包囲を突破し、第三勢力は連合・ザフト双方から行方を眩ました。
こちら側の損害は数機のM1、エターナルの艦砲と尾翼。
ザフトやドミニオンに比べれば、遥かに少ないだろう。

ハイペリオンに続いて、フリーダムを抱えたジャスティスがエターナルの格納庫に着艦した。
「キラッ!!」
慌ててジャスティスを降り、アスランはフリーダムのハッチを開ける。
しかしすでにキラの意識は無く、どんな呼びかけにも答えない。
「くそ!」
アスランは彼のヘルメットを外しパイロットスーツの襟を緩め、コックピットから連れ出した。
そして彼を抱えたまま、居住区への入り口にある通信機のスイッチを入れる。
「ラクス!空いてる部屋はないか?!」
突然入って来たアスランの焦りを含む声に、ラクスもハッと顔を上げた。
「ブリッジ側の部屋が開いてますわ!私も参ります!」


アスランがキラを連れて出て行くのを、カナードは黙って見ているだけだった。
…フレイの乗るポッドに話しかけた後。
キラは意識が飛ぶ寸前、カナードに言った。

『見つけたよ』

何を見つけたのか。
カナードは操り手のないフリーダムのコックピットを覗いてみる。
「…?」
座席の端に見えるもの。
戦闘には持ち込まないはずの、書類らしい数枚の紙が挟まっていた。










-月と太陽・45-










ザフトの捕虜であったフレイの処遇について。
彼女がアズラエルに手渡したデータが何であったかにもよるが、それは困難を極めそうだ。
ナタルは何とか泣き止んだ彼女を医務室へ連れて行く。
「怪我はなさそうだが、念のために診てもらった方が良い」
「……」
1人になることが不安なのだろうか。
医務室から出ようとするナタルへ、フレイは不安そうに声を掛けた。
「あの…」
呼ばれたナタルは入り口で振り返る。
その先に出るであろう名前を予測して、ナタルは笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。私はそうそうブリッジを離れられる身ではないが、フォーカス中尉にはちゃんと伝えてある」
「…そう、ですか」
たった1人でザフトの戦艦にいるということ。
それは、どれだけの精神的苦痛になるのだろうか。
「私…どうなるんでしょうか…?」
未だザフト軍服のままの彼女は、どれだけの不安に苛まれているのだろうか。
ナタルは緩く首を振る。
「…何とも言えないな。だが、悪い判断は下されないはずだ」

彼女が持ち帰ったデータ。
あれはいったい…?



ナタルとフレイを医務室へ見送った後。
スピネルはその足でアズラエルの部屋を訪れた。
だが、ノックをしても返事が返って来ない。
「何やってんだ…?」
こんな場合は大抵忙しいか、余程興味深いものを見つけたかのどちらかだ。
可能性が高いのは後者か。
仕方がないので、勝手にロックを解除して部屋へ入ることにする。
…さすがにこんなことを許されるのは、スピネルだけだ。

シュン、と扉が開くが、中は暗いまま。
机の上で起動しているディスプレイの明かりだけが光源。
そのディスプレイを食い入るように見ていたアズラエルが、扉の音でスピネルに気づく。
「良いところに来ましたね、スピネル」
かなり機嫌が良いらしい。
暗がりで眉を寄せたスピネルに構わず、アズラエルは彼を手招きした。
「…"戦争を終わらせる鍵"。これで終わりますよ、本当に…ね」

アズラエルの後ろから覗き込んだ、青く光るディスプレイに映るもの。
下から上へと流れていく文字列。
時折切り替わる画面に投影されているのは、あのジャスティスとフリーダム。
そして、

「 Neutron Jammer Canceller …?!」

Nジャマーキャンセラーを構成する、いくつもの要因。
再び核兵器を手にするための、"鍵"。



フレイが運んだ"鍵"は、新たな悲劇を生み出す鍵でもあった。







意識を失ったキラを部屋に寝かせて、アスランとラクスはようやく息をついた。
「何だって、こんな…」
アスランは拳を握るが、彼がこうなった原因がまったく分からない。
しかしふと気づく。
「あの"カナード"というパイロットは…?」
そこでラクスは、アスランがカナードとまともに顔を合わせたことがないと思い当たる。
そういえば、同じ場所に彼らが居たことはほとんどないのでは。
…ホワイトシンフォニーと、エターナル奪取の件以外で。
今そんなことを考えても仕方がないので、ラクスはブリッジへ繋がる回線を開く。

『姫、ちょうど良かった。オーブの姫がこちらへ着艦したいと言ってるんだ』

回線が繋がるなり、アンディはラクスへそう告げた。
カガリもキラのことが気にかかるのだろう。
ラクスは頷く。
「ええ、許可を出してください。それからバルトフェルド隊長」
『何か?』
「そちらへカナードが来ていませんか?」
『…黒い少年かい?ブリッジへは来ていないが。ハイペリオンは格納庫にあるがね』
「分かりました」
回線を切って、ラクスはアスランを見る。
「ブリッジには居ないそうです。探してここへ連れてきますわ」
「ああ、はい…」
眠るキラを気遣わしげに見つめて、ラクスは部屋を出て行った。
そして閉まる扉を、アスランは複雑な表情で見つめていた。



部屋を出たラクスは格納庫へのルートを辿る。
「……」
思い返すのは、彼がメンデルから出て来た後のこと。
内部でいったい何があったのか。
守って貰いながら、向かって来る敵を"撃つな"と言う資格はないのかもしれない。
それでもあの時の彼はまるで、怒りの捌け口を"撃つ"という行為に置き換えていたように見えたのだ。
「あ…」
エターナルの格納庫が一望出来る通路で、カナードを見つけた。
何か資料らしいものを読んでいる。

「!」

けれどラクスは、彼に声を掛けることを躊躇した。
…近づけない。
これが、"殺気"というものなのか。
カナードが資料へ落とす視線は凛冽な、それでいて全てを焼き尽くす灼熱に満ちていた。
それ以上距離を縮められず、ラクスは片手に握る手摺をさらに強く握る。
(っ、恐い…!)
今声を掛ければ、あの灼熱が自分へ向けられる。
自分の神経は、その温度に耐えきれる程に強いだろうか。
(私は…)
強くはない。
だが彼にもキラにも、尋ねたいことがある。

「カナード」

喉が灼けるようだった。
ラクスを貫いた殺気は、それでもほんの一瞬。
何度か瞬きをしたカナードは、ようやく彼女の存在を認めた。
「…ラクス嬢?」
震えそうになる身体を叱咤して、ラクスは床を蹴る。
「キラを別室で休ませましたけれど、カナードはどうなさいますか?」
「ああ…」
どうするか逡巡するカナードの視界の端に、シャトルが映った。
程なくして、傍にあったエレベーターの扉が開く。

「ラクス!」

中から慌てて出て来たのはカガリだった。
しかしカガリは、カナードに気づくとぎこちなく視線を外す。
「カガリさん…?」
首を傾げるラクスに彼女は何でもない、と首を横に振った。
「それよりキラは?!あいつ、大丈夫なのか?!」
そこでハッとして、いつもいるはずの人物の姿を探す。
ラクスはどこかホッとした。
「部屋で休ませておりますわ。ではカナードも、参りましょう」
「……」
半ば済し崩しだが、カナードは何も言わなかった。



「キラ!」
部屋に真っ先に飛び込んだのはカガリ。
アスランは彼女の声に焦り、指を口元に当てた。
「カガリ!声が大きい!」
「あ…ごめん」
今度は声を潜めて、カガリは眠るキラを見る。
「大丈夫…なのか?」
その言葉に、アスランはおそらく、と相槌を打った。
「何があったのかはよく分からないが、外傷はないから」
アスランがちらりとカナードを見遣ると、彼は窓際で書類のようなものを眺めていた。
…まともに言葉を交わした記憶がないような気がする。
「あ…」
カガリの声に振り返ると、彼女はベッド脇のテーブルに置いてあるものに驚いていた。
ラクスもカガリの傍に寄ってその驚きの理由を追う。
「写真…ですか?」
彼女が手に取っていたのは、1つの写真立て。
横から写真を覗き込んだアスランも声を上げる。
「それって…」
確かその写真は、
「…う…ん」
「「!」」
微かな声が聞こえ、3人は一様にベッドへ視線を移した。
「「キラ!」」
薄らと、紫紺色の眼に光が映し込まれる。

キラはぼんやりとした目で瞬きを繰り返し、視界に映る3人の姿を把握した。
「ラクス…」
その横にはアスランとカガリが。
ラクスはいつかしたように、起き上がろうとするキラを助ける。
左手で額を押さえ、キラは自分の右手を見た。
「……」
この右手に、何か"大事なもの"を持っていたはず。
「…カナードは…?」
足りない人物の名を出せば、ラクスとアスランの顔が部屋の奥へ向いた。
そちらへ視線を向けると、見慣れた黒い姿とキラが持っていた"大事なもの"がある。
(良かった…)
失くしたわけじゃ、なかった。

「キラ、あの…」
カガリの戸惑うような声が聞こえた。
ラクスの隣りを見上げると、テーブルの向こうにカガリの姿がある。
彼女はそこに置いてあった写真立てを手にしていた。
それを右手に左手でジャケットのポケットを探り、彼女は別の写真を取り出す。
「これは…?」
横から見ていたラクスが疑問符を上げた。
カガリが取り出した写真と、写真立ての中の写真。

"カナードに瓜二つの"女性と、2人の赤ん坊を映す絵。

どちらもまったく同じ写真。
片方は、カガリが父ウズミに託されたもの。
ではもう1つは…?

キラは3人の死角になる陰で、ひっそりと笑みを浮かべた。
「ラクス、それからアスランとカガリも。ちょっと外して」
「「え?」」
アスランとカガリは驚いてキラを見つめ返す。
しかし、キラはそれ以上何も言わない。
ラクスはただ1人、彼が何を言いたいのかを察した。
「…分かりましたわ」
「「ラクス?!」」
頷いた彼女に2人は驚く。
だが反論は、彼女の表情を見た途端に消え失せてしまった。
…何かに必死に耐えるような、哀しい顔。
唇はきつく引き結ばれ、それはまるで…言いたいことを言わぬようにしているかのような。
「では私たちはこれで。何かありましたら、そちらの回線を使ってくださいね」
「うん。ありがとう」

カシュン、と扉が後ろで閉まる。

「ラクス!何でキラの言う通りに…!」
扉が閉まったのを確認してから、カガリはラクスへ改めて反論した。
キラもカナードも、あの戦闘の後で極限状態にいるはずだ。
こちらが言わなければ自分の心配をしないキラは、特に。
「ラクス…?」
彼女の反論がない。
不思議に思ったアスランが俯いたままのラクスの肩に手を置くと、彼女はビクリとして顔を上げた。
その反動で、透明な雫がいくつも球体になって飛び散る。
「ラ…クス…?」
カガリもハッと息を飲み込んだ。
「泣いて…たのか…?」
彼女は、静かに涙を流していた。
けれどその指摘には、ただ首を横に振るだけ。
「何でも、ありませんわ」
ポツリと零したラクスは桃色の髪を翻し、通路の向こうへと去ってしまった。
彼女へ伸ばしかけた手をぎゅっと握り、アスランは唇を噛む。
…ユニウスセブン追悼団の行方不明事件、オーブ近海での戦闘とその後。
フリーダム譲渡、そしてエターナル強奪事件。

(ラクスが見つめるのは、いつも…)

俯くアスランは、カガリが悲しげな表情で彼を見守っていたことを知らない。





自分たち以外に人の気配が無くなった部屋。
キラはベッドを軽く蹴ると窓際へ移る。
「…カナード」
呼びかけると、彼はこの部屋に来てから初めて書類から目を離した。
キラを映した紫紺の眼は、新たな玩具を見つけたかのように楽しげに、そして冷酷に光る。

「よく探し出したもんだな」

カナードは空いている手でぱし、と紙を叩いた。
彼の言葉に、キラは褒められた子供のように表情を輝かせる。
「でしょ?がんばって探したんだから!…あ、余計なものも持って来ちゃったみたいだけど」
キラは後ろへ手を伸ばし、カガリがそのままにしていった写真立てを取った。
木枠を外し、中の写真だけを取り出す。
「見て、これ」
カナードの横へ移動したキラは、その写真を手渡す。
渡されたそれをしばらく眺めていたカナードは、写真を裏返してみた。
「…ああ、だからか」
納得の声を上げた彼に、キラは数ヶ月前のことを思い出す。
「カナードが言ったこと、ホントだったね」

"砂漠の虎"に出会ったあの日。
自分とカガリがどこか似ている、と言った言葉は。

しかしカナードは軽く嘲っただけだった。
「関係ないだろ。一体誰の遺伝子を使ったのか、どれもこれも怪しい」
取り出され、人工子宮に移されて生まれた命は、全てが創りモノ。
返された写真を手に、キラも同じように嘲笑を浮かべた。
「"最高のコーディネイター"なんてマガイモノ。居るとすればそれは…何も救わない」
キラは残忍な笑みを乗せ、写真を両手で持つとぐっと力を込める。

「こんなワケ分かんない"絆"なんて、いらないよ」

ビリッ、と写真が縦に裂けた。
2つに裂けたそれを重ねてもう1度裂き、さらに何度も何度も繰り返す。
ついにはただの紙屑の集合体となり、満足げに笑ったキラはそれをパッとゴミ箱へ向けて投げた。
無重力なので、入らないことは承知の上だ。
「カガリがこれ見たらビックリするよね」
この部屋に戻ることはないだろうが。
…キラが欲しいのは、こんなモノではないのだ。
カナードは写真の行く末には興味がないらしく、軽く目を細めただけだった。

「ねえ、カナード…」
キラは彼が持っていた書類をひょいと掠め取ってその辺に浮かべると、その手を伸ばす。
「怒りの捌け口がないなら、今まで通り僕を使ってよ」
互いの紫紺が、お互いの姿を改めて映した。
伸ばした手は無重力に浮かぶ黒い髪に触れて、キラの手は愛おしげにそれを梳く。


「カナードが僕を見捨てても、僕は意地でも傍にいる。
それで殺されても願いが叶うだけだから、僕は後悔しない」


新しく見つけた"大事なもの"。
それはキラにとってもカナードにとっても、共通した新たな"目的"。
くだらない理由で生み出されたなら、その力を同じようにくだらない理由で使ってやろう。

押し殺した笑い声がキラの耳に届いた。
「つまり"これ"は、保険か?」
笑いを収めながらカナードが示した書類。
…共通しているのだから、興味を持つのも当たり前。
「どっちにしろ、お前に都合のいいものだな」
「当たり前でしょ?僕は"どっちでもいい"んだから」

目の前の人物に殺されること。
このまま傍にいること。
どちらにせよ、望むものであることに変わりはない。

(貴方は"独り"なんだね、ラウ・ル・クルーゼ)

"世界を滅ぼす"という目的が、その証。
同じ境遇、似ている価値観、鏡のように似た利己主義。
そんな誰かが居たのなら、"世界を滅ぼす"などとは思わない。
だからカナードがそうでないと知ったとき、キラはいつかと同じように狂喜した。


"世界を滅ぼす"ということは、"自分も消す"ということだ。