8.




騎士団の旗艦"斑鳩(いかるが)"へ、紅蓮弐式と斬月が着艦する。
「計画は予定通りだ。扇、引き続きプランAを続行しろ」
『分かった。ところで客人は…?』
無線向こうの副司令の問いに、ルルーシュは後ろに居る人物を見返った。
居るのは神楽耶と、星刻に抱きかかえられた天子。

「2人だ。天子様と、その側近」

その場に降ろされて立った天子は、戦艦の甲板という場所特有の風に煽られ、目を瞑る。
(すごい、風!)
朱禁城では、嵐が来ない限りこのような突風はなかった。
星刻に支えられながら、広く荒涼とした大地と地平線に目を凝らす。
(…広い)
遮るものは岩と砂、そして河。
天子はこの日初めて、中華連邦という大地をその目に映した。

(なんて、広い)

建物に遮られず、どこまでも続く空。
自分という存在の小ささに、ぞわりと言い様の無い感覚が走る。
「神楽耶様、天子様の世話をお願い出来ますか?」
「ええ、もちろん! さあ天子様、中へ参りましょう」
神楽耶に手を差し出され、天子は思わず彼女の向こうに見える『ゼロ』を見た。
気付いたらしい『ゼロ』が、軽く肩を竦める。
「黎星刻、貴方も天子様と共に来て頂きたい。知っている者がいるだけでも、不安は消える」
天子はそうじゃない、という抗議の言葉を、なんとか呑み込んだ。

一方で、天子のやや後ろに控えていた星刻は、強い違和感に僅かながら眉を顰める。
(厄介だな、これは)
言葉1つで、ここまで違和感を覚えるとは思わなかった。
それが正直なところだ。
しかし『ゼロ』がルルーシュである限り、その違和感を拭う方法は無い。


斑鳩は、中華連邦軍の追っ手を振り切る作戦地へ向かう。


「ゼロ様、中華連邦内で分裂しているというのは、やはり確実でしょうか?」
「そうですね。我々がインドからの支援を受けているのが、その証拠です」
「…残念ですわ。せっかく天子様に世界を見て頂こうと思ったのに…」

神楽耶が部屋に着くなり、世界地図を出して来たことには驚いた。
どうやら、天子に『世界』を教えたかったらしい。
彼女の問いに答えながら、ルルーシュは仮面越しに天子を見遣る。
(…落ち着いて来たか? いや、)
天子は世界地図を見てはいるが、上の空だ。
その手に持つ飲み物も、まったく減っていない。
(仕方がないな)
彼女はまだ子どもで、理由はどうあれ朱禁城の者たちの箱庭で守られてきた。
幼い頃から毒蛇の巣に放り込まれていた、"ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア"とは違う。

「神楽耶様。ここで、私の素顔を見る気はありますか?」

星刻を除き、少女2人はそろって目を丸くした。
またも無意識に名前を呟こうとした口を、天子は慌てて塞ぐ。
神楽耶はというと、きょとんと首を傾げたかと思えば、にこりと笑んで言った。

「いいえ。わたくしは退席させていただきますわ」

驚いたのは、天子だ。
「え…? カグヤは、『ゼロ』の顔を知らないの?」
そうですわ、と神楽耶は答えた。
「わたくしがゼロ様の素顔を拝見するのは、日本を取り戻しブリタニアを屈服させた後。
そのとき誰よりも先に、わたくしに素顔を見せて下さる約束です」
ですから、お邪魔虫は退散いたします。
部屋の出口へ向かおうとした神楽耶は、思い出したように振り返る。
「そうだ! ゼロ様、1つお願いがありますの」
「なんなりと」
少し考える素振りを見せた彼女は、天子の傍に控える星刻を見た。
「?」
何だろうか、と星刻は内心で首を傾げる。
神楽耶の楽しそうな笑みは変わらない。

「時間が空いた時で構いません。そちらの星刻様と、お話しさせて頂けませんか?」

彼女は無邪気な少女であるが、無知ではない。
人間の汚い部分も嫌と言うほど知っている。
(本当に、聡明な方だ)
過去に出会ったときとは、まるで別人のよう。
この分では、いろいろと悟られているのかもしれない。
ルルーシュは仮面の奥でそっと笑った。



部屋を出ると、中華連邦でもっとも数多く顔を合わせている人物に出会った。
「神楽耶だけか。ゼロはどうした?」
己と言う存在に絶対的な自信を持った、C.C.という名の女性だ。
高慢で高飛車な態度を常に取り続ける彼女は、騎士団内でも異質の存在。
『ゼロ復活』を指揮したのはC.C.で、けれど当人は"騎士団の仲間ではない"と言い切る。
けれど『ゼロ』に対する態度だけは首尾一貫して、傍に在り続ける者としての信頼があった。
「あら、C.C.さん。ゼロ様なら、天子様と内緒のお話だそうですよ」
神楽耶は、そんな彼女が嫌いではない。
「天子? …ああ、星刻も一緒なのか」
C.C.は神楽耶の出て来た部屋の扉を見つめ、納得するように頷いた。
どこか気安い物言いに、尋ねる。
「星刻様をご存知なのですか?」
三日月のように、C.C.の口角が上がった。

「ああ、よく知っているよ。付き合いは短いが、アレは誰よりも『ゼロ』に近い」

どういう意味だろうか。
問い返した神楽耶の言葉を、C.C.は笑って投げ返す。
「私はお前を買っているんだ、皇の。自分で答えを探し求め、『ゼロ』に対して一途に貫くその姿勢をな」
だから答えは自分で探せ。
ゼロに会うことを後回しにしたのか、C.C.はまたブリッジの方角へと戻っていった。





しん、と静まり返った部屋の中で、天子は膝を抱える。
(どうしよう…)
神楽耶は気を利かせて出て行った。
それが痛いほどに分かる。
(…どうしよう)
我が侭を言ってしまった。
正確には、言ってはいないけれどそのようにしてしまった、だろうか。
(ここは"せんかん"で、『ゼロ』はブリタニアの敵で、わらわはげいひん館から逃げて、)
きっと『ゼロ』も星刻も、こんなところで自分に構っている暇など無い。

カシャンという音に、天子は大袈裟なほどビクリとして顔を上げた。

外された黒い仮面。
すべてを隠してしまう仮面の下には、口元を黒のマスクで覆った綺麗な面。
初めて出会ってから天子が敬愛し続けている、奥の宮の賓客。

その、僅かに細められた最高位の紫がこちらを見た瞬間、天子は思わず顔を俯けた。
(怒られる…!)
朱禁城で彼に出会うまで、天子は誰かに叱られるという経験が無かった。
だからといって、甘やかされていたというのも違う。
ただ、咎められはしても、正面から己のしたことを叱責する者は居なかったのだ。
だから、ぎゅっと目を瞑ったのは反射的なもので。

彼の…ルルーシュの叱り方は、怒鳴りつけるようなものではない。
まっすぐに天子を見て、優しく諭すように叱った。
決して相手を怖がらせるようなことはしない、母親のように柔らかな笑みで。
それは間違いなく、怒鳴られるよりも本人に応える。
ルルーシュは、それを良く知っていた。

「天子」

とても近い位置で名を呼ばれ、天子は驚き目を開ける。
すると、こちらをまっすぐに見つめる紫と視線がかち合った。
いつの間にか、ルルーシュは天子の傍にしゃがんでこちらを見上げていた。
…柔らかな眼差しに絡め取られ、視線を外せない。
答えない彼女に焦れたのか、手袋に包まれていない綺麗な手が伸びてくる。
「!」
一度強張ってしまった身体と思考は、天子の言うことを聞かない。
硬く目を閉じぎゅっと小さな手を握り締めた少女に、ルルーシュは苦笑を隠そうとはしなかった。
「天子」
もう一度優しく名を呼べば、そろりと瞼が揺れ動く。
(本当に、仕方がないな)
苦笑を浮かべながら、ルルーシュは静かに天子の頭を撫でた。


「よく、頑張ったな」


ハッと目を見開けば、そこに在ったのは綺麗で優しい笑顔。
温かなもので天子を包んでくれる、天子の大好きな彼の表情だった。
大きくルルーシュの姿を映した瞳は、溢れたものですぐに霞む。

「ルルーシュさま、」
「なんだ?」
「こわかったんです、」
「ああ」
「いやだったんです、」
「そうだな」

湧き出る泉のように、次から次へと涙が溢れ出した。

「ずっと、こわかったんです。ルルーシュさまが…居なくなってから、ずっと」
「うん」
「いろんなことを、いっぱい教えてもらったのに。何も、出来なくて、ずっと」
「…うん」
「くやしかったんです。どうして何も、出来ないのか…分からなくてっ」
「うん」

こんな泣き顔を見られたくなくて、溢れるものを堪え切れなくて、天子はルルーシュへ抱きついた。
天子の視線に合わせてしゃがんでいたルルーシュは、なんとか彼女を抱きとめる。
幼い少女は、力の限りに泣き叫んだ。


「こわかったんです! いやだったんです! くやしかったんです!
ずっとずっと、ルルーシュさまに、逢いたかったんです…っ!!」


空の色のこと。
外の世界のこと。
歪んだ人の心のこと。
理不尽な世の中のこと。
政治のこと。
皇帝という立場のこと。
ルルーシュが教えて来た様々なものは、確かに天子を育てた。
けれど彼女が飛び立つには、教えたすべても周りのすべても、ただの檻としてしか存在していなかった。


檻の隙間から飛び立てるほど、彼女は子どもではなくなっていた。
けれど檻を壊してなお羽ばたけるほど、大人でもなかった。


心の内に溜まったすべてを吐き出すように、ただ泣き続ける天子。
そんな彼女を、何も言わずただ抱き締め続けるルルーシュ。
星刻は彼ら2人を、ただ見守っていた。


奇しくも、外は通り雨。
空でいているのはだぁれ?

ほかにもだれかがないているの?

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08.7.3/改訂11.9.7