『トリイ!』

宇宙空間に音は存在しない。
けれど黄緑の体に黄色い翼の小さな鳥は、確かにそう鳴いた。

その鳥は、いったいどこから飛んで来たのか。










-月と太陽・at the End... -










γ線レーザーの余波に巻き込まれたフリーダム。
まだ戦闘があればおそらく生き残れないだろうが、それでも機体は無事だった。
…プロヴィデンスとの交戦で破壊された左足や、手持ちの武器と盾。
ジェネシスの光はさらに、フリーダムから片翼と左腕をもぎ取っていった。

「きっと…フレイが守ってくれたんだ…」

コックピット部分は驚く程に無傷で、メインエンジンも無事。
キラはヘルメットを外し、軽く息をついた。
少し後ろを振り返れば、そこには本当に守りたかった人物が居る。

「何でそこにフレイ嬢が出てくる?」

こちらの視線に気付いたらしく、カナードが片眉を上げた。
頻りに右腕を気にしているのを見ると、以前のように折ったか何かしたのかもしれない。
無傷に近いキラと違い、彼は満身創痍と言っていい。
…それも当然だ。
ハイペリオンはそれこそ、大破したといっても過言ではない状態だったのだ。
機体を見つけたときは本当に、生き残った心地がしなかった。

「フレイが言ったんだ。"守ってみせる"って。彼女は約束を破ったりしない」

だからキラは、心の底から感謝した。
同時に、同じくらいに謝った。
約束を破ってばかりで返せない自分が、とても情けない。

操縦席を軽く蹴ったキラは、後ろにいるカナードへ手を伸ばした。
「ッつ!!」
そのまま抱きつくとどこかの傷に触れたらしく、カナードの表情が歪む。
キラはそれに小さく笑い、けれど離れようとはしなかった。
「おい!」
非難の声が降りて来ても、やはり無視して。
…なぜだろうか。
とても嬉しくて笑いたくなった。

(守れたんだ…!)

自分にとって不可欠な存在を、自分の手で守れたこと。
それが嬉しくてたまらない。
キラはようやく、自分が泣いていることに気がついた。

嬉しくて泣くことなど、ないと思っていたのに。

何を言っても無駄だと悟ったカナードは、キラの好きにさせた。
…ジェネシスが爆発した後。
キラに大声で呼ばれるまで、意識を失っていたらしい。
機体は見事に"大破"で、なぜ生きていたのか不思議なくらいだ。
そこまで考えて、ため息をつき目を閉じる。
(やることがなくなったな…)
機体を失った上に怪我だらけでは、当分動けない。
ラクスとの口上契約も果たしたのだから、もうAAへ戻る必要もないだろう。

「…あ」

そこで思い出した。
「どうしたの?」
涙を拭い、キラはカナードを見上げた。
パイロットスーツの首の留め具を外し、彼が取り出したのは…

「あ!」

キラも同じ声を上げる。
それは細い革紐に通された、ラクスの指輪。
カナードが首から外したそれを、キラは手に取って眺めた。
(そっか。ラクスも守ってくれてたんだね…)
けれどもう、約束は果たされた。
彼女を傷つけることになるだろうが、AAにもエターナルにも戻る気はない。
「あ!」
ポンと手を叩いて、キラは操縦席の下から何かを取り出した。
彼が取り出したものを見たカナードは、ため息に近い呟きを落とす。

「…何でソレがあるんだ?」

キラが手に持っていたのは、電源を落とされたトリイ。
「え、だって持っててくれる人いないでしょ?戦闘ばっかりだったし」
電源を入れるとトリイはひょいと飛び起き、元気に羽ばたいた。
『トリイ!』
なんというか、非常に脱力する。
「…で?」
先を即す声に、キラはにこりと笑った。
「トリイに返しに行ってもらうんだ。アスランのとこに辿り着いてくれるだろうから」
もう片方の手に持っていた指輪。
キラはそれに通されている紐をトリイの首に掛け、余る分をさらにくるくると巻いた。
「これでOK♪」
『トリイ?』
手の上で首を傾げたトリイ。
飾りのように、指輪がその胸元に光っている。
トリイを肩の上に移らせて、キラはカナードを見た。

「ねえ、これからどうする?」

聞かなくとも分かるが、キラは敢えて尋ねた。
案の定、カナードは笑う。

「選択肢があるかよ」

ともなく口づけを交わすと、お互いの眼にお互いの姿が映り込んだ。
…同じ色。
自分たちしか持たない、鮮やかなアメジスト。


それは"人"に創り出された、"人"の罪の証。







ジェネシスがあった位置にほど近い場所。
自爆したヤキンの破片や爆散したジェネシスの破片に混じり、形を保ったままの機体があった。
ガタン、とハッチが開き、中から赤いパイロットスーツの人物が顔を出す。
その後ろから、別の薄赤色のパイロットスーツの人物が飛び付いた。

「ほら見ろ!ちゃんと生きてるッ…!!」

橙の目から、次々と涙が溢れる。
「カガリ…」
アスランもまた彼女を抱き返し、涙を流した。
…ジェネシスが発射される直前。
ジャスティスの自爆装置を作動させたアスランは、カガリのストライクルージュに乗り込み脱出を図った。
生きろと言ったカガリは、ただ必死にアクセルを踏んだ。
自分たちが生きていると気付いたのは、つい先程。
ストライクルージュは自爆するジェネシスを寸前で脱し、背部のエール装備が破壊されただけ。
生き残ったことを喜ばないなど、あり得ない。


自分を褒めてやりたいくらいに、生きていることが嬉しかった。


どれぐらい泣いていただろうか。
ふいに時間の経過に気付いたカガリが、顔を上げた。

「キラは?それにカナードは…?」

アスランもハッと辺りを見渡した。
それで見つかるはずも無いが、そうせずにはいられなかった。
「そうだ…彼らはどこに?」
別のMSと戦っているのを見た記憶がある。
しかしその先は、自分たちのことに精一杯で分からない。
「この辺りに居るかもしれない。ルージュもまだ動くから探して…」
「いや、ちょっと待て」
「え?」
操縦席に戻ろうとしたカガリを、アスランが引き止めた。
彼は上の方へ目を凝らしている。
「あれは…」
細めた目の先で、何か小さなものが動いた。
それは段々と近づいてくる。

『トリイ!』

2人は目を丸くした。
「「トリイ?!」」
アスランがキラへ贈った、鳥型ロボット。
そのトリイは間違いなく本物で、差し出されたアスランの手へ迷いなく止まった。
自分を見上げるその鳥を、アスランはまじまじと見つめる。

「どうしてお前が…?」

なぜこのような場所に居るのだろう。
艦内なら分かるが、ここは宇宙だ。
「おい、何か首に掛かってるぞ」
カガリがトリイの首元を指差す。
確かにそこには、指輪のようなものが下がっていた。
アスランは首に巻かれた紐を取り、"それ"をトリイから外す。
「指輪…だな」
それを受け取ったカガリは、目の高さに持ち上げてその内側を光に翳す。
「なんか…文字が彫ってある」
アスランも下から指輪を覗き込んだ。

「…f、rom…Siege…l、cly、ne……え?」

思わず顔を見合わせる。
「まさか…ラクスの指輪か?」
どこか、嫌な予感がした。
「エターナルへ戻るぞ!」
言ったアスランへ頷き、カガリはハッチを閉めルージュを起動させた。


『ストライクルージュ、帰還しました!エターナルに着艦します!!』


最前線へ向かった仲間を待ちわびていたエターナル、クサナギ、AA。
それぞれのブリッジが喜びに包まれた。
アンディが頷くのを確認したラクスは、ブリッジを飛び出す。

「アスラン!カガリさん!」

格納庫と内部を繋ぐ連絡通路で2人を見つけ、駆け寄る。
「「ラクス!!」」
アスランとカガリは酷い怪我の様子もなく、無事。
ラクスはまた涙を零しそうになった。
「ご無事で…!本当に、良かったですわ…」
泣きそうに微笑んだ彼女に、2人も安堵の息を漏らす。
「ああ。ラクスも無事で良かった…」
そこでカガリは少し先にあるガラス窓へ近づき、格納庫を見回した。
破損したジンや自分のストライクルージュがあるが、やはり足りない。
カガリは引き返してくると、ラクスへ尋ねた。

「ラクス、キラとカナードは…?」

彼女は一見して分かる不安の色を目に宿し、首を横に振る。
「…ええ。AAにもクサナギにも戻って来ていません。それどころか……」
第三勢力は今、ザフトも連合も問わず怪我人を救助している。
そうして生きていた兵士たちに問うても、良い答えは1つとしてなかった。
フリーダムもハイペリオンも、あの黒いMSと戦闘していたことしか分かっていない。
一方でアスランとカガリは、その相対していた黒いMSを知らない。
「一体、誰と戦って…?」
僅かな間を置き、ラクスはその名を告げる。

「ラウ・ル・クルーゼ隊長ですわ」

自分の歌を"嫌いではなかった"と言った声は、決して間違いではない。
「隊長が…?!」
アスランは驚きに目を見開く。
だが、その話は後だ。
アスランは右手に持っているものをラクスへ見せた。

「これは…貴女のではありませんか?」

ラクスはハッと息を呑み、震える手をおそるおそる伸ばす。
その指輪は、間違えるはずもない。
この手でカナードへ渡した、たった1つ残る母の形見なのだから。

「確かに…私のものですわ」

両手で包み込むようにその指輪を握って、ラクスは俯く。
耐えきれず、カガリは近くの壁を殴りつけた。
ダンッと鈍い音がして、痺れるような痛みが拳から伝わってくる。
けれど痛いのは、そんなものではなかった。

「あいつらが死ぬわけない!なのに居ないんだ!どこにも!!」

殴りつけた手を固く握り締め、カガリはぐっと唇を噛んだ。
ラクスは俯いたまま、彼女へ尋ねる。
「この指輪を…どこで?」
同じく俯いていたカガリは視線を上げ、天井を睨んだ。

「どこからか、トリイが飛んで来たんだ」

そう、あのロボットはどこから飛んで来た?
「アスランが作られた…あの?」
指輪を握る両手を胸へ寄せ、ラクスは震える体を止めようと努めた。
けれど嫌な予想は、嫌なほどに当たってしまう。

「そのトリイの首に掛かってた。探したけど、フリーダムもハイペリオンもなかった…!」

絞り出すように、カガリは最後の言葉を吐き出す。
戻ろうと言った後、アスランと共にそれこそ目を皿のようにして彼らを捜した。
それなのに、見慣れた機体も見慣れたコードも、手がかり1つ得られぬまま。

「そう…ですか…」

ぽつりと呟いたラクスは、次いで崩れ落ちるように自分の身を屈めた。
アスランは慌てて抱き止めようとしたが、途中で手を止める。
俯いた彼女の表情は窺えないが、球体となった涙が次々と浮かんで来ていた。
その震える肩を、アスランも苦の表情を隠さずそっと抱く。
カガリも痛みに耐えるように、胸の前で拳を固く握った。

「分かっていた…はずなのに…」

ラクスは涙と共に、途切れ途切れの言葉を落とした。
…父を亡くした痛みよりも、この痛みの方がずっと深く、ずっと癒えないのだろう。


「戻って来ては…くださらないのですね……」










さあ、


あの場所に戻ろう。



あの忌まわしい、



始まりの場所へ・・・

















「月と太陽」END.