9、Seinsverstandnis(=自分の存在了解)
「ガァァァッツ!!」
「…またですか」
「いい加減にしてくれよ〜会長…」
「…えーと、これは何の騒ぎ?」
連鎖的に4つの言葉が並んだ、今日の生徒会室。
言う迄もなく会長、副会長、書記、そして新参メンバーだ。
そして彼らを見ながら同じく、呆れた顔をした3人の少女たち。
「あ、スザク君。今日は大丈夫なの?」
「うん。授業には間に合わなかったけど」
「久々だね、みんな集まったの。カレンも今日は調子良さそうだし」
「ええ」
「…ミレイちゃん。さっき、先生にこれ貰ったんだけど」
「え」
早々に、書類の山と格闘せざる負えなくなった。
時間は待ってくれないのだ。
「ルルちゃーん…お茶入れて…」
いつかと威勢の良さがまったく違う。
ルルーシュは顔を上げた。
さすがの生徒会長様も、自分が溜め込んだ重要書類の山には敗北間近らしい。
しかし全員で頑張った甲斐あってか、書類はあと少しだ。
苦笑してルルーシュは立ち上がる。
コンコン。
控えめに、生徒会室の扉がノックされた。
「はーい、どうぞ」
立ち上がる気力がないのか、ミレイは声だけで扉の向こうの人物を即す。
「失礼致します」
その瞬間、部屋の空気がざあっと音を立てて入れ替わった。
もちろん比喩に過ぎないが、おそらくその場に居た全員が感じたこと。
扉を片手に立っていた人物は、背が高く美しい女性だった。
モデルでもしているのだろうか。
立ち姿は完璧で、仕草もすべて洗練されているのだろうと想像がつく。
僅かに癖のある長い黒髪を高い位置で結び、彼女が少し動けば長い髪も一緒に靡いた。
…上から下まで黒い服というものは、着る人間を選ぶ。
彼女は相応しく、洋服というものを確実に着こなせる人間であった。
「どうかなさいました?」
一様に固まってしまった生徒会メンバーに、女性が首を傾げる。
弾かれたようにミレイが立ち上がった。
「あ、ごめんなさい!つい見惚れてしまって…」
「ありがとうございます」
ミレイの本心からの褒め言葉だったが、彼女は社交辞令と同等に受け取ったらしい。
にこりと笑って礼を言った様子からして、相当に言われ慣れしているのだろう。
「ええと、うちのメンバーに御用でも?」
足を踏み入れない女性に対し、ミレイはそのような予測を付ける。
返答は少し違った。
「いえ、実はアッシュフォード理事長にお会いしたかったのですが…」
留守だと言われ、どうやら事務の方が生徒会室へと気を利かせたようだ。
ミレイは慌てて彼女を中へ招き入れる。
正真正銘の客人ではないか。
「申し訳ありません。祖父は今日、朝から出掛けておりまして…。
私、孫のミレイ・アッシュフォードです」
すると女性の方は驚いたようにミレイを見つめた。
「…"あの"アッシュフォードのお嬢さん?」
「え?」
含みのある言い方だった。
続く言葉に警戒心が芽生えたのは、不可抗力だ。
「美しくなられましたね」
反射的に思ったのは、まさかという焦り。
今この部屋には、彼女が何に換えても護りたいと望む人が居る。
ミレイの空気が尖ったことに気付いたのか、女性は名刺を差し出した。
「自己紹介が遅れました。本国で、何度かお会いしたことがあるのですけれど?」
(本国…?)
彼女が言う"本国"は、ブリタニア帝国の首都がある地だ。
少なくとも8年は前の記憶を、掘り起こす。
手助けにと名刺へ目を落とすと、とても簡素だが上質なものだった。
(…"カナリア"、これがこの人の名前?それにこれは、もしかしてプロイセン語?)
名前の上に書かれた見覚えのある文体に、記憶が刺激される。
『Schwarze Vogel der Ruhe』
思い出せないことがもどかしい。
顔を上げて"カナリア"という女性を見ると、彼女は助け舟を出してくれた。
「『プロイセン王立劇団』…と言えば、お分かりですか?」
「え?!」
一気に思い出した。
「うそっ?!王立劇団の、あのカナリアさん?!!」
ミレイの声は大きかった。
成り行きを見守るしかなかった生徒会の面々が、ビクリとしたのも不可抗力だ。
「ええ?!会長、そんな美人と知り合いだったんすか?!」
リヴァルの発した素っ頓狂な言葉で、全員の硬直が解かれる。
「お、お客様よね!ルル!早くお茶入れなきゃ!!」
「え?あ、ああ…」
シャーリーの叫び声に近い催促に、ルルーシュはようやく女性から視線を外した。
(ちょっと待て。なんで彼女が?!)
その実、思考回路は絶賛混乱中である。
スザクとカレンはシャーリーの声にハッと我に返り、散らばっている書類を片付けに掛かる。
ニーナは顔を真っ赤にして、完全に固まってしまっていた。
『Schwarze Vogel der Ruhe』
ゲットーを横目にするシンジュク租界へ、そんな名前の劇団がやって来た。
他の小さな劇場で団員数名が広告がてらに芝居を催し、それなりに評判を呼んだとか。
ならばそろそろ、興行を打っても入りが見込めるだろう。
劇団の主な人間たちは、そんな計算を始めた。
すでにチケットは売り出されており、決めるべきは興行スケジュールだ。
演じることとは無関係であるシュヴァーンは、退席しようと隣の女性へ問う。
「ナーリエ、カナードはどこに行った?」
午後から主の姿がアジトに無い。
長い黒髪を掻き揚げて、彼女は笑った。
「アッシュフォード学園へ。適当な時間に迎えに来い、とのことです」
「はあ?…また勝手に」
時間潰しに、シンジュク調査でもしましょうか。
彼女のそんな提案に、断る理由などないシュヴァーンは乗ることにした。
慌ただしく机の上が来客スタイルに変わり、女性はミレイの左隣の椅子へ腰掛けた。
この学園に通う淑女としては、一挙一足そのすべてが、見習うべき素晴らしい動作である。
病弱を装っているカレンも、こればかりは目が釘付けになっていた。
女性は視線を一身に集め、再び微笑んだ。
「改めまして。プロイセン王立劇団『Schwarze Vogel der Ruhe』、座長を務めるカナリアと申します」
以後お見知りおきを。
それぞれが自己紹介を終えて、会話の主導権はもっぱらミレイとなる。
「まさかこの国へいらしていたなんて…。いつから?」
「こちらへは1年前に。数週間から1年程の期間で、諸外国を回っておりました」
「1年も前?!」
亡くなった前総督、クロヴィス・ラ・ブリタニアは、芸術を誰よりも愛する皇族だった。
そのため未だ、芸術週間や市民展覧会など芸術関連の行事が残っている。
ミレイが何を言いたいのか察したカナリアは、微苦笑を浮かべた。
「キョウトに居りましたから。『日本』という国を知るにはもう、あの地しかございません」
スザクとカレンが瞠目したのを、彼女は見て取った。
不可解な顔をしているニーナやシャーリー、リヴァルのために注釈を加える。
「『プロイセン王立劇団』は、為政者の干渉を受けません。もちろん例外はありますが…。
特に我々『Schwarze Vogel der Ruhe』は、羽を休めた地の方を5名から10名、劇団へ迎えております。
ブリタニア帝国の属国とされた国でも同様。それが主の考える"実力主義"です」
ちなみにブリタニア人の数は、主を含めた創立メンバーの30名のみ。
現在の団員数が100余名という割合からすると、相当な多国籍具合だろう。
「あの、今はシンジュクに…?」
控えめなカレンの問いに、カナリアは頷いた。
「ええ、2週間ほど前から。シンジュクゲットーとの境に、簡易な屋外ステージを設けましたし」
「「なっ?!」」
誰もが、ルルーシュさえも驚愕した。
全員に共通していたのは、なぜそんな危険な場所に、しかも屋外劇場を、だ。
しかしカナリアは、彼らの心配を冷然と受け止めた。
「日本の方に観ていただくには、これしかないでしょう?
テロの標的になったところで、彼らを恨む理由もありません。団員が命を落とせば、別ですけど。
侵攻したブリタニア側の人間には、声高にテロを憎む権利などない」
ひやり、と背筋を冷たいものが流れた。
全員がそれと悟る前に、彼女はまたふわりと笑みを戻す。
(なんだ…?)
先日会ったカナリアの姿に、既視感を感じる。
ルルーシュは感じる違和感の正体を掴もうとしたが、上手くいかない。
彼女はポケットから携帯電話を取り出し何事かを確認して、軽く頭を下げた。
「少し、無駄話が過ぎましたね。ご了承ください」
お詫びの代わりに、とメンバーそれぞれへ差し出されたのは、横に長い紙。
言う迄もなく、チケットだ。
「今月末に、シンジュク初公演を予定しております。
特等席をご用意しておきますので、予定が合うならば是非おいで下さいね」
変わり身の早さにさすがのミレイもぽかんとしていたが、渡されたチケットにすぐ仰天した。
「と、特等?!しかも生徒会の人数分…!」
しかもタダ?!
ミレイとルルーシュ以外はすでに、話の内容に付いていけていない。
「公演を観て満足されましたら、ぜひこの学園で興行を打たせて頂きたいのです」
「喜んで!ていうか来てください!」
早くお祖父様に話さなくちゃ!とミレイは意気込む。
(何を考えてるんだ?あの人は)
ルルーシュはカナリアの主を思い浮かべ、それと分からぬ程度に眉を寄せた。
ぺらりとチケットを裏返して、目を瞬く。
(アドレス…?)
とても小さな文字で携帯電話の番号とアドレスが、さらに"当面の連絡先"と記されている。
さりげなくカナリアを見遣ると、にこりと意味深な笑みを向けられた。
(使い…様子見…ただの好奇心?……全部か)
結局ルルーシュは、彼女と一言も会話を交わさなかった。
アッシュフォード学園を出て、街中へと足を向ける。
紅く染まる空は、黒い姿をなお染めた。
学園が街の建物に隠れ、周りが賑やかになって来る。
さりげなく付いて来ていた気配が、ごく自然に隣を歩いていた。
好奇の視線を浴びている黒一色の女性に、対照的な銀と灰色で構成されている青年が並ぶ。
「随分でかいな、あの学園」
「ああ。敷地の向こうは大学と大学院だそうだ」
「へえ…。あそこに軍の一部が間借りしてるって?」
「らしいな。アッシュフォードの"庭"は、意外と脆そうだ」
2人が向かった先には、ゲットーに程近い場所にある一軒家とオフィスビル。
租界の端と言えるその建物の入り口の扉には、小さな表札が掛かっていた。
『Schwarze Vogel der Ruhe(沈黙の黒鳥)』
『御用の方は遠慮なくどうぞ』
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世界は、嘘か真で出来ている。
2006.3.11