6.




『天子。君には、この空は何色に見える?』
『青色』
『そうか。じゃあ、この朱禁城の外の空は、青いか?』
『え? 青くないのですか?』
『答えを出すのは俺じゃない。君は自分が見たことのないものを、人の言葉だけで判断するか?』
『…してはいけない、と教わりました。あなたに』
『そうだな。ならばどうする?』
『自分の目で、確かめる』
『良い答えだ』
『でも、わらわは外には…』
『それはまだ、考えなくて良い。だから、今言った言葉を忘れるな』

またいずれ、お会いしましょう。
中華の幼き応龍。



ブリタニアの第1皇子オデュッセウスと、中華連邦皇帝・天子の婚約披露宴。
招待を受けた天子の友である皇神楽耶と共に現れた、稀代のテロリスト『ゼロ』。
顔が見えないということが恐ろしさを増幅させることを、天子はそのとき初めて知った。
(っ、恐い…でも、)
ちらちらと、その姿に重なるものが在る。
隙の無い立ち姿に、美しい仕草に、強い言葉に。
第2皇子シュナイゼルとのチェスの対局を終えた『ゼロ』を、画面越しに見つめる。
(チェス…)
半年ほど前まで、この朱禁城のさらに奥の宮には賓客が居た。
その"彼"がはっきりと欲しいと示した唯一のものが、チェスセットだった。
(ここに星刻がいれば、聞けたのに)
神楽耶と赤毛の少女と共に退席しようとした『ゼロ』が、思い出したように天子とオデュッセウスを振り返る。
「失礼。今夜はあなた方の祝いの席であるというのに、祝いの言葉を忘れていました。
まあ、私などの言葉は必要ないでしょうが…1つだけ」
中華の衛兵もブリタニアのラウンズも、『ゼロ』には居て居ないのと同じなのだろうか。
わずかも揺らがない姿に、天子はそんなことを思う。
(…仮面)
隔てる仮面は何を意味するのかと考えた時。

「天子様。貴女に伺いたいのですが、よろしいですか?」
「えっ、は、はい!」

驚きに反射で答えを返し、宦官たちが苦い顔をしたことに気付いた。
ブリタニア側は、どうやら傍観に徹するらしい。
そうして『ゼロ』は、天子へ問うた。

「では天子様。貴女がこの朱禁城から見上げる空は、他国の空と同じ色ですか?」

目を見開く。
(その、問いかけは…)
『ゼロ』の隣で、神楽耶が天子に微笑んだ。
周りでは無意味と思われる問いに、誰もが困惑しているのに。
(…カグヤは、『ゼロ』を信じてる)
その直感に、自然と言葉が口を突いた。

「分かりません。わらわは、この城を出たことがありません」

すると『ゼロ』は笑った。
「…素晴らしい答えだ。安心しました」
心無しか、愉快そうに。

では御機嫌よう。
中華連邦とブリタニア帝国の、今後の友好を願って。

(さすがだなあ…思ってもいないことをさらっと)

ラウンズとしてシュナイゼルの傍に控えていたジノは、表情を崩さぬよう神経を尖らせる。
そうでもしなければ、今にも笑みを浮かべてしまいそうだ。
(シュナイゼル殿下は、ルルーシュ様の異母兄。一度もチェスで勝てなかったと言っておられたが…)
今回の対局。
あれは確実に、ルルーシュの勝利であった。
ただ、シュナイゼルが皇帝と同じ傲慢さを発揮しただけ。
(そう。この礼は、いずれ)
今はまだ。
いずれ来る、そのときを心待ちにしよう。





奥の宮へと続く回廊でふと立ち止まり、天子は星の瞬く空を見上げた。
(外の世界の夜空も、星の数が同じなのだろうか?)
欠けた月が輝く。
「…天子様。お呼びですか」
声に振り返れば、相手は片膝を付きこちらと目線を合わせてくれた。
「星刻…。今日の話は、聞いたか?」
「はい。『ゼロ』が現れたと」
か細い月明かりは、長い闇色の髪を照らし出せない。
(あの方も、黒い髪だった。けれどきっと、白い服もよく似合う)
この場で無意味な事柄を思い、改めて星刻を見つめた。

(…なぜ、遠く見えるのか)

夜だからであろうか。
彼の姿が、闇に溶け易い為だろうか。
それとも自分が、この中華を離れるからだろうか。
皇帝であるのに、自国ではない敵国へと赴く為だろうか。
それとも。
「星刻」
「はい」
なぜそう問おうと思ったのか、後になっても天子は解せない。

「そなたのあるじは、わらわか?」

問われ即答しなかったことに驚愕したのは、星刻自身だった。
(なぜ、応えられない…?)
理由など、考えずとも知れていた。
押し黙る星刻に、天子は嬉しいような哀しいような、そんな複雑な気分を味わう。
けれど、不思議と悔しくはない。
(むしろ…)
羨ましい、と思った。

「…チェスセットを、あの方はどこにしまわれたのだろう?」
「は?」
「今日、『ゼロ』とブリタニアの第2皇子が、チェスをした」
「…!」
そこまでは聞いていなかったのだろう。
星刻が目を見張った。
天子はそのとき、隣に立っていた神楽耶の姿を思い浮かべる。
「カグヤが、笑って怒っていた。"我らに対する侮辱だ"と」
「…それは?」
「黒のキングの前に、第2皇子がわざと白のキングを進めたから」
「!!」
侮辱どころでは、ない。
星刻のその拳が堅く握られる様を見て、天子はやはり、羨ましい、と思った。
だからこそ、『ゼロ』の仮面の下が分かる。

「星刻。わらわは…ブリタニアなどに行きたくない。
あんな、何歳年上かも分からぬ男とけっこんなど、絶対にいやだ」

ああ、言ってしまった。
だが出てしまった言葉は、止まらない。

「"あの方"はおっしゃった。空の色が分からぬなら、自分で確かめればいいと。
けれどわらわが何を言っても、かんがんは絶対に聞かない。
わらわはこの中華の皇帝だ。けれど、中華の民をわらわは見たことがない」

本当に、見たことが無いのだ。
強いて言えば宦官や星刻といった武官、つまり朱禁城に仕える者だけだ。
(あの、仮面の下を見れたなら。どれだけ心強かったか!)
怖い思いをしているわけではないのに、涙が出て来た。

「中華の民をわらわが知らないのに、民がわらわを知るわけがない!!」

自分が他国へ嫁ごうが居なくなろうが、きっと国民にはどうでも良いことだ。
ありありと明日以降の様子が目に浮かび、ぞっとする。
…皇帝とは、より良い国を創るべく定められた者。
奥の宮の賓客には、多くのことを教わった。
それを1つとして体現出来ない己がとても恥ずかしくて、悔しくて、天子はついに両手で顔を覆った。

「星刻…、わらわは、"あの方"にあいたい。ルルーシュ様に、逢いたい…!!」

形骸化し、人形と化した中華連邦の"天子"。
それを変えるにはあまりに歴史が長過ぎ、そして少女は幼すぎた。
少女が望む人物もまた、未だ齢20に至っていないというのに。

(世界は、こうも歪んでいるのか…)

少なくとも星刻の知る『世界』は、歪んでいた。
涙は世界の渦に

空が見えぬと泣く幼子に、龍の荷は重過ぎた。

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08.6.15 / 改訂11.7.24