4、Modalitat(=可能性と必然性)
ふわり、と仄かに甘い香りが漂った。
C.C.はぼんやり天井を見上げていた顔を、部屋の入り口へ向ける。

「ルルーシュ?なんだ、早いな」
「まだ途中だ。すぐに戻る」

彼女が早いと言ったのは、彼が帰って来る時刻。
もう互いのスケジュールを把握してしまっている、そんな仲だ。
「…紅茶?」
甘い香りは、彼の持つトレイから漂っている。
白いティーカップが2つと、とティーポット。
琥珀色の液体を注がれたカップの片方が、優美さを含んだ仕草でC.C.へ差し出された。
「…良いのか?」
ルルーシュとカップを順に見て、思わず尋ねた。
基本的に自分と彼は互いに干渉せず、共犯者として共に動くのみ。
そうでなくともルルーシュは『黒の騎士団』に手一杯で、C.C.としては遊び相手が居らず物足りない。

「たまには、な。その代わり…10分で良い。黙ってろ」

カップを受け取ると彼はすぐに背を向けて、自分の机へ向かうとパソコンを起動させた。
(…無意識、か。なるほどな)
ルルーシュが自分に対し遠慮がないのは構わない。
共犯と契約の主の背を眺めながら、C.C.はカップに口を付ける。
(美味しい…)
素直に賛美しつつ、そっと立ち上がって画面を遠めに覗き込んだ。
見るな、とは言われていない。
「…?」
世界地図のようなものが、直線で無数に区切られている。
経線と緯線をさらに細かくしたような、マス目の大きさは「1×1px」の表示が。
C.C.が首を傾げていると、画面がいきなり切り替わった。
今度は「0」と「1」の限りない羅列だ。
よく分からないので、またベッドの定位置へ逆戻りしてみる。

「…!」

液晶画面に映った結果に、ルルーシュは息を呑んだ。
(まだ、ある…?!誰にも見つかってない、しかもこれは…っ!)
時計を見上げたC.C.は再び尋ねる。

「どうした?」

すぐには答えられなかった。
一度目を閉じ、ルルーシュは自身の思考を落ち着かせる。
C.C.はベッドに腰掛け、琥珀色の紅茶を飲み干した。

「美味かったぞ。機会があったら、また振る舞ってくれ」

意外そうに振り向いた彼に、C.C.はふっと笑う。
「私の賛美の言葉は貴重だぞ?」
ルルーシュも呆れたような笑みを返した。
「仕方ないな」
その表情は、彼が妹のナナリーへ向けるものによく似ていた。
気分を良くしたC.C.は、顎で液晶画面を示す。
「で、何を見つけたんだ?」
画面へ向き直ったルルーシュは、考えをまとめるようにゆっくりと話し始める。


「後ろを護ってくれる、安心して頼れる人が、欲しかったんだ」


ほんの少し逡巡して、C.C.は返した。
「それは…。そうか、お前の頭脳の方か」
「ああ」
ルルーシュは頭が良い。
"ゼロ"として組織を動かしているのを間近で見ていれば、よく分かる。

(…なるほど。私もこのように言っているのか)

てっきり、共犯者として助けているはずの自分が頼れる存在ではない、と言われたのかと思った。
C.C.はホッと胸を撫で下ろして、次の瞬間には自分で首を傾げる。
(契約を破棄される可能性があったからか…?)
何に対し安堵したのか、とりあえず理由付けてみた。

「おい、C.C.?」
表情が変わらない彼女は、ルルーシュから見ると何を考えているのかさっぱりだ。
問われたC.C.は、そこでようやく自分が考え込んでいたことに気付く。
「いや、何でもない。それで?」
彼女のそんな様子は常だったと結論付け、ルルーシュは中断した会話を続ける。

「母上が騎士候の出だったから、他の兄弟も皇妃も俺たちを毛嫌いしていた。
だがたった2人だけ、俺が心から尊敬していた兄がいる」

C.C.は口の端をほんの少し吊り上げた。
「ほぅ?それは珍しいな」
血族重視で実力主義、しかし爵位がものを言う。
そんな歪んだブリタニア帝国内部の話で、彼が穏やかな表情をするのは珍しい。

「兄の母上は第2皇妃。その方は、母上のご友人だった。何かと俺たちを気に掛けてくれていて」

彼女は、優しいけれどどこか変わった人だった、という記憶がある。
上の兄はそんな彼女に、実母ながらよく呆れていた。
「俺にチェスを教えてくれたのは上の兄で、下の兄はナナリーとよく遊んでくれた」
第2皇子シュナイゼルもチェスが得意で、1度だけ2人の対局を見たことがある。
何時間やっていたのか、長過ぎて覚えていない。

「俺が日本へ向かった日。あの2人もブリタニアを出たんだ」

その言葉に眉を顰めてしまうのは、自然なことだった。
「どういう意味だ?それは」
不可解だ、とC.C.は問い返す。
ルルーシュの言っていることは断片的だが、"第2皇妃が気に掛けてくれた"という言葉がある。
ということは、ルルーシュの母と第2皇妃には大きな身分差があったということだ。
庶民の出である第3皇妃と親交を深めても、文句を言わせず黙らせるだけの力を持った皇妃。
母の身分も皇子皇女の地位に直結するのだから、彼の言う"2人の兄"の身分は相当に高い。
それが、自らの意思で帝国を出た?
ルルーシュはそのときの光景を思い出す。


『逃げるんだ。少しの間だけでも』


画面が切り替えられ、C.C.が理解不能に思う文字列が消えた。
新たに別の操作を始めながら、ルルーシュは兄の言っていた言葉を噛み締める。


『お前は他のより、3歩ほど有利だから』


そう、有利だった。
気付くのが遅すぎただけで。

日本地図が画面に表れ、一角がクローズアップされる。
さらにクローズアップされた地図は日本の1都市…その一部を拡大し、位置を示す白い十字が点滅する。
(一か八か、懸けるしかない)
これを逃せば、二度とない。
ブリタニアという国の強さを、ルルーシュは身を以て知っている。
C.C.は黙って、彼が言葉を発するのを待った。
告げられたのは結論。
何か意見を言うでもなく、C.C.は当然のように同行を決めた。


「キョウトへ行く」



僅かな可能性と、確かな事実。
たとえ無駄足となっても、懸ける価値は在った。





その日の夜。
ナナリーは自分をベッドに運んでくれた兄の様子が、少し違うことに気がついた。
「お兄様?」
「なんだい、ナナリー?」
「あの、何かあったんですか?帰ってらしてから、どこかいつもと違うなって」
苦笑する気配がした。
「適わないな、ナナリーには」
ナナリーも笑う。
「お兄様のことですもの。私の世界は、お兄様ですから」
そっと首を傾げる仕草をすると、彼女の兄は最初の問いの答を出した。

「懐かしい人に、会えるかもしれないんだ」

誰のことだろう。
気配で人の心情を読めるナナリー同様、ルルーシュも僅かな表情の変化を読むことが出来る。
妹の疑問をすぐに悟った。
「本当に会うことが出来たら、ナナリーにも紹介するよ」
ナナリーは少し拗ねたような笑みを浮かべた。

「まあ、お兄様ったら。明日はまた、学校をサボってしまうんですね」
「よく分かったな」
「だって、お兄様のことですもの」


クスクスと兄妹で笑い合って、おやすみ、と言った。


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世界は、時を止めない。



2006.2.16