〜プロイセンの皇子 II
「ルルーシュ!やあ、本当に大きくなったね!マリアンヌ様によく似て美人になって…!」
「…クロヴィス兄さん。いい加減に離してください」
目の前の光景を、どう表現すれば良いのだろう。
カレンとスザクは略式の敬礼を崩さぬまま顔を見合わせ、向こう側に見える屋敷のメイドたちへ視線を向ける。
が、彼女たちはにっこりと微笑み返してくれるだけであった。
彼らの前で繰り広げられているのは、10年ぶりに再会を果たした兄弟の戯れ合いである。
ただしそこには、『弟の方は物凄く迷惑そうな顔をしているが』という注釈が付く。
抱きついてくる兄を何とかやり過ごして、ルルーシュは朝からため息をついた。
「貴方も変わってませんね、本当に」
第3皇子クロヴィス・ラ・ブリタニア。
いかにも薔薇とお茶会が似合いそうな、婦人受けが良いだろうと思わずにはいられない好青年だった。
(ああ、何だかバラの華が散っているように見えるわ。気のせい気のせい…)
ルルーシュを見たときの、あの嬉しそうな顔といったら!
カレンはしばし思い出に浸る。
かつて自分の兄も、あのように出迎えてくれていたのだ。
(ルルーシュへの皇族の反応は、随分と両極端だな…)
一方のスザクは、頭に叩き込んだばかりの皇族直系図を思い描く。
系図の中で、ルルーシュの存在はあまり大きくはない。
第2皇子シュナイゼルと第2皇女コーネリアは別格。
けれどコーネリアと共にやって来た、第3皇女ユーフェミア。
彼女は、思慕といっても差し支えない感情をルルーシュへ向けていた。
逆に日本で死んだ第4皇女やそれに連なる皇族は、相当な憎悪の感情を抱いている。
ルルーシュが隠し持っていた才能や、彼の母が"最強の騎士候"と謳われていた事実。
それらを合わせても、まだ説明するには足りない。
ため息をつく異母弟を見ながら、クロヴィスは別の意味で嘆息した。
あの公式の場で動いたシュナイゼルにコーネリア、ユーフェミアの気持ちが、本当によく分かる。
まさか『黒の騎士団』の『ゼロ』として、堂々と戻ってくるなど誰が思っただろう。
考えながら、ルルーシュの傍らに控える2人の騎士へ目を向ける。
(なるほど、『紅の騎士』と『白の騎士』か。上手い名前を付けたものだ…)
5日前だろうか。
ブリタニア本国軍及び本国駐留軍を集めた、公式的なKMF戦があった。
それは本国だけでなく各国に散る皇族直轄軍の、KMF開発競争の表立った部分だ。
どの軍部も、第7世代KMFの開発に心血を注いでいたのだが。
(…シュナイゼル兄上も人が悪い)
KMFのパイロットとして登録してあれば、誰でも参加出来た。
問題は、『本国に登録されていない者を参加させてはいけない』という規則がなかったことだ。
第7世代として不動の"ランスロット"は、シュナイゼルの直轄軍である特派に所属している。
デヴァイサーの枢木スザクも、名誉ブリタニア人であるため登録済み。
故に何の問題も無い。
あるとすれば、戦う前から勝敗が判りきっていたことか。
大番狂わせは、彼の兄の策に乗ったルルーシュが、"紅蓮弐式"とカレン・シュタットフェルトを参加させたことだった。
「…クロヴィス兄さん?」
僅かに棘の混ざるルルーシュの声に、首を傾げかけた。
しかしクロヴィスは、すぐにその理由を悟る。
「案ずるな、ルルーシュ。お前の騎士に難癖を付けるつもりは無いし、事実は事実だろう?
それにイレヴン…失礼、日本人だからという理由は、随分前から通用しなくなった。
日本人に限らず、どこのナンバーズでも同じさ」
「え?」
最後の言葉が気になったが、クロヴィスにその話題を続ける気はなさそうだった。
彼が連れてきた幾人かの使用人の持つ道具を見れば、次に何を言われるのかは想像がつく。
50号程度のキャンバス、イーゼルと来れば、見えない箱の中身は油絵の具に絵筆と相場が決まっている。
続く台詞など、1つしかない。
「さてルルーシュ。肖像画を描かせてくれないか?」
(この人は…。さっさと政治から離れた方が賢明だな)
ルルーシュは少しだけ、第3皇子の未来を案じた。
生憎と、優れた芸術家が優れた為政者として成功した話は、聞いたことが無いのだ。
手入れの行き届いた綺麗な庭にある、噴水の傍。
ルルーシュが腰掛ける椅子の右には白の騎士、左には紅の騎士。
自分で作った構図に満足の笑みを浮かべて、クロヴィスはキャンバスに筆を置き始めた。
そして約2時間。
「よし、今日はこんなものだな」
ルルーシュたちは、ようやく身の自由を得た。
座りっぱなしも立ちっぱなしも、それだけで疲れるのだ。
クロヴィスの締めの言葉に、ルルーシュはつと眉を寄せた。
「…今日は、って。まだ描く気ですか?」
「何を言うルルーシュ。油絵というのは時間を掛けて描くものだ。絵の具は乾きが遅い分、重ねられる。それに、」
「ああ良いです良いです。言われても分からないので」
「一から手解きしてもいいが?」
「結構です」
にべもない弟の返答にも、クロヴィスは笑って返す。
「まあ、人には得手不得手があるからな」
ルルーシュが絵を描いているところを見たことが無いので、気にならないと言えば嘘になるが。
てきぱきと画材を片付けて、時計を見る。
「そろそろ準備をしなければな。茶会時が終わった頃にまた来るよ」
「…準備?」
首を傾げたルルーシュに、クロヴィスが逆に首を傾げた。
「ひょっとして、兄上からは何も聞いていないのか?」
「北方に日帰りとしか」
なぜか、クロヴィスが微妙そうな顔をした。
「兄さん?」
きょとんとする弟に、ああ本当に何も聞かされていないのか、と額に手を当てる。
(体よく押し付けられたか…これは)
今更ながらに気付くが、もう遅すぎる。
仕方がないので、彼が明らかに嫌がるであろう事情を説明した。
「本日18時より、本国滞在中の皇族すべてを集めた舞踏会が開かれる」
「…え」
思った通りの反応をされた。
(美しくなった分、可愛げが無くなったなあ…)
弟に対し率直にそう思ったクロヴィスである。
「…今、"可愛くない"とか思ったでしょう」
「え」
顔に出ていたようだ。
抗議の視線をひしひしと感じながら、クロヴィスは兄へ恨み言を思う。
(どうせ貴方は、笑いながら会場へ入って来られるのでしょうね…)
この際、割り切ってしまうしかない。
「嫌な気持ちも分かるが、お前という存在を誇示することを忘れてはいけないよ。ルルーシュ」
クロヴィスの諭すような言葉に、ルルーシュは押し黙った。
今更ながらに、このシュナイゼルの離宮の平和がいかに希有な物かを思い知る。
彼にとっての皇宮は未だ、恐怖と嫌悪の場所でしかない。
それはクロヴィスも理解しているつもりだった。
ルルーシュの母マリアンヌが命を落とし、ナナリーが癒えぬ傷を負った場所だ。
好きになれと言う方が、酷というもの。
クロヴィスは彼を安心させるように、柔らかな笑みを向けた。
「大丈夫だ。シュナイゼル兄上も出席されるし、コーネリア姉上も同席される。無論、私も。
それに、お前の騎士だって頼もしいじゃないか。ルルーシュを護れる腕を、持っているのだろう?」
確認の意味で問われ、スザクとカレンは力強く頷いた。
ルルーシュもようやく答えを返す。
「…分かっています。俺だって、それを覚悟の上で戻ってきましたから」
元より、拒否権があろうはずもない。
決意を込めてまっすぐに据えられた、アメジストの眼。
クロヴィスは、これなら大丈夫だと笑った。
「それで良い。ほとんどの出席者が、お前を目当てにしているのだから」
賢いこの異母弟は、それを逆に利用するくらい訳ないだろう。
エリアの総督や副総督に任命されている者も、よほど逼迫した状況でなければやって来る。
今夜、上位皇位継承者が一堂に会するのは必至であった。
ルルーシュの存在で、継承権争いの構図が変わることは間違いない。
クロヴィスが去ってから、ルルーシュは舞踏会の出席者の名簿を執事から借り受けた。
自室として与えられている部屋で、重たく分厚いそれを捲る。
同じくスザクとカレンも、主の横から覗き込んだ。
「…錚々たる顔ぶれね。シュタットフェルトって名前で良かったわ」
「どうして?」
「そのおかげで、ここに知っている名前が多いってことよ」
カレンが指差したのは、招待された貴族たちの名簿。
少なくとも子爵以上の貴族たちであることは、間違いない。
スザクにしてみれば、覚え難い名前ばかりで頭が痛い。
ルルーシュはちらりと貴族の名簿を見遣ったのみで、嘲ら笑った。
「貴族など放っておけ。シュタットフェルトが上位爵位を授与されるのは、まだ先の話だ。
アッシュフォードの復位も手続き上、かなりの時間が掛かるしな」
「かなりの時間って?」
「早くて1ヶ月後」
「ふぅん…。旧日本の華族制と同じか」
「そうかもな。だがこちらの爵位制度は1つの家に複数発生するし、子供に分けることも出来る」
「ところでルルーシュは?誰か気になる人でも?」
ルルーシュが一心に見ていたのは、皇族の名簿だった。
自分の名前と写真が当たり前のように載っていたことへ、今さらながらに頭痛を感じる。
しかし、それはそれ。
シュナイゼルの横へ立つ為には、このような場を有効に活用しなければならない。
さらに数ページを捲ったところで、ルルーシュの口元に笑みが浮かんだ。
(あの人たちも、来るのか)
少しだけ、舞踏会が楽しみになった。