8、Eidorra(=主観的な幻影)
ルルーシュの話に、カナードは思わずストップを掛けた。
「…悪い。確かに俺は、"事情をすべて話せ"と言ったが」
さすがにここまで話が複雑だと、1人では到底、整理し切れない。
どうしようかと腕を組む彼に、C.C.は珍しいものを見た、と何故か感心した。
「そうか。頭が良い人間も、素直な奴は素直なんだな」
「は?」
首を傾げたカナードとは対照的に、ルルーシュは眉を寄せる。
「…C.C.」
普段より低い声に、彼女は口元を吊り上げ不遜に笑う。
「なんだ、私は何も言ってないぞ?」
「…ならそのまま黙ってろ」
言い返せば言い返されるのが常。
ルルーシュは強制的に会話を打ち切った。
彼らの会話が終わるのを待っていたカナードは、それが途切れたところで話を再開する。
「一番理解不能な部分だけ聞く。"ギアス"ってのは、何だ?」
話だけは聞いた。
が、さっぱり理解出来ない。
ルルーシュはしばし考えてから、隣のC.C.を見る。
「お前には、効かないんだな?」
念を押す言葉に彼女は頷いた。
ルルーシュは一度目を閉じ、意識を集中させるとC.C.を見る。
その左眼が朱に染まり、浮かぶ白い紋様が羽ばたいた。
「?!」
在り得ない色だ、と反射的に感じた。
再度目を瞬いたルルーシュの眼は、元のアメジスト色。
息を呑んだカナードへ向き直り、C.C.は自身の前髪を軽く上げた。
彼女の額に浮かぶのは、紅い、先ほど羽ばたいた白い紋様と同じ印。
「私が何者かは、誰にも告げていない。"ルルーシュは私と契約を結んだ"、とだけ言っておこう」
それ以上は踏み込ませない。
彼女は暗に、そう告げた。
ほんの数秒で結論を出し、カナードあっさりと頷く。
「…それなら、聞かなかったことにするさ」
軽く肩を竦めて、彼はさっさと思考を切り替える。
(…ああ、アイツはまだ戻らないな)
時間的な都合が付かないことに、すぐに思い至った。
カナードは時計を確認すると、携帯電話を取り出す。
「聞いた話は、俺の下に付く誰からも漏れないことを保証する。
1人だけ、細かい部分まで共有させたい奴がいるんだが…」
待ってもらわなければ、会わせることが出来ない。
ルルーシュには、彼の言う"1人"がどのような役割の人間なのか、想像がついた。
「兄上の『騎士』…ですか?」
皇族に限らず高爵位を持つ貴族は、自分を護る為の『騎士』を持つ。
主と騎士は絶対の信頼でのみ成り立ち、特に主は、己の騎士の一生を握ることになる。
予想に違わず、カナードは頷いた。
「ああ。だがその前に、俺が何をしているのか、何を持っているのか教えておく。付いて来い」
どこへ行くのかと思えば、彼は一度外へ出た。
「「?」」
出る、と言ってもルルーシュとC.C.が入ってきた場所とは逆、裏口と言える側だ。
そして細い道を挟んだ向かいにある建物へ入る。
「ここは…?」
「まだ裏手だ。表へ回れば分かる」
中はただ、部屋の扉が並んでいるだけ。
外へ出たときも、視界が狭くてこの建物の大きさを測れなかった。
(それにしても…)
「兄上。いくら何でも、物が少なすぎませんか…?」
C.C.も同じことを感じていた。
昨日の夜、見上げて明かりが付いていた部屋はカナードの部屋だった。
しかし彼も当然のこと、あの"金糸雀"という女性さえ、気配をすべて消していたに等しい。
他にも数えるほどの人間が居たことが分かったが、なぜ。
家の中にあった調度品もみな、必要最低限に絞られていた。
カナードは目当ての扉を開けると、不敵に笑う。
「当然だろう?俺がなぜ、8年も本国に見つからなかったと思ってる」
開け放たれた、両開きの扉の向こう。
そこはかなりの規模を誇る、劇場だった。
何人もの役者や舞台技術者が、舞台稽古と装置設定に勤しんでいる。
「これ、は?」
訳が分からず、ルルーシュは問うしかない。
カナードは仕方がないな、とばかりに稽古をしている1人を呼び寄せた。
「金糸雀」
あの黒髪の女性だった。
彼女を指し、カナードはルルーシュへ問い返す。
「さっさと思い出せ。以前にも会ったことがあるだろ?」
首を傾げるルルーシュに、彼女が助け舟を出した。
「覚えていらっしゃいませんか?
マリアンヌ様と妹姫、それにアッシュフォード家を交え、ヴィア様が公演を開いたこと」
「え?」
「僭越ながらわたくし、主演の片割れを務めておりました。確か…ええ、『白鳥の湖』を」
「!」
朧げだった記憶に、焦点が合う。
第2皇妃ヴィアは、故国プロイセンに劇団を持っていた。
彼女がブリタニアへ嫁いだ折りに本国へ拠点を移し、すべてにおいて世界一の誉れ高い劇団。
演じる幅は歌劇から舞踊まで様々に広く、団員の数は軽く千を越すという。
『プロイセン王立劇団』
役者を志す者にとっての、登竜門とも言える劇団。
創設者が『プロイセンの第1王女』であったことが、更なる名声を呼んだ。
…帝国には属さない、為政者の干渉を受けない者たち。
ルルーシュの様子に笑みを浮かべた金糸雀は、さり気なく胸を張った。
「プロイセン王立劇団。本国に無い片翼が、この『Schwarze Vogel der Ruhe(沈黙の黒鳥)』。
我らはカナード様の翼であり、止まり木であり、時に剣であり盾である。それが我らの誇りです」
第2皇妃の劇団が本家なら、その子が持つ劇団は分家。
『沈黙の黒鳥』は、カナードが創り上げたもの。
弟のキラも、『Schwarze der Schmetterling(黒揚羽)』という己の劇団を持っている。
当然のことながら、両劇団とも実力は折り紙付き。
本国では王立劇団として活動し、彼ら独自の劇団という事実を知るのは、僅かに実母だけであった。
「この地へ来たのは1年前です。団員数は100余名。
興行はおかげさまで、毎度満員御礼となっております」
金糸雀の話を聞きながら、ルルーシュとC.C.は舞台稽古を眺めやった。
「…思っていたそのままだな、あの男は」
C.C.の呟きに、ルルーシュは黙って言葉の先を即す。
彼女の視線は、舞台の傍で別の団員と話しているカナードに固定されていた。
「奴も"王"の器だ。しかも底を見せない。それに…どうやら相当腕も立つ」
「…よく判るな」
「私を誰だと思ってる?少なくとも私は、そこらの軍人より強いぞ」
「見て判ると?」
「ああ。あの役者たちも同様だろう。そうでない者は完璧に裏方で、姿さえ見せないだろうな」
「……」
不意に金糸雀は、ルルーシュたちが入って来たのとは逆の、劇場の入り口を振り返った。
新たな訪問者を判別した彼女は、自分の主を呼ぶ。
「カナード様」
その一言で通じる意思に、この劇団の持つ強固さを垣間見たような気がした。
「戻ったか。シュヴァーン」
シュヴァーンと呼ばれた青年は、ルルーシュとC.C.の姿を認めると眉を顰めた。
「…客?にしては、異質だ」
「まあな」
背の高さはカナードと同程度。
髪が長いことも同じで、それを後ろで結んでいるかどうかの違いのみ。
変わっていると思ったのは、銀色の髪の、毛先だけが黒いことか。
カナードは軽く手を閃かせて、ルルーシュを示した。
「鬼ごっこは、終わりだ」
たった一文だけで、青年は容易く現状を悟ったらしい。
「これは失礼」
改めてルルーシュを観察し面白そうに言うと、彼は右腕を水平に上げ、心臓の高さで曲げた。
ブリタニア帝国の、略式の礼だ。
一連の動作にまったく違和感が見られないことが、彼が騎士である証拠とも言える。
条件反射的に眉を寄せたルルーシュに、皇族嫌いを見て取ったのか。
それとも、始めからカナード以外に礼を取る気がないのか。
彼は最初と同じく、言葉遣いを崩した。
「俺はシュヴァーン、カナード殿下の一の騎士。ああ、偽名なのは勘弁してくれ。
そちらの名前を伺っても?」
「…ルルーシュ・ランペルージ。かつて捨てた名前は、」
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
え、と声にならない驚きが漏れた。
「あの"悲劇の皇子"?」
生きてたのか、とルルーシュではなく自分の主へ問いかける。
そういえば、舞台稽古の声が止んでいた。
(…まあいいか)
劇場内の人間は全て、カナードの部下だ。
どうせ彼の口から話される事柄、ここで聞かれても外へ漏れないのなら構わない。
ルルーシュは特に気分を害するわけもなく、シュヴァーンの反応を見ていた。
「本物か…。どうしてまた、今更?」
続いて彼が口にしたのは、1つの問いでいくつもの回答を出させるものだ。
カナードの様子から、こちらへ協力することが前提であることは間違いない。
だがルルーシュは、皇室から行方を眩ませていた彼の主を表舞台へ引っ張り出した、余計な人間だ。
この騎士が納得しない限り、話は停滞するだろう。
「…兄上のことを思い出したのは、偶然です。ただ、後ろに立ってくれる人が必要だった。
前を突破する人間は居る。横に立つ人間も居る。だが、組織を動かせる人間は居なかった」
「組織を動かせる…ね。それでうちの主か。ちなみにその"組織"は?」
C.C.はすでに、口を挟むことを諦めていた。
(騎士の壁が高いのか。それとも…主の壁が低いのか)
8年前にカナードが示したという条件。
それは自分を見つければ無条件に、というものだったようだ。
条件が無いことを補うように、彼の下の人間たちは、発見者に対し大きなリスクを負わせる。
ルルーシュもまた、繕うことも隠すことも諦めていた。
第9皇子の協力をすんなり得られるとは、思っていなかったのだから。
だからこの場で、自分が誰かを告白する。
「俺が持っている組織は、『黒の騎士団』」
盤上へ、最強のクイーンを加える為に。
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世界は、もう動いている。
2006.3.9