6、Principle of identity(=AはAである)
ルルーシュは携帯電話をポケットへ仕舞うと、C.C.の居る側へ戻る。
「答えは、チェスだ」
「チェス?」
考えてみれば、とても簡単な謎解きだった。
訝しげなC.C.に対し、己の来た方向を指差すことで答える。
「こちらから向こうへ数字が増える。チェス盤の縦軸、つまりファイルだ」
「…私が立っているここは、駒の初期位置か」
「ああ。"些細な役柄を演じる"のはポーン、"結果を決する"のはキング」
「フ…お前の持論か。なるほど」
暗闇でも目立つ髪を掻き揚げ、C.C.は先を即した。
「それで?」
まだ分からない部分が残っている。
ルルーシュは彼女の1つ前、「2」である入り口で立ち止まり、中を窺う。
「お前の言った通り、俺が対する相手は1人だ。
…カナード・イーグ・ブリタニア。第2皇子と肩を並べると称された、皇帝候補」
何度かチェスの相手をしてもらった。
けれど第3皇子クロヴィスと違い、勝てた記憶がない。
幼少時の記憶などあまり当てにならないが、第2皇子シュナイゼルにも勝てた試しがない。
もう1人の兄キラ・イーグには、勝ち越していたはずだ。
「それだけでは…」
「ああ、確証はない。だが、ここで各人の打ち方が出てくる。俺がキングを動かすように」
「…その"兄"の打ち方に、パターンがあると?」
頷いた彼はくるりとC.C.へ背を向け、扉の数を数える。
足を止めた場所は、「6」。
『答えの人物が動いた数字へ4を追加する』という条件を逆算すると、その駒の初期位置はファイル「1」。
まだこれだけでは、駒を絞ることは難しい。
ルルーシュは懐かしい場景を思い出す。
「自分の陣にあるすべてのポーンが動いたら。あの人は必ず、同じ手を差していた」
6つ目の入り口へ足を踏み入れたルルーシュを追い、C.C.もなお暗い部屋へ入る。
懐中電灯は持っていただろうか。
腰のポシェットを探ると、小さなペンライトが出て来た。
ルルーシュの前を照らせば、例によって瓦礫だらけの部屋の奥に、また別の部屋への入り口。
覗いてみると、机だったらしい物体の上に、簡易端末の付いたアクリルケースがぽつねんと置いてあった。
ケースの中には、小さなメモ用紙らしきものが見える。
電卓のような簡易端末を、ルルーシュは迷いなく押していく。
『 N E E U Q 』
カシャ、という音と共に、ケースの蓋が開いた。
開いたケースの裏側を見てみると、これまた簡素な発火装置が付けられていた。
それに気付いたC.C.は、いつものようにニヤリと笑う。
「用意周到だな。さすが、と言うべきか」
ルルーシュを指して揶揄していることは、明らかだ。
さっさと地図の紙片を取り出し手元へ視線を落とせば、心得たようにペンライトの明かりが落ちる。
地図を見たいのはライトを持つC.C.も同じなので、可もなく不可もない。
「…キョウト租界か?」
簡素続きは、地図も同じだった。
ルルーシュは数時間前に横切った街並みを思い出す。
「まずはここを出るか。歩きながら探せるだろう」
いい加減、廃ビルは飽きた。
日はとっくに暮れている。
ゲットーから出て、ルルーシュは知らず眉を寄せた。
「…どいつもこいつも」
夜に輝くキョウト租界。
ブリタニアの属国となっている他のエリアでも、似たような光景ばかりだろう。
属国で跋扈する、欲の塊。
C.C.はルルーシュから地図を奪い、勝手に歩き始める。
咎めずに彼女の後ろを歩くルルーシュへ、C.C.は気になっていたことを尋ねた。
「お前が今探している"兄"は、どんな男だ?」
ルルーシュはしばし逡巡する。
なにせ、8年前の話だ。
「…綺麗な人だったよ。黒髪の皇族は、俺と母上以外にはあの人だけだ」
不思議に思って聞いてみたが、"突然変異か先祖帰りだろう"と言われた。
確かに彼の母、第2皇妃ヴィアはゴールドブラウンの髪だったのだから、言われると納得してしまう。
「歳は?」
「俺より4つ上だ。今は…21か?」
そこまで答えたところで、C.C.がふいに立ち止まった。
「ここ、か?しかしここは…」
彼女にしては珍しく、言葉を濁している。
その隣で建物を見上げたルルーシュは、戸惑う理由を悟った。
まったく生活感のない、しかし洒落た建物。
人の気配がないのに窓からは明かりが漏れているという、不気味さ。
C.C.の持っている地図を確認してみても、位置は間違っていない。
とりあえず玄関へ近づくと、目立つことを嫌うようにまったくもって簡素過ぎる表札があった。
『 Schwarze Vogel der Ruhe 』
表札を睨んでいたC.C.は、ルルーシュを振り返る。
「読めるか?」
「あまり自信がない。…"シュヴァルツェ・フォーゲル・デル・ルーエ"?」
「なんだ、読めるじゃないか」
「…それは俺を試したということか?」
「いや、私は読めないぞ。単語の意味なら分かるが」
確かこうだろう。
『沈黙の黒鳥』
どうやらこの言語に関する能力は、2人合わせてちょうどらしい。
けれど問題はそこではなく。
「…呼び鈴がない」
「ああ、ないな」
「不法侵入もどうかと思うしな…」
「それは今更だろう、お前」
「煩い。…ん?」
お互い様の話なのだが、表札の名前の下に小さな文字を見つけた。
表札へ更に顔を近づけたC.C.は、文を読み上げる。
「これはブリタニア語だな。"御用の方は遠慮無しにどうぞ"。…なんだこの家」
まったくもって同感だった。
ルルーシュはふいに、母の友人だった第2皇妃を思い出す。
(あの人が、こんな感じの変わった人だったような…)
懐古している場合ではない。
いい加減に時間も遅いので、遠慮なく入ることにする。
「…!」
入ったそこはごく普通の玄関口だったが、別の閉じた扉の前に1人の女性が立っていた。
癖のない黒髪は鎖骨に掛かる辺りで靡き、纏う服もすべて黒。
眼の色も黒いが、肌の色から判断するとブリタニア人か。
モデルでもしているのか背が高く、立ち姿も皇族のそれのように美しい。
(似てる…)
ルルーシュはほぼ必然的に、記憶に残る兄の姿を重ねた。
ふわりと微笑んだ彼女はおそらく、廃ビルで待ち受けていた女性だ。
予想に違わず、ルルーシュへ腰を折ったその動作は寸分の違いもなかった。
後ろに纏められていた長い髪が、さらりと前へ揺れた。
「お待ち申しておりました」
彼女…金糸雀(カナリア)と言ったか…は玄関からは見えない、さらに奥を手で指し示す。
「どうぞ。主は階上、2つ目の部屋に居られます」
軽く会釈を返し、ルルーシュとC.C.は示された階段を上る。
(ほんとう、に…)
ルルーシュは、速まる鼓動に自身が動揺していることを悟った。
本当に、自分の知る"兄"なのだろうか。
本当に、あのときの言葉は有効なのだろうか。
自分を、覚えていてくれているだろうか。
金糸雀の言った2つ目の扉へ、ルルーシュはおそるおそる手を伸ばした。
コンコンとノック音が響き、知らず息を詰める。
『どうぞ』
扉越しのくぐもった声にまた動揺しながら、ドアノブを掴む。
とても簡素な部屋に、机と何脚かの椅子と、パソコン。
いくつかの本棚には本の他に、機械類も見える。
こちらに背を向けていた彼の人は、美しい笑みを浮かべて振り向いた。
「半信半疑だったが…本物のようだな」
記憶にのみ残る人物の姿は、想像していたものと同じだった。
子供心に漠然と思い描いていた、"将来の姿"そのもので。
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世界は、記憶。
2006.3.1