〜プロローグ III
「ルルーシュ様。お望みではないと存じておりますが、わたくしたちは貴方をお待ちしております。
国民は『ゼロ』を。わたくしたちは、『ゼロ』であったルルーシュ様を。
『黒の騎士団』は貴方の軍です。我らキョウト六家もまた貴方を主とし、今日この日まで。
この日本の、そしてわたくしたちの力を必要とされるならば、なんなりとお申し付けください。
貴方の手を離れた『日本』を、誉れ高き国と誇るためにも。二度と侵略などさせませぬ」
「スザク、カレン。ルルーシュ様を、どうか頼みます」
「ロイド…と申しましたね。ラクシャータから、"紅蓮弐式を壊すな"との言伝です」
「皆様の旅の無事と帝国内における平安を、心よりお祈り申し上げます。
このキョウト六家当主、皇神楽耶。及ばずながらも『日本』を守り、共に生きてゆきます故…」
日本から連れて行くのは、己の騎士に任命したスザクとカレンのみ。
旅の供は、特別派遣嚮導技術部。
実質的に日本首相と同等の立場となった皇家の当主、神楽耶。
キョウト六家の重鎮たち、そして『黒の騎士団』の幹部たち。
彼女らのささやかな見送りを背に、ルルーシュは日本を後にした。
向かう先は神聖ブリタニア帝国。
首都に腰を据える、帝国枢軸たる皇族の城。
荘厳たる皇宮の全貌が、目の前に。
スザクとカレンはそのスケールに圧倒され、ただ呆然と、それでいて苛立ちを覚えた。
(弱者を捨てる、その心臓がここに…)
(この場所でルルーシュの母上は亡くなり、ナナリーは光と足を失った…)
彼が以前言ったように、ブリタニア皇宮の全てにルルーシュの話が伝わっているようだ。
敷地への外門を守護する兵士も、内の大扉を守護する兵士も、長い廊下の至る場所に配置されている兵士も。
内へ進むにつれ増えてくる、軍人以外の人間たちも。
誰もが彼に、好奇と興味と羨望と。
嫉妬と畏怖と憎悪の際限なき感情を、惜しみなく差し出していた。
その感情の数に伴う吐き気がするほどの薄気味悪さに、カレンは知らず腰に差す刀の柄を握った。
こんな場所、気が狂わない方がおかしい!
(子供のときからずっと、ルルーシュはこんなものの中に…?!)
長い廊下の分だけ途切れない、人を見下し測るような目。
それは当然、ルルーシュの後ろに付き従うカレンとスザクにも向けられている。
人の視線という物が目に視えるものだったなら、叩き切ってしまいたい。
背後でバタン、と扉の閉まる音がした。
どうやら謁見の間の手前にある、控えの間へ辿り着いたらしい。
おそらくこの先は、通って来た廊下よりも強烈な感情が渦巻く空間だ。
並ぶ者は皇帝と皇族、内部へ立ち入ることを許された貴族たち。
それだけに渦巻く思念や威圧の視線は、比べ物にならない。
「スザク、カレン」
前を見据えたままのルルーシュから、声が掛かる。
その聞いたことのないほどに硬質な響きは、彼にとっての皇宮を如実に表している。
「耐え抜け。これが皇宮の常だ」
振り返らぬ主の、笑う気配がした。
カレンとスザクはほんの一瞬だけ視線を交わす。
そして浮かべた笑みは、双方とも自信に満ちていた。
「「 Yes,my Majesty. 」」
耐え抜いてみせよう、"彼"が選んだ道ならば。
繁栄の粋を極めた、豪奢という言葉をそのまま再現した空間が、目の前に広がる。
神聖ブリタニア帝国の中心である、皇宮の謁見の間。
真っ赤な天鵞絨の脇で畏まる、着飾ることで権威を示す貴族たち。
紅の先にある雛壇の上には、皇位継承権を持つ皇帝の子が幾人も。
見据える玉座には、全ての根幹である皇帝の姿が。
カツン、と絨毯が吸い切れなかった靴音が響くと、豪奢な広間は不気味な静寂に満ちた。
誰もが帰還した第11皇子と、それに従う2人の騎士を注視する。
どこか日本の伝統衣装である和装を思わせる、カレンとスザクの正装。
カレンの服は黒地に蘇枋の刺繍、スザクの服には白地に青藍の刺繍が入っている。
その刺繍が鳥の姿を模していると気付く人間はいるだろう。
だがその鳥が、ブリタニア帝国への明らかなる敵意を示すと気付く者は、果たして居るだろうか。
これを織らせたのは神楽耶だ。
彼女の意思はいつも、唯1人の為に。
青藍の鳥は『鳳(ほう)』、蘇枋の鳥は『凰(おう)』。
2羽の神鳥が仰ぐのは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアその人。
玉座を見上げ、ルルーシュは慣れた仕草で腰を折った。
「お久しぶりです、父上。第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、ただいま帰還致しました」
挨拶はただの詭弁。
ブリタニア皇帝は10年前と変わらず、感情のない威厳ばかりの声を発する。
「しぶとく生きておったか、エリア11で」
予想通りの反応に、ルルーシュは頭を垂れたまま薄らと笑った。
顔を上げる必要がないこの状況は、彼にとって非常に都合が良い。
すぐ後ろにカレンとスザクの硬化した気配を感じ取り、まずは言い換える。
「『日本』ですよ、父上」
「構わん。すぐに我が属領へ戻ろう」
そこでルルーシュはようやく顔を上げた。
並ぶ皇族の内に目当ての姿を見つけ、まずは満足する。
(2度目の侵攻は不可能ですよ、父上)
わざわざ、この男に教えてやる義理はない。
ルルーシュが反応を示さなかったことで、貴族たちの間に微かなざわめきがあった。
鎮めたのはやはり皇帝の声だ。
「ルルーシュ、お前の皇族復帰を認めよう。
エリア11における功績と順位繰り上がりにより、皇位継承権は第10位とする」
ざわめきは確かな音となり、広間全体に行き渡る。
皇族同士の争いは日常茶飯事。
だが目にみえる形で上の兄姉を排除したのは、ルルーシュが初めてである。
それが現皇帝の意に沿うものであることも、彼はよく分かっていた。
第17位から飛び級を越えた第10位への継承権昇格は、判りやすい例であろう。
「離宮については追って指示を出す。それまでは…」
「父上」
絶対の皇帝の言葉を、遮るものが在った。
スザクはちらりと皇帝の向かって左隣を視界に入れて、ああ成る程と納得する。
いつだったか、上司のロイドが言っていた。
『僕らのスポンサーはねえ、数多い皇位継承者の中でもNo.1だから。
邪険にされつつ日本に居座れたのは、そのおかげだよ』
シュナイゼル・エル・ブリタニア。
立ち並ぶ継承権保持者の中でも、異彩を放つ男。
(あれ…?)
継承順に皇帝の左右へ並ぶ皇族。
スザクはその並びに、ちらほらと空白があることに気が付いた。
出払っている皇族の枠だろうか。
シュナイゼルは1歩だけ皇帝へ近づき、進言する。
「離宮の手配は、少なくともひと月は掛かりましょう。それまでルルーシュを私が預かっても?」
まるで、広間そのものが動揺したかのようだった。
絶対の礼を尽くさねばならぬ場で、自尊心の塊である貴族たちが顔を見合わせ呟き合うほどに。
皇族の誰もが表情を動かしてしまうだけの力を、ブリタニア皇帝とほぼ同等の言葉の価値を、シュナイゼルは持っている。
それが庶民の出である、故・第3皇妃マリアンヌの息子へ対するものならば、なおさら。
「良いだろう。ルルーシュの処遇、お前に一任する」
ブリタニア皇帝だけは唯1人、変わらぬ態度で言葉を返し立ち上がる。
謁見終了の目に見える形だ。
皇族や貴族は頭を下げ、ルルーシュも足音が遠ざかるのを待った。
足音が消え、重い扉の音が響く。
待っていたかのように、スザクとカレンは言葉と視線の嵐に放り込まれた。
侮蔑、
嘲笑、
懐疑、
嫉妬、
憎悪、…
(…あ、日本語がなくなりそう)
ブリタニア語よりも遥かに語彙の多い日本語でも、嵐を表現するには少ない気がしてきた。
カレンはそんな、どうでも良いことを考える。
しかし新たにカツン、と響いた靴音に、ピタリと嵐が止んだ。
「ルルーシュ」
こちらから見て右、皇帝のすぐ左に立っていた、一目で女傑と判断出来る女性。
雛壇を降りた彼女は迷いなくルルーシュへ近づくと、ふいに彼の細身を抱きしめた。
「よく、帰って来てくれた…。この10年、長かったぞ」
驚愕したのは何も、貴族や皇族だけではない。
本来、人に触れられることを良しとしないルルーシュ。
その彼を知っているスザクとカレンは、開きそうになる口を閉じることに労力を使った。
が、次には驚きを表情に出さないための労力を注ぎ込む。
「コーネリア姉上…」
第2皇女、コーネリア・リ・ブリタニア。
本国へ発つ前に聞いた、ルルーシュの抱え込んでいた事実。
それの当事者である彼の"姉"が、この女性なのか。
しばしの後にルルーシュを離した彼女は、愛おしげに彼の頬を撫でた。
「お前が死んだと聞かされて、どれだけ嘆いたことか。…あの家の者たちが、お前を護ったか」
「はい。自らの危険も省みずに、本当に良くしてくれました」
「それは良かった。アッシュフォードの名も、再びこの場に並ぶだろう」
10年もの間、本国より見捨てられた皇族を護り抜いた名家。
アッシュフォード学園とルルーシュの繋がりを初めて知ったスザクは、自分の隣を見る。
カレンは小さく頷いた。
「お姉様とシュナイゼルお兄様ばかり、狡いです!」
ぱたぱた、と少し元気のよい足音がコーネリアの後ろから駆けて来た。
毛先がカールされた長い髪をくるん、と翻し、少女は目を輝かせてルルーシュの手を取る。
「覚えていらっしゃいますか?わたくし、ユーフェミア・リ・ブリタニアです。
またこうして相見えることが出来て、本当に嬉しいですわ!ルルーシュお兄様」
どうも、呆気に取られることばかりだ。
カレンはどこか見当違いの事柄で頭痛を感じる。
うっかり頭を抑えそうになるこちらに気付いたようで、スザクが苦笑が浮かべた。
(…動じていないフリだけは上手いわね、ホント)
本当は、早くルルーシュを連れ出してしまいたいくせに。
スザクの握り締めている拳は、もう力を入れ過ぎて白くなっている。
まあ、それは人のことを言えた義理ではない。
(歪んでる、ね。本当にそうだわ…)
特に、今ルルーシュに話しかけている少女は、箱庭の世界しか知らないような目だ。
他の皇族のような憎悪の色に染まっていないことが、救いと言えば救いだが。
しかし、皇帝がこの場を去ってから何分経ったのか。
スザクは時間が進んでいないかのような錯覚に囚われる。
(僕らはまだ良い。でもルルーシュは、)
この場所は、彼にとって『毒』にしかならない。
スザクが日本で名誉ブリタニア人として受けて来た、数々の屈辱や蔑視。
そんなもの、この場に比べればどれだけ可愛いものだろう。
他の皇族や貴族の毒を孕んだ視線に、彼らが気付いていないわけがない。
それがどれだけルルーシュを蝕むのか、彼をそこまで愛しているのなら、当然知っているだろうに。
「ユフィ、ルルーシュは長旅を終えたばかりだ。そろそろ休ませてあげなくては」
「お姉様…でも」
「明日の夕刻にでも、兄上の離宮をお訪ねすれば良い。よろしいですか?兄上」
「断っても来るのだろう?」
「美味しいところは、兄上がすべて攫いましたよ。それに比べればこの程度」
"騎士"という身分に甘んじるしかない身が、悔しくて堪らない。
己の腕を自負するスザクもカレンも、目に見えないものからは護れない。
(自分が毒に冒されると分かっていても、君はこの場所へ戻りたかったのか)
(貴方はそうまでしてでも、このシュナイゼルという兄との約束を守りたかったの)
神楽耶が想いの全てを込めた、2羽の神鳥へ祈る。
彼をここから連れ出してくれ。
黄泉の国以外ならば、彼が幸せになれるのならば、行き先はどこでも構わない。
それが無理ならせめてこの、蔓延する『毒』を絶ってくれ。