19、TEMPERANCE(逆位置:無感動、機械的、不器用)
久々に学園へやって来たカレンは、その足で生徒会室を訪れた。
今日ここへ来た目的は、授業を受けることではない。
扉を開けると、運良く目的の人物が居た。
「…会長」
「あら、カレン。シュタットフェルトのお嬢様がサボり?」
意地悪げに笑って、ミレイは広げていた書類を手早く纏め上げた。
カレンはそっと生徒会室へ入り、扉を閉める。
「あの、会長…」
「ん、なぁに?」
ポンと自分の向かい側の机の端を叩き、座るよう勧める。
戸惑い気味に腰を下ろしたカレンは、静かにミレイを見つめた。
ややあって口を開く。
「『Schwarze Vogel der Ruhe』の、本拠の場所を教えて頂けませんか?」
ミレイはぱちりと目を瞬いた。
「それは良いけど…何しに行くの?役者志望じゃないわよね」
茶化すミレイに、カレンも苦笑を返す。
「役者を目指すほどの演技力は、ありませんから」
そんな綺麗な理由なら、どれだけ良かっただろう。
表向きはブリタニアの名家、シュタットフェルトの令嬢として行っても、用向きは紅月カレンなのだ。
不思議そうにこちらを見ていたミレイが、にっこりと満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、一緒に行きましょうか?ちょうど私も、他の人に聞かれたくない用があるの」
「え、あの…でも、」
「気にしない気にしない!お邪魔になったら途中で退室するから、安心しなさい!」
そのときに、気付くべきだったのだ。
彼女が机に広げていた書類が、ブリタニア皇族についての極秘条項であったことに。
制服では目立つから、とミレイに服を貸し出された。
彼女の言うとおりまだ昼過ぎなので、悪目立ちすることは想像に難くない。
…シンジュク租界の端、ゲットーとの境。
ただの住宅街に見える軒並みの中に、目的の場所は在った。
『Schwarze Vogel der Ruhe(沈黙の黒鳥)』
『御用の方は遠慮なくどうぞ』
門に掛けてあるプレートを見て、カレンは令嬢らしからぬ反応を示した。
「…何コレ」
確かに、役者向きではないだろう。
クスリと笑みを零したミレイは、文字通り遠慮なく門を押し開け玄関の扉を叩く。
「ちょっ、会長?!」
さすがのカレンも慌てた。
しかし当の本人は、当然とばかりに胸を張っている。
「許可されてるんだから、遠慮なんてしなくて良いのよ」
カチリ、とロックの外れる音がした。
これまた遠慮なく家の中に入って行くので、カレンも思い切って彼女の後に続く。
(…何なの、ここ。何も無いじゃない)
足を踏み入れて初めて、違和感を覚えた。
人の住んでいる気配が希薄で、最初から空き家だったような感覚さえある。
「いらっしゃいませ、ミレイ様」
廊下の少し先に受付のような箇所があり、そこに居た金髪の女性が営業スマイルを浮かべた。
ミレイもにこりと笑みを返す。
「こんにちわ、ライアーさん。妙な時間に押し掛けてしまい、お許しください」
「いいえ。そちらのお嬢さんも?」
ライアーという名前らしい女性は、カレンの姿を目に留める。
「あ、えっと…すみません、いきなりお邪魔して。カレン・シュタットフェルトと申します」
忘れていた、と慌てて頭を下げる。
ミレイがちらりと視線を寄越したので、カレンも頷いた。
2人とも、目的の人物は同じだ。
「早速で申し訳ないのですが…金糸雀さん、いらっしゃいますか?」
机の役割を果たす代わりに展開された、大判の電子地図。
存在を示す丸と三角の図形に、小さく脇に並ぶ別の場所の地図。
その地図たちの上に、画面を遮るように紙の束が2、3ほど積まれている。
カナードは地図の向こう側に座る第2皇女と騎士と副官を見遣り、眉を寄せた。
「俺に何をさせたいんだ?」
今日も今日とて、第2皇子の特派に入り浸っていた。
…あの部署は、様々な意味で退屈しない。
カナード自身も機械工学の知識に強いものだから、特派の面々は困惑するどころか喜ぶ始末。
主任があんな人間だから、変わった人間しか集まらなかったのだろうかと時々思う。
まあ、それはともかく。
ちょうどロイドの、ランスロット自慢を聞かされていたときだ。
コーネリアの副官であるダールトンが、カナードを主の要請の元に呼びに来た。
断る理由も無かったので(地位も相手が上なことだし)要請に応じる。
そして連れて来られたのがこの、皇族車両であるG-1ベースだった。
コーネリアは立ち上がり、カナードの向かいで地図を見下ろす。
「思い出しただけさ」
「何を」
「お前だけが唯一、シュナイゼル兄上をチェスで負かしたことがあると」
「は?」
「クロヴィスは常に負けていた。…ルルーシュは、クロヴィスには勝っていたが兄上には勝てなかった。
私やユフィは、まずチェスが苦手だったな。お前の弟も、そちらは苦手だった」
そこで、何の話か掴むことが出来た。
「…いちいち回りくどいな。だから何だってんだ?」
渋い表情を隠そうともしていないコーネリアは、ようやく言った。
「お前なら、『ゼロ』の手が分かるかもしれないと思ったのさ。カナード」
10分ほど、応接室で待たされた。
たったそれだけの時間で済んだのは、単に運が良かったのだろう。
「お待たせ致しました」
やはり金糸雀の、彼女の存在は場を変える。
ミレイとカレンは立ち上がり、頭を下げた。
「突然にお邪魔してしまい、申し訳ありません」
「いいえ、お気になさらず」
優美な仕草で2人に座るよう即し、金糸雀自身もソファに腰を下ろす。
「して、名家のご令嬢がお揃いのようですけれど…?」
爵位を持たず、エリア11に本家を置くブリタニアの名家。
アッシュフォードとシュタットフェルトは、その最たる名と言える。
カレンはミレイを見た。
「会長。お先にどうぞ」
「あら、良いの?あ、カレンも居ていいから。大したことじゃないし」
浮かしかけた腰を、制されてまた下ろす。
だがミレイは発した言葉とは正反対に、柔らかな笑みと眼差しを表から消し去った。
彼女のその表情は初めて見るもので、カレンは知らず息を詰める。
ミレイは真剣な面差しで、カナリアへ尋ねた。
「ルルーシュがどこで何をしているのか、お教え頂けませんか?」
紙束を見る限り、今までの対『黒の騎士団』についての話だろうか。
コーネリアは机に置いた拳を握りしめた。
「クロヴィスは惨敗、最初の犠牲者となってしまった。私も惨敗だった。
ナリタでも、先日の作戦でも。確実にこちらが有利であるにも拘らず、だ」
こうして自分の負けを認められることが、強さの一因だろうか。
少なくとも『ブリタニアの魔女』は、敗北から学ぶ術を心得ている。
しかしタダで講釈してやるほど、カナードは甘くない。
にやりと笑って第2皇女を見返す。
「俺も『ゼロ』に興味があるから別に良いが、条件がある」
「何だ?」
「俺が何を言おうと、そちらの権威を振り翳さない。俺だけじゃなく、俺に関わる人間すべてに対して…だ」
「なんだと?」
「ハッ、当然だろ?俺はこの8年、皇族とは無縁だった。権力なんて無縁の実力世界だからな。
今の俺が持ってる継承権が何位だと思ってる?国是はその身に染み付いてるだろうが」
「…そう言う割に、ものを頼む態度ではないようだがな」
「へぇ?なら特別に、お前が『ゼロ』に敗北する理由の1つをタダで教えてやろうか」
「なに…?」
堪え切れない笑みを、無理矢理に噛み殺した。
カナードはコーネリアを正面から見据え、告げる。
「そうやって、自分が有利だとしか考えないからだ。『ゼロ』の頭脳に2度も負けている人間が」
それを傲慢と言わずに何と言おうか。
自分もその部類だと臆面もなく言い切れるが、カナードには他の皇族には無い8年分の蓄積がある。
まったくの零からここまで昇ってきた、その実力に伴う自負と他者の評価がある。
他の皇族に無い蓄積は、ルルーシュや実弟である第10皇子のキラも同様だ。
(まったく、その好戦的な性格は全然直らねーな…)
シュヴァーンは主の斜め後ろで、呆れたように一触即発の空気に近づく場を眺めていた。
コーネリアの騎士たちの睨むような視線を感じるが、気にしない。
(ひょっとして、弟殿下もこんな感じなのか?)
キラ・イーグという名の皇子には、まだ会ったことがなかった。
そんなことを考えていると、不意に携帯のバイブが鳴る。
出てみれば、相手は金糸雀だった。
「殿下」
呼び掛けて振り向いたカナードに、携帯電話を投げ渡す。
「誰だ?」
「ナーリエ。予期せぬ来客をどうするかって」
金糸雀がわざわざ知らせて来るほど、意外な客なのだろう。
カナードはちらりとコーネリアを見遣ってから、電話に出た。
ミレイの眼差しを受け止め、金糸雀は微苦笑する。
「…主が、何か申しましたか」
連絡を入れておいて正解だったと、彼女は心の内だけで呟いた。
「そう…ですね。いえ、気付かされたと言うべきでしょうか」
ミレイは湯気を上げ香る紅茶に視線を落とす。
「私の認識が甘過ぎました。妹が学園に居るのだから、学園から出て行くことなどないと。
失念していました。羽根を切られていない鳥が、必ず飛び立つことを」
「……」
「私はどんな方法を使っても、あの子たちを護らなくてはならない。8年前に出来なかったからこそ」
カレンは瞠目してミレイを見た。
この生徒会長は、一体誰の話をしているのか。
「会長、ちょっと待って下さい。貴女が言っているのは、ルルーシュのことですよね?
護るって、どういうことですか」
答えるための言葉を探さないミレイに、苛立つ。
思ってもみない怒りの感情が、カレンに言葉を続けさせた。
「なんで、なんであんな奴を守る必要があるんですか?!
あんな…世界を斜めに見て、一生懸命生きている人を嘲って、皮肉って嘯く最低な奴を!!」
その刹那、空気が凍る。
金糸雀は純粋に、凍らせた人間のその鋭さが讃えるに値すると感じた。
「黙りなさい」
こちらを見据えた目、吐き出された一言。
視線に射抜かれたったの一語に貫かれ、カレンは息を呑み込んだ。
身体が硬直する。
ミレイはカレンに据えた目を細め、抑揚無く告げる。
「残念ね。ブリタニアと日本のハーフだからこそ、貴女は人を表だけでは判断しないと思ってた」
彼女との付き合いは、長くはない。
けれどカレンは今、目の前に居るミレイ・アッシュフォードという人間に戦慄した。
(この目は、なに?)
『黒の騎士団』の幹部である自分が、日本を取り戻すための覚悟を決めているはずの自分が、気圧される。
蛇に睨まれた蛙のように、金縛りから抜け出せない。
こちらを凝視し続けるカレンから目を離し、ミレイは再び金糸雀を見た。
「教えて下さい。もう私の力では…届かない」
レガッタブルーの目に込められていたのは、懇願に近い光。
金糸雀はそっと息を吐き、彼女へ微笑んだ。
「私に許された範囲でならば、お教えすることも出来ましょう。
けれどそれは、ほんの少しお待ち頂けますか?」
そう言って、驚愕から抜け出せていないカレンに問うた。
「カレン様。"本音と建前"という言葉を、ご存知ですか?」
←
/
閉じる
/
→
大アルカナ・節制
2007.11.22