アスランはフォビドゥンの攻撃を躱しながら、フリーダムへ近づこうとする他の2機を牽制する。
だが、それは一時しのぎでしかない。
そんなときに限って、嫌なことというのは重なるもので。
ジャスティスのモニターに、1番嫌な機影が映った。
「おっせーよ!スピネル!」
「何やってたのさ」
「もうちょっとこっちの事情も考えろって!」
混み合った戦場に介入してきたのは、ストライク。
「悪い。内部で手間取った」
嘘でもないことを言いながら、スピネルは状況を把握しようと努める。
この場にいるのはレイダー、フォビドゥン、カラミティ。
そして標的であるフリーダム、ジャスティス。
…では、あの救難信号を発するポッドは?
『フォーカス中尉、そのポッドを回収しろ』
タイミングが良いのか悪いのか、ドミニオンからそんな通信が入った。
「…何でまた?放っとけばいいんじゃ」
スピネルの返答に、ナタルは彼が先程までのやり取りを知らないことに気付く。
『それに乗っているのはフレイ・アルスターだ』
「………は?」
ナタルの言葉を理解するのに、2秒はかかった。
(まあ、いいか)
本当にフレイが乗っているのか知らないが、命令ならば従うべきだろう。
3機に阻まれ近づけないフリーダムとジャスティスを横目に、ストライクはポッドを回収した。
ガクン、と外部からの力でポッドが大きく揺れた。
「きゃあっ!」
壁に手を突っ張って、フレイは何とかバランスを保つ。
…小窓から見える景色が安定していた。
『フレイ!』
入ってきた声に、思わず耳を疑う。
「キラ…?キラッ!!」
『フレイ…良かった。無事……』
相手のホッとしたような声が返る。
涙が溢れてきた。
けれどキラの声は、どんどん小さく遠くなる。
「キラ、キラ…!カナード、さん、は?」
涙に声が詰まる。
『大丈夫…ここに、いるから。そっちには…スピネルが…』
「キラ?!ねえ、どうしたの?!」
彼の様子がおかしい。
(まだ、言ってない…)
キラは消えそうになる意識を、何とか保とうとする。
…ストライクが、完全に遠ざかってしまう前に。
『キラ!』
大丈夫、まだ届く。
「ありがと…フレイ…」
フリーダムが、完全に沈黙する。
「キラ!キラッ?!」
叫ぶフレイの声だけを残し、ストライクはドミニオンへ帰還した。
沈黙したフリーダムを捕獲しようとする3機を、ジャスティスとは別の砲撃が遮る。
「?!何だコイツ!!」
それは、シャニたちが初めて目にするMSだった。
ビームキャノンも曲射ビームも、光る盾に遮られ届かない。
「何やってんだよ、お前は」
キラが覚えているのは、そこまで。
「…ごめん」
そこで、意識を手放した。
3機がハイペリオンを突破出来ない間に、ジャスティスがフリーダムを連れて離脱する。
途中でバスターも加勢し、何とかドミニオン側の追撃を振り切れた。
AAから信号弾が上がる。
(ヴェサリウス…)
かつて、自分が乗っていた母艦。
1度大きなダメージを負ってしまった戦艦が、次弾に耐えきることは難しい。
艦砲射撃の直撃を受けたヴェサリウスは、あっという間に炎に呑まれていく。
「「……」」
アスランとディアッカは、燃え尽きるヴェサリウスを敬礼で見送った。
ザフト側の体勢が崩れたことを悟ったナタルもまた、帰還命令を出した。
「信号弾、撃て!」
3色の光が上がり、レイダー、フォビドゥン、カラミティが帰還する。
最後にストライクと救命ポッドを収容し、ナタルは任務の完了を告げた。
「機関全速!宙域を離脱する!」
ドミニオンの格納庫。
救出されたフレイは、他の軍人に急かされるようにブリッジへ連れて行かれた。
当然、スピネルと顔を合わせるわけがない。
「…随分慌ててんな」
出て行った緑色の軍服を遠くに、スピネルは首を傾げる。
戦闘の疲労が溜まったためかシャニたちは出て来ない。
スピネルはブリッジへ行くことにする。
フレイがブリッジに入ると、スーツを着た金髪の男がいた。
「へえ、君が?」
その男はフレイ本人には興味がなさそうだ。
「で?"鍵"っていうのは何?本当に持ってるの?」
持っていなかったら、どんな目に遭っていたのだろう。
フレイは持っていたディスクを怖ず怖ずと差し出した。
それを受け取った男は笑みを深める。
「ふ〜ん?何だか本物っぽいねえ。誰に渡されたの?」
これを自分に渡した男は、
「クル…ゼ、ラウ・ル・クルーゼ、隊長…からっ…」
「へ〜ぇ、ますます本物っぽいじゃない」
ディスクに目を落としたまま、その男はブリッジを出て行った。
フレイの持っていたディスク。
それを興味深げに眺めるアズラエルは、自室へ向かう途中でスピネルに出会った。
「何だ?そのディスク」
「これですか?あのポッドに乗っていた子が持っていたんですよ」
「フレイが?」
スピネルはそのまま聞き返すが、ディスクについての答えは得られていない。
「当分は戦闘がないでしょうから、ゆっくり休めますよ」
そう言ってスピネルの頭を軽く撫でると、アズラエルは通路の向こうへ消えた。
「?わっけ分かんねえな…」
なぜ、"戦闘がない"と言い切れるのだろうか。
撫でられた頭に触れながら、スピネルはまたも首を傾げる。
アズラエルはかなり上機嫌な様子だったが。
「あとで聞いてみるかな…」
とりあえず、当初の目的通りブリッジへ赴いた。
フレイはどうすれば良いのか分からず、ブリッジの中を見回す。
「久しぶりだな、フレイ・アルスター二等兵」
「えっ?」
聞き知った声に顔を上げると、そこには。
「バジルール中尉?!」
AAで副長を努めていた、実直な女性軍人が立っていた。
「元気そうで何よりだ」
些細な労りの言葉さえも、今のフレイには本当に有り難いもので。
自分の背後で開いた扉の向こうに会いたかった人物がいれば、感情の抑制は消える。
「スピネルさん!!」
ブリッジの扉を開けた直後に誰かに飛びつかれ、スピネルは目を瞬いた。
奥にいるナタルは労るような笑みを浮かべていて、目の前に広がる髪の毛は紅く。
…本当に、この少女が捕虜となっていたのか。
「フレイ」
スピネルもまた苦笑を浮かべ、彼女の頭を撫でてやった。
「怖かったよな。もう大丈夫」
AAにいたときの彼女は、ブリッジの役割や戦闘など受け持っていない。
戦場を見ることがより少ない分、恐怖も大きかったのだろう。
落ち着かせるように背を軽く撫でてやると、フレイは詰まりながらも思いを吐き出す。
「怖か…っ、わたし、何、も…知らなくてっ…独りで…っ!」
恐くて恐くて、捕虜の自分なんて誰も知らなくて。
いつ殺されるかも分からず、いきなり戦場に放り出されて。
恐くて恐くて堪らなかった。
堰が切れたように、フレイは泣き出した。
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