4.
中華連邦エリア11総領事館。
カレンは『ゼロ』の執務用として用意された部屋で、ようやく詰めていた息を吐き出した。
(扇さんたちを、助け出せた…!)
すべてをたった1人でこなしたのは、『ゼロ』だ。
あんな作戦は誰も思い付けやしないし、まさか実行などもっての他。
扉を開ける音に振り返れば、2年前から見慣れた姿が在った。
(『ゼロ』…ルルーシュと、C.C.)
ちりちりと、カレンの胸の内で何かが焼き切れそうな音がする。
バベルタワーでルルーシュに再会してからずっと聞こえるその音は、日増しに大きくなるばかりだ。
「まったく。またあいつらに文句を言われるぞ」
「なぜお前が怒るんだ?」
「私が文句を言われるからに決まってる」
何の話をしているのだろうか。
仮面を外したルルーシュとC.C.は、ソファに腰掛けながら何やら言い合っている。
(なに、これ…)
カレンは知らず眉を寄せた。
この、言い様の無い不安は何だろう。
この焦燥感と疎外感は、どこから来るのだろう。
それらを振り切るように、問いかける。
「ルルーシュ」
こちらに向けられたアメジストと同じく、琥珀の瞳もまたこちらを見つめた。
不安が、増す。
「何だ? カレン。これからのことは追って指示すると伝えただろう?」
作戦が成功したからだろうか。
どこか上機嫌な彼に、塞き止めるはずの言葉が溢れ出た。
「私は、貴方を信じていいの?」
ぷつん、と何かが焼き切れた。
目を丸くして口を開いたのは、ルルーシュではなくC.C.だった。
「何を言っているんだ? お前は」
心底分からない、と可愛く首を傾げてみせる。
ルルーシュはすでに回答を任せてしまったのか、カレンを見ていない。
きょとりとした顔で、C.C.は続けた。
「信じるも何も、お前にそんな権利は無いじゃないか」
今この部屋に居ることも、そんな言葉を問うことも。
『ゼロ』と『魔女』を知っていることも、素顔を知っていることも。
1年前のことも、学園のことも、なにもかも。
それらを"知っている"ことは、どのような利にもなりはしない。
「…え、」
何の、話なのか。
言葉を絞り出そうとしたカレンを遮るように、扉を叩く音がした。
「誰だ?」
カレンには聞き取れなかったが、問いかけに応えたのは男の声のようだ。
「入れ」
ルルーシュが許可を出したそこで、我に返る。
「ちょっ、貴方、仮面は…!」
彼は腕に抱いたままの仮面を、付けようとはしなかった。
新たに誰が入って来るのか知れないというのに。
だがこちらを振り向くことさえなく、返って来た言葉は。
「必要ない」
ああ、何だというのだろう!
カレンは現状について行けず、両の拳を握りしめるしかない。
入って来たのは、この領事館を預かる大宦官とやらの、副官だという男。
名は、黎星刻と言ったか。
『ゼロ』の素顔を見て驚くのかと思えば、そのような素振りはまったく無い。
加えて、ルルーシュが男へ向けた笑みに、引き摺り込まれた。
(…なによ、これ。私たちには、1度だって)
絶対の信頼と相手に安堵することで生まれる、無防備で偽りのない笑み。
彼の妹も、これはきっと知らないだろう。
そんな確信さえも持たせるほどの。
「久しぶりだな、星刻」
ルルーシュは傍に跪いた男の頬へ手を滑らせ、そっと囁く。
その様を見たC.C.が、苦笑気味に呟いた。
「…お前は、その男に触れることだけは本当に好きだな」
私には手など伸ばさないくせに。
それは言う迄もなく立ち位置の相違なのだが、不満の有無とは別問題だ。
たとえばユーフェミアと"もう1人"にも彼はよく触れるが、星刻の場合とは意味合いが違う。
かといってルルーシュも自分たちも、それらを変える気など毛頭ないのだから始末に負えない。
楽しそうに微笑んでいるのだから良いか、と完結されてしまうのだ。
C.C.の言葉にルルーシュは笑みを返し、星刻へ問う。
「…どうだ? お前から見て、このエリアは」
国とは言わず、エリアと。
それはルルーシュの、"世界"の捉え方でもあった。
星刻は答える。
「貴方が居ただけあって、随所に"歪み"がありますね」
最高の褒め言葉だと、ルルーシュは笑った。
自分に触れていた彼の手を取り、星刻はすらりと伸びた白い指先に口づけを落とす。
「先ほど、外で貴方への伝言を預かりました」
「伝言?」
C.C.と同じくルルーシュの向かいにあるソファへ腰掛け、星刻は続ける。
「『今回のアリバイは不整合だから、夕方には戻ってくれ』と。
ブリタニアのKMFに乗った子供でしたが」
「ああ、そういえば…」
意味が分からず、C.C.は視線を宙に彷徨わせる。
「アリバイ? ああ、お前はまだ学生だったな。とっくに辞めたかと思っていたよ」
「なぜ?」
「邪魔だろう。いずれ中華へ渡るのなら」
「否定はしないが、エリア11でなければ出来ないことがある」
「ほう、たとえば?」
「差し当たっては、全員の顔合わせだ。無理な者も居るが」
それは、とても小さな『世界』の話。
領地はない。
民もない。
けれどそれは、確かに『世界』だった。
たった1人が動くだけで、この世界すら動揺するのだから。
カチリ、と扉を開ける音がして、カレンはぎょっと出て来た人間を見上げた。
「なんだ、腰が抜けたか? 紅蓮のデヴァイサーが聞いて呆れる」
ライトグリーンの髪を掻き揚げ、C.C.は彼女を嗤った。
カレンが部屋を出て行ったのは、ルルーシュが星刻と言葉を交わし始めたとき。
ルルーシュは背を向ける位置に座っていたが、C.C.には彼女の行動がすべて見えていた。
もちろん、彼も星刻も気付いていただろう。
ただ、気に留めなかっただけで。
「ルルーシュと、あの男は?」
「邪魔は野暮というものだ。夜までは近づかない方がいいぞ」
どちらにせよ、『ゼロ』専用の部屋だ。
ここまで来れる人間は幹部まで、その幹部に自ら指示を与えれば良いだけのこと。
C.C.は暇つぶしをどうしようかと考える。
「…ねえ、あれはどういう意味?」
壁に沿ってずるずると座り込み、いったい何分が経ったのだろうか。
カレンはようやく、聞きたかった事柄を言葉に替えた。
足を止め振り返ったC.C.の、胡乱げな視線を感じる。
「私に、何の権利がないの?」
聞くのが恐い。
嘲る笑いが落ちて来た。
「なんだ、そんなことも分からないのか?『裏切り者』」
「!!」
サッと青ざめた彼女に、C.C.はなおも言葉を連ねる。
ただし、手加減をしなければならない。
ここで紅蓮弐式という騎士団最強の駒を失えば、面倒なことになってしまう。
「結果はどうあれ、お前はルルーシュを裏切った。それだけだ。他に何の理由がある?
あの裏切りが、枢木を欺くものだったとでも言うなら話は別だが」
まさか。
ルルーシュではあるまいし、そんな器用なことは出来まい。
それだけを残し、C.C.は騎士団の人間が待つ大広間へと足を向けた。
声を絞り出そうと必死になるカレンの姿は、まるで酸欠の鯉だった。
『ゼロ』の正体が誰であれ、自ら立てた誓いを破らなければ…"龍"に成れたであろうに。
紅き剣の失墜
残念だよ、本当に。
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08.6.8