7.




−−−約束をした。
いつか、朱禁城の外を見せてくれると。





朱禁城内、儀式に用いられる迎賓館。
厳戒態勢の布かれたその館は、限られた者しか立ち入れない。
招待状を手に堂々と入城を果たしたブリタニア帝国第二級指名手配犯は、袴の裾を気にしながら会場を見回す。
目当ての後ろ姿を見つけ、"彼女"は満面の笑みを浮かべた。
軽い足取りで前から3列目の席へ回り、ストンと空いている席に腰を下ろす。

「貴方ほどこの場に似合わぬ人間は居りませんわね、スザク」

驚くような視線と、猜疑の視線を同時に感じる。
皇神楽耶は、隣に座る『7』の騎士へ視線をくれることなく話し続ける。
「ねえスザク。お式が始まるまで、少しお話ししましょうか」
「…話すことなんてないだろう」
無感情を装う返事に、笑顔のままで答えた。
「では、話さなくて結構です。わたくしにはあるのですから」
2人の会話はざわつく会場の雑音に紛れ、聞こえない。

日本古来の正装に身を包み、幼い頃から人の上に立つ者として、己を装うことを覚えた。
そんな神楽耶の完璧な微笑に、誰も疑いなど抱かない。
壇上の2種類の国旗を見上げながら、神楽耶は言の葉を紡ぐ。
「覚えていますか? 昨日、わたくしが"言の葉で人を殺せれば"と言ったことを」
「……」
「冗談などではありませんよ。わたくしは、心底貴方が憎いです。名前を呼ぶことすら厭うくらい!
桐原翁の処刑を"仕方ない"と言った貴方には、もう日本人としての心さえ亡いのですね」
計算は完璧だ。
『7』の騎士が反論を口にしようとしたそこで、式の始まりを告げる銅鑼が鳴った。

(日本を売った愚か者。どうせ、歪んだ理想を吐こうとしたのでしょう)

こんな男が従兄弟だなどと、僅かでも血の繋がりがあることに吐き気がする。
神楽耶はそっと、和装の袂を引き寄せた。

これから起きることを、知っている。
そこにどのような思惑があるのか、想像がついている。
だから神楽耶は、その枠からはみ出さない程度に、己の思うままに行動しようと思ったのだ。



さあ、幕が上がった。



突然に結婚式場に乱入して来た、中華の兵士たち。
誰かがクーデターだと叫ぶ。
兵士たちの先頭に立つ星刻を見た天子は、ああ、と思った。

(約束を、守りに来てくれたのか)

大混乱に陥った式典会場。
新郎であるブリタニアの皇子が自国の兵士に囲まれ、下がる。
列席者である大宦官たちが、慌てふためき兵を呼ぶ。
壇上に1人ぽつんと残された天子は、己の右手の小指を見つめた。
…名前は知らない、約束の仕方。
(わらわは、もうこれで十分だ)
本当に、来てくれただけで、もう満足だった。

「星刻!」

小指を見せるように立てて、大きく手を振る。
闘いながらもこちらを見た彼の、驚く顔。
それがとても珍しいものだと知っているから、天子はくすりと笑みを零した。
そっと右手を降ろし、大きな声で告げる。


「星刻! そなたのあるじは、わらわではない!」


縛られるな。
空の色を知る龍が翔るべき地は、此処ではない。
その、強く逞しい翼で助けるべきは、

(どうか貴方は、ルルーシュ様と共に)

胸に小さな痛みが走ったことを、天子は気付かない振りをした。
それが初めての恋であったと、彼女は自分の宝石箱に、大切に大切に仕舞い込んだのだ。



バサリ、と天子の視界が閉ざされる。

「…小指で交わすのは、固い約束。外の空を見る約束ですか?」



ハッと隣を見上げれば、そこには『ゼロ』が立っていた。
まるで、手品のように。
すぐに明るくなった視界の向こう、あらゆる人間の驚く顔が見えた。

「            」

天子が思わず呟いた言葉は、幸いにも『ゼロ』以外には届かなかった。
相手の、苦笑する気配がする。
『ゼロ』は会場の奥へと続く通路に未だ留まる第2皇子へ、声を投げた。

「第2皇子シュナイゼル。私を侮辱した礼は、また改めてさせて頂こう」

与えられた勝利など、屈辱以外の何物でもない。
仮面越しに、ルルーシュはジノの姿を追い掛けた。
(…すまない。いつもお前を、一番酷な立場に立たせている)
策略の無かった8年前も、策略のある今も。
それでも、こちらを見て彼が笑ったと感じたのは、己の気のせいではないと確信する。
(やはりお前には、明るい場所が似合うな)
相手を縛らぬ屈託のない笑顔という表現は、あの男の為にあるのだろう。
(…さっさと外に出てしまえ)
自分の思考が幼い頃のようで、ルルーシュは仮面の下で笑みを噛み殺した。



たとえばその場に、誰かが忽然と現れたら。
驚かぬ人間が居るだろうか?

居るとすればそれは、現れることを知っていた人間だ。



不意に現れた『ゼロ』に、枢木スザクは他の人間と同じく捕らえようという行動に出た。
『ゼロ』と『黒の騎士団』は敵であり、何ら不思議な行動ではない。
だがその行動が、完遂されることは無かった。
反射的に立ち上がった彼の耳に、ドスリという鈍い音が届く。
「…え?」
続いて感覚を支配したのは、紛うことなく痛覚だった。
脇腹から発される不快な痛みの先には、短い銀色の切っ先。
そして、女性らしく細い、ふっくらと柔らかみを感じさせる手。

見下ろした細い手の先を追えば、哀れみと蔑みを湛える孔雀緑と目が合った。
底冷えの、淀みさえ感じられない氷のような。

「日本人を殺し続けるのなら、その名を我らに返しなさい。"枢木"スザク」

刃を流れ伝う血が手に触れる前に離れ、神楽耶は一転して笑った。
「非力な女の細腕では、やはり殺せませんわね。昔から貴方は、身体の丈夫さだけが取り柄でしたもの」
不本意ながら、追われる身。
護身用の武器の1つや2つ、持っていない方がおかしいのだ。

「卑怯という言葉は使えませんわ。だって貴方は、もう日本人ではないのですから」

どれだけの日本人が、嘆いたか。
どれだけの日本人が、希望を失ったのか。
ブリタニアの騎士などに掛けうる言葉が、あるとでも思うのか。
だとしたら、それはなんて滑稽!



神楽耶が枢木スザクへ、何事か囁く姿が見える。
(潮時か)
『ゼロ』の仮面を被るルルーシュは、星刻が他の兵士すべてを叩き伏せるのを待った。
…未だ、シュナイゼルは会場から避難しようとしない。
(いったい何を見たいのでしょうね? "兄上"は)
いつだって余裕の表情を崩さない異母兄に、相変わらずだと笑みを深める。
鳴り続ける剣のぶつかる音に怯え、天子が『ゼロ』のマントを引いた。


キィン、と最後に落ちた剣が鳴る。
黒い手袋に覆われた手が、拳銃を天井に向けて1発。


銃声の反響を掻き消す轟音と共に会場の一角が崩れ、2機のKMFが現れた。
片方は誰もが知る紅いKMF、紅蓮弐式。
もう1機はラクシャータが新たに開発したKMF、斬月。

突然に現れたKMFには、星刻でさえも呆気に取られる。
動いた者は紅蓮弐式へ駆け寄った神楽耶と、ガクリと膝を付いた『7』のラウンズ。
ルルーシュは斬月を指し示した。


「黎星刻。これは、お前の役目だ」


『ゼロ』は天子をその場に残し、神楽耶と共に紅蓮弐式の伸ばした手に飛び乗った。
…それが、何を意味するのか。
瞬時に理解した星刻は、適わないと苦笑した。
ぽかんとしている天子に駆け寄り抱き上げると、斬月が伸ばした手に迷わず飛び乗る。
「天子様を奪還した。『黒の騎士団』は敵ではない」
手を貸してくれた同胞たちへ通信を入れ、星刻はさてどうしようかと考えた。

2機のKMFが、飛び立つ。

(…本当、羨ましいったらないな)
飛び去るKMFを、ジノ・ヴァインベルグだけはまったく別の感情で見上げていた。

早く、あの場所へ行きたい。





−−−約束をした。
いつか、朱禁城の外を見せると。
月に短剣、に恋

それはワルキューレのように

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08.6.14/改訂11.9.7