『ジェネシス、ミラー換裝完了まで後2時間』
『防衛軍は両翼に展開せよ』

体勢の立て直しに心血を注ぐ連合軍を他所に、ザフト側は着々と準備を進める。
ジェネシスの第2波が放たれるまで、あと2時間。
急がせるよう指示を出したパトリックは、モニターに映ったままの連合軍に視線を動かした。
「地球軍はまだがんばっておるのか」
後ろに控えていたクルーゼは相槌を打つ。
「あちらも必死でしょうから。ジェネシスの威力、あれを見せつけられれば」

地球を撃たれてしまえばお終いだ。
…どちらにとっても。

「ふん。月基地にも戻らず、大層なことだ」
連合軍の動きを鼻で笑ったパトリックは、おそらくそのことに気付きはしない。
「月からの補給、増援を待っているのでしょう。こちらから仕掛けますか?」
尋ねながら、クルーゼは内心笑いが止まらない。
この男は何とまあ、自分の思う通りに動いてくれるのだろうか。
パトリックはクルーゼを振り返り、別の命を下す。
「貴様も出ろ、クルーゼ。ラクス・クライン討伐の失態、許されるものではないぞ」
クルーゼとしては願ったりな命令であった。
このヤキンは連合にしろ第三勢力にしろ、落とされる標的であることに変わりはない。
敬礼を返し司令室から出ようとしたクルーゼは、途中で足を留めた。

「アスランを撃つことになってもよろしいので?」


ザフトの新たなMS、その名は"プロヴィデンス"。
彼らは自由や正義を叫ぶことなく、ついには神の意を名乗る。










-月と太陽・50-










ヤキンのコントロールへ侵入する、もしくはジェネシスを内部から破壊する。
フェイズシフトを展開したジェネシスを止めるには、その方法しかない。
困難すぎるが、故に最適。
「連合軍にもザフトにも、これ以上お互いを撃たせてはならない…」
ラクスは動きの無いモニターを見上げ、そう呟く。
「そうですわね?」
彼女が同意を求めた先はアスラン。
そのことに驚きつつも、彼は力強く頷いた。
「…ああ」
ジェネシス発射の指令を出しているのは、自分の父だ。
ならばそれを止められるのは、自分しかいない。
カガリもぐっと拳を握った。

「私もストライクルージュで出る」

その場にいた誰もが彼女を振り返った。
「…カガリ、本気なの?」
最も深刻な顔をしたのはキラだ。
彼は1度だけ、その"ストライクルージュ"のテストに立ち会ったことがある。
搭載されているOSは、キラがナチュラル用に開発したもの。
誰にでもそれなりに動かせるが、それとこれとは話が別だ。
表情を硬くしたキラを、カガリはまっすぐに見つめ返す。
「確かに私の腕は良いとは言えない。でも!戦艦で指示を出して待つだけなんて私には出来ない!」
「…それは分かるけど」
キラは敢えて口に出さなかった。
"彼女を守って死ぬ"兵士が出るということを。
「それで良いんですか?キサカさん」
再び繋がったクサナギの回線へ、そう問いかける。
しばしの沈黙の後、キサカは頷いた。
『カガリが決めたことだ。我々はそれに従う』
それでもキラの表情は変わらない。
しかしアスランが言った。

「大丈夫だ。彼女は俺が守る」

キラだけでなく、カガリもその言葉に目を見開いた。
「アスラン…」
父親を助けたいアスラン、父親に助けられたカガリ。
2人を繋ぐものは、"父"を想う心。



突如として、それぞれの艦の警報が鳴り響いた。

『地球軍艦隊、進撃を開始しました!』
AAのブリッジで索敵に目を光らせていたミリイの声が後に続く。
誰もが反射的に見上げたモニターには、動き始めた勢力図。
マリュー、アスラン、カガリはエレベーターへ急ぐ。
だがそれに続こうとしたキラとカナードを、ラクスが引き止めた。

「お待ちください」

ポン、と地を蹴ったラクスは、エレベーターの前にいた2人を隣の通路へと押す。
「え?」
「ラクス嬢?」
その間にエレベーターを開けていたアスランと目が合った彼女は、小さく頷いた。
何を言いたいのか察したアスランはエレベーターの扉を閉める。
「えっ、いいのか?」
動き始めたエレベーターに、カガリが尋ねた。
アスランは彼女へ苦笑を浮かべるしかない。
「邪魔するわけにはいかないだろう?それに…急がないと」
それよりも、優先すべきことがあるから。



エレベーターの扉が閉じ、次いで通路の扉が閉じる。
ラクスはその短い間にも悩み続けていた。
「…ラクス?」
キラの控えめな問いかけに、自分がずっと顔を俯けていたと気付く。
顔を上げれば、こちらを見つめる2対の紫紺。
床を軽く蹴ったラクスは、自分により近い場所にいたキラの頬へ口づけを落とす。
「?!」
キラが驚いている間にもう1度床を蹴り、彼女はカナードへ飛び付いた。
「…?」
彼女が何をしたいのか、さっぱり分からない。
そんな表情のカナードの空いた手に、ラクスはポケットから取り出した"何か"を握らせた。
「私の、我が侭でしかありませんけれど…」
再び俯いたラクスが小さく言葉を漏らす。

「どうか、戻って来てください」

自分の為すことに協力してほしい。
…彼らにそう求めたのはいつの頃だったか。
その約束は今も"実行中"であり、まだ終わっていない。
忠実にそれを守ってくれている彼らに、自分はさらに求めようとしている。
(私は、何と欲深いのでしょう…)
彼らには、彼らの成し遂げたいことがあるはずなのに。
2人の間には決して近づけないのだと、分かっているはずなのに。
「…行ってくるね。ラクス」
キラのそんな言葉を最後に、ラクスは2人の背を見送る。

戻って来てほしいという願いに、答えは返って来なかった。



通路を1つ2つと曲がり、別のエレベーターに辿り着く。
そこでようやくキラが口を開いた。
「…何を渡されたの?」
カナードは右手を開き、ラクスに渡されたものを見せる。
「指輪?」
「みたいだな」
蔦模様がくるりと周りを飾り、桃色の花が掘られた銀色の指輪。
ラクスに渡されたそれを改めて見たカナードは、内側に掘られた文字に気付く。
「"From Siegel clyne"…?」
カナードから指輪を受け取り、キラも灯りに翳して内側の文字を読んでみた。
「シーゲルさんが送った指輪?…って、もしかしてコレ」

彼女の母の、"形見"ということだろうか。

エレベーターの扉が開き、中へ入った2人はもう1度指輪に目を向ける。
「コレ、失くしたらかなりヤバそうだよね。さすがラクス」
何が"さすが"なのかは、敢えて言わないでおく。
指輪をカナードへ返すと、彼は先程よりも難しい顔をした。
「…どうしろってんだ?」
両親の存在などない彼には、それに込められた愛情など知らない。
ただ扱いに困るもの、という認識程度だろう。
キラは少し考えた。
「ん〜、何か適当な紐に通して失くさないようにする…かな?
返すことが出来るかどうかは、分かんないけどね」

キラもカナードも、ここで死ぬ気は全くない。
"生き抜く"ことと"指輪を返すこと"は、2人にとって直結する事柄ではなかった。



格納庫でアスランと別れ、マリューとカガリはシャトルでそれぞれの艦へ戻る。
AAの格納庫へ着いたマリューは、複雑な表情でアヌビスを見上げるフラガを見つけた。
声を掛けようかと迷うが、その前に向こうがこちらに気付く。

「ホント、大変だよなあ…艦長も」

MSのパイロットが最も命の危険に晒される。
だが艦長もまた、多くのクルーの命を預かる責任の重さがある。
…戦場は、何も生み出しはしない。
マリューは苦笑を1つ落として、フラガの横でアヌビスを見上げた。
表情を改めたフラガは彼女へ尋ねる。
「ジェネシスは止められそうか?」
マリューは軽く頭を振った。
「止めなければ、ね。けれどヤキンへ直接乗り込むか、ジェネシスを内部から破壊するしかないの」
「それ以外には?」
「…ないわ」
逆に感心したくなるほどの鉄壁防御だ。
「茨の道か。くそっ、クルーゼの野郎…!」
人を滅ぼすなど出来るとは思えないが、ここまでクルーゼの思惑通りに進んでいるに違いない。
自分たち第三勢力は、ザフトのみならず連合をも止めようとしている。
たったこれだけの戦力で、全てを止められるのか。

「…ナタルも、きっと分かってはいるのよ」

独り言のように零されたマリューの声に、フラガは視線を戻す。
それに気付いたマリューはまた悲しげに笑った。
「彼女は軍人の鏡よ。だから、何が正しいのかきっと分かっているわ」
ただ、分かっていても出来ないことがある。
「ドミニオンか…」
フラガは呟くと、またアヌビスを見上げた。
「撃たなくて済むなら、それ以上のことは無いな」
「本当にね…」

ブリッジへ向かうマリューを見送って、フラガはアヌビスへ乗り込む。
隣りのバスターは既にスタンバイ状態だ。
宙域へ着けば、すぐに発進命令が下される。
…撃たずに済むのなら。
キラは幼なじみであったアスランと戦っていた。
その彼は、撃たずに済めばと願うことがあったのだろうか。
あのドミニオンにはナタルだけでなく、フレイも、そしてスピネルも所属している。

いつだったか、『大事なものなら何を置いても優先しろ』とキラは言った。
おそらくそれが出来たなら、自分はここまでうだうだとしていない。
「"連合の蝶"…か」
何故メンデルで出会ったときに、彼を説得しきれなかったのだろう。
あれが最後のチャンスだった。
「お前の居場所は…連合にしかないのか…?」
声に出してみたところで、答えは返らない。

きっとスピネルは、そう答えたことを後悔していないだろう。







ヤキン・ドゥーエの下層に位置する格納庫。
その場所に、1機の黒いMSが悠然と立っていた。
『ZGMF-X13A・プロヴィデンス』
"神意"を名乗る、ザフトの最新鋭機。
核エンジンを搭載し、なお且つ、新たな技術である"量子通信無線"による全方位攻撃が可能だ。
今まで着ることのなかったパイロットスーツに身を包み、クルーゼは整備士と最後の確認を交わす。
「量子通信の原理は伝えた通りですが…なにぶん、こちらも初めてなもので」
困惑を隠さず、その整備士はプロヴィデンスを見上げた。
だがクルーゼは軽く笑い、コックピットへと床を蹴る。
「なに、操ってみせるさ」
ハッチを閉め主電源を入れると、機体は正常に稼働し始める。
…量子通信を用いた"ドラグーンシステム"。
解りやすい例で言えば、無線のガンバレルシステム。
「ふん。あの男に操れて、私に操れぬはずはない」
フラガの乗っていたメビウス/ゼロは、有線ガンバレルシステムだ。

アル・ダ・フラガのクローンとして生まれ、後にザフトへ入隊したクルーゼ。
彼はクローンとして生まれはしたが、コーディネイターではない。
しかしその指揮官としての手腕は目を見張るもので、優れた戦績を上げた証であるネビュラ勲章も授与されている。
…ナチュラルでありながら、ザフトに所属する。
それはキラやカナードの立場とよく似ていた。
決定的に違うのは、望む事柄。

「ラウ・ル・クルーゼだ。プロヴィデンス、出るぞ!」


フェイズシフトを展開された機体は、神の使いの名でありながら闇の如く黒い。
図らずも、浅くはない因縁を持つフラガの機体もまた、神を名乗る黒い機体である。