14、TEMPERANCE(正位置:集中、熱心、臨機応変)
「これはどこの言葉だ?肝心の名前が読めない」
「何がですか?千葉さん」
「ふん…"本日15時より、シンジュク租界と東ゲットーの境にて二次審査"。ああ、通り道だな」
「千葉さーん?」
「酔狂な奴らだ…。狙い撃ちにされると分かっていて屋外公演とは」
「千葉さんってば」
「"二次審査の項目は当日発表"。へえ、日本人限定なのか」
「…千葉」
「はい、藤堂さん」
「って、聞こえてたんじゃないですか!」
「何がだ?」
「お前の声は聞こえていなかったようだな、朝比奈」
「え、それちょっと酷いですよさすがに」
シンジュク租界に程近い、ゲットーの第2地下坑道。
藤堂、朝比奈、千葉、卜部、仙波は、シンジュクへ移った解放戦線の拠点へと足を進めていた。
第2坑道…つまり地下2階であるここは、ブリタニア軍にはほとんど知られていない。
なので、帝国軍が是が非でも捕らえたい『厳島の侍』である彼らも、話し声を気にせず歩ける。
冒頭の会話がその証拠だ。
で、その会話(一方的な呟きとも言えるが)の内容はというと。
「千葉、さっきから何を見ているんだ?」
「あ、これですか?ほら、食料を分けてくれた老夫婦。あの方々がくれたんですよ」
「別れ際に喋ってたのはコレのこと?」
「そうだ。なんでも1ヶ月くらい前にシンジュクへ来た、相当な実力を持った劇団だと」
「「…劇団?」」
さすがに千葉以外の全員が疑問を返した。
「劇団って、あの歌ったり踊ったり演技したりする、あの劇団?」
「…それ以外にあったら教えて欲しいが」
「だって、ブリタニア人の劇団でしょう?」
眉を顰めた朝比奈へ、千葉は持っていたチラシを差し出す。
「まあ、読んでみろ」
朝比奈はチラシへ目を落とし、千葉の呟いていた意味を悟る。
「あ、ホントだ。名前が読めない。えーと…?」
同じくそれを覗き込んだ卜部が、あ、と声を上げた。
「これ、桐原公が褒めちぎってた劇団じゃないですか?
よく見たらこんなチラシ、一度キョウトで見たような気がしますし」
藤堂にも覚えがあった。
「もしや、皇(すめらぎ)のが『黒鳥の方が〜!』とか言っていた、アレか?」
「おお、アレでしたか。どうりで」
仙波も何か思い出したらしく、藤堂の言葉に頷いている。
逆に首を傾げている千葉と朝比奈へ、卜部がチラシの一部を指差しながら言った。
「ほら、ここんとこ見てみろ。"プロイセン王立劇団"ってあるだろ」
2人が読めない、と言っていた文字の下に、確かに小さめの文字で書いてある。
卜部は記憶を掘り起こしながら続けた。
「何だっけ。桐原公が『本家は帝国にあるが、為政者の影響力を排除する組織だ』とか言ってたな。
あの人、帝国に嫁いだプロイセンの第1王女と面識があるらしくてよ。
『王立劇団』ってのはその元王女が創ったもので、世界一の劇団なんだと。
それの分家がキョウトに居るらしいってんで接触してみたら、ビンゴだったとか」
ふぅん、と適当な相槌を打って、朝比奈はチラシを千葉へ戻す。
「しかしあの老夫婦、なんでこんなもの渡して来たんでしょう?」
「さあ。かなりの日本人が、彼らの屋外稽古を楽しみにしていると言っていたが。
何度か安いテロリストたちの襲撃にも遭っているらしく、けれど場所を移す気はないようだと」
「…へえ、根性ありますね」
千葉は黙ったままの藤堂を見上げた。
「藤堂さん。我が侭かと思いますが時間も合いますし、観てみませんか?」
あの老夫婦はきっと、少しは息を抜けと言ってくれたのだろう。
この、常に戦いに身を置いている自分たちとは、別世界であるチラシを渡すことで。
チラシに載っていた、シンジュク租界とゲットーの境。
第1坑道へ上り地上の見える場所へ行ってみると、姿は見えないが多くの人の気配があった。
廃墟寸前のアパート群を見上げれば、ほとんどの窓から住人が顔を覗かせている。
「お、軍人さんたちも観に来たのかい?」
坑道の外から、近くの住人であろう男性が声を掛けて来た。
「通り道だったものでな」
藤堂が返すと、彼はおかしそうに笑った。
「そうかそうか!息抜きも必要だからな!でも驚いたろ?観客の多さに」
「…ああ。ブリタニア人の劇団というから、どうかと思っていたが」
こんなものは、テロの良い標的に過ぎない。
「ま、最初はな。俺たちも隙あらば襲ってやろうと思ってたんだけどな」
観てれば分かるよ、とその男性は別の場所で見るのか去って行った。
千葉が男の後ろ姿を見送って呟く。
「テロの標的になったという話は、本当らしいな」
彼女の視線は、瓦礫に建つ屋外ステージに向けられていた。
焼け焦げたような跡や、銃痕が至る所に残っている。
そのどれもが簡単な修繕だけで済まされていることを、貶すべきか褒めるべきか。
考えていると、ステージの裏から誰かが出て来た。
「あれ?日本人…?」
何故だろうか、と藤堂たちは訝しむ。
まさしく日本人形と形容出来そうな、髪を肩口で切り揃えている女性だった。
彼女は舞台の袖と言える部分に立つと、ゲットー側へと声を張り上げる。
「皆様、本日は公開オーディションへお越し頂きまして、誠にありがとうございます。
わたくし、進行役と通訳を務める"クラーン"と申します。短い時間ですが、どうぞよろしく。
…ああ、勘違いなさらないで。座長を筆頭に、我々は本名とは別の名を使用しているのです。
我が劇団『Schwarze Vogel der Ruhe』は、日本語では『沈黙の黒鳥』と訳します。
本家『プロイセン王立劇団』の精神に則り、我々が通常使用する言語はプロイセン語。
しかし今回はオーディションも兼ねておりますので、僭越ながら、わたくしが通訳を務めさせて頂きます。
それでは早速…座長の"カナリア"から、簡単な挨拶と説明を」
彼女の声に応えるように、舞台の裏から1人の女性が出て来た。
すいと流れるような仕草で腰を折った動作からして、非常に洗練されている。
長く黒い髪と、同じく黒で纏められた服装。
ブリタニア人であろうが、黒髪というのは珍しい。
「…あれが『黒鳥』か」
キョウトを束ねる六家の少女を、藤堂は昔からよく知っている。
女の子らしく綺麗なものや可愛いもの、楽しいものが大好きな彼女が夢中になって騒いでいた、原因。
藤堂の言葉に対し、卜部も納得したように頷いていた。
「はー…。皇のが騒ぐのも、これは無理ないですね」
"カナリア"という名の美しい女性は、にこりと微笑むと口を開いた。
彼女の言葉を追い、クラーンという女性が同時通訳をしていく。
「『皆様、本日は公開オーディションへお越し頂き、誠に有り難うございます。
私の左手にある、このステージ。本日はこの場で、選考に残った方に演じて頂きます。
それがどのような結果となっても、暖かい声援と拍手でお送り頂くことを、私より皆様へお願い申し上げます』」
口上を述べた彼女は、すぐ脇に立つステージへ上った。
「『ではこれより、第二次オーディションを行います。使用出来る道具は、ここにあるものだけ。
机が1つ、椅子が1脚、そしてステージ全体の空間。持ち時間は、1名につき最大15分。
脚本はありません。指示も出しません。ただ、ここで演じて頂きます』」
観客の間から、戸惑うような言葉にならない声が漏れた。
ステージの前で出番を待つ、オーディション参加者からも確実に漏れただろう。
カナリアは分かっている、とばかりに片手を軽く上げ、戸惑う声を制する。
「『もちろん、これでは意味が分からないでしょう。
ですからこれより、手本ではなく一例として、私がこの場で演じます。時間は5分間』」
言い終えるなり、彼女はステージの反対側へ歩き出した。
通訳をしていたクラーンが、合わせてステージの裏へ引く。
反対側の階段を数段下りたカナリアは、途中でくるりとステージ側へ身を反転させた。
彼女が何をしようとしているのか、さっぱり分からない。
…観客の意表を突くことは、演じる側にとってマイナスになるとは限らない。
カナリアはクスリと笑みを零し、指を鳴らした。
ばちん!という音に弾かれ、場が静まり返る。
卜部は自分たちよりも前でステージを見ている、千葉と朝比奈が黙ったままであることに気がついた。
「おい、朝比奈?千葉?」
小声で呼ぶが、返事がない。
どうやら釘付けとなってしまっているようだ。
(珍しいこともあるものだ…)
そのままにしておけ、と藤堂は彼へ視線で伝え、自身もステージを見遣る。
(あの瞬間に、場を支配したのか…)
藤堂はカナリアという人物の持つ一種の才能に、感嘆と共に僅かな恐ろしさを感じた。
見えない位置へ巧みに潜んでいる藤堂たちに、カナリアが気付くはずもない。
彼女は宣言通り、5分間の演技を始めた。
まずは階段とステージの継ぎ目にあたる空間の境目で、宙をノックする。
当然ながら、音が出るはずもない。
しかし誰もの予想に反して、コンコンというノック音が響いた。
…ノック音の正体は、彼女がパンプスの踵で階段の板を軽く打ち付けた音。
さすがに蝶番が軋む音は無かったものの、カナリアは確かに『ドアを開けて』ステージという『部屋』へ入った。
彼女は『部屋』の中をぐるりと見回して、腕を組み首を傾げる。
遠目でよく見えないが、眉を寄せているらしい。
「誰か待ってるんですかね?」
「誰かが居るはずだったんじゃないか?」
藤堂に漏れ聞こえてきた声は、黙り込んでいた千葉と朝比奈のものだった。
思っていた以上に、引き込まれているようだ。
再び藤堂がステージへ視線を戻すと、カナリアは『居ない誰か』へ呆れたように肩を竦めていた。
机の脇を通り、反対側へゆっくりと歩く。
そしてステージの端に近い位置で足を止め、観覧側へ背を向けた。
彼女が見ているのは、背景でもあるステージを支える壁。
その壁へ向けて指を泳がせていたかと思うと、徐に何かを引っ張り出す。
「…本ですね」
「本を選んでいたんだな」
観客に見えたのは、『本』を物色する姿だ。
カナリアの一連の動作により、壁際に『本棚』が出来上がる。
その後も何冊か入れ替えた彼女は、内1冊を読みながら椅子に腰掛けた。
…何事も起こらず、時間だけが過ぎる。
紙を擦る音はせずとも、彼女の手は何枚か頁を捲っていた。
そこでまたもコンコンというノック音が響き、彼女は本を閉じてドアへ向かい、開ける。
ドアを途中まで開けて、『外』の相手と喋っているようだった。
最後にまた呆れたように肩を竦めた彼女は、ドアを閉め『外』へ出て行く。
カナリアの姿が舞台裏に消えたところで、またパチンと指鳴りが響いた。
「え、アレで5分?」
我に返った朝比奈が、自分の腕時計を見る。
ステージの裏から、再びカナリアとクラーンが現れた。
「『如何でしたでしょうか?指定された事柄以外に必要なのは、周りへの配慮です。
それさえ守って頂ければ、内容は問いません。私が演じたように、無言である必要もありません。
…では、始めましょうか』」
そうして、オーディションが始まった。
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大アルカナ・節制
2007.8.31