7、Cogito,ergo sum(=我思う、故に我は存在する)
第9皇子カナード・イーグ・ブリタニア、帝国第2皇妃の長男。
母である第2皇妃ヴィアは、中欧ヨーロッパに位置するプロイセン王国の第1王女。
ヨーロッパの永久中立国としての存在を誇示するため、自ら帝国へ嫁いだ偉大なる王族。
その第1子として産まれた彼は、早くから皇帝候補として期待されていた。
上位皇位継承者の中でも格の違いがはっきりとしていた、第2皇子シュナイゼルに並ぶ者として。
黒く長い髪は腰にまで届き、眼はルルーシュと同じアメジスト。
背の高さも大体同じだろうか。
皇族らしくすべての動作がいちいち整っており、逆に腹が立ってくる。
(…それはコイツも同じか)
C.C.は自分の半歩前に立つルルーシュへ視線をやり、取り留めもないことを考えた。
上から下まで真っ黒な服を暗闇から浮かべているのは、ベルトなどのアクセントを染める深紅。
皇族らしからぬ服装と言えるが、一般人を装うなら当然だろうか。
(だが…、不味い)
一方でC.C.は危惧を募らせた。
面白そうに目の前の男女を見ていた人物が、ようやく口を開く。
「初めまして?それとも久しぶり、とでも言った方が良いか?」
「…どちらでも構いません。"カナード兄上"」
緊迫していた空気が、ほんの僅かに緩んだ。
机の前にあった肘掛け椅子に腰掛け、ルルーシュが"カナード"と呼んだ男は小さな手振りで空いた椅子を勧める。
動こうとしたルルーシュの腕を、C.C.は咄嗟に掴んだ。
「よせ、ルルーシュ。この男は」
彼女の言っている意味が分からず、ルルーシュは眉を寄せた。
「C.C.…?」
C.C.は男から視線を外さない。
「よせ、と言ったんだ。お前の言う、この"兄"の力を借りるのは」
当の本人は、ただ2人の様子を見ているだけだ。
それでも視線を逸らせなかった。
視線を外してしまえば、終わりだと思った。
クスクスと笑い声が響く。
「面白いヤツだな。それに、判断も正確だ」
C.C.は琥珀の眼を剣呑に細めた。
「目利きには自信があるのさ。ここでコイツが踵を返した場合は、どうする気だ?」
穏やかでない会話が続くのを、ルルーシュはただ黙って聞いていた。
彼の兄はひらりと手を振って事も無げに告げる。
「何も?お前たちのことを漏らす気はないし、以降の協力にも答えない。
お前たちが帰った翌日にはもう、エリア11から消えている」
チャンスは今、この瞬間だけ。
(…思った以上に厄介なヤツだ)
内心の動揺を測るように、ルルーシュの視線が刺さる。
「何が言いたい?C.C.」
唐突に思った。
(容姿の問題じゃない。ルルーシュは、この男に似てる)
自分たちを可愛がってくれた兄弟だと言った。
それぞれの母は友人だったと言った。
自分にチェスを教えたのは、この"兄"だと言った。
C.C.は仕方なく、本心をそのまま口に出す。
「格が違う。お前ではこの男を御することは出来ない。…呑まれるぞ、逆に」
今まで、幾度となく彼に注意を即してきた。
誰よりも簡潔に、明確に、結論だけを。
だがこれは、C.C.が覚えている永い時間の中で、初めて発した『警告』だった。
刺さる視線の棘が和らぐ。
「…なんだ、そんなことか」
苦笑さえ交えた声音に、C.C.はついに自ら視線を外した。
「笑い事じゃないだろう」
意図せず睨むと、ルルーシュは場違いなほど綺麗に笑んだ。
「大丈夫だ」
何が。
そう問う前に、すでに発言権はC.C.から離れてしまっていた。
ルルーシュは改めて、正面から兄ーカナードーを見る。
「貴方は8年前、『最初に自分を見つけた皇族に従う』と言った。
それは、未だ有効ですか?皇位継承権のなくなった俺でも」
カナードはゆっくりと答えた。
「想定はしていなかったが、答えはYes。お前が生きていたことにも興味がある」
安堵すると同時に、ルルーシュはとてつもないリスクを背負う。
「…俺が何をしていても、それに対し協力して頂けるのですか?」
「つまり、ただの学生というわけでもない?」
同じアメジストの眼が、意外そうに瞬いた。
「選り好みする気はないが、判断材料を1つだけ貰うか…。結論だけで良い」
「結論?」
問い返したルルーシュに、カナードは軽く頷いた。
「今やっていることは、最終的に何になる?」
最後に現れる結果は何か。
それは互いに公平である、非常に有効な問いであろう。
ルルーシュは慎重に言葉を選び取る。
(優しい世界を。ナナリーが、怯えず隠れず、堂々と生きていける世界を)
そのためには、ブリタニア帝国を壊さなければ。
世界の覇権の3分の1を有するあの国を破壊出来れば、何が起きるか。
「世界が、変わります」
思わずC.C.も呆気に取られたくらいだ。
(極論すぎる…。確かに、最終的な結果としてはそうなるが)
ルルーシュは『ゼロ』として外から、同じ武力を用いて帝国を壊そうとしている。
もし継承権を持っていてもその場合は内側から、やはり最終的には破壊するだろう。
カナードは笑いを堪えられず、肩を震わせる。
「ハハッ、壮大だな!いろいろ見て来たが、そんな言葉は初めて聞いた」
立ち上がった彼は、初めて正面からルルーシュを見た。
浮かべられた笑みには侮蔑も軽視すらなく、あるのはただ純粋な好奇心だ。
優美な仕草で差し伸べられた右手は、まっすぐにルルーシュへ向けられる。
「良いだろう。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。お前の目的の為の協力を、この場で約束しようか。
カナード・イーグ・ブリタニアの逃亡劇は今、8年をもって終わりを告げた」
ルルーシュは、力を2つ持っている。
1つはギアス。
C.C.が与えた、人に在らざる絶対尊守の力。
もう1つは『黒の騎士団』。
この日本で彼が創り上げた、帝国に対抗する為の軍。
キングはルルーシュ、ナイトは騎士団。
騎士団は組織の小ささ故に、ルーク、ビショップ、ポーンも演じる。
キングに力を与えたC.C.は、彼の盾となるクイーンでありナイトであった。
表立っては戦わない。
キングの後ろで、時にその変わり身を演じる。
KMFには乗れないが、己が身を呈して彼を庇い続けていけるのは、確かに彼女のみであった。
だがC.C.は、キングを補佐するクイーンにはなれない。
それは単純に、ルルーシュの頭脳が優秀過ぎたからだ。
皇族としての存在感を意識的に抑え、カナードはルルーシュへ尋ねた。
「お前、明日の予定は?」
「え?ああ、…特に重要なものは」
「そうか、なら今日は泊まっていけ。部屋はあるし、1人や2人増えても問題ない」
それにお前の話は、1時間やそこらで終わるとも思えない。
ルルーシュとC.C.は、自分たちを通り過ぎ部屋の扉を開けた彼を困惑気味に見遣る。
そういえば、この家はなぜあんなにも、生活感が無いように思えたのだろうか。
「ライアー、居るか?」
「はい」
「客人だ。男女1組。部屋は…」
彼の呼びかけにすぐさま、返事がある。
C.C.は誰かに指示を出すカナードの後ろ姿を見ながら、ふっとため息を吐いた。
「忠告はしたぞ」
ここまで不満を露にする彼女も、珍しい。
ルルーシュは再度、大丈夫だと言った。
「だから、何がどう大丈夫なんだ?」
「あの人が言っただろう、"協力を約束する"と。
それも、"俺の目的の為に"とピンポイントで言ったんだ」
「それが…?」
「俺が死なない限りは、協力してくれる。それが帝国に対する反逆でも」
そういう人だ、と断言した彼は、C.C.のよく知る不遜な人間に戻っていた。
どこか憮然としながら、だが深く干渉しないと言っている手前、C.C.は結局どうしようもない。
「ルルーシュ」
廊下から投げられた声に、ルルーシュは顔を上げた。
ふと思い出したのは、皇宮で最後に見上げた青空。
あのとき、国を出るのだと、自分たちを捜してみろと言った表情が、そのまま目の前の人に重なった。
「死んだと思っていたお前が、本当に生きていた。少なくとも、俺は『良かった』と思った。
だから少しは、自分を認めてやれ。生きていることを否定するな」
張り詰めていた糸が、一気に切れたような気がした。
その言葉に目を丸くしたC.C.は、階段を下りていくカナードを見送ってしまう。
後ろにある気配が、頼りなく揺らいでいた。
(なるほど、な。血の繋がりというものは、複雑で単純だ)
手のかかるヤツだ、と後ろを見遣い笑う顔は、厚顔とは無縁の穏やかさだった。
「嬉しいときは素直に喜べ。泣きたいときは素直に泣いてしまえ、この意地っ張りが」
ルルーシュの細い身体にそっと両手を回し、C.C.はその背を撫でてやる。
「…お前には、言われたくないな」
されるままの彼から発せられた小さな声は、それでも喜色が混じっていた。
C.C.は子をあやすようにルルーシュの背を撫で続け、考える。
(少しだけ、信じておいてやろう。コイツがそれで立っていられるなら)
自分たちを可愛がってくれた兄弟だと言っていた。
チェスを教えてくれたのは、先ほどの"彼"だったと言った。
ルルーシュの振る舞いは、"彼"によく似ていた。
(追いかけていたんだろう。憧れ、敬愛、目標。自分でも気付かない内に)
そんな存在に生を肯定されて、嬉しくないわけが無い。
自ら『死んでいる』と評した人間だ。
どれだけその言葉に救われたのか、C.C.には測りようもない。
(嘘ではなかった。仮にもし嘘だったとしても、あの男は嘘だと悟らせない)
確証のない確信。
伊達に、永く生きているわけではないのだ。
(底の見えない"黒のクイーン"。面白いじゃないか)
世界で今、激動している地域がある。
『日本』という国であった、現ブリタニア帝国属国エリア11。
チェスの盤上に準えるなら、白はブリタニア軍、黒は騎士団とイレヴンと主義者たち。
白のキングは総督コーネリア、クイーンは空白。
ナイトは彼女の親衛隊と、第2皇子配下の白いKMFにその組織。
ルーク、ビショップ、ポーンは軍の兵士たち。
黒のキングは『ゼロ』。
ナイトは騎士団幹部とそのKMF、紅蓮弐式が筆頭だ。
ルーク、ビショップ、ポーンは『黒の騎士団』すべてが務める。
今まで、黒のクイーンはC.C.が担ってきた。
『ゼロ』の盾を、『ルルーシュ』の隣を。
しかし、彼の後ろを護ることは出来なかった。
それは単純に、キングの頭脳が優秀すぎて、誰も代わりが出来なかったからだ。
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世界は予定調和か、それとも。
2006.3.3