3、das Man(=世間に埋もれて生きる)
お祭り好きの生徒会長ミレイ・アッシュフォードは、ぽんと手を叩いて立ち上がる。
非常に静かでやりにくい上に、どうも部屋の空気が重くて叶わない。

「突然だけど休憩ターイム!ルルちゃん、紅茶入れて!」
「は?」

いきなり話を振られたルルーシュは、面倒だという表情を隠しもせずミレイを見上げる。
ふふん、と笑ったミレイは、にっこりと追い打ちを掛けた。
「だって、ルルちゃんの入れたお茶が一番美味しいんだもの!ねえ?」
「はーい!私も賛成〜!」
シャーリーが諸手を上げて喜び、ニーナ・アインシュタインも控えめに続いた。
「わ、私も…」
「俺も俺も!あ、カレンさんとスザクは飲んだことないよな?ルルーシュの入れたお茶」
リヴァルは生徒会の新メンバーへ話を振る。
これまた突然話を振られたカレンは、戸惑いながらも頷いた。
「え、ええ。そんなに美味しいなら、ぜひ」
ちらりと彼女に目線で話を移されたスザクも、反対する理由がない。

「ルルーシュ」

何かと気易く付き合える生徒会でも、いつだってルルーシュはスザクの笑顔に逃げ道を塞がれる。
(それが分かってる辺り、俺もヤツも救えないな…)
ため息をついて立ち上がる。
「茶葉は勝手に選びますよ」
生徒会室に設置されているキッチンへ向かいながらミレイへ告げると、彼女は嬉しそうに答えた。
「お任せするわ♪あ、この間焼いたクッキーが残ってた。ちょっと取ってくるわね♪」
あっという間に、生徒会室は団欒の場に変わる。
無駄に備品の揃っているキッチンで、ルルーシュは何気なく窓の外を見た。
(まだ、何も変わっちゃいない…)
少なくとも、『黒の騎士団』は"ゼロ"が動かない限り動かない。
スッと右手を左眼へ滑らせる。

「前から思ってたんだけど、それは癖?」
「!」

本格的に、不味いかもしれない。
スザクが立ち上がったことには気付いていたが、隣に立たれるまで居ることに気が付かなかった。
己の右手を"ギアス"の宿る左眼へやったことも。
声を掛けられたことで中途半端に止まったルルーシュの右手を取り、スザクは問う。

「ねえ、ルルーシュ。何をそんなに張り詰めてるの?」

答えをはぐらかすことを許さない。
翡翠の強い光に気圧されて、ルルーシュは言葉を呑み込んだ。

「最近、"本当に"笑ってないだろ?昔から君は、自分を覆い隠す嘘が得意だったけど」

本当に、不味い。
言い返すべき言葉が見つからないほど、頭の回転も鈍い。
自分の右手を掴んだスザクの力が、強まる。

「いったい、何を背負おうとしているの?ルルーシュ」
「…お前には、」
「関係ない?そうかもしれない。でも、僕の優先事項は君とナナリーだから」

ナナリーはルルーシュがずっと守ってきた。
彼にとって彼女はこの世界そのもので、そのためにのみ生きていると言っても過言ではない。
けれど、それなら。

(ルルーシュのことは、誰が守る?)

彼は常に、人と一線を引いて関わる。
誰も心から信用しない。
全て1人で何とかしようとしてしまう。
スザクは腕を掴む力を緩め、両手で包み込むようにルルーシュの右手を握った。

「何も訊かない。訊かないけど、もう少し頼って」

ルルーシュの瞳が、揺れたような気がした。
答えは返らない。


「スザクく〜ん?ランペルージ副会長を口説くのに、生徒会室のキッチンは頂けないわねぇ?」


慌てて振り向くと、小悪魔の笑みを浮かべたミレイが顔を覗かせていた。
ギョッとしたスザクは、反射的にルルーシュの手を離す。
「せめてもうちょっと雰囲気のあるとこじゃなきゃ、うちのルルちゃんは靡かないわよ?」
「いったい、何の話ですか…?」
「あら、ごめんなさい。靡くも何もなかったわね」
眉を寄せたルルーシュに対しホホホ、と上品に笑うミレイは、確実に分かって言っている。
「……スザク」
「え、え、なに?」
突然名を呼ばれ、スザクは狼狽えてしまう。
ルルーシュは彼が取り出したカップの片方を、視線で指し示した。
「そのカップを仕舞ってくれ」
「えと、これ?」
白磁に1本だけ金色のラインが入っているそれは、そう。
ミレイ専用のティーカップ。

「あーっ!ルルちゃんのいじわるぅ!!」
「どっちがですか!!」

なんとかミレイを追い出して、ルルーシュは額を押さえた。
「まったく、あの人は…」
姉御肌で頼り甲斐があり、ある意味で傍若無人な彼女は時に…ひどく子供だ。
スザクは苦笑を返す。

「あれが、あの人なりの心配の仕方じゃない?」

分かっている。
ルルーシュはポットに湯を注ぎながら、口を噤んだ。
何も無い自分たちを、命までも賭けて匿ってくれているアッシュフォード。
これ以上、余計なことで手を煩わせてはいけない。
(もう、時間がないんだ)
流れ落ちる水に目を落とせば、揺れ動くそれが今の己に見えた。

「…ルルーシュ」

少し硬質な響きを含む声が、ルルーシュの意識を呼び戻す。
声の主を振り返れば、彼はどこか苛ついたようにこちらを見ていた。
しかしすぐにため息を吐かれ、逆に腹が立ってくる。
「…なんだ」
ゆっくりと伸ばされた手は、今度は頬に触れた。
自分の体温よりも暖かいその手は、軍人らしく少し武骨だった。

「ひょっとして、前だけ見てる?…まったく、"頼って"って言った傍から」


『ほら、僕らも頼りになるでしょ?』


記憶の底から聞こえた声に、ハッとする。
(思い、出した…!)
今の今まで忘れていた自分が、酷く愚かしい。
思わず、頬に触れていたスザクの手を掴んだ。
「ルルーシュ?」
訝しげな彼に、ルルーシュはまたも自分の行動に舌打ちそうになる。
(まだ…だ。休むのはせめて、捜してから)
とりあえず、予定の中に『休日』をいれることにした。

「ごめん。何でもないんだ、スザク。…ありがとう」

危うく煎れっ放しになる寸前だった紅茶へ、ルルーシュはようやっと手を移す。
トレイに並んだカップは6つ。
スザクもそちらへ目をやり、首を傾げた。
「足りないよね?」
「ああ。ナナリーと咲世子さんにも持って行くから」
ルルーシュの言う通り、トレイの隣にはまた別のティーセットが並んでいた。
「じゃあ、こっちのは僕が持って行くよ。ナナリーと飲んでくるんだろ?」
「…すまない。30分くらいで戻るから」
「分かった」
今度は手際よくポットへ湯を注ぐと、ルルーシュはカップを重ねたトレイを手にキッチンを出た。
後に残されたスザクは、寂しそうな笑みを浮かべる。


「…僕のことは信用出来ない?ルルーシュ」


名誉ブリタニア人となった"枢木スザク"は。
『黒の騎士団』を率いる"ゼロ"の思想に限りなく近い彼の目に、自分はどのように映っているのだろう。


(すまない、スザク…)


クラブハウスへ歩きながら、ルルーシュはスザクへ謝罪する。
もう、彼に頼るわけにはいかないのだ。
修羅の道を歩むと決めた日に。
目の前で彼を失い、"王の力"を手にしたあの日に。

(…でも。お前のおかげで、頼れる人が居ることを…思い出したよ)

思い出すには遅すぎた。
けれどまだ、間に合うかもしれない。





ルルーシュがトレイに乗せたカップの数は、4。
妹のナナリー、家事手伝いの咲世子、そしてルルーシュだけがクラブハウスの住人なのに。


幸いなことに、スザクは符合しない事実に気付かないでくれた。


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世界は、想いと裏腹に。



2006.2.14